音楽・俳優・執筆・プロデュースなど多方面で活躍を続けている”キョンキョン”こと小泉今日子さん。
アイドルとして松田聖子さんと中森明菜さんの2強に続いた存在であり、数々のヒット曲を生み出し、女優としては映画・ドラマ・舞台で幅広く活躍。さらに近年では、自ら制作会社を立ち上げ、舞台プロデュースや執筆活動など“つくる側”としても存在感を発揮してきました。
今回は小泉今日子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】小泉今日子は若い頃かわいい!
10代(1976年~1986年)
引用元:音楽ナタリー
小泉今日子さんは、神奈川県厚木市に生まれました。3人姉妹の末っ子として育ちましたが、中学2年生のときに父親の会社が経営難に陥り、一家は離散。その後は小泉さんだけが父親のもとに戻り、猫を含めた三人暮らしが始まりました。
1981年(当時15歳)、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に出場し、見事合格。翌1982年3月には、デビュー曲『私の16才』をリリースし、アイドル歌手として芸能界入りを果たしました。
応募のきっかけは、クラスの中で誰が一番最初にテレビに出られるかを競う遊び心からだったそうで、「遊び半分で応募ハガキを出したんですよ」と語っています。また、第一次審査に合格しテレビ出演が決まったときには、「ああ、まずいことになった。どうしよう、面倒くさい!」と感じたそうです。
上の画像は、1981年『スター誕生!』出演時のものです。すでにキラキラとした魅力と、あどけないかわいらしさが溢れていますよね!
引用元:文春オンライン
小泉今日子さんがデビューした1982年は、中森明菜さん、松本伊代さん、シブがき隊などが揃った“花の82年組”と呼ばれるアイドル全盛期。ライバルが多い中でのデビュー曲『私の16才』は、オリコン最高22位と控えめなスタートでしたが、翌1983年5月(当時17歳)にリリースされた5枚目のシングル『まっ赤な女の子』でブレイクを果たします。
当時、小泉さんは事務所に「美容院に行ってきます」とだけ伝え、典型的なアイドルスタイルの象徴だった“聖子ちゃんカット”から、独断でショートカットへと大胆にイメージチェンジ。スタッフを驚かせたこの行動が、結果的に大きな注目を集めるきっかけとなりました。
「私って、本当はこうだったよね、ということを出したんです。地元の厚木に向けて。そうしたら、どんどん人気が出て。ちゃんと『テーマがある』のが大事なんだとわかった」とお話しされており、この経験を通じて小泉さんの中に“自己プロデュース”という意識が芽生え、以降の活動スタイルにも大きな影響を与えることになりました。
上の画像は当時のショートカット姿です。飾らない表情の中にも、芯の強さや覚悟のようなものが感じられますね。
引用元:ビクターエンタテインメント
小泉今日子さんは、1985年11月(当時19歳)にシングル『なんてったってアイドル』をリリースしました。
この頃、秋元康氏が手がけたおニャン子クラブがテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生し、『セーラー服を脱がさないで』(1985年7月)で爆発的なヒットを記録します。
アイドル像が“身近にいそうな普通の女の子”へと変化しつつある中、小泉さんのプロデューサーでありレコーディングディレクターだった田村充義氏は「ものすごく脅威に感じた」と語っています。
田村氏は、ライバルでありながらも信頼する作詞家である秋元氏に詞を依頼します。そこで生まれたのが、アイドルの裏側=“真実”をあえて全肯定するような楽曲『なんてったってアイドル』だったそうです。
この挑戦的な楽曲について、小泉さん自身は「本当に歌うのがイヤでした。『また大人が悪ふざけしてるよ』って(笑)。」と語っています。
しかし一方で、「客観的に見て『この曲を歌えるのは私だけだろう』っていう自信と、周囲の期待を感じてはいた。」と、小泉さんはあえて乗っかりました。そこにはプロのアイドルとしての矜持があり、葛藤と覚悟の両面が滲んでいます。
上の画像は1985年11月にリリースした『なんてったってアイドル』のジャケットです。いたずらっ子のような笑顔が、楽曲にピッタリですね。

小泉今日子さんは、どうして髪の毛をショートカットにしたのかな?

それは、「芸能界を辞めて地元でグレるよりも、芸能界でグレてから地元に戻ろう!」と思っていて、ちょうどモデルのジョジ後藤さんのショートカットに憧れていたからみたいよ!
20代(1986年~1996年)
小泉今日子 in「JR東日本」CM(1990、1992) #小泉今日子 #Kyon2 #JR東日本 #1990年 #1992年 #平成初期のCM pic.twitter.com/x9wIejM0bH
— ばぶりっくぷれっしゃー (@Maps415lapsM) February 15, 2019引用元:X
小泉今日子さんは1980年代後半から1990年代前半にかけて、数多くのCMに出演し、「CMの女王」と称されました。彼女を起用した商品は「売上2割アップ」と言われ、広告業界では「神様仏様小泉様」という言葉まで生まれたほどです。
1991年(当時25歳)には、JR東日本、資生堂「スーパーマイルドシャンプー」、三菱電機「霧ヶ峰」など、計8社のCMに出演。同年のCM起用社数ランキングで1位に輝きました。中でも資生堂のCMには、1988年から2010年までの20年以上にわたって出演を続けています。
上の画像は1990年頃のJR東日本CM「GALA湯沢2 白い恋人たち篇」からの一場面。親しみやすくナチュラルな雰囲気が印象的で、多くの企業から起用された理由がよく伝わってきます。
引用元:Discogs
小泉今日子さんは、1989年(当時23歳)に14枚目のアルバム『KOIZUMI IN THE HOUSE』をリリースしました。
当時、まだ一般にはなじみのなかったハウスミュージックを全面的に取り入れたこの作品は、まさにアイドル像の枠を飛び越えた意欲作です。
当時は「事務所に歌わされているだけ」、「ハウスなんてわかっていないだろう」といった批判的な声も一部にはありました。しかし、小泉さんはそのような指摘に対して真正面から反論することなく、冷静に自身の立場を語っています。
「当時はもしかしたらとっつきにくい音楽だったかもしれないけど、私という存在自体はわかりやすいですから。聴いていただけるとは思っていました。私自身、『ハウスが好きか?』と聞かれれば、別に好きじゃないですから(笑)
もちろんカッコいいとは思っていたけれど、“ハウスの人”になりたいわけじゃない。」引用元:日本経済新聞
上の画像は、アルバム『KOIZUMI IN THE HOUSE』のジャケットです。モノトーンの衣装とクールな表情が印象的で、従来の“かわいいアイドル”像とは一線を画す、スタイリッシュで自立したアーティストとしての雰囲気が漂っています。
引用元:TBSチャンネル
1991年5月(当時25歳)、小泉今日子さんは32枚目のシングル『あなたに会えてよかった』をリリースしました。主演ドラマ『パパとなっちゃん』(TBS系)の主題歌に起用され、累計出荷枚数は158万枚に達するミリオンセラーとなりました。これは小泉さん最大のヒット曲であり、80年代アイドル出身者として初のミリオン記録でもあります。
この曲では小泉さん自身が作詞を担当しました。セルフプロデュースの意識を強めていた時期で、『第33回日本レコード大賞』では作詩賞とゴールドディスク賞の両方を受賞しました。
作詞について小泉さんは、以下のように語っており、ドラマの設定と自身の体験を重ねながら制作されたことがうかがえます。
「『今までありがとうございました』って言ってお嫁に行く話だから、そのストーリーと普通の恋愛、どっちにも取れるような感じで書いたんだと思うんです。私もそうだったんですけど、娘と父親って、なにか特別な思いがあるんですよ」
引用元:kodomoe
上の画像は、1991年、TBS系ドラマ『パパとなっちゃん』に出演していたときのものです。主演の小泉今日子さん(なつみ役)と田村正和さん(父・達郎役)が親子役として共演し、大きな話題を呼びました。家族の絆や温かい関係性が伝わる雰囲気があり、当時の小泉さんの自然体で落ち着いた表情も印象的です。

小泉今日子さんは、どうして自分で作詞をするようになったのかな?

それは、当時のディレクターだった田村充義さんが、「物事の見方が正確で詞が書ける子だ」と直感し、当初は渋っていた小泉さんを説得して書くことになったみたいよ!
30代(1996年~2006年)
引用元:地球ゴージャス
小泉今日子さんは、1997年(当時31歳)、地球ゴージャスの舞台『紙のドレスを燃やす夜』で初めて舞台に立ちました。
この時、小泉さんは「30代になって演技に臨もうとなったとき、舞台もオファーが来たら絶対に断らないって決めていた」と語っており、マネージャーにも「次に話が来たら台本を読まずにやるから」と宣言していたそうです。舞台出演に対する強い意志があったことがうかがえます。
上の画像は、1997年(当時31歳)の時に行われた舞台『紙のドレスを燃やす夜』の写真です。初舞台に挑むフレッシュな姿と意気込みが伝わってくる貴重な画像ですよね!
引用元:Fujisan.co.jp
小泉今日子さんは、2005年(当時39歳)の時に、読売新聞の書評委員を引き受け、2014年までの10年間にわたり毎週書評を執筆しました。この役割は、恩師である久世光彦さんの推薦によって打診されたものです。
この時、小泉さんは「自分の原稿がダメだったら、『これはボツだ』とか『書き直せ』としっかり言えますか」と編集デスクにその覚悟を確認しており、仕事に対する真剣な姿勢と、ご自身も覚悟をしていた強さがうかがえます。
小泉今日子さんが執筆した書評は後に『小泉今日子書評集』として書籍化され、小説からコミックまで、幅広いジャンルに対する率直で読み応えのある視点が評価されました。
上の画像は、書評委員を務め始めた2005年10月に発売された『キネマ旬報』(10月下旬号)の表紙です。落ち着いた表情とシンプルな装いが印象的で、書き手・表現者としての新たなステージに立つ姿が感じられます。

小泉今日子さんは、どうして台本を見ずに舞台出演を決めたのかな?

それは、「きっと舞台には何かがある」と信じて挑戦する覚悟があった一方で、「絶対これもできない、あれもできないってなると思った」という思いから、迷う前に飛び込もうと決めていたみたいよ!
40代以上(2006年~)
引用元:nelke
小泉今日子さんは2015年2月4日(50歳の誕生日)に、自身の制作会社『株式会社明後日』を設立しました。そのきっかけの一つとなったのが、”面白いと思う人がなかなか世の中に認知されないことへの悔しさ”だったといいます。
小泉さんは、「素敵だな、面白いなと思う人はいっぱいいるのに、そういう人たちが認知される場所が少ないことがすごく悔しくて。だったら自分でその機会をひとつでも作ろうと思った」と語っており、舞台・映像・音楽・出版などを企画・制作するこの会社には、表現者としてだけでなく、プロデューサーとしての強い想いが込められています。
上の画像は、2016年6月9日に開幕した、プロデューサーとしての第一歩となった舞台『日の本一の大悪党』(作・竹田新)のイメージビジュアルです。明後日プロデュースVol.1 として発表され、小泉さんが初めて“つくる側”として本格的に関わった記念すべき作品となりました。
引用元:ビクターエンタテインメント
2022年(当時56歳)、小泉今日子さんはデビュー40周年を記念して、31年ぶりとなる全国ホールツアー『KKPP(Kyoko Koizumi Pop Party)』を開催しました。
新型コロナウイルスの影響で、声援や合唱が制限されるなか、小泉さんは「心のなかで歌って! ワタシには聴こえるから」と観客に呼びかけ、会場には温かい一体感が生まれました。
また、「これまでも周年のときには音楽をやろうって決めてきたんですけれど、50周年だと66歳になっちゃうから! いまのうちに、ね!」と開催の理由をユーモアたっぷりに語り、自然体で飾らない魅力を見せました。
上の画像は、そのライブを収録した映像からの一部です。小泉さん自身が心から楽しんでいる様子と、会場の熱気が伝わってきます。

小泉今日子さんは、どうして会社の名前を「明後日」にしたのかな?

それは、「遠い未来ではなく、明後日くらいの未来を目指して、仲間たちと一緒に何ができるか模索していく」という想いが込められているらしいよ!
小泉今日子さんがかつて所属していた”バーニングプロダクション”には他に誰が所属してる?
引用元:バーニングプロダクション、バーニングプロダクション、バーニングプロダクション
小泉今日子さんの所属するバーニングプロダクションには、郷ひろみさん、内田有紀さんやウエンツ瑛士さんなどが所属しています。
【画像】小泉今日子と豊原功補は現在破局?結婚歴は?
小泉今日子と豊原功補は現在破局?
引用元:女性自身
小泉今日子さんは、2018年(当時51歳)に所属事務所からの独立を発表すると同時に、俳優の豊原功補さんとの不倫関係を公表しました。豊原さんのことを「同じ夢を追う同志」と表現しつつ、「一部の週刊誌などで報道されている通り恋愛関係でもあります」と明言し、その関係を隠すことなくオープンにしました。
また、「ご家族にはお詫びの言葉もございません」、「自分の罪は自分で背負って生きていきます」と、その覚悟の強さも示しています。豊原さんも同様に記者会見で関係を認め、家族とは別居状態であることを明言するとともに、小泉さんを「天然記念物みたいな人です。面白い人です」と表現し、その思いをのぞかせていました。
二人は仕事上でもパートナーシップを築いており、舞台や映像作品を共同で企画・制作しています。小泉さんが代表を務める株式会社明後日が手掛けるプロジェクトに豊原さんが演出や出演で参加するなど、互いの才能を生かした創作活動を続けています。プライベートだけでなく、仕事面でも強い信頼関係を築いていることがうかがえます。
引用元:女性自身
しかし、最近では破局を匂わせる報道も出ています。2020年2月に開かれた小泉さんの誕生会後、一緒に過ごしたものの小泉さんは1人で帰宅したことで、「二人の間に隙間風か?」と噂されました。また2022年5月、小泉さんがプロデュースした舞台『青空は後悔の証し』に豊原さんが出演した際も、二人は別々に劇場に現れ、バラバラに帰宅する姿が目撃されました。
さらに2024年には、小泉さんが7年ぶりに地上波出演したテレビドラマ『不適切にもほどがある!』の出演許可の経緯について「不適切な関係が終了したことを確認したから」という報道も出ました。
また同年、テレビ東京系の番組『紙とさまぁ~ず』で「外食なんて年に3回くらい。旅行にも行きません。孤独死しそうで心配」と回答しており、二人の距離感を感じさせる一因となっています。
ただし、これらはあくまで噂レベルであり、破局に関する正式な発表などはありません。二人の現在の真意については、明らかになっていない状態です。

2人に結婚の話はなかったのかな?

不倫関係公表の時に「結婚するとかそういうことではありません」とお話しされていて、二人の関係は恋愛感情を伴うパートナーシップだったみたいよ!
小泉今日子の結婚歴は?
引用元:文春オンライン
小泉今日子さんと永瀬正敏さんの出会いは、1993年に雑誌『an・an』で行われた対談でした。対談中、小泉さんは「私ぐらいの年齢の人って、妙に好きですよ、永瀬さんのこと」と語っており、当時まだ名前が広まりはじめたばかりの永瀬さんを、小泉さん自身が俳優としてファンだったことから指名したようです。
その後二人の交際は週刊誌に報道されましたが、隠れることなく堂々と交際を続け、1995年2月22日(当時29歳)に結婚を発表しました。
上の画像は、結婚会見での一枚です。画廊で二人のプライベート写真を公開し、会見と写真展を兼ねたこのスタイルは当時としては珍しく、“地味婚”の先駆けとして好感を集め、大きな話題となりました。
引用元:ORICON NEWS
小泉今日子さんは、結婚生活丸9年を経た2004年(当時38歳)に永瀬正敏さんと離婚しました。
離婚の理由について、小泉さんは「派手な愛憎劇があったわけじゃなくて、背負っているものに対して、一緒にいることがきつくなってしまったという感じだったから」と語っており、憎しみではなく、価値観や人生観の違いによるものだったことがうかがえます。
その後、2011年公開の映画『毎日かあさん』では、離婚後にもかかわらず二人は夫婦役で共演しています。お互いへのリスペクトがあったからこそ実現した共演であり、世間を驚かせました。
上の画像は、2011年1月に行われた映画『毎日かあさん』の完成披露試写会の様子です。実際に夫婦だったからこその自然体な表情が印象的で、温かな雰囲気に包まれています。

元夫婦の共演について、小泉今日子さんはどう思っているのかな?

「同業として戦える日が来たのだとうれしく思います。いろいろあった私たちだからこそ出来ることがあるはずです」と意欲を語っていたよ。
小泉今日子さんがデビューした1982年はこんな年だった!
引用元:日本銀行、Yahoo!ニュース、文春オンライン
小泉今日子さんがデビューした1982年は、「500円貨(白銅)発行開始」、「日本航空350便墜落事故」、「『笑っていいとも!』放送開始」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語には、「ミニスカート」、「タッチ(あだち充)」、「テレホンカード」などがありました。
小泉今日子のプロフィール・SNS
引用元:ENCOUNT
プロフィール
- 名前:小泉今日子(こいずみきょうこ)
- 生年月日:1966年2月4日
- 年齢:59歳(2025年4月現在)
- 出身地:神奈川県厚木市
- 血液型:O型
- 趣味:読書・映画やドラマ鑑賞
- 特技:どこでも睡眠
- 所属事務所:株式会社明後日(2018年2月~)
バーニングプロダクション(1982年 - 2018年1月31日)
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/asatte2015
📕東京VintAGE Girls BOOK FES📗「WEEK BOOK END」
— 東京 VintAGE Girls (@TOKYO_VintAGE_G) March 30, 2025
無事に終わりました!
2日間にわたりたくさんの方のご来場
ありがとうございました💚🩷#東京ヴィンテージガールズ#東京VG#東京VintAGEGirls@kantakagi @asatte2015 @yasunotomoko @kishicri @IzimaKaoru pic.twitter.com/HObQDT6J9Y
- Instagram URL:https://www.instagram.com/asatte2015/
- TikTok URL:https://www.tiktok.com/@kyoko_koizumi
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@koizumikyoko
- オフィシャルサイト URL:https://kyontwo.com/


小泉今日子さんは、どうして還暦を前にファンクラブ「US SARITE(アスサリテ)」(2025年4月1日発足)を始めたのかな?

それは、LIVEや舞台のチケットが取りにくい状況が気になっていたことと、クローズドなコミュニケーションを通じてファンともっと親密な関係を作りたい、という思いがあったからみたいだね!