【画像】中井貴一は若い頃イケメン!嫁との馴れ初め・子供がいないのはトラウマのせい?

1981年から俳優・歌手・ナレーターとして活躍を続けている中井貴一さん。

数々の映画やドラマに出演し、主演男優賞や助演男優賞を受賞されてきました。

今回は中井貴一さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】中井貴一は若い頃イケメン!

幼少期・10代(1961年~1981年)

引用元:MEN'S-EX ONLINE

中井貴一さんは1961年の東京都で、俳優の佐田啓二(本名・中井寛一)さんと中井益子さんの長男として生まれました。ご兄弟はお姉さんが1人いて、女優・エッセイストの中井貴惠さんです。「貴一」というのは映画監督の小津安二郎さんによって名付けられたものです。

上の画像は、ご両親と一緒に蓼科の山荘を訪れた2歳の中井さんの写真です。中井さんはこの頃にお父さんを交通事故で亡くしています。

学校は成蹊中学校・高等学校を経て成蹊大学経済学部を卒業されました。学生時代はテニスに熱中し、赤面症のため俳優になることは考えもしなかったそうですが、お父さんの17回忌法要の時にスカウトされて俳優の道に進みました。

「男の子は父親の後ろ姿を見て育つと言うが、僕には父親の後ろ姿がなかった。
だから、学生の頃に俳優の仕事が舞い込んだ時に『父の後ろ姿が見たい』と思った。
とりあえず監督の面接に行ったもののやっぱり断ろうと思っていたところ、なぜか最終的に『イエス』と言ってしまった。
あの一瞬、父に背中を押されたとしか思えない不思議な感覚だった。
それ以来『俺がやれなかった役を代わりにやってくれ』と父から言われてるような気がして俳優を続けている。
これまで公に話したことはないけど、40年間ずっとそう思い続けてきた」
引用元:Wikipedia

引用元:X

上の画像は、1981年の映画「連合艦隊」に出演された19歳の頃の中井貴一さんです。これが中井さんのデビュー作です。

こちらの映画は「本郷家」と「小田切家」という、連合艦隊に関わった2つの架空の家族を中心にして時代と世相を描いており、実質的な主役は本郷英一・本郷眞二・小田切武市・小田切正人の4人です。中井さんは小田切正人を演じました。

有名俳優を親に持つと比較されることも多かったようで、お母さんからは「パパの方が何倍も2枚目」と言われ、仕事先でも「お父さんは2枚目だったのにねぇ……」と何度も言われて心が折れそうになったと話しています。

確かにお父さんとは種類が違うお顔立ちですが、中井さんもかっこいいですよね!

けん

お父さんの17回忌法要でスカウトしてきたのって誰だったんだろう?

のぞみ

映画監督の松林宗恵さんだったんだって!中井さんのデビュー作になった「連合艦隊」も松林さんの監督作品だよ。

20代(1981年~1991年)

引用元:スポニチアネックス

こちらの画像は、1983年から1997年にかけて放送されたテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」の出演者さん達です。1983年の写真で、中井貴一さん(右から2番目)は当時21歳です。

タイトルの「ふぞろいの林檎」とは社会が求めるような規格に当てはまらない落ちこぼれの登場人物たちを指し、ある架空の四流大学を舞台に、学歴が恋愛や進路に暗い影を落としながらも、それを懸命に乗り越えようとする若者の姿を描いた作品です。

中井さんは主要人物の仲手川良雄を演じました。とにかく気が弱く人に優しすぎる不器用な青年で、奔放な女性や訳ありの女性に翻弄される役です。

こちらのドラマは第13回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 脚本賞を受賞しました。

引用元:産経新聞

上の画像は、1986年(当時24歳)の映画「キネマの天地」の記者会見に臨む出演者さん達と監督です。中井貴一さんは一番左です。

サイレント(無声)からトーキー(音声付き)へと移り変わる、映画の過渡期だった昭和8年(1933年)頃の松竹キネマ蒲田撮影所を舞台にしたこの映画は、松竹大船撮影所50周年を記念して公開されました。

蒲田撮影所の所長・城戸四郎さんがモデルとされる城田所長の下、監督やカメラマンなどのスタッフさん、俳優さん達が映画に情熱をささげる姿が生き生きと描かれています。中井さんは助監督の島田健二郎を演じました。

田中絹代さんがモデルの田中小春がエキストラとして映画に出演することになりますが、素人ゆえに上手くいかず監督に怒鳴られて泣きながら家に帰ります。

そこへ島田が迎えに行って「女優になりたがる娘はいっぱいいるけど、女優にしたい娘はそんなにいるもんじゃない」と話します。その言葉で再び女優の道を歩み始めるというストーリーです。

引用元:NHKアーカイブス

1988年(当時27歳)には、NHK大河ドラマ第26作「武田信玄」の主演を務めました。これが中井貴一さんの大河ドラマ初出演でした。初回視聴率42.5%、最高視聴率49.2%、平均視聴率39.2%を記録し、大河ドラマ史の絶頂期を形作りました。

当初、信玄役には松平健さんが予定されており、また役所広司さんも候補に挙がっていて、中井貴一さんは上杉謙信役としてオファーを受けていたそうです。

突然の主役抜擢に驚いたことや、前年の「独眼竜政宗」の大成功からくるプレッシャーの大きさ、自分の顔が従来の信玄の肖像画とは大きく違うことなどに戸惑いを感じたことを当時の思い出として語っています。

また、本作で信玄を演じてからは武田信玄について聞かれると自分のことのように思えるとも語っていました。

けん

「武田信玄」の大人気ぶりは、信玄公の地元である山梨県の人達も嬉しかっただろうね!

のぞみ

日曜8時からのドラマだから、「山梨で日曜の8時過ぎに(家で武田信玄を見ないで)外を歩いている人間はおかしい」という冗談まで出るくらいだったみたいだよ!

30代(1991年~2001年)

引用元:Bunkamura

1993年(当時32歳)には、ひこ・田中さん原作の小説「お引越し」の映画版で、主役の漆場レンコの父親・漆場ケンイチを演じました。上の画像はその時のものです。

小学6年生のレンコはある日両親が離婚を前提とした別居を決め、父親が家を出ました。最初は「家が2つ出来た」と喜んでいて両親の離婚がピンときていませんでしたが、新生活を始めようと契約書を作る母親や、父親との間に挟まれ心がざわついてきます。

離婚届を隠す、自宅で籠城作戦を決行するなど、揺れ動く11歳の少女の気持ちの葛藤と成長を、周囲の人々との交流を通して描くドラマとなっています。

中井貴一さんはこちらの映画について、このようにコメントしています。

「『お引越し』は、一ヶ月、京都ロケ。しかも、お盆時期。
インバウンドの盛んな今ほどではないが、実際の大文字山をバックに撮影などとは、車量、人の数からして正気の沙汰ではない。
それを、平然と実行するのが、相米組の凄さ。
まだまだ、話すエピソードの尽きぬ、思い出の映画である。
最も敬愛し、最高の友人でもあった相米慎二の凄さを、再び体感してほしい。」
引用元:Bunkamura

引用元:FOD

中井貴一さんは、1999年(当時38歳)のテレビドラマ「セミダブル」で主演を務めました。タイトルの「セミダブル」には「シングルベッドでは寝にくい、でもまだダブルベッド(=結婚)でもない」という意味が込められています。

龍居由佳里さん脚本・栗原美和子さんプロデュースによる本格ラブストーリーで、つんく♂さんとビビアン・スーさんにとって初のドラマ出演作です。

中井さんは大学の文学部心理学の教授・神宮寺を演じました。幼い頃に両親が離婚し母に虐待されて育ったためか、自分の研究にしか興味がない冷徹な性格で口調もぶっきらぼうなので、学生や同僚達から恐れられています。

乳癌で雑誌モデルを辞めた風間美咲を愛するようになりますが、10話で自分が末期癌であることが分かって最終話で入院します。

平均視聴率は13.1%で、毎回放送終了時に「このドラマはフィクションです。様々な病と闘い、逆境を乗り越えて前向きに生きている多くの方々を応援する番組です。」と表示されていました。

けん

ミキプルーンのイメージキャラクターになったのはこの頃からかな?

のぞみ

そうだね!1996年、35歳の時からイメージキャラクターを務めているよ。
長く愛される商品になってもらうために、老若男女から支持されている中井貴一さんが起用されたみたい。

40代以上(2001年~)

引用元:X

中井貴一さんは40代に入ってからも映画やテレビドラマでの主演を数多く務めました。2005年(当時44歳)には脚本家・山田太一さん原作の小説「終りに見た街」のテレビドラマ化がされて、こちらの作品でも主役のシステムエンジニア・清水要治を演じました。

一家の大黒柱として妻や子供達や愛犬と幸せに暮らしていましたが、ある日妻が「外が森で近所の家が無い」と言い出し、確かめてみると妻の言葉は事実でした。

森を抜けた先にも街は無く、不審に思って掲示板を見るとポスターに「昭和19年」と記されています。そこへ旧友の宮島敏夫から電話がかかってきて、彼の一家も昭和19年にタイムスリップしていたということが判明しました。

未来から来た人間の義務として、当時の人々にこれから起こる東京大空襲の危険を知らせようと、ある計画を実行に移していくというストーリーです。

戦争を体験した最後の世代である山田太一さんが、戦火の絶えない世界へのメッセージとして1982年放送の同題のドラマを自ら“現代版”に再執筆した内容となっております。

引用元:FOD

中井貴一さんは、2012年のテレビドラマ「最後から二番目の恋」で主人公の長倉和平を演じました。

古都・鎌倉を舞台とした45歳独身女性と50歳独身男性が繰り広げる恋愛青春コメディですが、従来の恋愛ドラマのように男女の恋模様に力点を置かず、ホームドラマ的な世界観の中でそれぞれの抱える仕事上の問題や過去のエピソードを通じて、主役二人の関係や絆が深まっていくという内容です。

テレビ局のプロデューサーである吉野千明は親友二人と鎌倉の古民家で暮らす約束をすっぽかされて一人暮らしを始め、その隣の家の長倉家に中井貴一さん演じる長倉和平も住んでいるという設定です。

長倉家の個性的な4兄弟と触れ合ううちに千明の独身生活は賑やかで充実したものになっていき、長倉家4兄弟も千明の出現によりそれぞれ考え方が変化していくというストーリーです。

引用元:FOD

2019年には、映画「記憶にございません!」で主演を務めました。

東京都内の病院で目を覚ました男は記憶喪失になっていましたが、秘書官を名乗る者たちに「お迎えにあがりました、総理」と言われたことで自分が総理大臣だと知ります。テレビを見ると演説の最中に傍聴していた一般人から投石を受けて病院に直行する自分が映っていました。

金と権力に目がなく史上最低の支持率2.3%を叩き出した嫌われ者の総理大臣・黒田啓介から、一夜にして普通のおじさんになってしまいましたが、国民はもちろん大臣や家族にさえ記憶喪失のことを隠して毎日の公務をギリギリこなしていく……というストーリーです。

中井貴一さんはこの映画で、第43回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞・第44回報知映画賞 主演男優賞・第62回ブルーリボン賞 主演男優賞を受賞しました。

けん

中井貴一さんが病人の役を演じてたのってこの頃だったかな?

のぞみ

病人を演じたのは2008年のドラマ「風のガーデン」だね!末期癌患者役のために、半年間のキャベツダイエットで9kg痩せたんだって。
普通の体型から9kgも落とすのは大変だっただろうね。

中井貴一さんが所属する”OFFICE-NAKAI”には他に誰が所属してる?

中井貴一さんの所属するOFFICE-NAKAIには、他の所属芸能人はいません。中井さんは過去にも他の芸能事務所に所属されていたことはありません。
デビュー時は大学生でしたが、「事務所に所属すると学業が疎かになる」という思いから個人で事務所を立ち上げたそうです。

【画像】中井貴一と嫁の馴れ初めは?子供がいないのはトラウマのせい?

中井貴一と嫁の馴れ初めは?

引用元:MANTAN WEB
引用元:ORICON NEWS

中井貴一さんは2000年、39歳の誕生日に一般女性の吉谷麻友子さんという方とご結婚されました。報道によると中井さんより6歳年下の元会社員で、スポーツ用品メーカー勤務だったとのことです。

芸能人同士の結婚だと知り合うきっかけは共演や紹介など色々ありますが、お相手が一般女性だと、どのように知り合ったかが気になる方も多いのではないでしょうか。

お2人は1998年に開かれた中井さんの誕生日パーティーで知り合ったようです。吉谷さんは、中井さんのお友達の同僚として参加されていたのだとか。

あるインタビューでは、「結婚の決め手の1つは立ち食いそばデートだった」と話しています。交際開始から間もない3回目のデートの時、大変なお仕事が重なっていた中井さんはかなり疲れていて、銀行にも行けないくらいで時間にもお金にも余裕が無い中で立ち食いそばデートを提案したのだとか。

学生時代から通っていた立ち食いそばのお店で吉谷さんが「おいしいね」と食べてくれて、「これならやっていける」と思ったそうです。

これには「お金がかからない女性かどうかを確かめた」というような意図は全く無く、「役者としてリアルな日常を演じるために実際の生活感を知っておきたい」という気持ちで、庶民的なお店にも自分の足で行くことを大切にしている中井さんならではの価値観だと思われます。

けん

中井さんの奥さんは一般女性ということでメディアに顔を出していないみたいだけど、どういう雰囲気の人なのかな?

のぞみ

「女優の石田えりさんに似てる」という噂があるよ。関係者の中では「落ち着いた綺麗な女性」と評判なんだって!

中井貴一に子供がいないのはトラウマのせい?

引用元:西日本新聞
引用元:めざましmedia

上の画像は、テレビドラマ「続・続・最後から二番目の恋」で13年前から親子役を演じている中井貴一さんと白本彩奈さんの写真で、中井貴一さんにはお子さんはいません。

「なぜ子供を持たなかったのか」と質問された時の中井さんは、「子供を育てる責任の大きさを考えると自信が無かった」「親としての覚悟が無いまま子供を持つのは失礼だと思った」「子供に自分と同じ思いをさせたくない」と答えています。

また、父親である佐田啓二さんを2歳の頃に亡くした経験も大きく関わっているようです。父親が37歳で亡くなったため、「人生はたったの37年で終わってしまうこともある」「自分もそうなるのかもしれない」と考え、結婚もお父さんの年齢を超えるまでは決意出来なかったようです。

子供について聞かれた時の「子供に自分と同じ思いをさせたくない」という答え方にも、やはり「自分も突然この世を去ることになるかもしれないから」という思いが滲んでいるように感じられます。

また、テレビ番組で「神様がいるなら、子供を持つことで大人になりなさいという人には子供を与え、子供の頃から背負うものがあって大人にならないといけなかった人には与えない、と采配している気がする」とも発言されています。

物心がつくかどうかの幼い頃から辛い思いをしてきた経験から、子供や家族について深く考えるようになったのではないでしょうか。

けん

中井貴一さんって、「娘がいる」っていう噂があったけど……。

のぞみ

中井さんは姪っ子と仲が良くて、とても可愛がっていたから次第にそういう噂になっていったみたいだね。

中井貴一さんがデビューした1981年はこんな年だった!

引用元:CHIHIRO ART MUSEUMファミリーマートJIJI.COM

中井貴一さんがデビューした1981年は、「『窓ぎわのトットちゃん』大ヒット」「ファミリーマート開業」「チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、カタログ文化にかぶれた若者のことを表す「クリスタル族」でした。

中井貴一のプロフィール・受賞歴

引用元:映画ナタリー

プロフィール

  • 名前:中井 貴一(なかい きいち)
  • 生年月日:1961年9月18日
  • 年齢:63歳(2025年5月現在)
  • 出身地:東京都
  • 身長:181cm
  • 血液型:A型
  • 趣味:無し
  • 所属事務所:OFFICE-NAKAI

受賞歴

  • 1981年:第5回日本アカデミー賞 新人俳優賞
  • 1983年:エランドール賞 新人賞
  • 1989年:第10回松尾芸能賞 優秀賞
  • 1990年:第15回おおさか映画祭 主演男優賞
  • 1994年:第23回ベストドレッサー賞・第18回日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞・第19回報知映画賞 助演男優賞・第68回キネマ旬報ベスト・テン 助演男優賞
  • 1995年:第19回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞
  • 1998年:第20回ヨコハマ映画祭 主演男優賞
  • 1999年:第23回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞
  • 2003年:第16回日刊スポーツ映画大賞 石原裕次郎賞 主演男優賞・第27回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
  • 2005年:第29回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞
  • 2008年:第18回橋田賞
  • 2009年:東京ドラマアウォード2009 主演男優賞
  • 2012年:第75回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞
  • 2014年:第38回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞
  • 2018年:第44回放送文化基金賞 演技賞
  • 2019年:第43回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞・第44回報知映画賞 主演男優賞・第62回ブルーリボン賞 主演男優賞
  • 2020年:紫綬褒章
  • 2022年:第32回日本映画批評家大賞 主演男優賞
けん

趣味が無いって言ってる芸能人は珍しい気がする……。

のぞみ

「仕事が趣味?」って聞かれるらしいけど、仕事は仕事だと思ってるからまた違うんだって。
「趣味を持とう」と思うこともあるものの、趣味は持とうとして持つものじゃなくて自然にハマっていくものだと考えているから、その時を待っているみたいだよ。

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