ダンサー・振付師・タレント・俳優で活躍を続けているパパイヤ鈴木さん。
有名アーティストの振り付けを多く手掛けており、その中でもAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」の振り付けは日本中で大ヒットしました。
その後バラエティー番組にも数多く出演しており、ブレイクのきっかけにもなった「元祖!でぶや」というバラエティー番組では、ホンジャマカの石塚英彦さんと食べたときに言う「まいうーーー!」が大流行しました。
2008年にはダイエットも成功させスリムになった姿には驚かさせられました。
今回はパパイヤ鈴木さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】パパイヤ鈴木は若い頃イケメン!
10代(1976年~1986年)
引用元:パパイヤ鈴木のパパさんブログ
パパイヤ鈴木さんは、東京都東久留米市出身で、ラテン音楽グループのメンバーだった父とダンサー歴のある母と2歳上の姉がいます。
実家が下宿屋をやっていて、小さい頃は下宿していた学生のお兄ちゃんと遊んだり、近所の悪ガキと外遊びをすることが多かったそうです。この頃から音楽が身近にあり、小学5年生の時にトランペットを吹いていましたが、小学校にはブラスバンド部はなかった為、器楽部を作り部員4名で演奏を楽しんでいました。
16歳からダンサーとして活動し、17歳の時にはディズニーランドでもダンサーとして踊っていました。その後20歳で振付師となり、数多くアーティストの振り付けをし、タレント・俳優として幅広い活躍をしています。
上の画像は10代の時のものです。当時パパイヤ鈴木さんは体重58キロでジャニーズ系のルックスでイケメンですよね!
引用元:パパイヤ鈴木オフィシャルブログ
パパイヤ鈴木さんは、1982年(当時16歳)の時に、明治大学付属中野高校(定時制)に入学しました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「少年隊やシブがき隊が同級生で、一緒のクラスで勉強していた」とお話しされており、錦織一清さんや植草克秀さんとは鈴木つるむ「悪友」で学校に遊びに来る不真面目グループであったそうです。
そんな中でも東山紀之さんは頭がよく勉強ができるグループだったそうです。素敵な仲間に囲まれた青春時代だったことが確認できます。上の画像は1984年頃18歳の時のものです。当時少年隊の植草さん・東山さんよりモテていたそうです。
引用元:パパイヤ鈴木オフィシャルブログ
パパイヤ鈴木さんは、1984年(当時18歳)の時に、東京ディズニーランドでショーのダンサーとして活躍をしていました。上の画像はその時のものです。スタイル抜群で素敵な笑顔で、ディズニーランドでのショーでもひと際目立っていたことでしょう。
この時パパイヤ鈴木さんは、「当時は、スモールワールドの時計の下にショーをやるステージがあったんです。そこで、1日5回ミュージカルショーをやっていた」とお話しされており、当時からダンスの才能はすごく、ショーダンサーのオーディションでは、2000人の中から2人選ばれたうちの1人であったらしいですよ!

パパイヤ鈴木さんは、どうしてダンサーになろうと思ったのかな?

それは、西城秀樹さんのようになりたかったという理由から、歌手志望だったそうよ。
でも父のススメでダンサーの活動をし始めてダンサーになったみたいよ!
20代(1986年~1996年)
引用元:X7”★ラヴ&サムシング/ダンシングゼネレーション~パパイヤ鈴木 http://t.co/T2H9mzjiQe #ヤフオク
— エレクトレコード (@erectrecord) September 17, 2014
あの人は昔・・・④赤いのがパパイヤ鈴木。 pic.twitter.com/cmHhydutkO
パパイヤさんは、1986年(当時20歳)の時に、歌手になるためCBS・ソニーへ入りました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「歌手になるために入ったがCDを出すも、鳴かず飛ばずで・・・」とお話しされており、そこで「振り付けをやってみないか?」と言われたのが、パパイヤ鈴木さんが振付師になるきっかけでした。
上の画像は「ダンシングゼネレーション」でレコードデビューをした時のものです。
その後、パパイヤ鈴木さんは、1992年(当時26歳)の時に、振り付けをはじめ、いろいろな裏方業を経験をしました。
この時「20代後半は、寝る間も惜しんで、がむしゃらに働いていた」とお話しされており、ダンスだけではなく、音響や照明・マニピュレータ・カラオケデータの制作・デパートでの着ぐるみショーもやっていて、当時は1日2~3時間睡眠が当たり前だったといいます。
そんな中、一生懸命に取り組んでいたら担当者から「お前に賭けるよ」と言ってもらえるようになり、その時に得た仕事での技術や知識がその後役立ったと語られていました。
引用元:パパイヤ鈴木のパパさんブログ
パパイヤ鈴木さんは、1995年(当時29歳)の時に、松任谷由美さんのコンサートスタッフをしました。
この時パパイヤ鈴木さんは「初めてビックなアーティストの方のダンス部門をやらせてもらえて、すごく感動でした」とお話しされており、主にダンサーの振り付けやマネージメントをしていたそうです。
その後、パパイヤ鈴木さんは、松任谷由美さんの舞台で一緒にデュエットできたそうで、あの日コンサートスタッフで参加していなければなかった事で、大きな転機だったことが伺えますね。
上の画像は1995年の29歳頃の時のものです。この頃から松任谷由美さんのコンサートで各地の美味しいものを毎日のように食べて太りだした時期と思われます。

パパイヤ鈴木さんは、どうやって振り付けを考えているのかな?

それは、始めの頃は家でメモ帳を片手に考えていたけれど、うまくいかず、スタジオで衣装に着替えて振り付けを考えるスタイルにしたらうまくいったみたいよ!
30代(1996年~2006年)
引用元:プランチャイム
パパイヤ鈴木さんは、1998年(当時32歳)の時に「おやじダンサーズ」を結成しました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「ダンスには見て楽しむものと、やって楽しむものの2つがあります、僕が目指しているものは後者の方で」とお話しされていました。
立派なものではなく飽きないものを作りたい!という強い思いから、おやじダンサーズは観客を飽きさせない!なぜなら誰かがどこかで何かをやらかす!失敗しても楽しむことがモットーだったようです。
上の画像は「おやじダンサーズ」のデビューの時のものです。おやじのかわいさとカッコ良さをルックスで表現できた写真です。なぜか応援したくなる魅力的なおやじダンサーズです。
引用元:テレビ東京
パパイヤ鈴木さんは、2000年(当時34歳)の時に、テレビ東京系列の「元祖!でぶや」に出演をしました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「でぶやをやっているときは100キロありましたからね!ちょっとキツかったですよ~(笑)」とお話しされており、打ち合わせでパパイヤ鈴木の体型を見たプロデューサーに気に入られて、その場でスカウトされたそうです。
上の画像はその時のものです。確かにたくさん食べそうな体型でした。ゲストに内山信二さんや森三中さんなどふくよかなタレントがよく出ていたので、この頃からデブタレが広まっていったのです。

パパイヤ鈴木さんは、「元祖!でぶや」の番組内でおいしものを食べたときにどうして「まいう~」と言ったのかな?

それは、出演者の女の子が言い出したそうで、言葉自体は昔からあったそうだけど、パパイヤ鈴木さんがおいしそうに食べてから毎回「まいう~」と言うので流行みたいよ!
40代以上(2006年~)
引用元:マイナビニュース
2013年(当時40歳)にパパイヤ鈴木さんが振り付けを手がけたAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」の振り付けが大人気になりました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「この曲全部ソウルのステップで、昔のものと今のものがよく混ざり合っていいものになった」とお話しされており、サビの部分のおにぎりダンスは日本中で大流行しました。
上の画像は「恋するフォーチュンクッキー」のミュージックビデオです。この撮影には、多くの人が参加したそうで、DJやダンサー・鼓笛隊・ゆるキャラなどがみんなでパパイヤ鈴木の振り付けを踊っていました。
パパイヤ鈴木さんも参加し「このダンスは、キビキビやるというよりは、ゆったりとした気持ちで力を抜いてやる」とダンスのコツをレクチャーしていました。
引用元:Instagram
パパイヤ鈴木さんは、2023年(当時57歳)の時に、錦織一清さんといけてるおやじユニット「Funky Diamond18」を結成しました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「(錦織さんとの)共通の師匠から、2人とも踊ったり歌ったりできるんだから!2人でオリジナル曲を作って何かやりなよ。と言われたので、うちの(事務所の)社長がやるんだったたら動くよ!と言ってくれて急に実現することになった」とお話しされていました。
元々お互い高校からの付き合いで音楽は好きだし、お互いの好みを知っていたから、大好きなディスコミュージックをみんなで踊れたらいいなと思ってはじまったことがきっかけだったそうです。
上の画像は2023年(当時57歳)に行われた東京公演の時のものです。大好きな仲間が集まってできたことにパパイヤ鈴木さんは「感謝しかありません。」と自身のインスタグラムにのせています。

パパイヤ鈴木さんは、どうして錦織さんとコンビを組んだのかな?

それは、お互いに気心知れていて、好みも理解しているという理由から、振り付けでは「恋するフォーチュンクッキー」がヒットしたから、歌では錦織さんと一緒にFunky Diamond18でヒット曲を出したかったみたいよ!
【画像】パパイヤ鈴木は元ジャニーズ!現在激やせのダイエット方法は?
パパイヤ鈴木は元ジャニーズ!
引用元:Xジオウ劇場版観た若い特撮ファン達、パパイヤ鈴木、昔はイケメンだったんだぞ。 pic.twitter.com/B5DNIqKf9b
— ピーキー・オヤナギ (@kenthekiller) August 1, 2019
引用元:文春オンライン
パパイヤ鈴木さんがジャニーズに所属していたという事実はありません。
当時パパイヤ鈴木さんが通っていた高校には、ジャニーズの同級生が多く通っていてシブがき隊や少年隊らがいたそうです。そんな中でもパパイヤ鈴木さんは、彼らに負けないほどイケメンだったこともあり、ジャニーズに所属していたのではないか?と思われていたのかもしれません。

パパイヤ鈴木さんは、どうしてジャニーズに入らなかったのかな?

それは、17歳のときにレコードデビューをしたものの全く売れなかったという理由から、「西城秀樹にはなれない」と悟ったみたいよ!
パパイヤ鈴木の現在激やせのダイエット方法は?
引用元:eltha
引用元:パパイヤ鈴木のパパさんブログ
パパイヤ鈴木さんが人生で1番太っていたのが、2007年(当時41歳)頃で体重は110キロでした。
ダイエットのきっかけになったのは、NHK大河ドラマの出演が決まった時のことです。撮影中に、まともに走れなかったり・走ったら足が腫れてしまい、「これでは役者もできない!」とダイエットを決意しました。
パパイヤ鈴木さんは「健康になること!」をダイエットの目的にし、夜7時以降は食べない・階段を使う・自転車通勤に変える、など日常的にできることを当たり前にしてしまうダイエット方法でみごと3年間で33キロのダイエットに成功されました。
上の画像1枚目は、ダイエット成功後の2010年(当時44歳)頃にダイエット本「デブでした。」を発売した当時のものです。2枚目はダイエットについて綴ったブログのお写真です。昔の写真と比べるとかなり痩せていますね!

パパイヤ鈴木さんは、どうしてダイエットを続けてこれたのかな?

それは、ダイエット=ガマンという考え方を変えて、ダイエットの為にガマンするのではなく、健康の為にと考えていたからダイエットを続けてこれたみたいよ!
パパイヤ鈴木さんがデビューした1983年はこんな年だった!
引用元:Aflo
パパイヤ鈴木さんがデビューした1983年は、「パソコン、ワープロブーム」、「TVドラマおしん放送開始」、「任天堂が「ファミリーコンピュータ(ファミコン)を発売」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、「ニャンニャン事件」の「ニャンニャン」でした。
パパイヤ鈴木のプロフィール・SNS
引用元:プランチャイム
プロフィール
- 名前:パパイヤ鈴木(パパイヤすずき)
- 本名: 鈴木 寛(すずき ひろし)
- 生年月日:1966年6月29日
- 年齢:59歳(2025年3月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:O型
- 趣味:PC、タップダンス
- 特技:ダンス全般
- 所属事務所:プランチャイム
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/papayasuzuki?mx=2
今日はMVの撮影でした!
— Papaya Suzuki (@papayasuzuki) June 15, 2023
楽しかった〜#FunkyDiamond18 pic.twitter.com/anwZ7SR0iU
- Instagram URL:https://www.instagram.com/papaya_suzuki/
- TikTok URL:https://www.tiktok.com/@papayasuzuki
- YouTube URL:PLAN CHIME Official Channel - YouTube
- オフィシャルサイト URL:http://oyj.co.jp/talent/01.html

- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/papaiya-suzuki/

- 公式ブログ URL:https://papayasuzuki.net


パパイヤ鈴木さんの趣味のタップダンスのきっかけって何なのかな?

幼少期の頃、父親のラテン音楽を聴いて踊りを始め、20代の頃にタップダンスのインストラクターをしていた事があったからみたいだね!