シンガーソングライターや俳優として活躍を続けている吉川晃司さん。
布袋寅泰さんとのユニット『COMPLEX』ではボーカルとして活躍してきました。
今回は吉川晃司さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】吉川晃司は若い頃イケメン!
幼少期・10代(1965年〜1985年)
引用元:中國新聞
吉川晃司さんは広島市で生まれ、府中町立府中小学校を卒業しました。俳優の宇梶剛士さんは先輩、元プロボクサーの竹原慎二さんは後輩にあたります。
幼少期は、板前だった父親はビートルズしか聞かず、3歳の頃からステレオの前で座らされ「これはいい音楽なんだから」と無理やり聞かされていたそうです。
体を動かすことが好きで、アクション俳優の千葉真一さんや倉田保昭さんに憧れていました。
上の画像は小学生の時のものです。父・祖父共に野球ファンで、叔父にもよく旧広島市民球場に連れて行ってもらっていたそうです。やっぱり広島出身の吉川さんはカープ推しなんですね!この頃はカープの帽子をかぶって登校していたそうです。ちょっと浮いたキャップが可愛いですね。
引用元:スポーツ報知
吉川晃司さんは1977年(当時12歳)中学1年生の夏に、水球に出会います。サッカー少年だった吉川さんが学校のプールで遊んでいたところ、水球部の主将に捕まり、半ば“強制的”に競泳と一緒の水球部に入部させられてしまったそうです。
この時吉川さんは、「たいして泳げず、水球の存在も知らなかった」とお話しされていますが、すぐに水球の楽しさに目覚めてしまいました。
中学3年生の時には水球部の主将として全国ジュニアオリンピック大会の準優勝に導き、高校に進学してからは大学・高校で編成された世界ジュニア水球選手権大会 (イタリア ・ミラノ)にただ1人の1年生として派遣されました。
上の画像は高校生の頃のものです。高校時代には2年連続全日本高校最優秀選手にも選ばれ、将来のオリンピック選手間違いなしと言われるほどだったそうです。
競泳でも個人メドレー( 200m・ 400m )で県と市の大会で1位に輝いたほか、数々の上位入賞を果たしました。水泳で培った広い肩が、とても逞しいですよね。
引用元:X吉川晃司
— 懐かしい昭和時代(女性) (@natsukashi__) February 18, 2022
週刊セブンティーン 1983年(昭和58年)4.25号 #吉川晃司#昭和 pic.twitter.com/9JAm1OBf2b
吉川晃司さんは中学生の頃から音楽にも興味を持ち、学園祭では歌を披露していて、高校入学時1980年(当時15歳)にはバイト代でエレキギターを購入していました。
水球でイタリア遠征し、帰国した時には同じ水球部だった酒井麿さん(現三味線奏者)と「あいつなら歌うだろ」と勝手にバンドメンバーにされていたそうです。
『EIGHT CITY'S FISH BAND』(八つの街の魚)通称はまちバンドは男女混合の7人のバンドで、ギターやベースに上手いメンバーがいて、遊び半分で参加したコンテストで賞をもらってしまうほど実力と人気のあるバンドでした。
1982年(当時18歳)佐野元春さんのライブを見てカルチャーショックを受けた吉川さんは、大学進学を辞め、音楽1本で勝負しようと芸能事務所にスカウトされようと考えます。
当時のことを、「自分で手紙を送ったんです。渡辺プロにね、“広島に凄いやつがいる”と。うそ八百書いて」「あることないこと書きましたよ。“ギターを弾かせりゃCharよりうまい”って」とお話しされており、それをきっかけに本当にスカウトマンを呼び寄せてしまいました。
上の画像は数回のオーディションの末、渡辺プロダクションと契約を交わした頃のものです。事務所はデビューは高校を卒業してからと考えていたそうですが、本人が「今すぐにでも!」と高校中退し上京することを決意しました。
自分の意思をしっかり持ち、それに伴う行動力も持っていたのですね。
引用元:Instagram Instagram
1984年(当時19歳)吉川晃司さんは、映画の主演俳優と主題歌を歌う歌手として異例の同時デビューを果たすことになります。
当時の渡辺プロは、育ててきた人気タレントや有能なスタッフたちが相次いで独立し、業績が急激に悪化し始めていた頃で、ナベプロの起死回生のため、社長自らが吉川さんのデビューに社運をかけて力を入れていました。
上の動画はデビュー映画『すかんぴんウォーク』と主題歌『モニカ』です。アイドルとロッカーの間的な立ち位置で支持され、同年には俳優、歌手として両部門で8つの新人賞を独占しました。
身長が高く水球で鍛えられスタイルもいい、演技もできて歌も歌えるとなると、それは男女関係なく人気を集めたでしょうね。

吉川さんは素晴らしい水球の選手だったのに、音楽の方に魅力を感じてしまったんだね。

周囲も高校中退しての芸能界入りには猛反対したそうなの。なによりも、水球の推薦で慶應義塾大学に特待生で入学する話も出ていたそうなの。でものちにインタビューで「まあ水球でちょっと挫折があって。望むようにはいけそうにないなというのがあったもんですから。」とご本人がお話しされているから、他の人にはわからない気持ちの変化があったのかもしれないわね。
20代(1985年〜1995年)
引用元:X吉川晃司『Modern Time』
— 懐かしい昭和時代(女性) (@natsukashi__) April 22, 2023
明星 ヤンソン 1986年(昭和61年)5月号 #吉川晃司#昭和 pic.twitter.com/ZECjb89pMc
吉川晃司さんは、1995年(当時20歳)デビュー1年目で史上2人目の武道館公演を行いました。
同年の暮れにはNHK紅白歌合戦に初出場、セカンドアルバム以降は3作連続オリコンチャート1位も獲得し、立て続けにシングルもヒット作をリリースするほどの人気を博していました。
「あっという間にデビューできちゃったもんだから、そのあと実力で追いついていくのにやっぱり四苦八苦っていうのはあったんですけどね。どっちかっていうと、なんとなく水面下の水鳥のようにですね、すました顔して足だけ一生懸命こいでるみたいな、実際はそういう感じだった。ずっと、あがきっぱなしでしたよ」
引用元:NHK
この頃を振り返り、そうお話しされていた吉川晃司さん。必死に仕事をこなしていたようです。
上の画像は1986年(当時21歳)の時のものです。テレビに出て2〜3回は嬉しかったのが、ロックと歌謡曲の境界線にいる自分に焦りのようなものが生まれてしまったそうです。テレビのセットを壊したり、無茶苦茶なことをして自分はロッカーだと主張をしていました。
「自分は歌謡曲の人種じゃない」とテレビに出たらサングラスをかけて黙りこくり、「俺はこいつらとは違う」という意識を持ちたかったとお話しされています。
引用元:X XCOMPLEX
— ZERO(音楽専用) (@Limited_Night_) January 4, 2025
(1989年) pic.twitter.com/3l37JS6CmDCOMPLEX結成が発表されたのは、1988年12月10日のこと。
— リチャード (@HIROMEHEARTS) July 6, 2024
もともとは同じマンションに住んでいて、夕飯のおかずを持ち寄ったり、2人きりでハワイ旅行へ出掛けたりするという、気持ち悪いほど仲が良かった吉川晃司と布袋寅泰 pic.twitter.com/pm0YD0FNy7
1988年(当時23歳)吉川晃司さんは渡辺プロから独立し、5月のライブで無期限の活動停止をファンに告知しました。
この時、水面下では4月に解散したBOØWYのギタリスト布袋寅泰さんとの新ユニット『COMPLEX』結成が準備されており、始動発表の年末まで一切明かされない極秘プロジェクトが進んでいました。
結成以前から公私共に交流があり、独立したての吉川さんと、BOØWY解散後の布袋さんのお酒の席で「一緒にやろうか」という話から結成に至ったそうです。
上の画像は1989年の『COMPLEX』デビュー時のものです。デビューシングル『BE MY BABY』を筆頭に、活動時に発売された作品はすべてオリコンチャート1位を獲得しました。
ところが活動は長く続かず、結成から2年後の1990年11月(当時25歳)東京ドーム公演をもって無期限活動休止となりました。音楽性の根本的な違いが生じたことが主な理由だったそうですが、殴り合いにまで発展し深い溝ができてしまいました。
「なんか一緒にやんなきゃよかったな」「一緒にやんなかったら、ずっと友達で毎晩飲んでたかもしんねえな」という会話を打ち上げで交わしていたそうです。
引用元:X1993年3月5日放送(30年前)
— 音楽駅名シーンbot ※リクエストは受け付けておりません (@Ongakueki35th) March 4, 2023
吉川晃司デビュー10周年の意気込み#音楽駅名シーン #1993年 pic.twitter.com/L4qp31dxbR
COMPLEX活動休止後はソロに戻り、楽曲制作やライブをメインに活動再開しました。
上の動画は1993年(当時28歳)の時のものです。デビュー10周年に向けたライブなどのイベントが始まった頃でした。ユニットからまたソロに戻り、以前はロックに対して強くあったこだわりが、だいぶなくなってきたそうです。
「COMPLEXを経験してから、今はこだわりはないですよ。どこからロックで歌謡曲なのかよくわかんないし。だから 歌謡曲って言われても全然構わないし、アイドルって呼ばれても。そういう年じゃないだろうけど」とお話しされています。

20代の吉川さんはアイドルではなく、ロックミュージシャンとして立ち振る舞いたかったんだね。

実際、ユニットを組む前にはだいぶロック色の強いステージに変わってきていて、男性ファンが増える一方で女性ファンが離れていたそうよ。
でも、COMPLEXの頃の男女比はほぼ半分で、男性はほぼ布袋ファン、女性はほぼ吉川ファンで「コージィー」という黄色い歓声と「ホテイー」 という雄叫びが交錯していたんですって。
30代(1995年〜2005年)
引用元:Instagram
吉川晃司さんは1998年(当時33歳)やむを得ず個人事務所を設立することとなります。会社スタッフによる会社資金の使い込みが発覚し、自分を慕う若手スタッフを引き連れて自分の会社を設立されました。
会社設立の際、若手社員の前で「利益が出るまで俺は帰らない」と宣言し、スタジオにソファーを入れて暮らしたそうです。この頃は人生最大の岐路として、歴史からヒントを得てこの環境を打破しようと本を読み漁りました。
「史実、偉人とかをヒントにしようと思った。最初は日本の歴史だったんですけど、肝心の所は中国の史書・古書だったんです。これが分からないと前へ進めない。それで読み始めたら、はまってしまった」と三国志にハマり、のちに『大の三国志通』として展覧会の音声ガイドなどを担当することになります。
結局吉川晃司さんは、利益が出るまでに7年、12年間を窓がない地下室の、湿気が多くカビが発生する中スタジオで暮らしていました。
音楽に専念するため役者は一時封印されていましたが、2000年に数十年ぶりに三池崇史監督作品『漂流街』に出演しました。三池監督と意気投合してその後たびたび監督の作品に出演されます。
上の画像は2001年(当時36歳)映画『天国から来た男たち』 時のものです。三池崇史監督の作品で、13年ぶりの映画主演でした。
監督からも「存在感が凄すぎて気軽な役には使えない。特別な役にもってこいな人。吉川さんはスペシャルな血が流れてますね」と役者としての吉川さんのオーラや存在感に信頼を語っています。
デビュー時の吉川さんは音楽だけをやりたかったとお話しされていて、俳優の仕事は本意ではなかったそうです。
デビュー当時の売り出され方については、自分でも「どこに連れて行かれるんだろう?」と思っていましたよ(笑)。「ドナドナ」の歌に出てくる子牛のような……。そもそも最初に映画で主役をやることになったときも、こっちは役者をやるつもりなんてなかったんです。だから事務所の社長だった渡辺晋さんにも「どういうことですか?」「どうなってるんですか?」と、直接聞いたのを覚えています。そうしたら、社長は「大丈夫だから」「信じて、任せておきなさい」と。
引用元:朝日新聞デジタルマガジン
当時は「俺はこんなことをやりたいわけじゃない」と反発したそうですが、「今となってはありがたいことだったと思うし、感謝している」とお話しされています。
引用元:Xレスリーキーが撮影した吉川晃司写真集。風上に乞う。スーパーな感じではないですが、旅に黄昏る吉川晃司の魅力溢れる作品になってます。これはこれで良い作品。吉川晃司の周りには民衆が集まります。https://t.co/2EXT2M3nBQ pic.twitter.com/o4c9kdTV68
— まんだらけ海馬札幌 (@mdkkaibasapporo) August 17, 2017
上の画像は2004年(当時39歳)の時のものです。デビュー20周年を記念して作られた写真集『風上に乞う』です。
日本武道館でのコンサートを皮切りに、記念イベントを精力的にこなしている中でファン待望の写真集が発売されました。ネパールの首都、カトマンズを舞台に世界最高峰と呼ばれるレスリーキーさんの撮影で作成されました。
タイトルの『風上に乞う』には要約すると、「いつでもどこからでもかかってこい」という吉川晃司さんの強い意志が込められているそうです。幾つになってもギラギラした挑戦的なイメージは健在ですね。

困って悩んだ時に、史実や偉人に頼ろうと歴史書を読むなんて、なかなか考えつかないよね。

吉川さんは、ずっと突っ張って生きてきたから誰にも相談できなくて、歴史上の人物の考えや行動に学ぼうと思いたったそうよ。
大きな転機に、そこからいろいろなことを学んだとおっしゃっているから、きっとその考えかたは大正解だったのね。
40代以上(2005年〜)
引用元:X天地人#5 信長は鬼か見終わったけど……吉川晃司が演じた信長の怖さが際立つな……#天地人 pic.twitter.com/C6TRtu6lVk
— Afterglow箱推しの典樹 (@Azushizu0814) November 24, 2023
吉川さんは40代頃から、映画を中心に俳優業にも精力的に向き合い、ほぼ1年に1本ペースでコンスタントに出演されています。2010年(当時45歳)映画『必死剣 鳥刺し』では、第34回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞されました。
藤沢周平さん原作の本格時代劇で、見どころの1つであるラスト15分で展開する、豊川悦司さんと吉川晃司さんの殺陣のシーンは、CGを使用せずに撮影されたそうです。
この時の撮影を振り返り、豊川さんは「吉川さんがマジで怖かったので(笑)、真剣にやりましたね」とお話しされており、対決シーンが本気の真剣勝負だったことがわかります。
上の画像は2009年(当時43歳)NHK大河ドラマ『天地人』で織田信長を演じた時のものです。この信長にNHKへ女性視聴者から問合せが殺到したそうです。
引用元:XCOMPLEX 吉川晃司 布袋寅泰
— リチャード (@HIROMEHEARTS) May 18, 2024
2011年 東日本大震災復興支援チャリティー
ライブ 吉川晃司シンバルキックが
カッコよすぎる pic.twitter.com/LbYGSE59uZ
上の映像は2011年(当時46歳)のものです。
東日本大震災復興支援チャリティーライブをわずか2年で活動休止した『COMPLEX』が2日間限定で復活し、開催しました。21年半ぶりとなったライブには約10万人が集結し、収益の全てを復興、復旧のために寄付されることになりました。
喧嘩別れしたと伝えられていた2人が、両サイドから歩み寄り、ステージの中央で硬い握手をかわすと、ドーム内は感動と熱狂の渦が湧き上がったそうです。
引用元:スポニチアネックス
2021年(当時56歳)にはリオデジャネイロオリンピックの水球日本代表ポセイドン・ジャパンの監督と選手から依頼され、ポセイドン・ジャパン公式応援ソング『Over The Rainbow』を制作します。
この競技を自分の体で体験している人間だからこそ描ける、水球の美しさまでもを表現したナンバーになりました。
「”水球の応援歌を”と言っていただいて、冥利に尽きるなと。これを外したら、お前、歌い手辞めろよっていうくらいの気持ちでのぞみました」と魂を込めて作られたことがうかがえます。
そして、チャリティライブは2024年(当時59歳)にも行われ、「被災地のために力になりたい」と『COMPLEX』が再復活しました。ライブの収益やコンサートグッズ、公演を収録した映像などを合わせて、10億円を越える義援金が集まったそうです。
上の画像は同郷・同学年の奥田民生さんとの新ユニット『Ooochie Koochie(オーチーコーチー)』です。2025年、お互いがファンを公言している広島東洋カープの公認応援歌『OK』を初披露しました。
ともに還暦を迎えるタイミングということもあり、ユニットとして活動を始められ、この『OK』は2曲目の楽曲となります。全国ツアーも予定されていて、俳優と並行して歌手としても変わらぬ活躍が期待されています。

吉川晃司さんといえば『シンバルキック』が代名詞でもあるよね!

若い頃からずっとライブで披露されてきたよね!
でも、「もっと高く見せるために回転蹴りの決め方をどんどん極めていったら、肉離れを起こすは靭帯は伸ばすわ 骨折は20何箇所 。いつかの夏にも左足の靭帯 2か所 断裂して踵の骨も折っちゃった。 専属トレーナーの方にも 『吉川さん歌い手の壊れ方じゃないですね。何やってるんですか?』って言われてるよ。」なんて笑いながらお話しされていたわ。
高く上がる足がかっこいいんだけど、今までも怪我が絶えなかったのね。
吉川晃司さんが所属する”アクセルミュージックエンターテイメント”には他に誰が所属してる?
引用元:スポーツ報知
吉川晃司さんの所属するアクセルミュージックエンターテイメントはご本人のみが所属する個人事務所です。
1998年に前事務所のセブンスエンタープライズで、会社スタッフによる会社資金の使い込みが発覚し事務所が空中分解になり、音楽部門の若手スタッフを引き連れ、「他に世話になることは考えられなかった」と事務所を設立されました。
【画像】吉川晃司と嫁の馴れ初めは?天海祐希と結婚しなかった理由は?
吉川晃司と嫁の馴れ初めは?
引用元:Xチームバチスタの栄光
— - ̗̀なっちゃん(スモやん) ̖́- (@S_Forest723) February 13, 2019
吉川晃司が最高にかっこいい! pic.twitter.com/X4AwLOPR46
引用元:ORICON NEWS
吉川晃司さんは2011年6月1日にオフィシャルサイトで結婚を報告されました。
45歳の初婚で、ファンクラブ会員に向けた報告では「小さな子供がいる」とすでに1児の父であることも報告されています。
お相手は一般人とのことで、吉川さんも多くは語っていません。画像など奥様の写真を確認することはできませんが、「スポーツ万能でスタイル抜群。堀北真希さん似の美人」という噂はありました。
週刊誌によると、出会いは吉川さんの出演した2008年の映画『チーム・バチスタの栄光』に当時看護師として働いていた奥様は、医療技術スタッフとして撮影に参加していたことだそうです。
クランクアップ後交際に発展し、2009年には第1子となる娘さんが誕生しました。
吉川さんは過去に結婚観について「何かの枠には、絶対にはまりたくない。家庭を持ったりすると、自分の中のナイフが錆びちゃう気がして」と語られていました。
「現実離れしたロマンなり、男の歌なりを作っているときに、さっとお茶なんか出てきてしまったら、一気に現実に引き戻されてしまう。生活感ありありの曲を書いてしまうという恐怖感がある」
結婚を発表するまでの2年間未婚の父だった理由には、仕事や女性ファンに対する躊躇があったようです。
かたくなだった吉川さんは、2011年3月11日の東日本大震災がきっかけとなり、北陸に住んでいた妻と娘を東京に呼び寄せ、正式な家族になることを決意されました。
「所帯を持ちます。小さな子供がひとりおります。知らせるのが遅れて申し訳ない。順序が逆になったことについて言い訳はしません。自分はどこか弱かったと思います。ただ、筋は通させてください。本当の筋は、これからの歌で通します」
引用元:ORICON NEWS

あの大震災が、吉川さんの考え方を変えるほどの大きな衝撃を与えたんだね。

吉川さんは、東北の被災地でガレキの撤去などのボランティア活動に参加されていたそうで、「人との絆を再確認した」とお話しされていたそうよ。家族の大切さを痛感し「夫と妻、親と子は別々に暮らすべきではない」と思い知って、入籍、同居に踏み切ったんですって。
吉川晃司と天海祐希が結婚しなかった理由は?
引用元:X Xやっぱコレでしょっ!!
— カラゴン。 (@ykaragon) July 16, 2018
レディ・ジョーカーの半田修平!!
この眼よこの眼#吉川晃司#好きなメガネ男子映画 pic.twitter.com/Od3eod4KLb久しぶりに「離婚弁護士」見た。
— 日日是好日(o^^o) (@tanoshiigadaizi) November 13, 2021
2004年の作品。天海さん、若❣️
間宮貴子、ホントに有能でカッコイイ弁護士😍
私は天海祐希さんの作品では断然これが好きだから、フジのドラマだけど、これがもし、テレ朝の作品なら絶対シリーズ化されてたのに、と思うと残念でならないわ😔
今からでもいかが😍🙏❓ pic.twitter.com/YHPYq3Zq8Y
吉川晃司さんと天海祐希さんの熱愛発覚は、2003年のことでした。
2004年には天海さんが「まっすぐで正直で純粋なところに惹かれます。曲をつくる真摯な姿を見れば、私も仕事で負けられないと刺激を受ける。侍のような人です」と、吉川さんについてスポーツ報知の取材に応えたほど真剣交際だったと思われます。
結果的に3年ほどで破局を迎えましたが、天海さんの仕事が多忙になったこと、吉川さんの酒癖の悪さが関係者の間で囁かれ始めたこと、すれ違いが増えたことが原因と言われています。
お互いの二股疑惑や、結婚したい天海さんの求婚を吉川さんが断った、別居婚を望んでいた、など色々な話は上がっていますが、はっきりと語られてはいません。
サバサバとした「男前」な性格の天海さんは、「家に男は2人もいらない」と語ったこともありました。ご自身が吉川さんを「侍のような人」と形容されていたので、もしかしたら思考や意見がぶつかることも多かったのかもしれませんね。

吉川さんは「酒癖が悪い」と周囲から言われるほどお酒を飲むんだね。

お酒が大好きで、全国の日本酒を飲みまくってラベルをコレクションしているそうよ。若い頃は気絶するまで飲んで、酔って公園で寝てしまった事もあるみたい。
しかも、親友だった尾崎豊さんとは、酔っ払って一緒に道端のごみ収集所で寝てしまい、朝目覚めると女子高生に囲まれていて、お説教までされた事もあるんですって!
吉川晃司さんがデビューした1984年はこんな年だった!
引用元:WIRED、Wikipedia、KOIKEYA
吉川晃司さんがデビューした1984年は、「アップルの初代『Macintosh』がアメリカで発売」、「エリマキトカゲブーム」、「湖池屋から元祖辛いポテトチップス『カラムーチョ』発売」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語は『マル金・マルビ』です。
○の中に金でマル金、対になるのが○にビでマルビ。要はお金持ちとビンボー人という意味だそうです。
イラストレーターの渡辺和博さんが、著書の『金魂巻』で代表的な職業の売れっ子の金持ち(マル金)と売れない貧乏人(マルビ)を比較して爆発的な人気を博しました。
吉川晃司のプロフィール・SNS
引用元:ワーナーミュージックジャパン
プロフィール
- 名前:吉川晃司(きっかわこうじ)
- 生年月日:1965年8月18日
- 年齢:59歳(2025年4月現在)
- 出身地:広島県
- 血液型:B型
- 趣味:読書・車・家庭菜園
- 特技:水泳・水球
- 所属事務所:アクセルミュージックエンターテイメント
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/kikkawa_staff
/#WOWOW
— 吉川晃司スタッフ (@kikkawa_staff) March 27, 2025
音楽と映画で観る!#吉川晃司 特集
5月番組オンエア日時決定
\
日本武道館公演を皮切りに出演映画作品が
続々と登場🎬🎶
オンエア日時が決定!詳しくはこちら👇
https://t.co/nPhb9smKid
⚠️番組編成や内容は予告なく変更される場合がございます。あらかじめご了承ください。
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@kojikikkawa
- オフィシャルサイト URL:https://kikkawa.com/


吉川晃司さんって、あまりバラエティ番組に出演されている印象はないよね。ご自身でSNSの発信もされていないし。
僕がトーク番組のようなものにほとんど出なかったり、ツイッターのようなSNSをやらないのは、きっと自分がとんでもないことを言ってしまうからです。大炎上どころの話じゃないですよ(笑)。それが分かっているから出ないだけです。逆に言えば、そういう自覚はきちんとある(笑)。自分はともかく、周囲にまで迷惑がかかるのは本意じゃないですから。最初から自粛しているということですね。
引用元:朝日新聞デジタルマガジン&

という事らしいわね。
「周りが楽しい話をしていても一気にみんなが凍りつくようなことを言ったりするんです」なんて空気を読む気が一切ないとお話しされているわ。