タレント、歌手、声優、イラストレーター、そしてYouTuberとして多彩な才能を発揮し続けている中川翔子さん。
かつて「しょこたん」として一世を風靡し、オタクカルチャーの枠を飛び越えてバラエティ、声優、歌手、女優と多彩な分野で活躍してきました。
2025年5月5日には40歳の誕生日を迎え、第一子の妊娠と個人事務所「miracle」の設立を発表するなど、新たなステージへと歩みを進めています。
今回は中川翔子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】中川翔子は若い頃かわいい!
10代(1995年~2005年)
引用元:X、X勝彦さん
— 🍉中川翔子🍉🐈⬛ (@shoko55mmts) August 28, 2019
写真まだまだ出てくる
お父さんらしいこと してくれてたんだ
幼すぎたせいで覚えてることが少ないので
記憶の断片を
見つかった写真からなんとか呼び起こしたい、もっともっと
パパ、というイメージは
この写真の頃、髪が長くネックレスしてる印象が強い、 pic.twitter.com/WQfR4OGH0r5歳!
— 🍉中川翔子🍉🐈⬛ (@shoko55mmts) April 26, 2017
セントラル子供タレントの子役だった時の写真でてきた pic.twitter.com/0eiwv0ciMY
中川翔子さんは、5歳の時からセントラル子供タレントに所属し、子役としてCMやドラマに出演していました。
この時のことを中川翔子さんは、「5歳くらいから子役をやっていたんです」と自身の芸能活動の原点を明かし、子ども時代に受けたあるオーディションの思い出をこのように語っています。
中川は5歳ごろから子役として芸能活動していたことを明かすと、安達がブレイクするきっかけとなった“具が大きい”のフレーズでおなじみのハウス食品「咖喱工房」のテレビCMオーディションに参加していたことを告白。中川は「最終オーディションで一騎打ちみたいになったんですよ」と話すと「“具が大きいって言って”って大人に言われて、“やーだ!”って言ったの覚えてるんですよ」と照れながら語った。
引用元:クランクイン
このことから中川さんはこんなに小さいころから芸能界で戦っていたことが確認できます。
また、子役の小学生時代については、「小学生のときは楽しく過ごしていました」「担任の先生がすごくいい先生で、勉強ができなくても一人ひとりの個性をほめてくれるクラスだったんです」ともお話しされています。
絵を描くのが好きだった中川さんは休み時間にずっと絵を描いて、その姿を見ていた先生が、運動会のしおりのイラストを任せてくれたことが、とても嬉しかった思い出だそうです。
上の1枚目の画像は幼少期の時のものです。中川さんの父は有名な歌手だったそうで、それでも時間を作って中川さんと一緒に過ごす時間を作っていたのですね。
2枚目の画像は、子役時代の5歳の時のものです。確かに安達祐実さんと一騎打ちになるほどの可愛さですね。
引用元:AERA Kids
中川翔子さんは、1997年(当時12歳)の時に、ネット掲示板で父・中川勝彦さんに関する根拠のない噂を目にし、大きなショックを受けました。そして、大切にしていたバースデーカードや写真を処分してしまい、さらに進学先の女子中学校では“オタク”という理由でいじめに遭い、不登校になるという経験をしました。
「そんなのしょうがないじゃない」としか言えなかった母にも当たってしまい今ではとても後悔されているそうです。
中川翔子さんは、この時のいじめについて、「母にさえ知られたくなかった。でも靴を隠されて先生に助けを求めたとき、悔しくて泣いてしまった」「好きなことまでやめたら、私は私じゃなくなると思った」とお話しされています。
学校での陰口や暴言、そして頼りにした先生にまで裏切られる中、「好きなことまでやめたら、私は私じゃなくなる」と思い、心の支えとなったのは、インターネットと、戦隊ヒーローや漫画といった“好きなもの”の世界だったとお話しされています。
毎晩、仕事から帰った母にネットで得た情報を一生懸命話す時間だけが、自分を受け止めてもらえる安心のひとときだったそうです。このことからも父を失った喪失感と、教室という居場所を奪われた苦しみ自分自身を守りながら踏ん張っていた姿が浮かび上がります。
上の画像は中学時代の時のものです。とても美少女ですよね。でも、この時代はいじめを受けて壮絶な時代だったと思うと安易には感想を述べられないですね。
引用元:X、YouTube加藤から送られてきたwwww
— 🍉中川翔子🍉🐈⬛ (@shoko55mmts) January 3, 2020
ポポロガールグランプリになったときの
16さいとか?19年前?ひい! pic.twitter.com/b9qOIZ0Uxi
中川翔子さんは、2001年(当時16歳)の時に、引きこもりがちだった自分を励まそうと連れて行ってくれた香港旅行で、偶然憧れのジャッキー・チェンに出会い、そこから芸能界デビューへとつながる大きな転機を迎えました。
この時中川さんは、「泣いていた私に、足をケガしていたのにジャッキーさんが“なんで泣いてるの?”って優しく来てくれて、“僕が払ったから食べなさい”ってごはんもごちそうしてくれたんです」とお話しされており、その出会いに深く感動し、勇気をもらったことが確認できます。
帰国後、母の知人の紹介でジャッキー・チェンの日本支部に所属し、レッスンを受ける一方で、「グラビアアイドルになったら人生が楽しくなるかもしれない」と思い、独学でメイクやポージングを研究しました。
そして、努力が実を結び2001(当時16歳)年のときには「ポポロガールオーディション」でグランプリも受賞しています。また、自身で「ミスマガジン」に応募し、見事「ミス週刊少年マガジン」に選出され、翌2002年(当時17歳)のときには本格的な芸能活動を開始しました。
夢と努力が重なり、一歩ずつ自分の居場所を切り拓いていった中川さんの原点には、16歳のあの“香港の奇跡”がありました。
上の1枚目の画像は2001(当時16歳)年のときに「ポポロガールオーディション」でグランプリも受賞の時のものです。あのいじめの中学時代からこのジャッキー・チェンとの出会いでここまで世界が変わったというのは本当に転機だったのですね。
2枚目の画像は2002年(当時17歳)のときにミス週刊少年マガジンに選出されたときのものです。本格的に芸能活動再始動ですね。

中川翔子さんの父は有名な歌手だったんだよね。

うん。父・中川勝彦さんは1980年代に活躍したロックミュージシャンで、ビジュアル系の先駆けとも言われているわ。
翔子さんは9歳の頃、闘病中の父と一緒に絵本を描いた思い出を「“しょうこも手伝ってごらん”と言われたのが忘れられない」と語っているの。
そして、誕生日には「いいぞいいぞ」と書かれたカードを贈られましたが、その約半年後、父は32歳の若さで亡くなったみたいよ。

中川翔子さんは、自身のいじめ経験から様々なところでいじめについて語られているよね。

うん。自身のいじめ体験をもとに、「いじめはどこにでもあるもの」という前提で大人が向き合うべきだと警鐘を鳴らしているわ。
「子どもは『いじめられている』とは言えないし、親にも知られたくなかった。だから限界まで我慢してしまう」見えにくいいじめの実態にもっと目を向けてほしいと訴えているの。
特に「10分の休み時間は、大人には短くても子どもにとってはとても長い」と、日常のすき間に潜む苦しみにも注意を促しているわ。
20代(2005年~2015年)
引用元:sony music、YouTube
中川翔子さんは、2004年(当時19歳)の時にに公式ブログ『しょこたん☆ぶろぐ』を開設し、オタク文化や日常をユニークな独自の言葉遣いでつづり頻繁な更新で注目を集めました。
このブログがきっかけとなり、2006年(当時21歳)の時に、アニメの主題歌シングル『Brilliant Dream』で突然歌手デビューが決まりました。
この時のことを中川さんは、このようにお話しされています。
まず、歌手デビューに至るいきさつから教えて下さい。
中川翔子(以降、中川):いや本当に突然「これ歌うことになりました」と言われて、「えっ!?」って。もうボイストレーニングとか一切なくだったので、「どうするんだ!?」という感じだったんですけど、でもアニメの主題歌ということで是非やりたいと思いました。アニメの歌とか大好きで、アニソンか80年代アイドルの曲かSOUL'd OUTしか聴いたことなかったんですけど、いきなりトランスだったので、「困った、どうしよう」と思いました。けど、歌っちゃうと結構、大丈夫でした。
芸能界に入る前から、歌手になりたいという願望はあったのですか?
中川:なかなか今の時代って、アイドルが歌を歌うっていうことがないじゃないですか。なので、想像はしてなかったですね。でも、いつかアニメの歌を歌いたいな、っていうのはコッソリ思っていました。
引用元:ライブドア
このことからこの歌手デビューは、アニメ好きの中川さんにとって大きなチャンスであったことが確認できます。
上の画像は2006年(当時21歳)の時に、歌手デビューした時のものです。ザ・アイドルという感じですが、曲を聞いてみると凄く前向きになる歌で筆者も元気をもらいました。
引用元:fashionsnap、ブログ
中川翔子さんは、2013年(当時28歳)の時に、自身の愛猫“マミタス”の名前を冠したファッションブランド「mmts(マミタス)」を、中野ブロードウェイ三階にオープンさせました。
ビームスやBIGIといった有名ブランドとの共同プロデュースで、中川さんの世界観を反映した“しょこたん語”や愛猫マミタスのイラストをあしらったTシャツ、月や星、リボンをモチーフにしたアイテムが揃い、ファンの心をつかみました。
この時中川さんは、「27年間中野生まれ中野育ちの私にとって、中野ブロードウェイにお店ができるなんて夢じゃない!!」と自身のブログでお話しされており、自らプランナーやデザイナーとして関わり、また一つ夢が叶ったことが確認できます。
上の画像は2013年(当時28歳)の時にファッションブランド「mmts(マミタス)」を設立した時のものです。自分の世界観を愛ネコをモチーフに取って表現出来て本当に嬉しかったでしょうね。
引用元:Amazon
中川翔子さんは、2010年(当時25歳)の時に、初主演映画『恋の正しい方法は本にも設計図にも載っていない』で、主演女優として新たな挑戦を果たしました。
この時、中川曙子さんは、このようにお話しされています。
本作で初主演を務めたことについて「監督とお会いして1週間後に撮影開始で、しかも主題歌も歌うということでギョッとなりました。撮影中は初めてブログも書けなくなってしまいましたし、緊張からか4kgも痩せてしまいました。でも、人生の中でも大きくて新しいチャレンジになりました」セリフについて、「歌詞は入ってくるけど、セリフは覚え方が解らないので、中学3年生以来、受験用のチェックシートを買って覚えました。でも台本が真っ赤になりすぎて、共演の金子さやかさんや鈴木裕樹さんからは爆笑されました」
また、一番印象に残っているシーンを中川は、「ネルにデンプシーロールを決めるシーンは、監督とお客さんが笑ってくれるといいねと言いながら撮影したのですが、試写会の時に、誰も笑っていなくて、“大丈夫かな?”と思ってしまいました(笑)」
「血が出るくらい歯を磨いたし、フリスクも1箱全部食べてしまいました。私の人生の中でも大スペクタクルロマンでした!」と語った。最後に中川は、「人生も恋も、一歩踏み出そうという勇気が持てる素敵な経験をさせていただきました。皆さんも恋や人生に臆病になった時、この作品のキーワードを思い返してもらうと勇気が出ると思います」
引用元:MOVIE WALKER
このことから初主演ならではのプレッシャーと成長を感じていたことが確認できます。
上の画像は2010年(当時25歳)の時に、初主演映画『恋の正しい方法は本にも設計図にも載っていない』の時のものです。次々と新たな中川さんの姿が見れてファンの方々も嬉しかったでしょうね。

中川翔子さんは、『しょこたん☆ぶろぐ』ってどういうものなのかな?

『しょこたん☆ぶろぐ』は、中川翔子さんが2004年(当時19歳)からスタートした公式ブログで、1日数十回も更新することもあったほど、とにかく熱量がすごいブログなんだ。
アニメ、ゲーム、特撮、猫など、大好きなものを惜しみなく発信していて、特にネット文化を世に広めた存在でもあるの。
代表的なしょこたん語には、「ギザカワユス(すごくかわいい)」「ぬこ(猫)」「バロス(爆笑)」などがあり、ファンの間でも親しまれてきました。
このブログがきっかけで、テレビ出演や歌手デビューなど多くのチャンスが広がり、彼女の20代の活躍を支える大きな土台となったみたいよ!
30代(2015年~2025年)
引用元:X、YouTube#死ぬんじゃねーぞ 買ってきた!私が本屋さんに滞在した2分の間で、3冊売れてた!これからじっくり読もう。「いじめられてる君はゼッタイ悪くない」って言い切ってくれる人が近くにいたら、気持ちがとっても楽になるだろうなぁ。私が中学生の頃は「いじめられてる人に問題がある」って言われてた。 pic.twitter.com/OWoAN2bjLS
— ゆみたす (@_stmy) August 9, 2019
中川翔子さんは、2019年(当時34歳)の時に、自身のいじめ体験をもとにした著書『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』を出版しました。
この時中川さんは、「いじめは思春期の衝動でどうしても起きてしまうものだけど、命を守ることはできるはず。子どもたちは1年中悩んで戦っているから、何か手元に残せるものを作りたいと思っていた」とお話しされており、著書を通じてしょこたん語でいう“隣れる言葉”を届けたいという思いが確認できます。
上の画像は2019年(当時34歳)の時に出版した「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』の時のものです。この本の出版はファンだけではなく、いじめで辛い思いをして来た沢山の方々の救いにもなったと思います。
引用元:X、NEWSポストセブン大好きな憧れの、ハワイで
— 🍉中川翔子🍉🐈⬛ (@shoko55mmts) October 12, 2023
ロイヤルハワイアン ピンクパレスでフォト、カハラホテルのチャペルで結婚式でした ハワイの優しい風と光
フォーシスさんのドレス、
真っ白と パステルレインボーと ラプンツェルみたいなラベンダーでした pic.twitter.com/6p7VzAglkw
中川翔子さんは、2023年(当時38歳)の時に、同年代の一般男性との結婚を発表しました。
この時中川さんは、「同年代で、動物が大好きで夢に向かって働く姿を尊敬しています」とお話しされており、結婚相手が自分の仕事を全力で応援してくれることや「もし辛かったら全部支えるからね」という言葉に感動したことも明かしています。
さらに、SNSでは「しようこはレベルがあがった!無事レベル38になりました!」とユーモアを交えてファンに報告し、「これからもコツコツやって100万人目指して頑張ります!」と、変わらない前向きな姿勢を見せていました。
YouTube登録者数の減少にも「人間の根本はなにも変わらない」と語り、ファンとの絆を大切にしたいという気持ちが確認できます。
上の画像は2023年(当時38歳)の時に結婚した時のものです。一枚目の画像では、もう本当のプリンセスですよね。
2枚目の画像では幸せ感が文章でも強く伝わってきますね。
引用元:ENCOUNT、YouTube
中川翔子さんは、2024年(当時39歳)の時に、左耳下にできた「耳下腺腫瘍(じかせんしゅよう)」の手術を受けたことをYouTubeで明かしました。
この時中川さんは、「5年前から左耳の下に硬いものがあって、骨だと思っていたら大きくなってきて、検査で“悪性化の可能性”や“顔面麻痺のリスク”を告げられました」と語り、芸能活動への影響も覚悟したことが確認できます。
「顔面麻痺になったら引退だな」と決意し、全身麻酔で手術を受けた中川さんは、「口が動いて本当に泣きました」と振り返り、「先生がゴッドハンドで、傷跡も目立たず感謝しています」と語り、命と仕事を守るために大きな決断をしたことが伝わります。
「今日が当たり前じゃない」と命の大切さを改めて実感し、動画では「“いのちだいじに”でいてください。そのあと“ガンガンいこうぜ!”で」とファンへ呼びかけ、健康の大切さを訴えました。
上の画像は2024年(当時39歳)の時に、「耳下腺腫瘍(じかせんしゅよう)」の手術を受けたことを明かした時のものです。結婚と同時期ですよね。きっと旦那様がそばで支えて下さったのでしょうね。
一時は引退も考えたとのことでしたが、復帰してくださって本当良かったです。

中川翔子さんは本名を改名したんだよね。

うん、2023年に家庭裁判所に申請して、芸名と同じ「翔子」に正式改名したんだって。
実は出生時、「薔子」にする予定だったけど役所で使えないと言われ、叔母がひらがなで「しようこ」と殴り書きしたためそのまま登録されてしまったそうなの。
それで結婚を機に長年の悩みを解消し、SNSで「しようこじゃなく翔子です!!バンザイ!!!」と喜びを報告しているわ。
「翔」の字は、父や楳図かずおの『漂流教室』の主人公からの思い入れで選んだそうよ。

中川翔子さんはWしょうこでデュエットしたんだよね。

うん、2023年にNHK Eテレ特番『テレビ放送70年おかあさんといっしょから見るこども番組』に出演し、第19代うたのおねえさん・はいだしょうこさんと夢のデュエットを果たしたの。
中川さんは番組で「一生のお願いです!」とリクエストし、童謡「おもちゃのチャチャチャ」をデュエット。
歌い終わるとガッツポーズで「今年一番の幸せ。しょうこ界の神!」と大興奮でコメントし、ファンからも「ダブルしょうこ可愛い!」と大きな反響を呼んだみたいよ!
40代以上(2025年~)
引用元:Instagram、Instagram
中川翔子さんは、2025年5月5日(当時40歳)の誕生日に、第1子の妊娠を公式ファンクラブサイトで発表しました。
この時中川さんは、「中川翔子、なんとおなかに新しい命を授かりました。レベル40にして、とても大きな転機だなと思っています」とお話しされており、初めての妊娠を迎える期待とともに、新しい人生のステージへの決意が感じられる内容でした。
「今はお医者様と相談しながら仕事をしています。体調の変化など気をつけながら、無事に産まれて来てくれることを願いながら様々な想いをつなぐのが楽しみです」と語り、母となる準備とともに芸能活動も続けていく強い意志が確認できます。
また、同日開催のバースデーライブでも「お腹の中に新しい命を授かりました」と改めてファンに直接報告し、SNSでも「親としての気持ちも学びながら子供たちに寄り添うために頑張ります」と決意を語っていました。
上の画像は2025年5月5日(当時40歳)の誕生日に、第1子の妊娠を発表した時のものです。一枚目の発表文の画像からは嬉しさがとても伝わるし、2枚目の画像は何か聖母マリア様のように感じました。

中川翔子さんは、声優も務めているんだよね?

そうだよ。中川翔子さんは歌手やタレント活動だけでなく、声優としても幅広く活躍してるの。
ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』では主人公ラプンツェルの日本語吹き替えを担当し、その透明感のある歌声と演技が高く評価されているわ。
また、『映画ドラえもん のび太の人魚大海戦』ではソフィア役を務め、ポケモン映画シリーズでも『ギザみみピチュー』や『ニャース』など複数の役で出演しているの。
主演映画『ヌイグルマーZ』やゲーム作品『スーパーロボット大戦』シリーズなど、アニメやゲームでも声優として多彩な役柄に挑戦し、マルチな才能を発揮しているみたいよ!
中川翔子さんが所属する”miracle”には他に誰が所属してる?
引用元:スポニチアネックス
中川翔子さんは、これまで所属してきたワタナベエンターテインメントとは業務提携の契約に切替、新事務所である株式会社miracleを設立し、所属しています。この事務所には中川さん以外のタレントは所属していません。
【画像】中川翔子の旦那はパイロット?第一子は双子?予定日は?
中川翔子の旦那はパイロット?
引用元:スポニチアネックス
中川翔子さんは、2023年(当時38歳)の時に、同年代の一般男性との結婚を発表しました。
引用元:YouTube
この時中川さんは、YouTubeで「芸能界の方ではないけれども、とても尊敬しています。私のお仕事もすごく応援してくれて、はじめに出会った頃に『お仕事続けるなら全力で応援するし、もし辛かったら全部支えるからね』って言ってくださって、『なんて懐の広さ!えー!』ってなった」とお話しされており、相手の理解と優しさに支えられていることが確認できます。
また、お相手は「竹野内豊似の会社員」と報じられていますが、実は国際線のエリートパイロットであることが知人の証言からも明らかになりました。
「優秀でかっこいい上に性格がよくて、みんなから慕われている。まさに非の打ち所がない男性」と知人が話しており、中川さんにとって大切な支えとなっているようです。

中川翔子さんの結婚のなれそめは?

2022年夏頃、仕事関係で知り合い、相手の男性から積極的にアプローチされたそうなの。
最初は何人かで食事をする中で彼の誠実さに惹かれていき、「お仕事を全力で応援するし、もし辛かったら全部支えるからね」と言ってくれたその優しさが大きな決め手になったみたい。
中川さん自身も「夢に向かって働く姿を尊敬しています」と話していて、お互いを支え合える関係を築いていったそう。
さらに、一番の決め手となったのは、唯一の生きがいだった愛猫が急に心臓病で亡くなった時、一緒に泣き、一緒に寄り添ってくれたことだったそうです。「こんなふうに寄り添ってくれる人は他にいないと思って、結婚が決まった」とも語っていて、愛猫がつないでくれたご縁だったことが分かるわ。
中川翔子の第一子は双子?予定日は?
引用元:Instagram
引用元:中日
中川翔子さんは、第1子妊娠を発表した際に一部報道で「双子では?」と注目を集めました。親しい関係者が「双子を妊娠していると聞いています」と明かしたことがきっかけでしたが、中川さん自身は双子であるかどうかや予定日について正式なコメントは出していません。
ただ、中川さんはインスタグラムやYouTubeで「日々体調が変化している」「妊娠中はHPの減り方が笑っちゃいます」と、初めての妊娠生活に奮闘する様子を語っており、安定期に入っていることも伺えます。
また、バースデーライブやSNSでは「レベル40にしてとても大きな転機」とコメントし、新しい命の誕生を前向きに迎える気持ちをファンに伝えていました。
現時点では、第一子が双子かどうかや具体的な予定日についての公式発表はありませんが、中川さんの言葉からは、母になる覚悟と喜び、そして命を大切に思う気持ちが強く感じられます。

中川翔子さんは、妊娠発表後に体の不調を訴えていたんだよね?

うん。中川翔子さんは第1子妊娠発表後、足のむくみや体調の変化をインスタグラムで明かしたよ。
「むくみがエグい」と投稿し、病院へ行ったことや着圧ソックス・減塩自炊で改善したことを報告していたの。
さらに「毎日自分の身体と闘っている感じ」と、妊娠中の体調管理に奮闘する様子を語り、ファンからは「無理しないでね」「元気な赤ちゃん楽しみにしています」と温かい声が寄せられてわよ。
中川翔子のプロフィール・SNS
引用元:NEWSポストセブン
プロフィール
- 名前:中川 翔子(なかがわ しょうこ)
- 生年月日:1985年5月5日
- 年齢:40歳(2025年5月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:パソコンでイラストを描くこと
- 特技:ヌンチャク、イラスト
- 所属事務所:miracle
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/shoko55mmts
TBSラジオこねくと 生放送ありがとうございました!
— 🍉中川翔子🍉🐈⬛ (@shoko55mmts) May 19, 2025
麻雀🀄️スイカ🍉トワイライトウォリアーズ
好きなことの話しかしてない!
あっという間で楽しかった〜
元マネージャー矢島さんから素敵なプレゼント🎁いただいて感激!SK-II嬉しい〜美容がんばる!! pic.twitter.com/X8j7OhajAi
@nakagawashoko みんなもこんなことってない??😂 #しょこたん ♬ ショパン ノクターン第2番 ピアノ演奏 - moshimo sound design
- YouTube URL:https://www.youtube.com/watch?v=ooj4qbJP1LA
- オフィシャルサイト URL:https://www.shokotan.jp/

- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/nakagawa-shoko/


中川翔子さんがYouTubeを始めたきっかけは?

コロナ禍で仕事が激減し「人生が終わった」と感じた中川さんは、自宅でできることとしてゲーム実況を始め、好きなことを自由に発信できる楽しさを再発見したそうなの。
これがYouTubeチャンネル開設のきっかけとなったみたいだね!