【画像】広末涼子は若い頃かわいい!現在鳥羽周作と別れた?ラブレター全文の内容は?

女優、エッセイスト、3児の母としても活躍を続けている広末涼子さん。

デビュー後には瞬く間に1990年代「ヒロスエブーム」という社会現象を巻き起こし、「完璧ではない人間らしさ」が魅力で、これまでも雑誌、ドラマ、CM、アイドル、歌手、ドラマ、映画、本などでファンにさまざまな感情や感動を抱かせてくれました。

今回はそんな広末涼子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】広末涼子は若い頃かわいい!

10代(1990年~2000年)

広末涼子さん
広末涼子さん
引用元:読売新聞オンライン

広末涼子さんは、中学時代から学業優秀で、地元では評判の“美少女”として知られていたそうです。また、中学3年間、陸上部で活躍し、走り高跳びで県2位になったこともあるというお話もあります。

1枚目の画像は、中学3年間続けていた陸上部のものです。走り高跳びで県2位という記録を持っているそうです。こんなに可愛くて、頭も良く、スポーツも出来るなんて中学時代も相当モテていたのだろうと思います。

その後、1994年(当時14歳)の時に「クレアラシル ピカピカフェイスコンテスト」でグランプリを受賞し、芸能界入りを果たしました。

この時広末さんは、「『デ☆ビュー』を眺めていただけだった中学2年生の頃、『クレアラシル』のCMオーディションの条件は“肌がキレイで明るく健康的”だけ。それなら私だ!って(笑)」とお話しされており、履歴書に貼った写真は、母に初めてベランダで撮ってもらったものだそうです。

近畿予選を経て最終審査に進出し、まさかのグランプリ受賞となりました。審査員からは“芸能未経験の原石”や“隣にいそうな普通っぽさ”が高く評価されたそうです。

芸能事務所から声がかかった際、母は「普通の高校に合格してから」と1度立ち止まらせた言います。ドラマ出演の話が来た時も「夢がかなわなかったらどうするの!」と迫る広末さんに、「それでダメならその程度なの」と厳しく返したとお話されていました。

広末さんは後に「振り返ると的を射た言葉」と語り、「中高生時代の友だちは一生の財産だから」という両親の想いを深く理解したそうです。

2枚目の画像は1994年(当時14歳)、コンテストグランプリ受賞後の広末さんのプロフィール写真です。素顔のままの透明感と純粋さが、当時から印象的だったことがうかがえる1枚です。

広末涼子さんは、この翌年の1995年(当時15歳)の時に、クレアラシルグランプリ受賞をきっかけにCMでデビューしました。その後に『ハートにS』でドラマデビューも果たしています。

広末涼子さん
引用元:YouTubeWarner Music Japan

広末涼子さんにとって大きな転機となったのが、1996年(当時16歳)の時のNTTドコモのCM「広末涼子、ポケベル始める」です。1枚目の映像は当時のCMです。

このオーディションで広末さんは、ポケベルを口に入れるという大胆なアドリブ芝居を披露し、それが審査員に大きな印象を与え見事な抜擢に繋がったようです。

この時の事を広末涼子さんは「オーディションの機会が少なかった分、すべての現場が“試験”のように感じていました。だからこそ、自分自身を好きでいることと、自信を持てる努力を重ねることを大切にしてきました」と振り返っており、当時から真摯に仕事と向き合う姿勢があったことが確認できます。

広末涼子さんは翌年、1997年(当時17歳)にシングル『MajiでKoiする5秒前』で歌手デビューしました。同年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、名実ともに国民的アイドルとなりました。

同年の紅白歌合戦に制服風の衣装で初登場し、同年代の若者たちのファッションアイコンとして注目を集めました。また、広末さんの堂々としたパフォーマンスが話題となり、これが「広末ブーム」としての火付け役になりました。

広末涼子さんはこの「広末ブーム」のことを「よくわからないですね、ライブで歌をやらせてもらってみんなからの生の反応が大きくて実感した、すごい嬉しかった」とお話しされていました。

2枚目の画像は、1997年(当時17歳)の時に歌手デビューしたシングル『MajiでKoiする5秒前』(竹内まりやさんプロデュース)で、この曲は広末涼子さんの代名詞となりました。改めて見てみたのですが、カワイイの極みですね。

同年広末涼子さんは、初写真集の『H』『R』を同時発売し、2003年6月までの集計で46万8000部の売り上げを叩き出しました。

広末涼子さん
広末涼子さん
引用元:X映画.comReal Sound

広末涼子さんは、1997年(当時17歳)にフジテレビ月9ドラマ『ビーチボーイズ』で女子高生の和泉真琴役を演じました。上の1枚目の画像は、1997年(当時17歳)の時のフジテレビ月9ドラマ『ビーチボーイズ』ときのものです。白いセーラー服が本当に似合ってカワイイですよね。

この時のことを広末涼子さんは、「高校は東京の普通の学校に通っていて、芸能活動が理由で遅刻や欠席はしていなかった」とお話しされており、芸能活動がかなりの多忙であったにも関わらず、学業との両立をキチンとこなしていたであろうことが確認できます。

広末涼子さんは、1998年(当時18歳)の時に、自己推薦入試で早稲田大学教育学部国語国文学科に合格し、女優業と学業の両立が大きな話題となりました。

在学中は真摯に学問に向き合っていたと報じられていますが、両立の難しさから2003年に芸能活動を一時休止し、2004年には第1子を出産し、育児と学業の両立にも挑戦しました。

広末涼子さんは、1999年(当時19歳)の時に映画『秘密』に主人公の杉田藻奈美/直子を演じ、体は17歳の娘、心は死んだはずの妻という難役が大好評で、映画初主演で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しました。また、同年は映画『鉄道員』に乙松の娘・雪子役を演じました。

この時に映画『鉄道員』で父親役として共演した高倉健さんについて広末涼子さんは、「私が消えるシーンで健さんが泣かれたんです。スタッフの皆さんも涙を流していて、あんな現場は後にも先にもありません」撮影後も電話番号を交換し、「ずっと可愛がってもらいました」と高倉健さんとの深い絆があることが確認できます。

2枚目・3枚目の画像は、1999年(当時19歳)に出演した映画『秘密』と『鉄道員』の時のものです。これらの作品から演技は女優になって来たのですね。

けん

広末涼子さんが自分なりに大切にしているのはどんなことかな?

のぞみ

それは、「やっぱり自分自身を好きでいること。それは表情や表現にきっと出ると思う」とお話しされています。そして、もう1つは「自信を持てるだけの努力を重ねること」だそうです。中学時代に取り組んでいたスポーツや恋愛にも共通する姿勢として、常に全力投球で向き合ってきたとお話しされています。これが芯の強さの根源なんですね。

20代(2000年~2010年)

広末涼子さん
引用元:JiJi.com

広末涼子さんは、2002年(当時22歳)に女優業に専念するため音楽活動を休止し、翌2003年12月(当時23歳)にはモデルの岡沢高宏さんとの結婚と妊娠を発表しました。

この時のことを広末涼子さんは「結婚や出産を選択することで、もしかしたら仕事を失うことになるかもしれない」と悩んだそうです。​しかし、「結婚しても子どもがいても女優という仕事を続けていける」と考え、家庭と仕事の両立を目指したとお話しされており、広末さんにとって女優がとても大切なものであったことが確認できます。

上の画像は結婚した頃のものです。とても嬉しそうですよね。この満面の笑みから強く伝わってきます。

広末涼子さん
引用元:FOD

同年、広末涼子さんは「女優業に専念したい」との理由で早稲田大学を退学しました。学業より、女優を選択したのですね。

この時のことを広末涼子さんは、「なんのためにやっているのだろう、という強迫観念の中にいた」と振り返り、休業中は一般人としてドラマや映画を観ることで、自分が凝り固まっていたことに気づき、「私に何を求めているかの方が大事だ」と考えるようになったとお話しされています。

強い葛藤を繰り返す日々を過ごし、その中で自身の女優への強い思いに気づけたのでしょう。その後、広末涼子さんは、2004年(当時24歳)に第1子男児を出産しました。

長男が出てきた声を聞いた時に、“わーっ、泣きそう”って思ったんだけど、“あっ、ここで泣いたらドラマみたいだ”と思って“我慢しなきゃ”と思って。その話を妹にしたら、“そこ、泣いていいとこだよね”って」と言われ、「台本だと答えがあるから、泣いていいとかなんだけど」と、とっさのことでも女優業を思い出していたそうです。

初めての子育てについては「とても大変なことだと思っていたので、子どもの様子を見てから判断しようと思っていた」そのため、芸能界への復帰時期はあえて決めず、「もし復帰が遅れて仕事がなくなったら、そのときに努力するしかない。それでも戻れなければ、それが自分の実力だったという覚悟はあった」とお話しされています。

育児と向き合うなかで、女優としての自分にも真摯に向き合おうとする、広末さんらしい“潔さ”が垣間見えるエピソードですね。その後2005年(当時25歳)にフジテレビ月9ドラマ『スローダンス』で女優復帰しました。

広末涼子さん
広末涼子さん
引用元:オリコンニュース映画.com

上の画像は2005年(当時25歳)の女優復帰1作目であるフジテレビ月9ドラマ『スローダンス』の時のものです。ファンの方々はまた、広末さんをTVで観れるようになり、とても嬉しかったでしょうね。

2008年(当時28歳)の時に、岡沢高宏さんとの離婚を発表しました。上の1枚目の画像は、2008年に離婚を発表した時のものです。気持ちが晴れたのでしょうか。穏やかなお顔をされている気がします。

ちなみに長男の親権は広末さんが持っていました。

離婚理由として「それぞれの仕事や大切にする思いの“歩幅”を合わせることが難しくなった」長い時間をかけて試行錯誤を重ねた末に、「子どものことを最優先に考えたうえで、これが最良の選択」と判断したと明かしています。

離婚後も岡沢さんへの尊敬と信頼は変わらず、「今後も子どもの父母として交流していく所存です」と関係の良好さを強調しています。子供を育てながら女優を続けて行く覚悟を語っていました。

同年、出演した映画『おくりびと』が、第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞しました。

2009年(当時29歳)の時に、第81回アカデミー賞で『おくりびと』が日本映画で初めて外国語映画賞を受賞し、広末さんも監督の滝田洋二郎さん、共演の本木雅弘さん余貴美子さんと共に授賞式に出席しました。上の画像2枚目は当時のものです。

この時のことを広末涼子さんは、「アカデミー賞に行ったことなど初めての経験ばかりだった」と振り返っています。当初は「誰もそこまで期待していなかった作品だった」と感じていたそうですが、完成した作品に大きな驚きがあったと語ります。

葬儀というテーマに「黒やグレーの重いイメージを抱いていた」が、完成した作品は「まさかのピンク色」という意外性に「滝田監督の感覚は本当にすごい」と語り、広末さんの演技に更に深みが加わったことが確認できます。

けん

広末涼子さんは、何故大学を退学したのかな?

のぞみ

それは、早稲田大学入学後に感じたイメージとのギャップに戸惑い、「どう埋めていこうかと悩んで、初めて壁に当たりました」とお話ししており、これでは、ご自身が思ったような学業が出来る環境ではない。と思われて退学を考えられたのでしょうね。

30代(2010年~2020年)

広末涼子さん
引用元:オリコンニュース

広末涼子さんは、2010年(当時30歳)の時に、NHK大河ドラマ『龍馬伝』で、広末さんは坂本龍馬の姉・乙女役を演じました。​この作品での演技は高く評価され、女優としての地位をさらに確立しました。

この時のことを広末涼子さんは、土佐出身の自身にとって龍馬は「大好きなヒーロー」だったため、役への思い入れも強かったそうです。

当初“福山龍馬”に対しては「キレイ過ぎじゃない?」と戸惑いを感じたものの、自然体で役に入り込む姿に「内側からくる存在感があって、さすがです」と印象が変わったことを明かし、「今の時代から見れば理不尽な引き裂かれ方だけど、当時の女性はそれを受け入れていたと思う」とお話しされています。

土佐弁も地元出身ならではの自然さで演じ、すっぴんに近い演技にも挑戦するなど、役作りにも強い意欲を見せていることが確認できます。

上の画像は2010年(当時30歳)に出演したNHK大河ドラマ『龍馬伝』の時のものです。広末さんの演技は時代劇でも通用するのですね。離婚を乗り越えて、更に演技派女優になりましたね。

引用元:オリコンニュース

広末涼子さんは、同年に、キャンドルアーティストのキャンドル・ジュンさんとの再婚を発表しました。​この再婚は大きな話題となり、家庭と仕事の両立に注目が集まりました。

この時のことを広末涼子さんは、「恋愛感情というより、静かな安らぎや、信念を持って活動する姿勢に信頼感を抱いた」と語り、熟慮の末「互いを高め合えるパートナーとして、結婚という形を選びました」と報告しました。

一方、ジュンさんとブログでは「彼女とその子供との出逢いは、今までの自分になかったものを与えてくれました」と家族としての決意を表しています。

広末さんは、これまで多忙の中、芸能活動を続け、その傍らでは、離婚しシングルマザーとして長男を育て、気持ちが休まることはなかったと思います。その時にジュンさんと出会い安らぎを得られ、それが結婚の決め手になったようです。

上の画像は2010年(当時30歳)にキャンドル・ジュンさんとの再婚を発表した時のものです。1度目の結婚の時と比べて落ち着いた面持ちのような感じがします。翌2011年(当時31歳)に第2子男児の出産を発表しました。

けん

第2子男児の出産についてはどうだったのかな?

のぞみ

それは、「2100グラムの男の子が生まれました」と報告し、「感謝の気持ちでいっぱい」と心境を語ったみたい。出産は東日本大震災直後となり「海や空を見ると涙が止まりません」と被災地への思いもにじませながら、「確かな希望と光を抱いて、自分にできることを頑張っていきたい」と前向きな言葉を綴っていたよ。

40代以上(2020年~)

広末涼子さん
広末涼子さん
引用元:スポニチアネックスクランクイン

広末涼子さんは、2022年(当時42歳)の時に、日本マザーズ協会が主催する第14回ベストマザー賞の芸能部門を受賞しました。上の1枚目の画像は受賞時のものです。これまで、女優と子育てを試行錯誤しながら両立させてきたことが形になったのですね。

この時に広末涼子さんは、18年前に結婚・出産を経験した当時を振り返り、まさかこんな賞をいただけるとは思っていなかった」と感謝の気持ちを語りました。

当時は23歳での結婚、翌年に第1子を出産し、女優業との両立に賛否があったと明かします。「なぜ女性だけが結婚か仕事かを選ばないといけないのか」という葛藤を抱えながらも、「子育てをしながらでも女優はできる」と証明することが希望だったと語りました。

最後に、「いまの私があるのは、間違いなく子どもたちのおかげ」と涙ながらに3人の子どもへの感謝を述べ、温かい拍手を受けました。広末さんにとって3人のお子さまがかけがえのない存在であったことが確認できます。

広末涼子さんは、同年、エッセイ集『ヒロスエの思考地図』出版しました。高校時代から興味を持っていた哲学を軸に、「お芝居以外でも元気や勇気を届けたい」と新たな挑戦への想いを語っています。

原稿は毎朝4〜6時に手書きで執筆され「手書きの方がしっくりくるし、自分と向き合える」と、静かな時間を大切にしていたそうです。

また、20代での出産と休業を経て「仕事=自分の価値」になっていた過去を見つめ直し、「休んでもいい、また復活できると伝えたい」と、今は余白を大切にしながら前向きに仕事と向き合っているとお話しされており、広末さんはこれまでの歩みの中で自分なりの哲学を確立して行ったことが確認できます。

上の2枚目の画像は、同年に出版したエッセイ集『ヒロスエの思考地図』を執筆している時のものです。執筆姿もカワイイですね。

引用元:X

2023年(当時43歳)に広末涼子さんとミシュラン1つ星シェフ・鳥羽周作氏のダブル不倫が『週刊文春』により報じられました。鳥羽氏は「本気です」と広末さんへの思いを語り、報道後は謝罪し「sio株式会社」の社長を退任しました。

その後、広末さん・鳥羽さんともに離婚し独身となり、2024年には子どもたちと一緒に鳥羽氏の誕生日を祝う様子も報道されました。

シングルマザーとして3人の子どもを育て、本格的に芸能活動をはじめた広末さんをそばで支えていたのが鳥羽さんだったと言われています。

ジュンさんは、この報道を受け会見を開き、広末さんとの結婚当初について「彼女は不安定な時期だった」と振り返りつつ、前の夫との間の長男についても、「小さいながら母親を守ろうとする姿に胸を打たれた」とし、「自分が父親になる覚悟で家族を守ってきた」とお話しされています。

また、長男の実の父とは友人関係にあり、「自分が育てるから会わないでほしい」と伝えたことも告白されていました。結婚後の報道や注目に苦しむ中でも「家族は本当に幸せだった」と語りました。

これまで広末さんを巡る3名の方を見てきて思ったことは、不安定で守ってあげないとっと思わせてしまうのかもしれませんね。それが広末さんの魅力「完璧ではない人間らしさ」なのではないでしょうか?

上の画像は2023年(当時43歳)にW不倫が報じられた広末さんと鳥羽さんのものです。

けん

『ヒロスエの思考地図』にはどんなことが書いてあるのな?

のぞみ

広末さんは中学1年の頃、壮絶ないじめを経験し、そんな中、声をかけてくれた友人「えり」に心が救われて以来、「中高生のときにできる友だちって、宝物。きっと“家族”なんだと思います」と“人とのつながりの大切さ”を実感したんだって。
その想いがエッセイにも込められているみたいよ!

けん

広末さんの美容法知りたいな!

のぞみ

肌本来の力を引き出すシンプルなケアを実践しているみたい。
睡眠と食事に気を配り、肌の声に耳を傾ける、こまめな保湿を重視し、家中にスキンケアを置いて一日何回も保湿する。肌を過保護にせず、ナチュラルな美しさを保つことを心がけているみたいよ!

広末涼子さんが所属している”個人事務所・R.H”には他に誰が所属してる?

広末涼子さん
引用元:オフィシャルサイト

広末涼子さんは、2024年に26年間所属した芸能事務所フラームを退社し、新たに立ち上げた個人事務所・R.Hに所属しています。この事務所には広末さん以外のタレントは所属していません。

【画像】広末涼子と鳥羽周作は現在どうなった?ラブレター全文の内容は?

広末涼子と鳥羽周作は現在どうなった?

広末涼子さん
引用元:Newsポストセブン
鳥羽周作さん
引用元:スポニチアネックス

2023年の不倫報道後、鳥羽周作さんは自身が手がけるレストラン「sio」の代表取締役を辞任しましたが、2024年1月1日には再び代表取締役に復帰し、YouTube活動など精力的に表舞台へ戻り始めています。

また、住所も埼玉県から東京都へと移すなど、生活拠点にも変化が見られました。

一方、広末涼子さんも体調が心配される報道がありましたが、命に別状はなく、関係者の間では安堵の声もあるようです。お互いに離婚を経て独身となり、再スタートに向けてそれぞれの道を歩み始めているみたいです。

けん

広末涼子さんと鳥羽周作さんの出会いはいつなんだろう。

のぞみ

2021年に雑誌『バァフアウト!』で行われた対談がきっかけね。もともと広末さんのファンだった鳥羽さんは、対談後にSNSで「完全に我を失いました」「最高でした」と感激のツイートを投稿し、そこから2人の交流がスタートした言われているの。

広末涼子のラブレター全文の内容は?

広末涼子さん 鳥羽周作さん
引用元:日刊ゲンダイ
ラブレター
引用元:文春オンライン

広末涼子さんが鳥羽周作さんに宛てたとされる「ラブレター」の全文は、現在(2025年4月時点)公に公開されていません。​報道機関や公式な情報源からも、全文を掲載した記事は確認できません。​

しかし、報道によると、広末涼子さんが鳥羽周作さんに宛てたラブレターの内容の一部が週刊文春に掲載されたとされています。一部公開されている内容を紹介します。

〈淋しくて悔しいけれど、でも私は、あなたのおかげで愛を諦めない覚悟を知りました。もしかしたら、こんな風に本気でぶつかり合って求め合って、ひとを好きになったのは初めてなのかもしれません。どうしてこれまでそうできなかったのか、は解らないけれど、でも今、あなたを心から深く深く欲していること、とても愛していること、を幸せに想います。周作、あなたのことが大好きです〉

引用元:週間文春

その他には下記のような内容が書かれているそうです。

  • 鳥羽周作さんへの深い愛情
  • 鳥羽周作さんとの出会いへの感謝
  • 鳥羽周作さんへの依存や執着
  • 自身の気持ちを素直に表現する言葉

報道された内容はラブレターの一部であり、全文ではありません。また、報道内容が必ずしも正確であるとは限りませんし、プライベートなことになるので、そっと見守りましょう。

けん

鳥羽さんは現在どうしているのかな?

のぞみ

それは、鳥羽さんは長野県小谷村に新たなレストラン「NAGANO」をオープンさせ、料理人として再スタートを切っているみたいよ!

広末涼子さんがデビューした1995年はこんな年だった!

世界貿易機関 (WTO) 発足
テレサ・テンさん死去
『新世紀エヴァンゲリオン』が放送開始
引用元:WTO経済産業省JiJI.comアニメイトタイムズ

広末涼子さんがデビューした1995年は、「世界貿易機関 (WTO) 発足」、テレサ・テンさん死去、「 テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が放送開始」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、東京都知事の「無党派」で青島幸男さんが受賞しました。

広末涼子のプロフィール・SNS

広末涼子さん
引用元:ポストセブン

プロフィール

  • 名前:広末 涼子(ひろすえ りょうこ)
  • 本名: 廣末 涼子
  • 生年月日:1980年7月18日
  • 年齢:44歳(2025年4月現在)
  • 出身地:高知県
  • 血液型:O型
  • 趣味:読書・音楽鑑賞・映画鑑賞・ゲーム・お菓子作り・小説執筆・ギター・絵画・写真・フラワーアレンジメント・陶芸・スポーツ観戦・釣り・サッカー・スキューバダイビング
  • 特技:エレクトーン・バスケットボール・陸上・水泳
  • 所属事務所:R.H

SNS

けん

広末涼子さんはとても面白い特技があるんだよね!

のぞみ

それは10代の頃の特技で広末涼子さんは「のび太君のように、どこでも3秒で寝られる」とお話されていて、多忙を極めた“広末ブーム”の真っ只中、この特技は大いに役立ったに違いないよね。

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