J-POPやAORを中心に活躍するシンガーソングライター・作曲家である辛島美登里さん。1989年のデビュー以来、「サイレント・イヴ」、「愛すること」など数々のヒット曲を世に送り出し、洗練されたラブソングで幅広い世代に親しまれています。
近年もその活動は衰えることなく、2020年には配信とリアルのハイブリッド公演への挑戦など、注目を集めています。さらに、地元鹿児島の校歌制作や国体イメージソングの制作など、地域貢献活動にも積極的です。
今回は辛島美登里さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】辛島美登里は若い頃かわいい!
10代(1971年~1980年)
引用元:デイリー新潮
辛島美登里さんは、1961年、鹿児島県鹿児島市に生まれました。両親と兄が一人の、四人家族だったそうです。父親は頑固でまじめ、母親は細かいことは気にしない、おおらかな人だったそうです。幼少期のころから、「何か楽しいことがあると、歌を適当に作りながら、歌いながら歩く子」だったと語っており、作詞作曲は特別なことではなかったそうです。
お兄さんがピアノをやめてしまい、家に残ったピアノがもったいないからと5歳から習い事としてピアノを始めたそうです。中学校に入ったころにピアノはやめてしまったそうですが、曲を書く人になりたいとぼんやりイメージしていたそうです。ただ、このころは自分が歌うイメージがなかったようです。
そして音楽への夢に思い馳せる辛島美登里さんに試練が訪れます。
どうしても行きたい高校があって高校受験しますが、失敗して中学浪人を一年間経験することになります。「自分は努力して人並み、努力しないと落ちこぼれるんだ」と痛感したそうです。その後猛勉強して違う高校に合格しますが、辛島美登里さんの中学浪人を知っているクラスメートとは、卒業するまで何とも言えない雰囲気が漂っていたそうです。
高校卒業後、辛島美登里さんは19歳で奈良女子大学の家政学部に入学します。高校は進学校だったため大学に入ったころにやっと自分と向き合う時間が生まれます。
人前で歌う自信をつけたいと大学で部活を探しますが、イメージしていたような部活がなく、なしくずし的に合唱部に入ったそうです。このまま故郷にかえるのかな、と漠然と考えていたそうです。
上の画像は1980年、19歳で奈良女子大学に入学した時のものです。昭和な雰囲気でいいですね。

どうして奈良の大学だったのかな?

東京に進学しているお兄さんに
「お前みたいなお嬢様育ちが東京に来たらだまされる。
穏やかな奈良に進学したらどうだ?」
ってアドバイスされたからなんですって!
20代(1981年~1990年)
引用元:ヤマハ音楽研究会
大学生になって中学浪人時代に聴いたラジオを思い出します。アマチュアが作るオリジナル曲のコンテストを主体とした曲で構成された番組でした。
辛島美登里さんは、1983年大学4年生の時にこのコンテスト、ヤマハポピュラーソングコンテストに「雨の日」という曲で応募しました。奈良はあじさいが有名なお寺が多く、その感動をつづった曲を作詞作曲しました。自分以外の人に歌ってもらいたかったそうですが、頼める友人もみつからず、自ら弾き語りで発表しました。
これがグランプリを獲得し、翌年CD化されました。その時「1回ぐらい(人生において)チャレンジしなきゃダメなんじゃないか」という思いに突き動かされたそうです。また、「実は初めて人前で歌った」と語り、周囲に驚かれたそうです。
上の画像は雨の日の音源です。人前で歌った経験の少ない人とは思えない歌声です。
引用元:デイリー新潮
本人もグランプリ獲得で達成感を味わい、その後は先生になろうと高校の家庭科の教員免許も取得し、母校の教育実習も終えます。しかしどうしても音楽への思いが断ち切れませんでした。
ここでコンテストの関係者からヤマハ音楽院への入学を勧められます。練習室でピアノが使い放題という言葉につられての入学でしたが、先生から曲を提供するアーティストにつないでもらえたりと、利点もありました。しかし採用されない日が続き、将来の不安に押しつぶされそうになります。
1987年当時26歳のことでした。ある日電話がかかってきて、永井真理子さんに提供した楽曲が採用されたと知らせが入ります。これが、「瞳・元気」です。永井真理子さんの声と相性がよかったようで、3曲ほど作った曲が永井真理子さんのアルバムに採用されます。
上の画像は1993年32歳でリリースしたアルバム、「BEAUTIFUL」のころのものです。ブレイクのきっかけになった瞳・元気が収録されています。この曲は大村雅朗さんという方の作詞だったため、初めて自分以外の人が作った詩で歌うことになりました。
引用元:siamonando3
この時、永井真理子さんの制作関係者からCDデビューを持ち掛けられます。本人としてはまだ裏方でいたい気持ちはあったものの、「楽曲の提供先が増えるなら」と1989年(当時28歳)で「時間旅行」を発売しました。
公式にはこれがデビュー曲となっており「それ以前は裏方として参加しており、この曲からプロフィール写真も手間ひまかけ、プロモーションも実施し、一線を引きたかった」と当時の決意を語っています。この決断が数々の名曲を生むことになります。
上の動画は、「時間旅行」を歌う辛島美登里さんです。愛らしいお顔と抜けるような歌声がすばらしいですね。
引用元:silvia silvia
1990年(当時29歳)のときに「サイレント・イヴ」を発表します。以前から辛島美登里さんのファンだった製作者の一人から、クリスマスのドラマの曲を依頼されます。これがドラマ、「クリスマス・イヴ」の主題歌として起用されました。ドラマのストーリーと楽曲の切ない雰囲気が絶妙にマッチし、多くの視聴者の心をつかみました。
当時はバブル景気一色で「この夢物語みたいな空気はいつ終わるんだろう?」と感じていたそうで「一人でクリスマスを過ごす女性が『一人じゃない』と思ってもらえれば」とも語っています。1990年はバブル絶頂期で、華やかな曲が流行していましたが、「サイレント・イヴ」はその流れとは異なり、切ない歌詞とメロディが特徴でした。
辛島美登里さんはこの曲を大切にしており、「発売から30年以上経った今でも、この曲を聴くことで当時の記憶が自然に蘇るような存在であり続けたい」と考えているそうです。
上の動画は当時の歌番組でサイレント・イヴを歌う辛島美登里さんです。この顔と歌声は売れなわけがない!と思ってしまいますね。
引用元:デイリー新潮
同じ年アニメ「YAWARA!」が始まり、「笑顔をさがして」がエンディング曲に採用されます。このアニメはオリンピックメダリストの谷亮子さんをモデルにしており、主人公の髪型がよく似ていると評判になりました。この曲のオープニング曲を永井真理子さんが担当していたこともあり、現在でも「自分の原点を再確認できる曲」と感じているそうです。
当時のコンサートやイベントでもよく歌っていたそうで、「時代や世代を超えて、たくさんの人の心に残る曲になったことが本当に嬉しい」とコメントしています。
1999年38歳の時に撮影されたものです。この年に発売されたベストアルバム、EVER GREENに笑顔をさがしてが収録されています。見とれてしまうような横顔ですね。
スロースターターの辛島美登里さんの人生が、ここで加速していきます。

曲を提供したのは永井真理子さんだけだったの?

そんなことないわ。林原めぐみさんや森口博子さんなど、
アイドルと言われる人達に提供することが多かったみたい。
30代(1991年~2000年)
引用元:快楽人生
辛島美登里さんは、1995年(当時34歳)の時に、「愛すること」を発表します。NHKドラマ、「ラスト・ラブ」の主題歌として使用されました。このドラマは元サックス奏者のサラリーマンと白血病の女性が生きる意味を探す恋愛ドラマで、劇中でも印象的に使われ話題となりました。
「愛すること」は、その詩的な表現が高く評価され、第37回日本レコード大賞の作詞賞を受賞しました。辛島さんはこの受賞について、「自分の言葉が多くの人の心に届いたことが嬉しい」と語っています。
この曲は阪神淡路大震災の時に作られ、「愛することの大切さを伝えたい」という思いでこの曲を作ったと述べています。歌詞には「生まれ変わっても、また同じ人に巡り会いたい」という願いが込められており、彼女自身も「愛とは時間を超えて続くものだと信じている」と語っています。そう聞くとまた違った雰囲気を感じますね。
上の動画は2000年39歳のものです。ファンの間ではサイレント・イヴとともに人気の名曲です。
引用元:辛島美登里公式youtube
当時36歳の1997年に発表された辛島美登里さんの楽曲、「あなたの愛になりたい」は土曜ワイド劇場のエンディングテーマとして使用されました。
ドラマの持つミステリアスで情感豊かな雰囲気に合わせ、辛島さんは「愛の形を静かに、力強く伝えたい」と考えながら作詞・作曲を手掛けたそうです。歌詞には、ひとりでは生きられない、あなたの愛になりたい、といったフレーズがあり、愛の深さや人とのつながりの大切さが表現されています。
編曲もこだわり、壮大なストリングスと繊細なピアノの旋律が特徴的なアレンジとなっています。辛島美登里さんは、「楽曲の世界観をより深く表現するために、音の広がりを大切にした」と話しています。
上の画像は当時55歳、2016年の辛島美登里さんのコンサートの時の模様です。発売当時と変わらない歌声ですね。
こうして辛島美登里さんは多くのヒット曲を手掛け、同時進行で夏川りみさんなど、多くのアーティストに楽曲提供も行い、充実した期間を過ごしました。

迷いのない歌声で、聴いていて気持ちがいいね!

ところが、本人は不安だらけだったんですって。
音程をはずしていないか?
曲をちゃんと聴き手に届けられているか?と気になって
プレッシャーの方が大きかったそうよ。
それを感じさせないところが、プロよね!
40代以上(2001年~)
引用元:稲垣潤一オフィシャルサイト
これまで他アーティストに曲を提供することの多かった辛島美登里さんですが、様々なアーティストとのコラボで活動の幅が広がり始めます。代表的なものが47歳2008年にリリースされた、稲垣潤一さんのデュエットカバーアルバムで歌った、「PIECE OF MY WISH」でした。
稲垣潤一さんとは一時期レコード会社が一緒だったこともあり、あこがれの先輩だったそうです。しかし声がかかって嬉しかった一方、お互い人見知りで打ち解けるまで時間がかかり、デュエットにもかかわらず、目をあわせるのにも時間がかかったそうです。
収録後も二人で何度かステージに立ち、3年後にはデュエットシングルも発売しました。辛島美登里さんはこの経験で「他の方ともデュエットしたり、コラボしたりすることが出来るようにもなった」と語っています。
上の画像は2011年50歳でリリースされたデュエットシングル、「思い出す度 愛おしくなる」のものです。秋元康さんが作詞、三井誠さんが作曲したオリジナルデュエット曲で、二人の温かみのある歌声が話題となりました。
引用元:辛島美登里オフィシャルサイト&公式ファンクラブGreen Fields つぶあん
辛島美登里さんは、2012年(当時51歳)の時に、小田和正さんの楽曲のカヴァーアルバム、「Love Letter」をリリースします。
きっかけは、自分の音楽の原点を見つめ直したいという思いからでした。高校時代に友人から「オフコース」のアルバムをカセットで聴かせてもらい、「秋の気配」に感動したのが小田作品との最初の出会いです。
長年ファンでありながら、同じ音楽の世界に入ってからは距離を感じていたものの、デビュー23年目を迎えたタイミングで、「やはり小田さんの曲が好きだった自分に立ち返りたい」と痛感し、オリジナルアルバムではなくあえてカバーアルバムに挑戦することを決意しました。
選曲については「小田さんの名曲が多すぎて本当に悩んだ」と語っています。アコースティックな音作りを基本にしたそうです。アルバムタイトル、「LoveLetter」には、小田和正さんへの敬意だけでなく、聴いてくれるリスナーへの音楽のラブレターという意味も込められています。
上の画像はアルバムLove Letterのものです。御年51歳!驚きですね。
引用元:みどりどんBLOG(辛島美登里公式ブログ)
40代以降、辛島美登里さんは得意の作詞作曲を活かし、故郷の学校校歌の作成に携わります。
2008年(当時47歳)で鹿児島県立霧島高等学校が開校するのに合わせ、校歌を作成します。52歳2013年でも南さつま市立大笠(だいりゅう)中学校の校歌の作曲に力を貸します。ここでは地元の中学生が作った詩を活かし作曲をしたそうです。
他にも同市の笠沙(かささ)小学校の校歌を作詞作曲しています。また鹿児島市内のヴェリタスこども園の学園歌も作成しました。
上の画像は2013年の大笠中学校の入学式に参加する辛島美登里さんです。作詞を担当した地元の高校生二人と写真に収まっています。辛島美登里さん作曲の校歌とは、うらやましいですね!

校歌をつくるきっかけはなんだったのかな?

辛島美登里さんは地元の観光大使を務めていているんだけど、
その場で偶然中学校時代の先生に出会ってから、
とんとん拍子で話が進んだんですって!
辛島美登里さんが所属する株式会社MSエンタテイメントには他に誰が所属してる?
引用元:株式会社MSエンタテイメント、株式会社MSエンタテイメント、株式会社MSエンタテイメント
辛島美登里さんの所属する株式会社MSエンタテイメントには、ピアニストの島健さん、シンガーソングライターの村上由紀さんや作曲家の下村陽子さんなどが所属しています。
【画像】辛島美登里が結婚しない理由は?現在なにしてる?
辛島美登里が結婚しない理由は?
引用元:辛島美登里オフィシャルサイト&公式ファンクラブGreen Fields つぶあん
辛島美登里さんは結婚していません。音楽を通じて自己実現を追い求める気持ちが高かったからのようです。
大学以前は「見通しの明るい人と結婚するのが一番いい」と、結婚に対して前向きな意識を持っていたと語っています。しかし、大学卒業後に音楽の道へ進むことを決意したことで、その価値観に大きな変化が生まれました。
コンテストでのグランプリ獲得で「可能性が見えるなら、もう少し進んでみたい」と思い、音楽活動を優先したことが大きな転機となりました。
このように音楽で自分のやりたいことを追求していくことが辛島美登里さんにとっては自然だったのでしょう。次第に「結婚は必ずしも人生に必要なものではない」と捉えるようになりました。
上の画像は29歳の1989年に発売されたGentlyです。このころはまだ昔ながらの結婚観だったようです。
引用元:東京すくすく
また、父親が認知症を患い、介護に長い期間を費やしたことも結婚しなかった理由の一つとされています。結果として、辛島さんは自分らしく生きることを重視し、独身生活を前向きに楽しむスタンスに至ったといえます。
上の画像は58歳の2019年、父親の介護についてインタビューを受けた時のものです。辛島美登里さんが30代のころから認知症の症状が出始めたそうです。たしかに若いうちの介護は人生観も変えてしまいそうですね。

お父さんに認知症はひどかったのかな?

そうね。
色々なことができなくなっていくのが辛かったと
コメントしているわ。
辛島美登里は現在なにしてる?
引用元:品川教会
1993年からクリスマスコンサートを開催していた辛島美登里さんですが、2020年還暦を迎えるころ、世間では新型コロナウイルス感染症が流行の兆しをみせていました。多くの音楽イベントが開催できなくなる事態を迎え、辛島美登里さんは「どうやったら励まし合えるのだろう?これをどう乗り越えて行くのだろう?」と模索したと語ります。
そしてこの年は品川教会グローリアチャペルで初の配信とリアルを組み合わせたハイブリッド公演の開催となりました。宮沢賢治の名作、「セロ弾きのゴーシュ」を題材にした朗読と音楽による物語仕立ての前半と、サイレント・イヴなど代表曲のライブパートという二部構成で実施されました。
会場には感染対策を施したうえで観客を迎えつつ、同時にU-NEXTによる独占ライブ配信も行われ、全国のファンが自宅から高画質・高音質で公演を楽しめる仕組みとなりました。この公演は2021年、2022年にも同会場で継続され、コロナ禍以降のライブの新しいスタンダードの一つとなりました。
上の画像は品川教会の礼拝堂の写真です。ここでハイブリッド公演が開催されました。厳かな雰囲気ですね。
引用元:鹿児島国体2020
辛島美登里さんは2023年に開催された鹿児島国体のイメージソング、ゆめ〜KIBAIYANSE〜の作詞作曲を担当しました。国体イメージソング制作の依頼を受けた際、「鹿児島出身の人間として本当に光栄」と語っています。1972年の前回鹿児島国体(太陽国体)には鼓笛隊やマスゲームで参加した思い出もあるそうです。
そのため、「特別な感慨と責任を感じて制作に臨んだ」と述べています。歌詞の中には、鹿児島の方ならだれでもわかる方言をちりばめ、「おばぁちゃんが口ずさんでいたふるさとのおまじない」と表現しました。鹿児島はいい歌がたくさん残っていて、この歌も学校の帰り道、おうちでと色々な場所で歌ってほしいと願っています。
辛島美登里さんは、国体イメージソングの制作を「人生の中でもとても大きな出来事」と捉えており、また、夢を追いかけるすべての人に、この歌がエールとなるようにという願いも込めているとのことです。
上の画像はこの曲のレコーディング中に子供たちと一緒に歌う辛島美登里さんです。「一緒に歌ううちに、スタジオの雰囲気が変わってきた」と回想していました。
引用元:辛島美登里公式youtube
辛島美登里さんといえばクリスマスのイメージですが、最近は浴衣を着てリクエスト曲を中心に歌う夏の夕涼みコンサートも開催しており、好評を博しています。他にもトーク主体のトークライブ、同年代の友人達と開催するアラフォーコンサートなど、様々な形態のライブに挑戦しています。
上の画像は2020年に行われた夕涼みコンサートの様子です。澄んだ歌声と美貌が年齢を感じさせません。

すてきな会場だね!どこなんだろう。

鎌倉プリンスホテルですって。
江ノ島電鉄と湘南の海をバックにしてるの。
辛島美登里のプロフィール・SNS
引用元:UMJ
プロフィール
- 名前:辛島 美登里(からしまみどり)
- 本名:同上
- 生年月日:1961年5月28日
- 年齢:64歳(2025年6月現在)
- 出身地:鹿児島県
- 血液型:O型
- 趣味:お酒
- 特技:料理や家事全般
- 所属事務所:株式会社MSエンタテインメント
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/midorigamek
本日お誕生日を迎えさせていただきました。
— 辛島美登里 (@midorigamek) May 28, 2025
本当にありがとうございます🌿
2025.5.28 辛島美登里 pic.twitter.com/i2bIuItfIW
- Instagram URL:https://www.instagram.com/midorikarashima/
- YouTube URL:(本人動画ありで)https://www.youtube.com/@midorikarashima/videos
- オフィシャルサイト URL:https://karashimamidori.bitfan.id/

- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/karashimamidori/


お酒が好きなんだね!意外だなぁ。

昔担当してくれたマネージャーさんがみんな、
酒豪で鍛えられたんですって!