【画像】松田聖子は若い頃かわいい!歯科医夫との馴れ初めは?娘とは不仲だった?

歌手・女優・シンガソングライター・アイドルで活躍を続けている松田聖子さん。

デビューすると同時にヒット曲を連発し、トップアイドルへと駆け上がりました。楽曲だけじゃなく髪型やメイクなど日本の女性たちへ大きな影響を与え、当時の髪型は「聖子ちゃんカット」と言われ大流行しました。

結婚・出産後も変わらないスタイルで歌手として活躍し、その様子を「ママドル」と呼ぶようになったのも聖子さんがきっかけで生まれた言葉です。デビューから45年変わらないスタイルと歌手力で、現在も美しい姿は憧れの的です。

今回はまつださんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】松田聖子は若い頃かわいい!

幼少期・10代(1962年~1982年)

松田聖子さん
引用元:Amazon

松田聖子さんは、1962年3月10日福岡県久留米市で公務員の父と庄屋出身の母の元で生まれ、8学年上に兄がいます。
幼少期は太っていた為「ブタまんじゅう」と呼ばれてからかわれていました。

中学時代はテニス部に所属していて、当時から歌うことが大好きで、テニスラケットのグリップをマイク代わりにしてキャンディーズの曲を歌って同級生を楽しませていました。

中学を卒業後は、ボレロとジャンパースカートに憧れてカトリック系の久留米信愛女学院高等学校へ入学しました。聖子さんのご両親は、しとやかなお嬢さんに育てたいという方針でこの高校を選んだそうです。この頃から、大ファンだった西城秀樹さんのコンサートへ行くようになり、歌手に憧れるようになりました。

上の画像は1980年(当時18歳)の歌手デビュー前の時のものです。「おだいじに」というドラマで太川陽介さんの相手役に応募したら見事合格し歌手より先に女優としてデビューしました。とっても可愛らしいですよね!

松田聖子さん
引用元:スポニチ

松田聖子さんは、1978年(当時16歳)の時に、CBSソニーと集英社「セブンティーン」が主催する「ミス・セブンティーンコンテスト」に応募しました。

歌手になりたいという動機以外に、ミッキーマウスが大好きな聖子さんは、優勝するとアメリカのディズニーランドへ行けるという事から、両親には内緒で九州地区大会へ応募しました。

結果は見事優勝となり、全国大会の切符を手にしました、しかし父親は芸能界に入ることに反対していたため全国大会は辞退することになりました。

この時、CBSソニーの若松宗雄さんは決勝大会を視察していたが、逸材を発掘できずにいた為、各地区の出場者のデモテープを聞き九州大会で優勝した聖子さんの歌声に「この子は絶対に売れる!」と衝撃を受けたそうです。別件でプロデビューをさせようとスカウトすることを決めたそうです。

上の画像は1980年(当時18歳)のデビューの時のものです。この頃、聖子さんのトレードマークの「聖子ちゃんカット」と呼ばれる髪型が大流行し、若い女性が真似をしていました。

松田聖子さん
引用元:sonymusic

松田聖子さんは、1979年(当時17歳)の時に、上京し芸能界入りをしました。

聖子さんの芸能界入りは、学校の規則や父親の反対により断念されるかと思われましたが、スカウトをしてくれた若松さんが諦めずに父親を説得してくれた事や、聖子さんの「絶対に歌手になる!」という熱い思いが伝わり芸能界入りを承諾してもらう事ができました。

その後、若松さんが事務所を探し、サンミュージックプロダクションの相澤社長に面倒を見てもらうべく、何度も交渉を重ね、聖子さん自身が相澤社長の自宅まで訪れて歌手への熱い思いを伝えたこともあったそうです。

その結果、その行動と熱意に押された相澤社長は、自身の自宅へ聖子さんを下宿させることを決めました。

この時、松田聖子さんは、下宿先での朝のジョギングで神社へ寄って「毎日、誰よりも厳しいレッスンを積んで努力します」と手を合わせ、声を出して拝んでいたそうです。

上の画像は1980年(当時18歳)のデビュー曲「裸足の季節」の時のものです。資生堂の洗顔クリーム「エクボ」のCMソングとして起用されました。

じつは聖子さんは、このCMのモデルオーディションを受けていたそうです。残念ながら不合格でしたが、この曲がテレビで頻繁に流れるようになった事と、聖子さんが歌番組に出演する機会が増えたことによって、そのルックスと歌声に世間が魅了され、瞬く間に人気者となり数々のヒット曲を連発していきました。

けん

松田聖子さんは、当時アイドルにはキャッチコピーがあったみたいだけど聖子さんのキャッチコピーはどんなのだったのかな?

のぞみ

抱きしめたい!ミス・ソニー」だったそうよ、キャッチコピーに社名が入っているのはすごいよね!ソニーのイメージキャラクターにだったみたいよ!

20代(1982年~1992年)

松田聖子さん
引用元:日刊ゲンダイ

松田聖子さんは、1985年(当時23歳)の時に、俳優の神田正輝さん結婚をしました。

映画「カリブ・愛のシンフォニー」で共演したのがきっかけで交際を始め、その年に婚約を発表し、結婚式を挙げました。結婚式には豪華な俳優人らが出席し、司会には当時日本テレビアナウンサーの徳光和夫さんが務めました。

この時松田聖子さんは、「神田さんの男らしさと、わたしを引っ張っていってくれる力がこの人なら一生ついていける」とお話しされており、当時の婚約記者会見で話されていて聖子さんが神田さんに惚れ込んでいたことが確認できます。

上の画像は1985年(当時23歳)の婚約会見の時のものです。報道陣の数がすごく大変緊張していた聖子さんですが、神田さんと笑顔を交わしながら幸せいっぱいでした。

松田聖子さん
引用元:女性自身

松田聖子さんは、1986年(当時24歳)の時に、長女の沙也加さん出産をしました。上の画像は出産会見の時のものです。子供が産まれて親になった実感を感じ、わが子を愛おしく見つめるお2人はとても素敵です。

この時松田聖子さんは、「病気をしないで健康に育ってくれればいい」とお話しされており、病院前で出産記者会見が行われた際には、3000人の聖子さんのファンが集まったといいます。結婚しても聖子さんは人気があったことが確認できますね。

聖子さんは「芸能界を引退し専業主婦に専念したい」と言っていましたが、夫の神田さんは「自由に働けばいい」と聖子さんの背中を押してくれたそうで、その後ファンの為に歌手への復帰をしました。

松田聖子さん
引用元:女性自身

松田聖子さんは、1989年(当時27歳)の時に、サンミュージックとの契約満期となったのを機に独立をし、海外進出に力を入れていきました。

上の画像はアメリカデビューの記者会見の時のものです。アメリカ進出ということもあって今までのメイクとヘアースタイルとはガラッと変わていますね。

聖子さんは夫や娘を東京へ残し、単身ニューヨークへ渡りワールドデビューアルバム「Seiko」を発売しました。海外進出へのチャンスをものにし、歌手としてのステップアップをしようと頑張りましたが、女性が海外へ出て家族と離れて仕事することは日本では理解されにくかったようで、聖子さんへのバッシング報道が過熱していました。

けん

松田聖子さんが、沙也加さんを出産し、生まれたときはどちらに似ていたのかな?

のぞみ

それは、出産後の当日に神田さんが会見を開いた時「カミさんは僕に似てるというけど…目とか唇はカミさん似だね」と語ったみたいよ!

30代(1992年~2002年)

松田聖子さん
引用元:女性自身

松田聖子さんは、1994年(当時32歳)の時に、6年ぶりに紅白歌合戦へ出場しました。上の画像は紅白歌合戦出演時のものです。翌年の紅白歌合戦ではピンクのドレスにクマのぬいぐるみを背負い懐かしの名曲「青い珊瑚礁」などのメドレーを披露し会場を沸かせていました。

海外進出から日本に拠点を移してからは、作詞作曲を自ら取り組むようになりました。そこから「大切なあなた」や「輝いた季節へ旅立とう」など数々の曲がヒットしました。

この時松田聖子さんは、舞台上に下降したミラーボールの中から登場し会場を沸かせたました。6年ぶりの紅白歌合戦に聖子さんが出演することでファンも大喜びでした。

松田聖子さん
引用元:女性自身

松田聖子さんは、1997年(当時35歳)の時に、神田正輝さんと離婚をしました。結婚生活12年で、お互いの仕事が忙しく家庭との両立が難しかったようです。助け合い頑張ってこられましたが、別々の道を選びました。

上の画像は別々に行われた離婚発表会見の時のものです。このことで沙也加さんを傷つけてしまったことを親として残念でならないと、共同で出した離婚声明文で伝えていました。

この時松田聖子さんは、「神田さんは仕事が好きだからやらせてあげたいと思うのに、いつ帰ってくるの?と言ってしまうの」とお話しされており、お互いの仕事に対して尊敬し助け合ってきたのにも関わらず、相手に対して求めるものが多くなってしまい夫婦のバランスが崩れていったのでしょう。

けん

松田聖子さんは、6年ぶりの紅白歌合戦はどうだったのかな?

のぞみ

藤谷美和子さんと背中に羽が生えた天使のイメージの衣装がかぶるハプニングがあったみたいよ!

40代以上(2002年~)

松田聖子さん
引用元:シネマトゥデイ

松田聖子さんは、2010年(当時48歳)の時に、人気海外テレビドラマ「BONESボーンズ-骨は語る-」シーズン5の15話に出演しました。聖子さんは日本ジャーナリスト役で出演し、共演者も驚くほどの流暢な英語で完璧な演技を披露しました。

上の画像は出演したの時のものです。聖子さんの演技と英語でのセリフに対して共演者たちは「彼女は本当にプロ意識が高く素晴らしい俳優だ」と聖子さんを大絶賛だったそうです。

この作品でメガホンをとったチャド・ロウ監督は「優秀な俳優は何もしていないと感じるくらいの演技を容易に見せるものだけど、聖子には間違いなくその能力がある!」とお話しされており、聖子さんの演技が高く評価されていたことが伺えますね!

松田聖子さん
引用元:45th松田聖子特設サイト

松田聖子さんは、2024年(当時62歳)の時に、デビュー45周年を迎えました。2025年6月には45周年を記念するベストアルバムを発売し、それと同時にコンサートも予定されています。

デビューから今日までのヒット曲や、聖子さんが自ら厳選した曲も入っている究極のベストアルバムは発売前から話題となりました。

上の画像は45thアニバーサリー特設サイトのものです。45周年という節目を迎え、今もなおアイドルとして多くのファンを魅了する聖子さんでした。

けん

松田聖子さんは、どうして英語がそんなに話せるのかな?

のぞみ

それは、アイドルとして活躍している時期にハワイ留学をして英語を勉強したそうよ!その後も、アメリカへ在住してより一層英語力を磨いたみたいね!

松田聖子さんが所属する”feliciaclub(フェリシアクラブ)”には他に誰が所属してる?

引用元:松田聖子オフィシャルサイト

松田聖子さんの所属するfeliciaclub(フェリシアクラブ)は、松田聖子さんが個人事務所として2014年に立ち上げました。

【画像】松田聖子と歯科医夫の馴れ初めは?娘とは不仲だった?

松田聖子と歯科医夫の馴れ初めは?

松田聖子さん
引用元:女性自身
松田聖子さん
引用元:女性自身

松田聖子さんは1998年(当時36歳)の時に、長女が通院していたの歯科医に勤務する6歳年下の医師と結婚しました。治療に立ち会った事がきっかけに知り合い、交際わずか2ケ月という速さで結婚をしています。

聖子さんは会った瞬間「心と体でビビビッときた!」と話しており、ひとめぼれであったようです。このことから当時「ビビビ婚」と言われ話題を集めましたが、2年半で離婚されています。

2012年(当時50歳)の時には、大学准教授の一般男性と再婚されました。当時この男性は他の女性と結婚しており、不倫からのスタートだったが聖子さんの大ファンだったこともあり、聖子さんを選んだと言われております。

けん

松田聖子さんは、何回結婚しているのかな?

のぞみ

3回結婚しているみたい、最初は俳優の神田正輝さん、2回目、3回目は歯科医をしている一般の方みたいよ!

松田聖子と娘は不仲だった?

松田聖子さん 神田沙也加さん
引用元:日刊スポーツ
松田聖子さん 神田沙也加さん
引用元:週刊女性

沙也加さんは中学校時代に有名人の子どもという事で、壮絶ないじめに合いました。そんな中17歳の時に沙也加さんは芸能界に興味を持ちました。

聖子さんは娘の芸能界入りには反対でしたが、それでもデビューする事になった時には「母親として応援したい」と気持ちが変わったそうです。当時は友達同士のような関係で、仕事の事やそれ以外の相談もお互いにしていたそうです。

その後も順調に沙也加さんは芸能界で頑張ってきました。2016年には人気ゲームを原作とした舞台「ダンガンロンパTHE STAGE」で共演した俳優の村田充さんと2017年に結婚をしました。

沙也加さんにとって、ようやく自分の進むべき道を見つけられたようでしたが、この結婚をきっかけに聖子さんとの関係が悪くなってしまったそうです。

けん

松田聖子さんは、どうして娘の沙也加さんと仲直りできなかったのかな?

のぞみ

それは、確執と和解を繰り返して、なかなか会う機会もなく、じっくり話せる時間もなかったみたいよ!それでも母として「心も体も健康であってくれれば、それが一番の親孝行」と願っていたそうよ。

松田聖子さんがデビューした1980年はこんな年だった!

竹の子族
ルービックキューブが流行
大貞治選手が引退
引用元:rollingstonejapanEUREKAnippon.com

松田聖子さんがデビューした1980年は、「竹の子族」、「ルービックキューブが流行」、「大貞治選手が引退」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、「カラスの勝手でしょ」で志村けんさんが受賞しました。

松田聖子のプロフィール・SNS

松田聖子さん
引用元:松田聖子オフィシャルサイト

プロフィール

  • 名前:松田 聖子(まつだ せいこ)
  • 本名: 蒲池 法子
  • 生年月日:1962年3月10日
  • 年齢:63歳(2025年3月現在)
  • 出身地:福岡県
  • 趣味:スキューバダイビング
  • 特技:デコアート
  • 所属事務所:feliciaclub(フェリシアクラブ)

SNS

けん

松田聖子さんの自身でSNSをやっていないの?

のぞみ

聖子さん自身のサイトはないみたいだけど、デビュー45周年を記念してLINEアカウントや45th Anniversary特設サイトを作ったみたいだね!

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