【画像】松坂慶子は若い頃美人!夫との馴れ初めや現在の活動は?

女優・歌手・タレントとして活躍を続けている松坂慶子さん。

数多くのドラマや映画に出演し、その演技への貢献や俳優としての功績が認められ、紫綬褒章も受章しています。

今回は松坂慶子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】松坂慶子は若い頃美人!

幼少期・10代(1952年〜1972年)

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松坂慶子さんは韓国人の父、日本人の母との間に生まれ、7歳年下の弟の4人家族でした。子供時代はおとなしい子供でしたが、「坂道があるとその坂の向こうに何があるのか見たいという好奇心があった」そうです。

1960年(当時8歳)小学校2年生の時に『くるみ芸術学園』に入り、歌唱科、ピアノ科、児童舞踊科を受講していましたが、1962年(当時9歳)には転居のため転校してしまいます。

中学生になり、演劇部に所属していた松坂さんは、1966年(当時14歳)友人と『劇団ひまわり』へ入団します。この劇団ひまわりは、主に新聞広告などでオーディション選考者を募集し、養成所レッスンを経た優秀な人は芸能活動を行い、演劇やテレビなどの出演を斡旋してもらえる事務所のようなところでした。

上の画像は1967年(当時15歳)の時のものです。松坂さんは幼児向けコメディ番組『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』のお姉ちゃん役で、テレビに初出演しました。

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高校生になり、2年生の1969年(当時17歳)、古賀政男ギター歌謡学院週2回の歌のレッスンを受けるようになります。古賀政男さんは昭和期の代表的作曲家であり、ギタリストで国民栄誉賞の受賞者でもあります。

同年には大映からのスカウトを受けることになりました。具体的なスカウトの状況については詳細な情報は見つかりませんでしたが、すでに芸能活動をされていたことや、有名学院でレッスンを受けていた松坂さんの才能が評価され、大映という大手映画会社からスカウトされるに至ったことがわかります。

上の画像は1968年(当時16歳)のテレビ出演時のものです。『ウルトラセブン』の第31話『悪魔の住む花』でミクロ怪獣ダリーに寄生された少女・カオリ(香織)役で出演されていました。この回は、今なお特撮ファンの間で語り継がれる傑作エピソードだったそうです。

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1969年に、『ある女子高校医の記録 続・妊娠』で女子高生の一人としてスクリーンデビューを果たしていた松坂さんは1970年(当時18歳)、スカウトされていた大映東京撮影所に入社します。テレビドラマ『おくさまは18歳』、『なんたって18歳!』ではレギュラー出演を果たしました。

デビュー後しばらくは端役や脇役が続き、思うように活躍の場が広がらない日々が続いていたそうです。

上の画像は1971年(当時19歳)の時のものです。映画『夜の診察室』で、主演予定だった渥美マリさんの降板により、代役で映画初主演を務めました。この頃はセクシー青春映画群への出演が続いていたようです。

けん

松坂慶子さんって、日本と韓国のハーフだったんだね。

のぞみ

父親は15歳で職を求めて海を渡ってきた韓国人で、母親は東北出身なんだけど、貧しさから幼少期に身売りされた過去があって、戸籍がなかったんですって。
その後父親が帰化して、母親の戸籍も回復して、韓国籍だった松坂さんも12歳で日本国籍を取得できたそうよ。

20代(1972年〜1982年)

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1971年12月に大映が倒産したことから、松坂さんは1972年(当時20歳)より松竹に移籍し、所属となりました。松竹では清純派として売り出されていきます。この年のテレビドラマ『若い人』ではヒロインとして製作者協会新人賞などを受賞されました。

この頃松坂慶子さんは、電車で1時間以上かけて大船撮影所に通っていたそうで、「当時の車窓から見える景色などがすごく新鮮で気持ちよかった」とお話しされています。

上の画像は1973年(当時21歳)NHK大河ドラマ『国盗り物語』の時のものです。松坂さんは織田信長の妻濃姫を演じ、広く女優として知れ渡るきっかけとなりました。初の時代劇出演にもかかわらず、おっとりとおおらかな演技で“未来の大物”と評判だったそうですが、極度の近眼だったため「まわりがよく見えないので得ですね」とお話されていたそうです。

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1977年(当時25歳)には中村雅俊さん主演の映画『坊っちゃん』でマドンナ役を演じられました。NHKの大河出演で一気にトップ女優の地位を確立していた松坂さんは、撮影後の夏休みについて「家でこまごまとしたことをやって終わっちゃうんじゃないでしょうか。出かけるのが好きじゃない。宿命なんでしょうけど、いつもどこかで見られている感じがあるでしょ」と女優としての宿命をお話しされていました。

さらに転機になったのは上の画像、1978年(当時26歳)野村芳太郎監督の映画『事件』です。松坂さんは、ひとりの若者をめぐって妹役の大竹しのぶさんと三角関係に陥るスナックのママを熱演し、清純派からの脱皮に成功しました。

清純派路線で演じてきた松坂さんは、この映画をきっかけに幅広く演じられることを見せつけ、さらに女優としての圧倒的な演技力と存在感を多くの人々に知らしめました。

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1979年(当時28歳)上映の映画『配達されない三通の手紙』はエラリー・クイーンの小説『災厄の町』を原作とし、日本を舞台に映画化したものでした。松坂慶子さんはこの映画でも体当たりの演技を見せていました。

同年の映画『水中花』では、ヒロインを演じるとともに主題歌『愛の水中花』を歌い、大ヒットしました。妖艶なバニーガール姿も話題になり、『愛の水中花』のレコードジャケットはその衣装を着用した写真だったそうです。『愛の水中花』は日本有線大賞特別賞も受賞しています。

美しい顔立ちと、整ったプロポーションで歌い上げる松坂さんの歌声に「癒される」との声も多く、以降は歌手としても知られるようになっていきました。

けん

この『愛の水中花』はとてもキャッチーで耳に残るよね。

のぞみ

そのおかげか、2017年には京都府警が高齢者の特殊詐欺被害防止のため替え歌『サギの流行歌』を作成したそうよ。

高齢者の特殊詐欺被害を防止しようと、京都府警が、女優の松坂慶子さんの代表曲「愛の水中花」の替え歌「サギの流行歌」を作成した。

 耳なじみのあるヒット曲で特殊詐欺の手口を覚えてもらう狙い。印象的なサビは「これもサギ、あれもサギ、たぶんサギ、きっとサギ」とした。

 今後、防犯教室などで活用する。「曲を聞いて、だまされない力を身につけてほしい」

引用元:産経新聞

30代(1982年〜1992年)

引用元:Instagram

1982年(当時30歳)映画『道頓堀川』は宮本輝さんの同名小説の映画化作品で、深作銀次監督は松坂慶子さんありきの企画だったとお話されています。

同年に上映されたつかこうへいさんの直木賞受賞作を深作欣二監督が映像化した映画『蒲田行進曲』は人情コメディ作品でした。松坂さんは、スター俳優の風間杜夫さんと大部屋俳優の平田満さん2人の間で揺れ動くヒロインを演じられました。

蒲田行進曲のオープニングは、松坂慶子さん、風間杜夫さん、平田満さんの主演3人で歌唱していて、現在JR京浜東北線蒲田駅の発車メロディになっています。この映画では、俳優キネマ旬報主演女優賞をはじめ各賞を独占し、松坂さんの代表作の1つとなりました。

この頃の松坂さんは、特に深作欣二監督の映画やテレビドラマなどの作品に多く出演されていました。

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1984年(当時32歳)にはプレイボーイ別冊編集部編集『松坂慶子写真集』が出版されました。人気絶頂期の妖艶で美しい松坂さんが収められています。

1990年(当時38歳)映画『死の棘』はフランスのカンヌ国際映画祭で、パルム・ドール賞に次ぐ審査員グランプリを受賞しました。

結婚して10年、2人の子どもがいる夫婦の話で、夫の浮気がもとで妻がどんどん精神のバランスを崩していき、壮絶な夫婦の修羅場を描いた話でした。松坂さんはノーメイクで壮絶な演技を披露し、国際的に評価されました。

上の画像は写真集と映画『死の棘』です。松坂慶子さんは小栗康平監督からの「役は自分の中から作りなさい。自分の人生をちゃんと生きてください」という言葉に目が覚めたとお話されています。以降、自分の生活を丁寧に送ることが、自然と演技に反映されると思うようになったそうです。

けん

映画批評家の前田有一さんが松坂慶子さんの最高傑作は、間違いなく『死の棘』だと絶賛されているよね。「正真正銘の国際派女優です」って。

のぞみ

特にこの頃は、この美貌とセクシーさで男性人気が高かったんだけど、深作欣二監督との不倫が取り沙汰されて、女性ファンを遠ざけてしまっていたそうなの。
そんな中で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞はじめ、映画賞を総なめにして、松坂さんの中でも1番の当たり役となったのね。

40代以上(1992年〜)

引用元:X X

1991年(当時39歳)にジャズギタリストの高内春彦さんと結婚した松坂さんは、結婚に大反対されながらも夫の活動拠点であるアメリカのニューヨークに移住を決意し、7年ほど過ごしました。結婚後は2人の娘も生まれ、約10年間は家庭中心でセーブしながら仕事をされています。

2005年(当時52歳)渡哲也さん主演の『熟年離婚』に妻役で出演されました。当時に社会問題となっていた、団塊世代の大量定年問題をテーマに、夫婦のあり方を扱ったドラマで『熟年離婚』という言葉は、その年の流行語になりました。

上の画像は2005年NHK大河ドラマ『義経』と2008年(当時55歳)NHK大河ドラマ『篤姫』です。『篤姫』の幾島役を演じるにあたり、監督やメイクさんと相談して眉を鋭角に書くことにしていたそうです。自分と全く性格の違う幾島に「勇ましい気持ちになれて、メイクにも衣装にも助けられました」とお話しされています。

引用元:X

松坂慶子さんは、2018年(当時66歳)NHK連続テレビ小説『まんぷく』に出演されました。安藤サクラさん演じる主人公の母親・鈴役で、「私は武士の娘です」という口癖が話題になりました。

この時松坂さんは、「鈴さんを演じるにあたって心に浮かんだのは、90歳を超えた私自身の母でした。」とお話しされていて、「まるで私の母は鈴さんで、私は福ちゃんみたいだと重なる部分がありました。」と役作りのヒントにされたそうです。

上の画像は『まんぷく』のものです。視聴者からも「憎めない」「ウザかわいくて面白い」「とんでもないこと言ってもなんか許せちゃう」と愛されたキャラクターでした。松坂さんの持つコミカルな演技力と、チャーミングな可愛らしさがこの役柄をさらに引き立たせていました。

けん

これまでに女優として色々な役をされてきた松坂慶子さんだけど、なにか変わった役柄ってあったのかな?

のぞみ

2005年には香港映画『桃色 colour blossoms』に出演されているんだけど、トランスジェンダー女性の役だったのよ。

松坂慶子さんが所属する”モマオフィス”には他に誰が所属してる?

引用元:映画ナタリー

松坂慶子さんの所属するモマオフィスには、松坂慶子さんご本人のみが所属しています。

【画像】松坂慶子の夫との馴れ初めや現在の活動は?

松坂慶子の夫との馴れ初めは?

引用元:NEWSポストセブン
引用元:Instagram

1991年(当時39歳)松坂慶子さんは、ジャズギタリストの高内春彦さんと結婚されました。当時の知名度の高い人気女優と、国内では無名に近かった高内さんとの結婚は『格差婚』と呼ばれ、松坂さんの両親の大反対を押して結婚したこともあり、週刊誌などでも大きく取り沙汰されてしまいました。

2人の出会いは1986年、松坂さんが休暇で訪れていたニューヨークで、音楽活動をしていた高内さんと、友人からの紹介で知り合ったと言われています。

松坂さんは高内さんについて「人間的にも頼もしく、一緒にいるとゆったりとした気分になれる」そうで、その温厚な性格に惹かれたことを明かしています。結婚するために「女優を辞めちゃおうかと思った」くらいに、松坂さんが高内さんにベタ惚れだったそうです。

高内さんは6歳からピアノ、15歳にはギターを始め、大学卒業後に渡米して海外で活動されていました。そのため日本国内での高内さんの知名度が低く、2人は4年ほどの交際期間があるそうですが、周囲には結婚発表まで気づかれませんでした。

松坂さんのご両親はたびたび取材を受け、高内さんのことを「ヒモ」「収入もないのに家でゴロゴロしている」「あの男は娘を利用している」「慶子に寄生して、のうのうと生きている」「吸血鬼だ」などと強く非難し、結婚を絶対に許さなかったそうです。

松坂さんも両親を説得しようとしていましたが、最後には「あんたたちなんか眼中にない」と応戦し、1992年にはお互いに絶縁宣言をされてしまいました。

けん

松坂慶子さんは、ご両親に強く反対されて、駆け落ちするようにニューヨークへ渡ったんだね。

のぞみ

結局父親には亡くなるまで結婚を許されることは無く、2人の娘さんも会わせられなかったみたい。
でも、高齢になった母親とは和解して、2012年からは一緒に住んで、10年近く高内さんと2人で介護して看取ったそうよ。

松坂慶子の現在の活動は?

引用元:ORICON NEWS
引用元:テレ朝 news

2025年7月20日には73歳を迎える松坂慶子さんですが、変わらず精力的に女優として活動されています。

2024年からは、NHK連続テレビ小説『らんまん』で、主人公の祖母役を演じたことをきっかけに、高知県立牧野植物園の理事に就任されました。「松坂さんの女優としての経験や美意識などを園の運営に役立ててもらえたら」と依頼されたそうです。

松坂さんは、高知を訪れた際にはプライベートでも牧野植物園を訪れ、植物に関心を持っていたそうで、「ドラマが終わっても植物や高知に関わり続けられることになりうれしい」とお話されています。

5月には寺尾聰さん、松坂桃李さんのダブル主演映画父と僕の終わらない歌』に出演され、アルツハイマー型認知症を患った夫を、献身的に支える妻・律子役で夫婦愛の演技が話題になりました。

7月31日・8月1日上演予定のミュージカル『幾光年 THE MUSICAL -Light Years-』では、大原櫻子さんとのW主演で長崎の被爆家族の物語を描く感動作に出演されます。歌唱パートの増加にも「イェーイ!特訓します」と喜び、ミュージカル俳優との共演にワクワクしていることをお話されていました。

けん

他にCMでも活躍されているし、秋頃にはドラマ出演も決まっているよね。

のぞみ

化粧水のCMに竹内涼真さんと出演されているわね。
そして、最近話題になったのが写真家の下村一喜さんのInstagramなの。
若々しくて美しい写真に「本当にお美しい」「素敵な歳の重ね方」「魅力的」「憧れ」と、その近影にうっとりされた人たちからの驚きの声が上がっているのよ。

引用元:Instagram

松坂慶子さんがデビューした1969年はこんな年だった!

引用元:東京大学音楽ナタリー日本経済新聞

松坂慶子さんがデビューした1969年は、「東大安田講堂事件」、「フォークブーム」、「アポロ11号月面着陸」などの出来事があり、話題となりました。

東大安田講堂事件
1968年に東大医学部生による「インターン制度」への反発が発端となり、1969年1月に医学部学生自治会が無期限ストライキを決行。(参加者約900人)安田講堂などを占拠した学生と機動隊8500人が攻防を繰り広げ1月19日に安田講堂の封鎖が解除されました。
「インターン制度」:研修医として無給で1年間働かなければ医師資格試験(国家資格)を受験できないという制度。

フォークブーム
この頃のフォークソングは、世界的なベトナム反戦運動の一環として、若い人たちの間で反戦を唱えるフォークソングが流行っていました。

アポロ11号月面着陸
1969年7月16日に打ち上げられたアメリカの宇宙船『アポロ11号』は20日、人類史上初めて月面着陸に成功しました。ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士が、アポロ月着陸船『イーグル号』を月面に着陸させました。

また、この年の流行語は、「あっと驚くタメゴロー」です。テレビ番組『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』の中でクレージーキャッツのハナ肇さんがギャグとして発した言葉でした。深い意味はなく、驚いた時などに大声で「あっと驚くタメゴロー!」と叫ぶだけだそうです。

松坂慶子のプロフィール・受賞歴

引用元:毎日キレイ

プロフィール

  • 名前:松坂慶子(まつざかけいこ)
  • 本名: 高内慶子
  • 生年月日:1952年7月20日
  • 年齢:72歳(2025年6月現在)
  • 出身地:東京都
  • 血液型:A型
  • 趣味:フラダンス
  • 特技:地唄舞・社交ダンス
  • 所属事務所:モマオフィス

受賞歴

  • 1972年:『若い人』制作者協会新人賞、第10回ゴールデン・アロー賞新人賞受賞
  • 1973年:日本放送作家協会、女性演技者賞受賞
  • 1979年:『愛の水中花』日本有線大賞特別賞受賞
  • 1981年:『青春の門』、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』第5回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、報知映画賞主演女優賞を受賞
  • 1982年:『蒲田行進曲』、『道頓堀川』第6回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、第37回毎日映画コンクール主演女優賞、エランドール賞特別賞、第20回ゴールデンアロー賞大賞受賞
  • 1986年:ゴールデングロス賞のマネーメーキング・スター賞受賞
  • 1989年:第一回ゴールデン・スター・オブ・ザ・イヤー賞受賞
  • 1990年:『死の棘』第14回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、報知映画賞最優秀主演女優賞、第3回日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞を受賞、第13回山路ふみ子映画賞受賞
  • 1991年 : フランス高級香水協会マドモアゼル・パルファム賞、第一回フランス政府観光局・女性親善大使賞受賞
  • 1998年:第51回毎日映画コンクール田中絹代賞受賞
  • 2000年:『さくや妖怪伝』、『本日またまた休診なり』毎日映画コンクール女優助演賞受賞
  • 2003年 : 第14回ジュエリーベストドレッサー賞50代部門受賞。
  • 2008年:第60回日本放送協会(NHK)放送文化賞を石坂浩二さん、緒形拳さん、井上ひさしさんらと受賞。同年『火垂るの墓』毎日映画コンクール女優助演賞受賞。
  • 2009年:紫綬褒章受章
  • 2010年:『大阪ハムレット』おおさかシネマフェスティバル主演女優賞受賞。
  • 2015年:第12回万年筆ベストコーディネイト賞2015受賞
  • 2019年 : 『まんぷく』第15回コンフィデンスアワード・ドラマ賞助演女優賞を受賞、同年、第27回橋田賞受賞
  • 2023年:令和4年度『スターの手形』被顕彰
  • 2024年:『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』第47回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞
けん

松坂さんは、2022年の出演作品の役作りでお茶、三味線、京舞のお稽古を始めて、撮影後も続けられているんだって!

のぞみ

撮影が終わっても習い事を継続するのは、独身時代以来」とお話されているの。
新しいことに挑戦したり、続けたりすることはパワーが必要だと思うんだけど、松坂さんみたいに、いくつになっても興味を力に変えられると素敵だよね!

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