狂言師・俳優で活躍を続けている野村萬斎さん。
狂言師として古典狂言はもちろん現代劇を取り入れた新しい能狂言「鬼滅の刃」にも挑戦しています。俳優としてもNHK連続テレビ小説「あぐり」や映画「のぼうの城」など数多くの作品に出演してきました。
何でもないセリフを面白くしたりと、作品の中でも野村さんの個性があるれているものが多く感じ、NHKのEテレ「にほんごであそぼ」でも狂言を取り入れながら、子供たちにもわかりやすく楽しめるよう演出されています。子供から大人まで幅広い年代から親しまれている方ですよね。
今回は野村萬斎さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】野村萬斎は若い頃イケメン!
10代(1976年~1986年)
引用元:NHKアーカイブ
野村萬斎さんは、父・狂言師で人間国宝の二世野村万作さんと母・詩人の坂本若葉子さんの元で、姉が2人と妹が1人の長男として東京都に生まれました。1970年3歳の時に「靭猿」で子猿役で初舞台を踏み、4歳の時には「いろは」で初めてセリフのある役を演じました。
父からは狂言師の道へ進むことを強制されたこはなかったそうです。しかし中学生になると狂言に対して窮屈に感じ、自由を求めて部活動のバスケットボールに打ち込んだりバンド活動に勤しむようになりました。
上の画像は1980年・14歳・NHKで放送されたの時のものです。「こどもの能と狂言」という番組の中で狂言でも有名な演目の「附子(ぶす)」を披露しました。中学生ながら素晴らしい表情で一生懸命演じていまよね!
引用元:婦人公論
野村萬斎さんは、1984年(当18時歳)の時に、ロックが大好きになり「クイーン」や「マイケルジャクソン」の曲を聴くようになりました。この時野村萬斎さんは、「ロックスターになれるならなりたい!」とお話しされており、その当時は「かっこよさが全ての原動力」であったそうで狂言はマイナーに感じてしまっていました。
それを覆してくれたのが父の「三番叟(さんばそう)」でした。三番叟を観た時の衝撃的は、マイケルジャクソンの「スリラー」と同じぐらい野村さんにとってかっこよかったと感じたそうで、それならロックスターになるより自分にとっては狂言を継ぐ方がいいと考えたそうです。
上の画像は1984年・18歳・三番叟の舞台の時のものです。躍動感のある演技は本当にかっこよいですよね!
引用元:MOVIE WALKER
野村萬斎さんは、1985年(当時19歳)の時に、黒澤明監督の「乱」に鶴丸役で出演をしました。当時は本名の「野村武司」で出演していました。物語はシェイクスピアの悲劇「リア王」と毛利元就の「三子教訓状」を元にしており、当時の日本映画で最大規模の26億円をかけた大作でした。
この時、監督から萬斎さんの父・万作さんに「所作ができる10歳くらいの少年を探してくれ」と相談されており、万作さんが用意した書類に萬斎さんの書類も入れたとこ、監督の目にとまり出演が決まりました。
上の画像は1985年・6月1日公開の「乱」です。黒澤監督の最高傑作の一つとして国内外で高く評価されました。

野村萬斎さんは、どうしてロックが好きになったのかな?

それは、当時音楽やアメリカ文化がたくさん入ってきたという理由から、
自国の文化より刺激があってロックが好きになったみたいよ!
20代(1986年~1996年)
引用元:Amazon
野村萬斎さんは、1990年(当時24歳)の時に、東京グローブ座「ハムレット」で主役のハムレット役に抜擢されました。萬斎さんにとっては初めての翻訳劇に挑戦しました。その後も2003年にも出演し、2023年には萬斎さんが演出・出演の「ハムレット」に萬斎さんの長男の野村裕基さんも出演をしました。
この後、1994年(当時28歳)の時に野村萬斎さんはイギリスへ留学をし「シェイクスピアを演出するとはどういう事なのかを知りたくてイギリスに留学した」とお話しされており、萬斎さんにとってシェイクスピアとの縁が深くなっていきます。
上の画像は1990年・24歳・「ハムレット」のDVDの時のものです。このハムレットとの出会いがあった事で萬斎さんはシェイクスピア劇を狂言の手法を取り入れた作品を作り上げていきました。
引用元:NHKアーカイブ
野村萬斎さんは、1994年(当時28歳)の時に、NHK大河ドラマ「花の乱」に細川勝元役で出演をしました。共演者には主人公の日野富子役の三田佳子さんや足利義政役に12代目市川團十郎さんなど、豪華俳優陣と共演しました。
この作品で萬斎さんは日本アカデミー賞「主演男優賞」と「新人俳優賞」を受賞しました。
この時野村萬斎さんは、「初めてのテレビドラマが大河になりました。いきなり現代劇に出演するよりは衣装にもセリフにもなじみがあって、うれしかった」とお話しされており、能の舞台で演じる時の体勢や声の出し方は時代劇を演じる上で共通する部分があり演じやすかったそうです。
上の画像は1994年・28歳・NHK大河ドラマ「花の乱」の時のものです。大先輩との共演で役者として成長できた作品でした。
引用元:日本文化藝術財団
野村萬斎さんは、1994年(当時28歳)の時に、二世「萬斎」を襲名をしました。
叔父・初世野村萬と父・二世野村万作の兄弟は六世万蔵の息子で、六世万蔵の没後万蔵家の名跡を分配することになりました。父・万作は「萬斎」を相続する事になっていたましたが、万作という舞台名に愛着を持っていた為名乗ることはせず、息子である武司(萬斎)に名前を相続させる事にし「萬斎」を二世として襲名することになります。
上の画像は日本文化藝術財団のものです。28歳という若さで「萬斎」を襲名し、その後の活躍でその名を世に広めました。

野村萬斎さんは、留学のきっかけは何だったのかな?

それは、文化庁の芸術家在外研修制度を活用して留学したんだよね!
「若手芸術家等が海外の芸術団体、劇場等で実践的な研修等に従事する機会を提供することにより、我が国の将来の文化芸術振興を担う人材を育成することを目的とするもの」で滞在費や渡航費が支援される制度なんだよね!とても大事な仕組みだよね!
萬斎さんは、留学中して、外から狂言をみることで狂言への考え方も変わっていったそうだから、本当に貴重な経験だったんだね!
30代(1996年~2006年)
引用元:NHKアーカイブ
野村萬斎さんは、1997年(当時31歳)の時に、朝の連続テレビ小説「あぐり」に出演をしました。「あぐり」は作家の吉行淳之介さん、理恵さん、女優の吉行和子さんの実母をモデルとしており、90歳を過ぎても現役の美容師として活躍していた伝説の方です。
その主人公「あぐり」役には田中美里さんが抜擢され、萬斎さんはその夫役エイスケを演じることとなります。
この時野村萬斎さんは、「役を演じる前にその著作を読みましたが(エイスケは)ぶっ飛んだ人だなと感じました」とお話しされており、そんな人物像から役のイメージを膨らませていったことが確認できます。
上の画像は1997年・31歳・NHK連続テレビ小説「あぐり」の時のものです。エイスケという役がぶっ飛んでいた役だったため、共演者の森本レオさんから「こういう役柄は遊んだ方が勝ちなんだよ」と言われ、萬斎さんもハチャメチャに役を演じるようになりました。視聴者もエイスケの登場シーンを心待ちにしていました。
引用元:映画.com
野村萬斎さんは、2001年(当時35歳)の時に、「陰陽師」の映画に出演をしました。「陰陽師」は夢枕獏さん原作の「陰陽師・阿部晴明」の活躍を描いた伝奇小説「陰陽師」の映画化作品」です。この作品で萬斎さんは主演の阿部晴明役を演じました。共演者には伊藤英明さんや真田広之さんなど豪華俳優人がいました。
この時野村萬斎さんは、「現れただけでハッと思われる役者になりたい」とお話しされており、「陰陽師」では阿部晴明が出てきただけで存在感を放っていました。
上の画像は2001年・35歳・映画「陰陽師」の時のものです。エンドロールでの萬斎さんの華麗な舞が、当時話題になるほど美しかったそうです。

野村萬斎さんは、「あぐり」のエイスケ役を演じるにあったての役作りは何だったのかな?

それは、台本を読んで感じたのは「エイスケ=ぶっ飛んでる」という理由から、着物には合わないハイカラな赤いマフラーを身に着けるアイデアが浮かんだみたいよ!
40代以上(2006年~)
引用元:YAHOO!ニュース
野村萬斎さんは、2012年(当時46歳)の時に、映画「のぼうの城」に出演をし、主演の成田長親役を演じました。共演者には榮倉奈々さんや、山口智充さん、上地雄輔さんなど個性的な方々が多く出演されており面白い作品になっています。
この時野村萬斎さんは、「僕はどちらかと言えばシャープな役柄が多いので、ボーっとしている役は自分のイメージなのかなあと思っていたら、周りの人に『ピッタリじゃない!』とやけに勧められました。」とお話しせれており、何度も台本を読んでも今までやった事のない役柄だったため、なかなかイメージが湧き出てこなかったそうです。
上の画像は2012年・46歳・映画「のぼうの城」の時のものです。萬斎さんにとって9年ぶりとなる映画「のぼうの城」は「舞台とは違い、みんなで作る大きな世界を作り上げた」と熱い思いが込められた作品となりました。
引用元:LINE NEWS
野村萬斎さんは、2016年(当時50歳)の時に、「シン・ゴジラ」でゴジラの動きをCGで演じました。デジタルに記録するモーションキャプションという技法が使用され、萬斎さんの動きをフルCGで作成しゴジラの動きに反映させました。
この時野村萬斎さんは、「日本が誇る映画ゴジラという生物のDNAを私が継承しております。650年以上の狂言が入ったということを大変うれしく思います」とお話しされており、ゴジラの動きに関してチョロチョロ動くよりどっしりとした動きを意識したそうで、萬斎さんならではの狂言の動きがゴジラに生かされていることが確認できます。
上の画像は2016年・50歳・「シン・ゴジラ」でのモーションキャプションの時のものです。狂言や能の美しい動きもゴジラに生かされていて、迫力のあるゴジラの動きは圧巻です。

野村萬斎さんは、どうやってゴジラの動きを考えたのかな?

それは、実際にゴジラの面をつけて顎の動かす面の使い方を意識したみたいよ!
【画像】野村萬斎と羽生結弦の関係は?娘・息子は現在何してる?
野村萬斎と羽生結弦の関係は?
引用元:日テレNEWS
引用元:毎日新聞
羽生結弦は2018年の平昌オリンピックのフリープログラムで「SEIMEI」という楽曲を使用して映画「陰陽師」を用いた演技を披露しました。その後羽生さんたっての希望で萬斎さんとの対談が実現しました。
そして羽生さんが座長を務めた「羽生結弦notte stellata2025」で野村萬斎さんと共演し、東日本への震災地へ祈りをささげるショーを開催します。
羽生さんは萬斎さんとの共演を振り返り「とにかく緊張がすごかった。」と話しており、地上で狂言を舞う萬斎さんと氷上の上で舞う羽生さんの息の合ったコラボに観客からは自然と拍手が沸き起こっていました。
萬斎さんは羽生さんに対して「創っていく段階から、本当に「陰陽師」を好きなんだなと思いました。僕より詳しいぐらいです!」とこの共演を大変光栄に思ったそうです。
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野村萬斎さんは、どうして羽生結弦とコラボをしたのかな?

それは、羽生結弦さんが萬斎さんの大ファンだったという理由から、羽生さんの演技についてもアドバイスをするようになったみたいよ!
野村萬斎の娘・息子は現在何してる?
引用元:毎日新聞
引用元:デイリースポーツ
萬斎さんの長女で現在はTBSアナウンサーをしている野村彩也子さんは、白百合学園幼稚園から白百合学園高等学校を経て慶應義塾大学環境情報学部へ進学しました。
大学時代には「ミス慶應SFCコンテスト2018」に出場し、グランプリに選出されました。雑誌「CanCam」でもモデルとしても活躍されておりました。
彩也子さんの2つ下には、長男で狂言師の野村裕基さんがいます。2003年(当時4歳)裕基さんは「靭猿」で初舞台に立ち2023年には親子三代で出演した「祝祭大狂言会2023」が開催されました。
裕基さんは「祖父と父と同じ舞台に立ち2人の凄さを実感しております」とお話ししており伝統芸能が継承されているという実感をかみしめていました。狂言のほかにも俳優としても活躍されています。

野村萬斎さんは、どうして子供たちと公文式のCM共演をしたのかな?

それは、子供たちが幼少期に公文教育研究会の教室へ通っていたという理由から、縁があって公文式のCMで親子共演を果たしたみたいよ!
野村萬斎さんがデビューした1970年はこんな年だった!
引用元:朝日新聞、大阪商店街魅力発見サイト、時事通信
野村萬斎さんがデビューした1970年は、「第2次ベビーブーム」、「大阪万博」、「よど号ハイジャック事件」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、「鼻血ブー」で漫画家の谷岡ヤスジさんが受賞しました。
野村萬斎のプロフィール・SNS
引用元:スパイス
プロフィール
- 名前:野村萬斎(のむらまんさい)
- 本名:野村武司
- 生年月日:1966年4月5日
- 年齢:59歳(2025年4月現在)
- 出身地:東京都
- 特技:ムーンウォーク
- 血液型:B型
- 所属事務所:シス・カンパニー
SNS
- X(旧Twitter) URL:野村萬斎@狂言ござる乃座(@mansai_gozaru)さん / X
【チケット好評発売中♪】
— 野村萬斎@狂言ござる乃座 (@mansai_gozaru) March 29, 2025
第25回よこはま「万作・萬斎の会」@紅葉坂ホール ★5/6(火・祝)15:00開演
★野村万作「寝音曲」、萬斎「入間川」、裕基「首引」の楽しい狂言3番を解説付で上演。 万作の狂言芸話もお見逃しなく! 詳細・お求めはこちらから→ https://t.co/IFL7wqOCUH pic.twitter.com/71K1iAr3Wl
- Instagram URL:野村萬斎(@mansai.nomura.official) • Instagram写真と動画
- YouTube URL:野村萬斎@狂言ござる乃座 - YouTube
- オフィシャルサイト URL:〖公式〗万作の会 | 野村万作を中心に狂言公演を行うグループ。


野村萬斎さんの特技のきっかけって何なのかな?

「ムーンウォーク」が特技みたいね!このムーンウォークは狂言の「すり足」に応用できるみたいだね!本人は「モテたい!」と理由で習得したみたいよ。