女優・バラエティ・ナレーションなど幅広いジャンルで活躍を続けている中田喜子さん。
これまでに、NHK連続テレビ小説『おはようさん』やドラマ『渡る世間は鬼ばかり』など数々の話題作に出演し、長年にわたって安定した演技力と気品ある存在感で支持を集めてきました。
今回は中田喜子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】中田喜子は若い頃かわいい!
10代(1963年~1973年)
引用元:Wendy-Net
中田喜子さんは、1953年11月22日、東京・築地に生まれました。実家は蒲鉾などの加工品を扱う仲卸業を営んでおり、5人姉妹の末っ子として、にぎやかな家庭の中で育ちました。
高校時代には、日活テレビ部の養成所に所属しテレビドラマにも出演していましたが、学業を優先するため1度活動を中断します。その後、高校卒業と同時に芸能事務所に入り、1972年18歳の時に『お祭り銀次捕物帳』で本格的にデビューしました。
お母様が日本舞踊を趣味にしていたことから、6歳から高校まで稽古を続けたそうです。「女優になって一番役立ったのは、やはり自分で着物が着られるということです。裾さばきはごく自然に身についていました。それは母に感謝です。」と語っており、女優としての表現力や所作の美しさにも影響を与えたことが伺えます。
上の画像は、七五三の時にお母様と一緒に撮影された写真です。着物姿で凛とした表情を見せており、幼いながらも落ち着いた雰囲気を感じさせますね!
引用元:仮面ライダー図鑑
中田喜子さんは、18歳の時に1972年7月29日放送の『仮面ライダー』第70話「怪人エレキボタル 火の玉攻撃!!」にヨッコ役で出演しました。
作中では、悪の秘密結社ショッカーに拉致され操られたり、命の危機に何度も直面しましたが、少年仮面ライダー隊結成後は本部で通信手や事務を担い、仮面ライダーたちの戦いを内側から支えるという重要なポジションを務めるキャラクターとなりました。
上の画像は、仮面ライダー公式サイトのキャラクター図鑑に掲載されているヨッコ役・中田喜子さんの登場シーンです。あどけなさを残しつつも、凛とした表情からは芯の強さがうかがえ、当時の中田さんの魅力がしっかり伝わってきます。

中田喜子さんは、どうして日本舞踊を6歳から始めたのかな?

それは、日本舞踊は6歳の6月6日にお稽古を始めると良いという言い伝えがあったからそれに倣ったみたいよ!
20代(1973年~1983年)
引用元:NHKアーカイブス
1975年10月6日から1976年4月3日まで放送されたNHK連続テレビ小説『おはようさん』で、中田喜子さんは当時21歳にして殿村彩子役を演じました。
上の画像は、1975年10月6日放送の『おはようさん』第1回のワンシーンです。白いブラウスにナチュラルな髪型というシンプルな装いながらも、目元の凛とした表情が印象的。初々しさの中にも、女優としての存在感がすでににじみ出ており、朝ドラで注目を集めたのも納得の演技でした。
この作品は大阪を舞台に、血のつながらない3人の女性が、恋や仕事、友情を通じて新たな絆を築いていく姿を描いた人情ドラマです。中田さんが演じた彩子は、主人公・殿村鮎子(秋野暢子)の母親の再婚によって“姉”という立場になる女性で、物語の軸となる人物のひとりでした。
中田喜子さんが演じた殿村彩子は、もともとは大阪弁を話すキャラクター設定でしたが、中田さんの関西弁習得が難しかったため、標準語を話す東京育ちの設定に変更されたという裏話もあります。これにより、関西の家庭にやってきた“よそ者”という立場がより明確になり、物語にリアリティをもたらしました。
引用元:TBSチャンネル
中田喜子さんは1977年(当時23歳)に放送されたテレビドラマ『岸辺のアルバム』で、長女・律子役を演じました。
東京郊外の多摩川沿いに住む一見幸せそうに見える中流家庭の崩壊と再生を描いた重厚なホームドラマです。初回放送当時のホームドラマでは一切タブーとされてきたエピソードが次々と展開されるなど、「衝撃の家庭ドラマ」と銘打ったこの作品は、日本のテレビドラマ史に残る名作として話題になりました。
”この作品で認められなかったら演出家をやめる”という覚悟で臨んでいた演出家の鴨下信一さんからはすごい言葉で叱られ、必ず居残りをさせられていたそうです。
「今振り返るとありがたいことなんですが、当時は登校拒否のように、TBSに行く日は足が重くなってしまっていました(笑)」と振り返っており、当時の現場が非常に厳しかったことが確認できます。
上の画像は、中田喜子さん演じる律子が元恋人の友人から乱暴され妊娠したことを、弟の高校の担任・堀(津川雅彦さん)に相談するシーンです。とても難しい役どころで、その重々しさが感じられますね。
引用元:NHKアーカイブス
中田喜子さんは、1979年(当時25歳)から1988年までの約9年間、NHKの人気クイズ番組『連想ゲーム』で紅組5代目キャプテンを務め、多くの視聴者に親しまれました。
紅白に分かれて言葉をヒントに答えを導くというシンプルながら奥深い番組の中で、中田さんは落ち着いた語り口と知的な雰囲気で“紅組の顔”として活躍していました。
2023年10月2日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演された際には、当時のエピソードも明かしています。
ヒントの出し方がわかりやす過ぎて、NHKのディレクターから「そんなに近道いかないでください。連想ゲームなので、もっと広がりを持たせてください」と注意を受けていたそうで、正解を導きたい気持ちと番組の趣旨との間で、試行錯誤していた様子がうかがえます。
上の画像は、『連想ゲーム』の人物紹介シーンです。中田喜子さんのきりっとした表情と整った身なりからは、知的で落ち着いた紅組キャプテンとしての信頼感がにじみ出ています。バラエティ番組でありながらも、彼女の品の良さと芯のある受け答えが、多くの視聴者の記憶に残っています。

中田喜子さんは、岸辺のアルバムの律子はどのように役作りをしていたのかな?

”不機嫌な女子大生”役のために、近所の青山学院大学に行って不機嫌な大学生を探したけど、なかなか見つからなくて苦労したみたいよ!
30代(1983年~1993年)
引用元:X#中田喜子 1953年11月22日生🎂東京都出身。1974年、TBSポーラテレビ小説『やっちゃば育ち』のヒロイン役で注目される。NHK朝ドラ『春よ、来い』など、橋田壽賀子作品に多数出演。渡鬼・文子役。#渡鬼人物録 #今日は何の日
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) November 21, 2021
TBS渡鬼第1シリーズ第1回→2019SP #渡鬼古今 #渡鬼カメラ目線 pic.twitter.com/xBS0SMjymY
1990年、TBS開局40周年記念番組としてスタートした『渡る世間は鬼ばかり』に、当時36歳の中田喜子さんは、五人姉妹の3女・文子役として出演しました。上の画像は、高橋文子を演じる中田喜子さんの役名紹介シーンです。文子らしい落ち着いた華やかさと明るさが印象的です。
家族の絆や葛藤をリアルに描いたこの作品は、長年にわたり“国民的ドラマ”として親しまれました。「ながら見」視聴を前提にした、橋田壽賀子さんのセリフ中心の脚本スタイルによる長台詞が有名です。
中田さんは当時の台本について「普通のドラマは台本が7ページでも“ちょっと長い”とされるけど、渡鬼は1シーンで20ページですね」と振り返り、とにかくセリフ量が圧倒的だったと語っています。
また、共演の野村真美さんとともに「NGはほとんど出さないタイプだった」と語る一方、NGの多かった共演者について聞かれると、2人そろって「言えませーん(笑)」と笑ってごまかすお茶目な一面も見せています。
さらに「リハーサルでちゃんとセリフ覚えてますから。私たちは」というひと言からは、女優としての高いプロ意識と現場への責任感がにじみ出ていました。
引用元:ヨミドクター
中田喜子さんは20代の頃、ヨーロッパで出会った“手作りのキッチン”に感動し、帰国後すぐに壁紙の張り替えからDIYの世界に足を踏み入れました。
そしてその情熱は、30代になってさらに加速し、一軒家の壁をすべて自分で塗り替えてしまったそうです。
当時はまだDIYが今ほど一般的ではなかった時代で、中田さんは東急ハンズに足を運び、メーカーに電話で方法を聞くなど、完全に“我流”で挑戦し、約2週間をかけて仕上げたとのことです。
若い頃は仕事とプライベートの切り替えが下手だったという中田さんは、「DIYをするようになってからは、オン・オフをうまく切り替えられるようになった。」と語っています。
次第に身に付いた作業の段取り整理や緻密さも、仕事にプラスになったとのことで、DIYは単なる趣味ではなく、自分自身の思考や働き方を磨く手段にもなっていたようです。
上の画像は、取材場所に持参した愛用の電動ドライバーを持っている写真です。優しい笑顔と楽しげな表情からは、「古いものを再生し、暮らしに潤いをもたらす」という彼女の美意識と、ものづくりへの深い愛情が伝わってきますね。

中田喜子さんは、どうして『渡る世間は鬼ばかり』の文子役に抜擢されたのかな?

それは、中田喜子さんが主演を務めた民放の朝ドラでの演技をプロデューサー・石井ふく子さんが目にし、声をかけたことがきっかけだったみたいよ!
40代以上(1993年~)
引用元:オフィシャルブログ
中田喜子さんは、2010年12月(当時59歳)から公式ブログをスタートしました。女優としての仕事の様子はもちろん、日常生活での発見や趣味のDIY、健康への取り組みなど、素顔に近い一面をファンに届けていました。
2010年12月26日のブログで、中田さんはピラティスに取り組んでいる様子を写真付きで紹介しています。
始めてから約5年が経つ頃で、継続の理由については、「長く続けられるのは、トレーナーの指導が良いから。」とコメント。信頼できる指導者のもとで、無理なく体を整えてきたことが伝わってきます。
上の画像は、その日のピラティストレーニング中の1枚です。トレーナーから「体が柔らかくなりましたね」と声をかけられているように、しっかりとしたフォームで取り組む姿が印象的です。背筋の伸びた姿勢からは、年齢を感じさせない若々しさと芯の強さが感じられますね。
引用元:MBSコラム
中田喜子さんは、TBS系『プレバト!!』の俳句査定コーナーへの出演をきっかけに、俳句の世界に魅了され、独学で学び始めました。
上の画像は、2022年7月21日放送(当時68歳)『プレバト!!』の俳句タイトル戦「炎帝戦2022」の決勝で、句「産声送信ドバイは大夕焼」で悲願の初優勝を果たした瞬間です。満面の笑顔で喜びを爆発させたその表情からは、俳句に込めてきた努力と情熱、そして長年の積み重ねが実を結んだことへの達成感が伝わってきます。
毎日の生活の中で「いい言葉が出てきたらノートに書き留める」、「夜中に句が浮かぶと寝ていられなくなる」と語るほど、俳句は今や“生活の一部”になっているそうです。
2023年10月2日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際(当時69歳)には、句作に熱中するあまり睡眠中に歯ぎしりをして歯が欠けてしまい、現在はマウスピースを使用しているという驚きのエピソードも明かしています。
それほどまでに日常のすべてが「俳句の材料」となり、常にアンテナを張り巡らせている様子がうかがえます。

中田喜子さんは、俳句の魅力をどのように感じているのかな?

「俳句を詠むようになって、日本語の美しさを再確認できますし、本当に良い脳トレになっています。」と魅力を感じているみたいよ!
【画像】中田喜子と旦那の離婚理由は?広瀬すずとそっくり?
中田喜子と旦那の離婚理由は?
引用元:NHKアーカイブス
中田喜子さんは、1979年(当時25歳)に結婚しています。お相手は、中田さんより12歳年上の広告制作会社「日本サン・フィルム」の社長、山崎英一さんでした。
ふたりの出会いは、山崎氏が制作を手がけたCMに中田さんが出演したことがきっかけでした。それから結婚に至り、約28年間の結婚生活を送りましたが、2005年(当時52歳)に離婚していたことが後に明らかになりました。
離婚理由については、夫の浮気が原因だったと報道されています。中田さん自身は公の場では多くを語っていませんが、「私がどうしても許せなかったんでしょうね。許してあげればよかったのに」などと振り返る言葉からは心の葛藤がにじみ出ています。
長年連れ添ったパートナーとの別れを経て、中田さんは自分らしい暮らしを大切にし、俳句やDIYなど、人生をより豊かにする活動に力を注いでいったのではないでしょうか。
上の画像は、中田喜子さんが結婚した頃、1980年3月から放送された土曜ドラマ橋田壽賀子シリーズ『離婚』のワンシーンです。奇しくも、自身の結婚直後に“離婚”をテーマにしたドラマへ出演された中田さん。柔らかな表情と凛としたまなざしからは、女優としてのプロ意識と表現力の深さを感じさせます。

お2人の間には、お子さんはいらっしゃったのかな?

子供はいないみたいよ!
中田喜子と広瀬すずはそっくり?
引用元:X#似ていると思う女優
— 夢郎(ぼうろう) (@FrTaxz) February 23, 2022
若き日の中田喜子と広瀬すず
ただ、似ているというだけ。中田さんの出ている「プレバト」がみたい。広瀬すずとよりと吉永さんよりは似ている。 pic.twitter.com/xAJWAOGdM5
引用元:X中田喜子の若い頃
— amuza (@amuza_dinotank) February 15, 2020
広瀬すずに酷似説。 pic.twitter.com/6eZdfpUjza
近年、SNSやネット掲示板を中心に「若い頃の中田喜子さんが広瀬すずにそっくり!」という声が数多く見られます。
特に10代〜20代前半の中田さんの写真を見ると、透明感のある素肌感や、パッチリとした目元、やや面長の輪郭など、確かに共通点が多く、驚くほど似ている印象を受けます。
当時の中田さんは、清楚で上品な印象を持ちながら、どこか芯の強さも感じさせる雰囲気が魅力でした。それは、どちらも“かわいい”だけでなく、“表現者としての存在感”を持つからこそ、より一層似て見えるのかもしれません。

ほかに、中田喜子さんに似ている芸能人はいるのかな?

アプリの比較で、TWICEのミナさんや吉高由里子さんなどが挙げられていたよ!
中田喜子のプロフィール・SNS
引用元:ホリプロ
プロフィール
- 名前:中田喜子(なかだよしこ)
- 本名: 山崎喜子
- 生年月日:1953年11月22日
- 年齢:71歳(2025年4月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:DIY、俳句
- 特技:日舞
- 所属事務所:株式会社ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
SNS
- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/nakada-yoshiko/


中田喜子さんにとって、DIYの魅力って何なのかな?

「こんなに変わった、こんなに素敵になったという達成感」みたいだね!