フィギュアスケートの選手からプロスケーターへ転向し、現在はコーチやタレントとして活躍を続けている安藤美姫さん。
10代の頃からフィギュアスケートの才能を開花させ、高い技術力と表現力を武器に、数々の大会で優秀な成績をおさめてきました。
見た目の美しさから注目を浴びることも多く、メディアとの距離感に悩んだ時期もありましたが、現役引退後は、フィギュアスケートを始めた時からの”コーチになる”夢に向かって邁進しています。
今回は安藤美姫さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】安藤美姫は若い頃かわいい!
幼少期・10代(1987年~2007年)
引用元:YouTube
安藤美姫さんは、1995年(当時8歳)の時にフィギュアスケートを始めました。子どものころは、ピアノやクラッシックバレエも習っており、当時はまだマイナーなスポーツだったフィギュアスケートを、習い事の1つとして気軽な気持ちで始めたそうです。
安藤美姫さんが、フィギュアスケートと真剣に向き合うきっかけとなったのは、父親を不慮の事故で亡くしたことでした。
父親を亡くし、しばらく習い事から遠ざかっていた安藤美姫さんは、友達が誘ってくれたスケート教室で、フィギュアスケートコーチの門奈裕子(もんなゆうこ)さんと出会います。悲しみのどん底にいた安藤美姫さんは、門奈裕子さんの笑顔に救われたと言います。
この時安藤美姫さんは、「先生のように子どもたちに夢を与えられる素敵なコーチになりたいという夢を持ったんです。」とお話されており、コーチがどれだけ大きな存在だったかが分かりますね。
安藤美姫さんは、1998年(当時11歳)の時に初めてフィギュアスケートの大会『全日本ノービス選手権』に出場し、Bクラスで3位となり、翌年にはAクラスで優勝します。
その後、2002年(当時15歳)の時に、ISUジュニアグランプリシリーズのファイナルで、女子シングル史上初の4回転サルコウを成功させました。
上の動画はジュニアグランプリファイナルで表彰台に上がった時のものです。当時、堂々とした滑りが、今後の活躍を期待させました!
引用元:JIJI.COM, JIJI.COM
安藤美姫さんは、その後の大会でも4回転サルコウを次々と成功させ、活躍を続けました。
2003年~2004年(当時16歳~17歳)シーズンの世界ジュニア選手権では、ショート・フリーともに1位で完全優勝、全日本ジュニア選手権は3連覇、全日本選手権では初優勝を果たしています。
この時安藤美姫さんは、「世界のトップステージであるシニアで早く演技したくて、そのためにはジュニアで結果を出さなければいけませんから。やっとスタート地点に立てたという感じです。」とお話しされており、ジュニアでは敵なしの実力であったことが確認できます。
ジュニアの舞台で結果を残した安藤美姫さんが初めて挑んだ世界選手権では、高難度ジャンプを決めましたが、ハイレベルな戦いの中で、惜しくも総合4位の結果となりました。
安藤美姫さんは、続く2004年~2005年(当時17歳~18歳)シーズンの全日本選手権でも優勝し、2連覇を達成しています。ショートプログラム3位から、フリーの演技で1位を獲得し勝利した、見事な逆転劇でした。
上の画像は、1枚目が2003年に初優勝した全日本選手権、2枚目が翌年2004年に同大会で2年連続で優勝した時のものです。2003年は、安藤美姫さんが、女子で全日本選手権初の4回転ジャンプに成功した年でした。
引用元:JIJI.COM
安藤美姫さんは、2005年(当時18歳)の時に、オリンピック代表選考ポイントの総合3位となり、2006年トリノオリンピックの代表選手に選出されました。
上の画像はトリノオリンピックに出場した時のものです。18歳の高校生が立つオリンピックの初舞台は、どれほどのプレッシャーがあったのか、想像もつきません。
この後、4回転を跳ぶ美人高校生スケーターがオリンピックに出場することで注目され、メディアから追われる日々が始まります。当時まだ高校生だった安藤美姫さんは、24時間カメラを向けられる「恐怖」を感じていたそうです。
過熱するメディアを避けるため、オリンピック直前にアメリカに練習拠点を移して調整していました。そんな中、足の小指を骨折するトラブルにも見舞われ、安藤さんは怪我が完治しないまま、トリノオリンピック開幕を迎えます。
安藤美姫さんは、精神的にも身体的にも万全とはいえない中で、4回転ジャンプに挑戦する決意をしました。結果は、回転不足や転倒とミスが続き、総合15位に終わりました。
この時安藤美姫さんは、「やっぱり(4回転を)成功させたかった。でも、自分の挑戦に対して後悔はないです。」とお話しされており、オリンピックという世界の大舞台で、当時の自身の全力を出せたことが確認できます。
しかし、オリンピックで結果を出せなかった安藤美姫さんに対して、メディアの攻撃的な報道や、世間からの非難が続きました。スケートをやめることも考えた安藤美姫さんがもう1度がんばろうと思えたのは、オリンピック会場の外で会った1人の日本人女性からの言葉だったそうです。
「こんな大きな舞台で4回転に挑戦してくれてありがとう。すごく勇気をもらったわ。日本から来た甲斐があった。」
日本に帰国した安藤美姫さんは、ジャンプのフォームを修正するために門奈裕子先生のもとへ戻り、子ども頃に学んだ基礎をもう1度叩き込みました。
引用元:毎日新聞, JIJI.COM
安藤美姫さんは、2006年(当時19歳)の時に、フィギュアスケートのコーチや振付師として活躍していたニコライ・モロゾフさんの指導を受けるため、アメリカに渡りました。
門奈裕子先生のもとで技術的な自信を取り戻し、モロゾフコーチから指導を受け始めたこの年は、安藤美姫さんにとって、フィギュアスケート人生の転機となります。
安藤美姫さんは、これまでジャンプなどの高い技術に重きを置いてきた演技に、「表現」の魅力をプラスする練習を重ねました。モロゾフコーチの信条は、「選手の長所を伸ばす」ことです。長所を活かせるプログラムを探し出し、気持ちに余裕を持ちながら滑ることで、曲を感じ、感情を乗せる演技ができたと言います。
2007年に開催された世界選手権では、ショートプログラム2位から見事に逆転し優勝を決めました。浅田真央選手やキム・ヨナ選手をおさえての勝利でした。
この時安藤美姫さんは、「色んなことがあって苦労したけど、家族やコーチやみなさんのおかげで、このような結果が出せて嬉しいです。」とお話されており、心ない言葉をかける人たちばかりではなく、周りには支えてくれる人がいたことが分かります。
上の画像は、安藤美姫さんが2007年の世界選手権で優勝した時のものです。優勝が決まった瞬間は、喜びと安堵で大号泣でした!

安藤美姫さんは、モロゾフコーチに指導を受け始めてから、”曲を感じ”ながら演技をするようになったみたいだけど、元々音楽に精通していたのかな?

それは、安藤美姫さんが子どもの頃に、音楽がある環境が将来何かの役に立つかもしれないという理由から、寝る前のBGMとしてクラシック音楽をお母さんが必ずかけてくれていたみたいよ!
当時は意味は分からなかったそうだけど、聞き慣れていたから、フィギュアスケートとクラシック音楽のつながりも、スッと受け入れられたのかもしれないね!
20代(2007年~2017年)
引用元:Sportsnavi
安藤美姫さんは、2007年~2008年(当時20歳~21歳)のシーズンで、グランプリシリーズ、全日本選手権、四大陸選手権、世界選手権に出場しました。
多くの選手が、世界チャンピオンになった翌年に起こる燃え尽き症候群に悩まされるそうですが、安藤美姫さんも例外ではありませんでした。モロゾフコーチは、モチベーションが下がっていた安藤美姫さんに「ゴールはオリンピックではないのか?」と投げかけます。
この時安藤美姫さんは、「はっとした。トリノオリンピックの悔しさをバンクーバーで果たして、応援にこたえなくては。」と、誓いを思い出したと言います。
モロゾフコーチは、2010年に開催されるバンクーバーオリンピックに向けて表現力を高めるため、大人の妖艶な表現が求められる『カルメン』をプログラムに選びました。
2007年12月に行われた全日本選手権では、ショートプログラム、フリーともに3回転ー3回転を成功させ、『カルメン』を演じきった安藤美姫さんに、観客は魅了されました。
この時安藤美姫さんは、「初めて、『なりきれた!』と思いました。誰もが、あのカルメンは良かったと言ってくれる。人の心に残る演技を、一度でも出来たことが自信になりました。」とお話しされており、表現力を自分のものにしたという手ごたえを感じられます。
上の画像はカルメンを演じたの時のものです。力強さと気迫が伝わってきますね。
引用元:朝日新聞
安藤美姫さんは、2008年シーズン最終戦として、スウェーデンで開催された世界選手権に出場しました。
ショートプログラムでは、ミスが続いて8位となり、フリーでの逆転を狙っていました。しかし、試合前の練習中にハプニングが起こります。足をひねり、左ふくらはぎを負傷してしまったのです。モロゾフコーチからは棄権をすすめられましたが、安藤美姫さんは出場を選択をしました。
足にテーピングをして痛み止めの注射を打って試合に臨みましたが、途中で転倒し、そこからは演技が続けられませんでした。泣きながらジャッジ席に向かい、途中棄権となりました。
この時、途中棄権した安藤美姫さんを、トリノオリンピックの時のように批判する人がいたそうです。
しかし、安藤美姫さんは、「一時は『こんなに波がある自分が、氷の上に立つ資格はあるのか』と考えましたが、すぐに次のシーズン頑張ろうと思えました。」とお話しされており、周りの意見に惑わされず、フィギュアスケートに向き合う心の強さを身に付けたことが確認できます。
上の画像はジャンプのあとにバランスを崩した時のものです。左ふくらはぎの筋肉が動かず、感覚もない中での挑戦でした。
引用元:朝日新聞DIGITAL, 朝日新聞DIGITAL
安藤美姫さんは、2010年(当時23歳)の時に、バンクーバーオリンピックに出場します。
トリノオリンピックからのリベンジの舞台である、バンクーバーオリンピックでは安定した演技を見せました。しかし、モロゾフコーチが「スローだった」と表現した滑りは、迫力に欠け、5位入賞に終わりました。
オリンピックでのメダル獲得という念願は果たせませんでしたが、2010年~2011年は、安藤美姫さんの競技人生の中で最高の成績を記録をするシーズンになります。
グランプリシリーズの中国大会とロシア大会、全日本選手権、四大陸選手権、世界選手権の5大会で優勝を飾り、さらに、5位だったグランプリシリーズファイナルも合わせて、本シーズンに出場した全6試合のフリーの演技すべてで1位を獲得したのです。
この時安藤美姫さんは、「ショートとフリー大きなミスなく終われましたし、スピンのレベルやフットワークのいい評価をいただけました。プラスマイナス色々ありましたけど、世界選手権の前にいい試合になったのではないかと思います。」とお話しされており、順調に成績を残している実感があったことが確認できます。
上の画像は四大陸選手権と世界選手権に出場したの時のものです。演技を楽しんでいるような表情が、とても印象的ですね。
引用元:zakzak by夕刊フジ
安藤美姫さんは、2011年10月に開催されたジャパンオープンへの出場後、2011年~2012年(当時24歳~25歳)のシーズンの試合を休む決断をしました。休養中は、日本やアメリカを飛び回り、アイスショーに精力的に出演しています。
翌シーズンは復帰を発表していましたが、2012年にニコライ・モロゾフコーチから契約を解消されており、後任のコーチが見つからないまま、予定していた試合の欠場を表明しました。
安藤美姫さんは、公式試合への出場がなく2013年を迎え、1月には所属していたトヨタ自動車との契約を解除を申し出ています。
そして、同年7月に出演したテレビ番組では、4月に長女を出産していたことと、今シーズンでの現役引退を告白し、世間を驚かせました。
出産後の2013年~2014年(当時26歳~27歳)のシーズンを最後に引退を決意した安藤美姫さんは、産後1ヶ月で練習を再開し、6月にはアイスショーに2度出演しています。2度の出演のうち1回目はジャンプなしの演技でしたが、2回目は3回転サルコーを成功させるという、驚異的な復帰をみせたのでした。
オリンピック代表選考会となる12月の全日本選手権には、育児と練習を両立して臨みました。結果は、2014年のソチオリンピック代表を勝ち取ることは叶わず、安藤美姫さんの競技者として最後の舞台となりました。
上の画像は、最後の競技を終えた安藤美姫さんです。すがすがしい笑顔で、悔いのないフィギュアスケートの競技人生だったことが分かります。

安藤美姫さんは、どうして出産後すぐに子どもの存在を公表しなかったのかな?

それは、安藤美姫さんが、ジャンプを跳べるようになってから、公表したいと考えていたみたいよ!
結婚しないで出産したことで、娘がいろいろな事を言われるだろうという心配と、安藤美姫さんが選手としてきちんと跳べるようになったら、子どもも認めてもらえるだろうという想いがあったそうよ!
30代(2017年~)
引用元:Walkerplus
安藤美姫さんは、現役引退後、アイスショーやバラエティー番組への出演、アイススケート教室開催などの活動を行っています。
企業や、安藤美姫さんの出身校である中京大学が主催したイベントで、スケート経験のない子どもたちに教えるスケート教室の講師として、スケートの魅力や楽しさを伝えてきました。
また、安藤美姫さんは、2023年(当時36歳)の時に、日本フィギュアスケーティングインストラクター協会の会員に認定されました。日本フィギュアスケーティングインストラクター協会とは、フィギュアスケートにおける資質の高い指導者の育成を目的に活動する団体です。
この時安藤美姫さんは、「9歳からの夢へ1歩近付けた。偉大なコーチの皆様のご指導の元、スケートに対する“情熱”と“愛”を忘れずに1歩ずつ精進して参ります。」とお話しされており、門奈裕子さんのようなコーチになりたいという夢に向かって着実に前進していることが確認できます。
上の画像は2018年にららぽーと豊洲の中庭のアイススケートリンクで開催された、スケート教室のものです。
引用元:ぴあ
安藤美姫さんは、2025年(当時38歳)の時に、舞台『Mother~特攻の母 鳥濱トメ物語~』 に出演しました。
共演者は、浅香唯さん、ペナルティのワッキーさんやジャングルポケットの太田博久さんで、プロデューサーを務めるワッキーさんが、安藤美姫さんに声をかけたことから出演が決まりました。
本作は2009年から上演を続けており、2016年には安藤美姫さんの弟、2001年には長女のひまわりちゃんが出演しています。
この時安藤美姫さんは、「家族ぐるみでご縁のある思い出の舞台。3年ほど前にワッキーさんからお声がけいただき、今回出演させていただきました。」とお話されており、観覧をしたことがあるという舞台への出演に、意欲みせていることが確認できます。
安藤美姫さんは、これまでにドラマへの出演経験はありますが、今回が初舞台です。
舞台稽古では、足の運び方や手先の仕草などを、何度も演出家に注意されたそうです。フィギュアスケート時代に染みついた、美しく見せるための動きが自然に出てしまうようでした。安藤美姫さんは、普通に歩くことをひたすら練習をして、舞台に臨みました。
上の画像は舞台で久保田利雄(ワッキーさん)の妻・喜美子を演じた時のものです。初めての舞台とは思えない表情が、フィギュアスケートで培った表現力の高さを表していますね。

安藤美姫さんは、どんなドラマに出演したことがあるのかな?

2014年に放送された織田裕二さん主演の『奇跡の教室』が初のドラマ出演だったよ!
このドラマには、安藤美姫さんの弟の安藤幹純(あんどうもとよし)さんも出ていて、姉弟での共演となったんだって!
2作目は同年、阿部サダヲさん主演の『ママが生きた証』に本人役で出ていたみたい!
3作目は2021年に小泉孝太郎さん主演で放送された『警視庁ゼロ係〜生活安全課なんでも相談室〜SEASON5 第3話』で、フィギュアスケート選手の役で登場したんだよ!
安藤美姫さんが高校卒業後から2013年1月まで所属していた”トヨタ自動車”には他に誰が所属してる?
引用元:トヨタイムズスポーツ、トヨタイムズスポーツ、トヨタイムズスポーツ
安藤美姫さんが高校卒業後から2013年1月まで所属していたトヨタ自動車には、フィギュアスケート選手の紀平梨花さん、バスケットボール選手の髙田真希さんや卓球選手の張本智和さんなどが所属しています。
【画像】安藤美姫の娘の父親は誰?教え子田内誠悟との関係は?
安藤美姫の娘の父親は誰?
引用元:Instagram
引用元:avance『安藤愛陽葵』
安藤美姫さんは、未婚のまま2013年4月3日に長女を出産し、7月に放送されたニュース番組で母親になったことを発表しました。
妊娠が分かった時は、「父親が誰かは、絶対に言えない人だから」という理由で、事情を知る人たちからは産むことを反対されました。それでも安藤美姫さんは、シングルマザーになる覚悟で新たな命を守る決心をし、反対していた家族もその決意に根負けしたと言います。
父親が誰かについてはこれまで公表されていません。
2022年に放送されたバラエティー番組では、「9歳になる長女のひまわりちゃんには父親の写真を見せて、『この人だよ』と伝えている」とお話されています。
上の画像1枚目は、1歳の長女を抱いてスケートリンクでくるくると回っている安藤美姫さんです。スケーターの血を引く愛陽葵(ひまわり)さんは、氷の上でも怖がらずにママと楽しんでいるようです。
上の画像2枚目は、安藤美姫さんの長女愛陽葵さんの写真です。2025年現在、avanceという芸能事務所に所属し、本名『安藤愛陽葵』の名前で子役として活動しています。

安藤美姫さんのお子さんは、スケートはしていないのかな?

お子さんの安藤愛陽葵さんは、7つも習い事をしていて、フィギュアスケートもやっているみたいよ!
フィギュアスケート、ヒップホップ、歌、ピアノ、習字、勉強、ドラムを習っているけど、安藤美姫さんはフィギュアスケートを教えていないんだって!「“厳しい”しか与えられなくて、楽しさを教えてあげられないので。」というのが理由だそうよ!
安藤美姫の教え子田内誠悟との関係は?
引用元:毎日新聞
安藤美姫さんは、2023年10月(当時36歳)からジュニアの田内誠悟さんのヘッドコーチとなりました。
田内誠悟さんは、門奈裕子さんから指導を受け、中学時代は全国中学生大会で優勝するほどの実力を持つ、将来有望な選手です。
中京大中京高校への進学を理由に、所属先の移籍を決めた田内誠悟さんは、門奈裕子さんを通して安藤美姫さんにコーチ就任の打診をします。シーズン中盤でヘッドコーチが交代するのは異例でしたが、同じ恩師から指導を受けた先輩・後輩は2人3脚で世界を目指すことになりました。
上の画像は、2023年12月に開催された全日本選手権での田内誠悟さんの演技後のものです。フィギュアスケートでは、コーチと選手がハグをしたり、膝に手を置いたりして、演技を称え励ますような場面はよく見られますよね。
引用元:文春オンライン
安藤美姫さんは、初めてのヘッドコーチとして、技術面だけではなく精神的な支えにもなるよう田内誠悟さんに寄り添ってきました。信頼関係にあった2人でしたが、”コーチと選手の関係以上のスキンシップを感じる”という声も聞こえており、30代の女性コーチと未成年の男子選手の距離感に疑問の声もあがっていました。
そんな状況の中で、安藤美姫さん、田内誠悟さんとその母親の3人が2024年6月にUSJへ行った時の写真が、”USJ手つなぎデート”として、報道されたのです。
撮られた写真は、母親が近くにいない時に手をつなぎ、お互いの腰に手をまわして歩くなど、恋人のように振る舞う2人の姿でした。上の画像は、記事に掲載された安藤美姫さんと田内誠悟さんが腰に手をまわして歩く姿のものです。
この時安藤美姫さんは、一部報道は事実無根と否定し、「自分の配慮の足りない軽率な態度によって、関係者の皆さまに対して本当に心からご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありませんでした。皆さまに誤解されるような行動は今後慎んでいきたい。」とお話されています。
報道の前日には、自身のXに「I can't take it anymore. I feel really burned out.(もう我慢できない。本当に燃え尽きた気分だ。)」と書かれた画像を投稿しており、10代の頃から経験してきた過熱報道に憔悴している様子も伺えます。
2025年3月現在、田内誠悟さんはコーチ不在で競技を続けています。今回の不適切と疑われる行動に対して、プロのコーチとしてどのような調査と処分が進められるのか、安藤美姫さんのコーチとしての今後のキャリアとともに注目されています。

田内誠悟さんは、コーチがいなくてどうやって練習をしているのかな?

それは、自分で動画を撮って、ジャンプの確認をしているんだって!
練習している中京大学のスケートリンクでは、気にかけてくれる先輩や仲間がたくさんいるみたい!試合の時は、中京大中京高校の先生がコーチ代わりに帯同してくれているそうで、周りのサポートを受けながら体制の立て直しを考えているみたいよ!
安藤美姫のプロフィール・SNS
引用元:ORICON NEWS
プロフィール
- 名前:安藤美姫(あんどうみき)
- 生年月日:1987年12月18日
- 年齢:37歳(2025年3月現在)
- 出身地:愛知県
- 血液型:A型
- 趣味:絵画、塗り絵
- 特技:フィギュアスケート
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/M1K1_ANDO
2025/01/01
— 安藤美姫 (@M1K1_ANDO) January 1, 2025
あけましておめでとうございます
文章が長くなってしまいましたので良かったら読んでいただけると嬉しいです#2025年#新年
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安藤美姫さんが、塗り絵が趣味になったきっかけって何なのかな?

2020年頃のステイホームの時期に、親子で楽しめる何かを発信したくて、SNSに塗り絵の下絵を投稿したのがきっかけだったんだって!
安藤美姫さんは、小さい頃に絵画を習っていたことがあって、絵を描くことが得意みたいだね!
塗り絵なら子どもも集中できて、親も楽しめるからと、発信し始めたら、今では安藤美姫さんの趣味にもなったそうだよ!