【画像】中島美嘉は若い頃美人!元旦那との離婚理由は子供?夫との馴れ初めは?

歌手、俳優、声優で活躍を続けている中島美嘉さん。

18歳の時にシンデレラの様に芸能の世界へ導かれて俳優、歌手としてデビューをし、これまで数々の賞や記録を残し、また、カッコいい女性として君臨してきました。

今回はそのカッコいい中島美嘉さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】中島美嘉は若い頃美人!

10代(1993年~2003年)

引用元:Instagram

中島美嘉さんは、中学時代はベリーショートでした。上の画像は中学時代の時に友人と撮ったもののようで、片付けをしていたらでてきたそうです。

中学の時の自分みっけ!笑隣の2人元気かなぁ〜今日も元気にライブがんばります!」と当時を思い出しながら、ライブに向かったみたいです。懐かしい写真に元気パワーをもらったのでしょう!ショートカット姿がカッコ可愛いですよね。

ファンからも「中学生に見えない!」「かわいさがすでに出来上がってる」「昔から変わらず美人!」などのコメントが上がっていました。

中島さんはご自身の性格についてこのようにお話しされています。

私の長所であり短所は、流行りを知らないことです。流行っているものが自分に似合うとは思わないし、嫌で逆らっているつもりもない。私の中では、古いものと新しいものが混在しているのが普通です。音楽に関してもそう。好きか嫌いかしかわからない。

引用元:CREA

好きか嫌いかで判断する、というとてもシンプルだけど、実はとても自分に素直な生き方ですよね。中島さんはそうやってご自分に素直に生きてきたのだと思います。だからブレていないのですね。

幼いころのロールモデルについては、身近な「かっこいい女性」といえば母親や姉だそうです。

社会に出るまでは「普通の親」だと思っていましたが、ご自身がアルバイトを始めたり、周囲に大人が増えるにつれて、親の凄さに気付いたみたいです。特に母親には憧れがあり、言われたことを今でも覚えていて、「あの人みたいになりたい」と思っていたので、母親の言う事を素直に聞いてきたとお話しされています。

母親から言われたことで心に残っている言葉を紹介しています。

よく言われていた「借りたものは、借りた時よりも綺麗にして返しなさい」というのは、今でも思い返す自分の礎になっているような言葉です。言葉の通り、“何か物を借りたら丁寧に扱って綺麗にして返す”のも大切ですし、最近の私の解釈は、“自分の体も借り物でちゃんと綺麗にして神様に返さないといけない”ということ。ちょっとスピリチュアルになっちゃいますけど(笑)。でもその母の言葉があったから、なにごとも綺麗に返すために準備が必要だと考えるようになりました。大人になった今にも繋がっている、ヒントのような言葉を幼少期から投げかけてくれた母に感謝しています。

引用元:ビルボードジャパン

中島さんが人気なのは、幼いころからカッコいい女性をロールモデルにしていたからなんですね。そして、現在は中島さんがファンの方のロールモデルになっているのでしょうね。

引用元:YouTubeX

中島美嘉さんは、2001年(当時18歳)の時に、ドラマ『傷だらけのラブソング』(フジテレビ系)で3000人の中から選ばれてヒロインとして俳優デビューをしました。

同時にソニー・レコードが主催するボーカルオーディション「SD SINGERS REVIEW」に合格していました。初めてレコード会社に送ったデモテープがきっかけだったと言われています。

手にした役柄は、かつて売れっ子だった音楽プロデューサーに見出され、スターへの階段をのぼっていく歌手だったので、同時に主題歌『STARS』で歌手デビューも果たしました。歌詞は、秋元康さんが手がけ、オリコン初登場3位と、新人としては異例の60万枚を超える大ヒットとなりました。

上の画像は2001年(当時18歳)の時のドラマ『傷だらけのラブソング』で同時に俳優と歌手デビューした時のものです。正しくWのシンデレラストーリーですよね。当時、筆者も凄い歌姫が出て来たと注目していました。

この時のことを中島美嘉さんはデビュー当初、「3年で辞める」と思っていたそうで、歌手を一生の職業にする実感はな「こんなに続くとは思わなかった」そうです。

そのうち辞めてバイト生活に戻るだろう」と考えていたため、「この状態が続くと思うなよ」とデビュー当時から自分に言い聞かせていたとお話しされています。急に生活が目まぐるしく変わったことが確認できます。

中島美嘉さん
引用元:YouTubeテラサ

中島美嘉さんは、2002年(当時19歳)の時に、第44回日本レコード大賞で最優秀新人賞など、その他にも数々の音楽新人賞(ゴールドディスク大賞新人賞、ALL JAPANリクエストアワード2002最優秀新人賞、"第35回日本有線大賞"最優秀新人賞)を受賞し、第53回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしました。

また、同年ファースト・アルバム『TRUE』をリリースしました。この中には、ドラマ『天体観測』(フジテレビ系)の主題歌として歌って10万ダウンロードの記録を出した『WILL』とデビュー曲である『STARS』が入っていたことでオリコン初登場1位となりミリオンセラーをたたき出しました。

数々の新人賞を総なめにして当時はヤバい歌姫がでてきたと大変注目を集めていました。

俳優としてはドラマ『私立探偵 濱マイク』(日本テレビ系)に準主演としてレギュラー出演しました。この時のことをこのようにお話しされています。

何もわからないままやっていたので、売れようが売れまいが、嬉しくもなんともなかったんです。私が書いた作品ではないし、私が考えたことでもなんでもないし、「よっしゃあ、私、やったぜ」みたいなのは全然なかった。むしろ、3年ぐらいで消えるだろうから、そろそろバイト探さなきゃと思っていたぐらいでした。そんな簡単な世界じゃない、という思いもあったんです

引用元:AERAdot.

とお話しされており、ご自身の素晴らしい魅力に気づいてなかったことが確認できます。

上の画像は2002年にリリースした5thシングル『WILL』と同年に出演したドラマ『私立探偵 濱マイク』の時のものです。当時、筆者はドラマ「天体観測」を観ていて、『WILL』がドラマの雰囲気にあっているなと思っていました。

けん

中島美嘉さんは、高校には行ってないんだよね。

のぞみ

父親はトラック運転手、母親は日本舞踊の師範で、幼少期から日舞とピアノを習っていたらしいけど、人見知りで発表会が苦手だったんだって。勉強も好きになれなくて、中学時代に「高校に行く必要はない」と両親に訴えると、「その代わりにやりたいことを見つけるように」と言われ、それをきっかけに姉が見つけた福岡のモデル事務所に入り、軽い気持ちでモデルを始めたと話されています。当時は、鹿児島でファーストフード店などのバイトをしながら通っていたみたいよ!

けん

中島美嘉さんは、歌手や俳優志望だったのかな?

のぞみ

それは、中島さんはもともと歌手志望でも俳優志望でもなく、福岡のモデル事務所の関係者から詳細を知らされないままオーディションを受け、気づけば最終審査に進んでいたそう。最初は「とりあえず行って歌ってこい」と言われ、エキストラとして道ばたで歌う程度だと思っていたけど、最終審査でドラマのヒロイン役だと知らされたみたい!

20代(2003年~2013年)

中島美嘉さん
引用元:Mika Nakashima official websaite

中島美嘉さんは、2003年(当時20歳)の時に、初の全国ツアーMika Nakashima The First Tour 2003」を開催しました。

上の画像は当時のものです。デビューして3年で全国ツアーを果たしたなんて本当にすごいですよね。きっと全国から中島さんを一目見たいと沢山のファンが集まってとても盛り上がったのでしょうね。

この年も数々の賞(第40回ゴールデンアロー賞で音楽新人賞、第17回ゴールドディスク大賞でロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー、第45回 日本レコード大賞金賞、ベストアルバム賞)を受賞しています。

この時期中島さんのラブバラード代表曲である『雪の華』、2ndアルバム『LOVE』がリリースされて、オリコン初登場1位160万枚を超えるセールスを記録しました。毎年、セールス記録を更新されていて、改めてカリスマ的な魅力が感じられます。

この『雪の華』は2019年に映画化されていて、「私の『雪の華』でいいんですか?」という気持ちでした! いろいろな方が歌ってくれているのに、私が歌っていいのかな? 舞台挨拶にも登壇していいのかな?とか、変なことを考えてしまいました(笑)。」とお話しされていました。

最近はふと、いい意味で少し自分の手を離れた感じがするんです。

代表曲とも言えるこの楽曲は、リリースから歌わない年がなかったほどの人気曲で、今までに多くの方がカバーしています。「私が歌うのはあくまで“私の「雪の華」”であって、みんなが好きなように歌って愛してくださっている印象で。」と多彩な表現があるこの曲は、ご自身の中でもこの『雪の華』は大切な曲であったことが確認できます。

中島美嘉さん
引用元:映画.comYouTube

中島美嘉さんは、2005年(当時22歳)の時に、人気漫画矢沢あいさん原作の主演映画『NANA』に出演し、第29回日本アカデミー賞で優秀主演女優賞、新人俳優賞、話題賞を受賞しました。

またこの作品では主題歌『GLAMOROUS SKY』をNANA starring MIKA NAKASHIMAとしてリリースしており、作曲はHYDEさんが手がけたそうです。この曲もオリコン2週連続1位をたたき出し、第47回輝く!日本レコード大賞 特別賞も受賞しています。このほかにも沢山の賞を受賞しました。

上の画像は2005年に出演した映画『NANA』のポスターと『GLAMOROUS SKY』のMVです。

また同年、初のベストアルバム『BEST』をリリースし、こちらもオリコン初登場1位を獲得し、ミリオンセールスを突破しました。

中島美嘉さん
引用元:映画.comYouTube

引用元:YouTube

2006年(当時23歳)の時に、『NANA2』に出演し、主題歌『一色(ひといろ)』をNANA starring MIKA NAKASHIMAとしてリリースしました。

2008年(当時25歳)の時に、森三中とのコラボバンド「MICA 3 CHU」を結成し、『 DON'T KNOW』をリリースしました。森三中がとても恰好良く仕上がっていて、びっくりしました。

中島美嘉さんは映画『NANA』が大ヒットしたことで、「自分が存在しない」と感じた時期が5〜6年ほどあったみたいです。『NANA』では役との共通点が多く、「これは私がやるしかない」と挑戦した作品だったようですが、成功後は「NANA」と呼ばれ続けて苦悩していたそうです。

嬉しさと反発心が入り混じる中、ロックのイメージが定着し音楽の幅が広がったことで、今では感謝しているとお話しされています。『NANA』の影響力はご自身が思っていた以上であったことが確認できます。

上の画像は2006年に出演した『NANA2』の時のものです。当時、筆者も映画を観に行ってハマっていました。原作も好きで『NANA』=中島美嘉さんだと思っています。今でも『GLAMOROUS SKY』と『NANA』は大好きです。でも、こういったカリスマ性が当時の中島さんを苦しめていたのですね。

中島美嘉さん
引用元:オリコンニュースYouTube

中島美嘉さんは、2010年(当時27歳)の時に、両側耳管開放症のため活動の休止を発表しました。

約半年の休養後、シングル『Dear』(映画『八日目の蝉』主題歌)をリリースし、レコチョクフル月間ランキング1位を獲得で見事に返り咲きを果たしました。

この時に中島美嘉さんは、ファンにこのようなメッセージを送っています。

今回、耳の不調により少しの間、歌うお仕事をお休みさせて頂きます。
これまで数年、耳の違和感と向き合いながらお仕事させて頂いていましたが、十周年を迎える今、納得できる歌が歌えない位に悪化してしまい、治療に専念したいと思います。
ただ、体は元気です。耳だけが不調で歌手として悔しい限りです。
ライブ等を楽しみにしていてくださったファンのみなさま。

応援してくれているみなさまに心から申し訳ない気持ちでいっぱいです。
1日でも早くまた、みなさまに歌を届けられたら幸せです。

中島美嘉

引用元:音楽ナタリー

これまでの多忙や人気さがストレスになり体に表れてしまったことが確認できますね。

上の画像は2010年に両側 耳管開放症の悪化に伴い治療のため休養を発表した時のものです。

大物アーティストやアイドルで耳の病気になる方って多いですよね。やはりストレスと耳を酷使している影響でダメージを受けてしまうのでしょうか。でも、復帰して中島さんのアーティスト人生が続き、今でも沢山の素晴らしい曲をつむぎだしてくだっていることは良かったし、とても嬉しいことですよね。

けん

中島さんは、この時期に俳優の永瀬正敏さんと交際していて、一時は結婚秒読みとまで言われてたんだよね。

のぞみ

中島美嘉さんと永瀬正敏さんは、2002年にドラマ『私立探偵 濱マイク』で兄妹役として共演したことがきっかけで、2004年に交際を開始したそうです。
中島さんが父親と同居する都内のマンションに永瀬さんが頻繁に訪れており、2007年2月には結婚秒読みという報道も出たくらいで、家族公認だでしたが、お互いの多忙によるすれ違いが原因で破局したとされているみたい!

30代(2013年~2023年)

引用元:InstagramInstagram

中島美嘉さんは、2013年(当時30歳)の時に、長編アニメ映画『怪盗グルーのミニオン危機一発』で初めて声優に挑戦しました。

また、2019年(当時36歳)の時に、初舞台作品『イノサンmusicale』で主演を演じるなど、音楽以外の活躍の幅を広げました。本舞台には中島さんが原作の大ファンだったことがきっかけだそうです。

演出家の宮本亜門さんはこの役の中島美嘉さんについて「マリーは生意気だけれどなんとも魅力的で、何を考えているのかと思いを巡らせてしまう。中島さんはピッタリだ」と話しました。

また、脚本家の横内謙介さんは「会ったときに雰囲気あるな、と思いました。本人もマリーというキャラクターが好きなようですが、これからの稽古でどのように演じてくれるのかが楽しみですね。」と話しました。

製作陣も中島さんの演技に期待していたことが伺えますね!

中島美嘉さんご本人はというと、「やると決めたら、ゼロからやらなければいけないことがいろいろとあったので、マリー像に近づけるにあたって、とても模索しましたね。」と初舞台で初ミュージカルという”はじめて”づくしのオファーにプレッシャーがあったようですが、プレッシャー乗り越えて優秀の美を飾ったことが確認できます。

上の画像は2019年(当時36歳)の時に、初舞台作品『イノサンmusicale』の時のものです。Instagramでも中島さんの姿がカッコいいと感激のコメントが多数投稿されていました。この作品で中島さんの新たカッコいい女性像が誕生したのだと思います。

中島美嘉さん
引用元:ソニーミュージック

中島美嘉さんは、2022年2月には初のセルフ・プロデュースアルバム「I」をリリースし、全曲の作詞・作曲を手がけたこの作品でもオリコン・ランキングで2位を記録しました。

上の画像は2022年2月には初のセルフ・プロデュースアルバム「I」のジャケット写真です。思わずカッコいいという思いが漏れてしましますね。

中島美嘉さんは初のセルフ・プロデュースアルバム『I』についてこのようにコメントされています。

「初めて作詞・作曲に挑戦させていただきました!作曲は本当に初めてで、パソコンを購入するところからのスタートだったのですが、COLDFEETのお二人、尊敬するミュージシャンの方々のお力もお借りして実現できた私自身もお気に入りのアルバムとなりました!感謝です! そのアルバム「I」を引っ提げてのライブツアーも開催できるということで、皆さんに直接楽曲を披露できることをとても嬉しく思います!これまでとはまた少し違ったドキドキもありますが、会場で皆さんと盛り上がれることを今から楽しみにしています。」

SPICE

中島美嘉さんはご自身の30代までを振り返りこのようにお話しされています。

30代は……大変でしたね。特に前半の数年間はきついなと感じることが多かった気がします」。

「ライブが怖かったし、“今日も上手く歌えないだろうな”と不安を抱えたままステージに立つこともあって。大変だったという記憶しかないし、そのぶん、“よくやった”とほめてあげたい気持ちもあります」

「普段は出さないようにしている感情を解放してもらえたらなって。プレミアムライブを通して、言葉の伝え方が少しずつわかってきて、歌い方も広がった。いろいろなスタイルでライブをやっていますが、芯になっているのはプレミアムライブかもしれないですね。歌手というよりも、メッセージを伝えたり、みなさんが抱えている気持ちを代弁するのが私の役割だと思ってるんですよ」

引用元:AERAdot.

とお話しされており、きついと思いながらも沢山のファンを虜にして走り抜いたことが確認できます。

けん

中島美嘉さんは、日本だけではなく海外でも活躍しているんだよね。

のぞみ

中島美嘉さんは「日韓交流ドリームライブ」や「2003アジアスーパースター反海賊盤コンサート」に日本代表として出演したり、2025年には「MIKA NAKASHIMA ASIA TOUR 2025」の台湾公演しており、アジアでも活躍しているよ。
また、映画『バイオハザードV リトリビューション』でゾンビ役を演じたことで、海外からも多くのラブコールを受けているみたいよ!

40代以上(2023年~)

中島美嘉さん
引用元:billboard JAPAN

中島美嘉さんは、2023年(当時40歳)の時に、「自己肯定感」をテーマに詞を書き下ろした『We are all stars』をリリースしました。この曲は、橋本幸太さんとのコライト作品による注目のダンスナンバーです。

この時に中島美嘉さんは、この楽曲作成について「20代の頃からずっと大好きなドラァグクイーンのル・ポールへ、敬意を込めたお手紙のような内容にしたいというテーマで制作を始めました。」と語っており、聴いた人に自分の壁を越える勇気、自由を選択する勇気を持ってほしいという強い思いが込められているそうです。

上の画像は2023年(当時40歳)の時にリリースした『We are all stars』の時のものです。ここまで、中島さんが憧れる作品やキャラクターを見てきた中で一貫性があると思いませんか?

中島美嘉さん
引用元:Sony Music

中島美嘉さんは、2024年(当時41歳)の時に、『UNFAIR』をリリースしました。上の画像は『UNFAIR』のイメージ画像です。

誰にでもある“心の中の二面性”みたいなものを描ければと思い、歌詞にも書かせていただきました。

この作品について中島美嘉さんはそうお話しされており、この曲を通してご自身の感情は2つのどちらなのか、向き合ってほしいと語っていました。

心の中の二面性」をテーマに書き下ろした作品だそうで、筆者は中島さんワールドがとても表現されていると思いました。

けん

中島美嘉さんはどんなアーティストが好きなのかな?

のぞみ

SPEEDのファンで、今井絵理子さんとは友人関係、HITOEさんからヨガを教わり、hiroさんとはCOLDFEETのプロデュースを受けた共通点があるそうよ。また、神田沙也加さんとは長年親交があり、「親友」と公言していたそう。また「恥ずかしがらずに正直に言うと、アーティストとしては今自分が一番好きです」とお話しされており、失敗や耳の不調を乗り越え、支えてくれた人々への恩返しのために活動を続けているみたいよ!

中島美嘉さんが所属する”アワーソングス”には他に誰が所属してる?

立花繭子さん
のらねこさん
そちおさん
引用元:アワーソングスオリコンニュースデイリー

中島美嘉さんの所属するアワーソングスには、コスプレイヤーの立花繭子さんのらねこさんやモデルのそちおさんなどが所属しています。

【画像】中島美嘉の元旦那との離婚理由は子供?夫との馴れ初めは?

中島美嘉の元旦那との離婚理由は子供?

中島美嘉さん
引用元:オリコンニュース
中島美嘉さん
引用元:モデルプラス

中島美嘉さんは、2014年12月25日クリスマスにプロバレーボール日本男子代表の清水邦広さんとの入籍と結婚を所属事務所を通して発表されました。

中島さんは清水さんとの出会いを一目惚れだったようで、顔もすべて好みで、初めて自分から勇気を出してアプローチしたそうです。清水さんは最初、中島さんのことを知らなかったので「誰かのお偉いさんの娘」と思っていたみたいです。

お2人の馴れ初めは、3年前に知人を通じて知り合ったそうで、優しく頼りがいのある清水さんに支えられてきたので、今後は妻として支え合い、感謝の気持ちを忘れず幸せな家庭を築いていきたいと結婚発表をされていました。

しかし、2018年2月2日清水さんと離婚されて、翌日の3日に正式発表しました。

離婚理由としては、お2人で話し合いの末、別々の道を選ぶことが最善だと判断したと報告されました。東京と大阪での遠距離生活で家族の時間が作れなかったことで、これまでの時間に感謝しつつ、今後も互いの夢を応援していきたいと離婚発表をされていました。

やはり、多忙ゆえのすれ違いが原因になったのですね。芸能人やスポーツ選手ではこういう理由で離婚されるカップルが多いですよね。

けん

中島美嘉さんは清水邦広さんと出会って変わったことはあったのかな?

のぞみ

それは、交際後は「辛いときこそ笑ってみろ」という清水さんのアドバイスで、ライブへの恐怖が和らぎ、心から楽しめるようになったとお話しされているよ。ポジティブな言葉を口にする清水さんの影響で、中島さんも前向きな姿勢を持てるようになったみたいよ!

中島美嘉の今夫との馴れ初めは?

引用元:Instagram
引用元:スポーツ報知

2023年2月19日(当時40歳)の時に自身の誕生日にライブメンバーのギタリスト馬谷勇さんとの再婚を所属事務所を通じ、自身の公式サイトで公表しました。

お2人の馴れ初めは、馬谷さんは2011年ごろから中島さんのバンドメンバーとしてライブなどをサポートしており、関係者は「共に仕事をしていく中で交際に発展した」とお話しされいます。

中島美嘉さんは馬谷さんとの結婚についてファンの方に向けてこのようなメッセージを送っています。

いつも応援してくださっている皆様へ

私ごとで恐縮ですが、この度入籍いたしました。
ライブのバンドメンバーとして支えてくれた馬谷さんと、今後はパートナーとしてもお互いに高め合いながら、一緒に歩んで参ります。
今後とも温かく見守っていただけますと幸いです。

引用元:Instagram
けん

中島さんの夫の馬谷さんのことをどう思っているのかな?

のぞみ

出会ってから長く友人関係で、バンドメンバーとして「飲み友達」だったそうよ。穏やかで目立つのが得意ではない馬谷さんに対し、せわしなく動く中島は「正反対の性格」だったみたい。ライブでは中島さんが「この曲だけは前に出て」と頼むと控えめに応じるようなタイプで、中島さんは馬谷さんのことを「ちょっとギタリストっぽくないギタリスト」と表現されていました。しかし、その落ち着いた性格に中島さんは助けられていて、それが結婚に結び付いたみたいね!

中島美嘉さんがデビューした2001年はこんな年だった!

イチロー選手がメジャーデビュー
ディズニーシーグランドオープン
アメリカ同時多発テロ事件
引用元:SportsnaviCASTLE日経ビジネス

中島美嘉さんがデビューした2001年は、「イチロー選手がメジャーデビュー」、「ディズニーシーグランドオープン」、「アメリカ同時多発テロ事件」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、「米百俵」「米百俵」「聖域なき改革」「恐れず怯まず捉われず」「骨太の方針」「ワイドショー内閣改革の「痛み」で元内閣総理大臣の小泉純一郎さんが受賞しました。

中島美嘉のプロフィール・SNS

引用元:Instagram

プロフィール

  • 名前:中島 美嘉(なかしま みか)
  • 生年月日:1983年2月19日
  • 年齢:42歳(2025年3月現在)
  • 出身地:鹿児島県
  • 血液型:A型
  • 趣味:ヨガ、ボルタリング、トランポリンでバク転、チョウやクモなどの標本集め、猫
  • 特技:卓球
  • 所属事務所:アワーソングス

SNS

けん

中島美嘉さんってトランポリンでバク転が出来るの?

のぞみ

2020年頃にアクロバティック教室に通って、トランポリンでバク転の練習をしてたそうよ。「バク転とかバク宙は夢だったんですよ。いつかやってみたいと思ってて」とお話しされているから、かねてからやりたいと思っていたみたい。今では数回でトランポリンの上ではバク転ができるようになったみたいよ!

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