俳優としてはもちろん、コーヒーショップ「The Rising Sun Coffee (ザ・ライジングサン・コーヒー)」のオーナー兼焙煎士として、コーヒー業界でも頭角を表している坂口憲二さん。
有名プロレスラーである父との関係やご自身の俳優デビュー、結婚、難病による闘病生活、コーヒーとの出会いなど、様々な出来事がありました。
今回は坂口憲二さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】坂口憲二は若い頃イケメン!
幼少期・10代・20代(1975年~2005年)
引用元:日刊スポーツ
坂口憲二さんは1975年11月8日、東京都世田谷区にて、プロレスラーの坂口征二さんと母、兄の4人家族の末っ子として誕生しました。
小学校は世田谷区等々力小学校、中学校は柔道のスポーツ推薦で明治大学付属中学校、そのまま高等学校に進学しました。当時柔道は未経験だったものの、父のコネがあり進学できたそうです。
上の画像は1990年坂口さん15歳の時、プロレスラーである父、坂口征二さんの引退セレモニーにて、花束贈呈で兄と共にリングに上がった時のものです。
リングに上がり父の登場を待っていると、しだいに満員の観客から坂口コールが鳴り響いていったそうです。その声は高まり続け、場内は大きく揺れ動くようになっていき、その様子を目にした坂口さんは、その光景を生んだ父の存在に、「親父はすごいことをやっていたんだな」と羨望の気持ちを抱いたのだそうです。
しかし、高校在学中ヤンチャな行いをしていた事もあり付属の大学へ進学できず、他の大学受験にもことごとく不合格となり、今後の進路に悩んでいた時、父と交流のあった人物の勧めで、ハワイ東海インターナショナルカレッジを受験し合格、進学する事になります。
大学2年制で授業はほぼ英語、なかなか大変そうですが、演劇を学んだり、休日は友人とサーフィンをしたりと、学業とプライベート共に充実した日々を送り、2年の大学生活で性格も積極的になったのだそうです。
その後1999年、24歳の時にファッション雑誌「MEN'S CLUB」でモデルデビューを果たし、同時期に、テレビドラマ「ベストフレンド」で俳優デビューも果たしました。
引用元:スポニチ
上の画像は1999年、24歳の時に出演したドラマ「ベストフレンド」の制作発表に登場した時のものです。加藤愛さん、深津絵里さん、松雪泰子さんなど、キャスティングが豪華で、とても思い出深いデビュー作になったのではないでしょうか。
引用元:XIWGPの坂口憲二が深く刺さって抜けない、助けて pic.twitter.com/ReMtgXrome
— 🐼 (@cha_min9yu) September 15, 2024
上の画像は2000年、坂口さん25歳頃に出演したドラマ「池袋ウエストゲートパーク(IWGP)」の時の画像です。
この作品は、坂口さんをはじめ、主演の長瀬智也さん、窪塚洋介さん、山下智久さん、妻夫木聡さん、高橋一生さん、佐藤隆太さん、阿部サダヲさん、矢沢心さん、加藤あいさんといった、当時期待の若手俳優が多数出演して話題になりました。
そして、出演者達が後に次々と人気俳優になったことや、脚本を担当した宮藤官九郎さんが、人気脚本家として多くの作品を手掛けるようになるきっかけとなった作品としても話題になりました。
坂口さんはこの作品について、「自分に演じる事の楽しさと俳優として自信を持たせてくれた作品」とIWGPへの思いをつづりながら、「現場はめちゃくちゃだったけど楽しかったな。青春」と撮影当時を懐かしみました。
引用元:Aucfree
上の画像は2002年10月、27歳ころに発売された雑誌「MEN'S CLUB」の表紙画像です。坂口さんはこの雑誌でモデルデビューを果たしました。その後は他の雑誌でも高身長を活かし、度々モデルとして起用されています。
引用元:amazon
上の画像は2003年11月、28歳の頃に発売された、坂口さん初となる写真集「坂口憲二」です。
ニューヨークとタヒチでロケを敢行し、大都会と大自然を舞台にスタイリッシュ且つワイルドに撮り下ろされた写真は、様々な表情の坂口さんが見られます。
サーファー、モデル、役者として活躍する坂口さんのボーダレスな魅力が詰まった一冊になっています。

坂口さんのお兄さんは、格闘家だったんだってね。

そうなの。坂口さんの2歳年上で、元総合格闘家、元プロレスラーの坂口征夫さんという方だよ。2012年にはお兄さんの試合に坂口さんが乱入して兄弟で戦ったんだよね。2024年にお兄さんが引退した際には、憲二さんから「現役生活お疲れさまでした!」と労いのコメントが来てたみたいだよ。
30代(2005年~2015年)
引用元:FOD
上の画像は2004年、35歳の時に出演した人気ドラマ「プライド」の時のものです。
野島伸司さん脚本、木村拓哉さん主演、他竹内結子さん、佐藤隆太さん、松本幸四郎さんなど豪華なキャスティングで、初の視聴率は28%、その後も25%代をキープするなど、人気の高い作品でした。
坂口さんは、主人公に憧れる後輩という役柄でしたが、全話通して出演する主要キャストで、アイスホッケーのゴールキーパー姿は、体格の良い坂口さんにピッタリでとても素敵でした。
引用元:FOD
上の画像は2006年31歳の時に主演を務めたドラマ「医龍」の時のものです。
坂口さん演じる天才外科医が「医龍(チームドラゴン)」というチームを率いて、腐敗した大学病院の体制に立ち向かうという物語で、2006年第1シーズンを皮切りに、2007年、2010年、2014年と全4シリーズ放送される大人気ドラマとなりました。
第4シーズンの制作会見の際は、新シーズンについての意気込みを語りました。
「自分自身、この話を聞いてびっくり。3年前のパート3で一区切りついたと思っていたのでまさかまたチームドラゴンのみんなと会えるなんて。そして医龍と言えばやっぱりオペシーン、またあの長いオペシーンを撮ると思うとゾッとしますが、今回は初心に帰って最強のチームを作り、この3年間待っていてくれた皆さんのためにも最高のオペをお見せできればと思います」
引用元:cinema cafe

医龍では、ドラマの中で、坂口さん演じる朝田龍太郎が上半身裸で手術のイメトレをしているシーンが結構あるんだけど、絵に描いたような素晴らしい身体に、つい目がいっちゃうんだよね。

そうだね!元々体格がいいけれど、そういうシーンがあると知った坂口さんは、撮影地期間中は腕立てや体幹トレーニングなど、役柄に合わせたトレーニングをして体を整えていたみたいだよ。
40代以上(2015年~)
引用元:週刊女性PRIME
上の画像は2023年47歳頃、9年ぶりのドラマ復帰作になった、木村拓哉さん主演のドラマ「風間公親-教場0-」の時のものです。主演の木村さんとの共演は、2004年に放送されたドラマ「プライド」以来、19年ぶりとなります。
久々のドラマ復帰に、SNSでは「坂口憲二ダンディになったなぁ。かっこいい」「渋みが増してるねー」「男前」「坂口憲二さんからオーラがダダ漏れ」と、年齢を重ねてさらに深みが増した坂口さんに魅了される人が続出していました。
引用元:FOD
「11年振りの連続ドラマレギュラーということで不安もありましたが、中井さん小泉さんをはじめとする共演者の皆さんと現場スタッフの皆さんに助けていただいています。」
上の画像は2025年49歳、2012年に出演していたドラマの続編である「続・続・最後から二番目の恋」の時のものです。前作から約11年振りとなる続編ドラマですが、主要キャストや子役も、ほぼ実年齢で設定されているというリアリティのある作品になっています。
坂口さんは久々の出演について、「いま絶賛撮影中ですが、久しぶりに実家に帰って来たような思いの中で日々楽しく過ごしています。病気を抱えながらも結婚して、幸せに過ごしている真平の今にもご期待ください!」とコメントしていました。

続・続・最後から二番目の恋の撮影時には、現場に坂口さんから差し入れが届くらしいね。

そうなの。坂口さんのコーヒーブランド「The Rising Sun Coffee」のコーヒーを差し入れしているみたいで、みなさん喜んでいるみたい。
中井貴一さんのSNSには「現場ではコーヒーが欠かせないのですが、今回は坂口君がコーヒー豆を差し入れしてくれて、常に旨いコーヒーが飲めるのです」とコメントしていて、美味しい差し入れに感謝していたよ。
【画像】坂口憲二の現在の病状は?主宰のコーヒーショップどこ?
坂口憲二の現在の病状は?
引用元:NEWSポストセブン
引用元:女性自身
上の画像1枚目は、休養発表後、奥さんと子供と過ごす様子の写真、画像2枚目は、リハビリ中、自転車を乗りこなす坂口さんです。
坂口さんは、2012年頃から右股関節に違和感を感じ、その後、仕事は続けていたものの、関節が慢性的に痛むようになり、2014年に検査入院をします。そして2015年春、難病に指定されている特発性大腿骨頭壊死症(とっぱつせいだいたいこっとうえししょう)と診断されました。
その後手術が行われ、一時期車椅子の生活を送りながらもナレーションやCMの仕事は続けていました。しかし、3年間に及ぶリハビリでも完全回復には至らず、現状では納得のいく俳優活動は困難と判断され、2018年に事務所の任期満了となるタイミングで事務所を退社し、無期限の休養に入りました。
休養中の2018年は、半年に1回程のペースで施設に通いながらリハビリをしたり、2019年にはリハビリも兼ねて、友人に勧められたサーフィン「シングルフィンログ」を乗りこなす画像をSNSに投稿していました。
シングルフィンログは、普通のショートボードよりも重く脚を使う為、脚のリハビリになるのだそうです。坂口さんは、楽しみながら、自分のペースでリハビリを続けていました。
そして突然の休養から約5年経った2023年、ドラマ「教場」で見事俳優復帰を果たしました。
5年間のうち2年間は過酷なリハビリに励んでいた坂口さんですが、2020年からはコーヒー事業に力を入れていた時期の為、その頃には、リハビリしながらも脚の状態はかなり回復していたのではないかと推測します。
俳優復帰してからは、ドラマやCMなど多数出演しており、難病で休養していたとは思えないペースで仕事をこなしている坂口さんですが、これからも無理せず、身体第一で頑張って欲しいですね!

坂口さんが患った特発性大腿骨頭壊死症だけど、芸能界でも患った人達が結構いるんだよね。

そうなの。有名な人で言うと、美空ひばりさん、堀ちえみさん、だいたひかるさん、ケツメイシのryojiさんなどがいるよ。難病と言われる病気だけど、患ってしまう人も結構いるみたいだね。
坂口憲二のコーヒーショップはどこ?
引用元:BAILA
引用元:TheRisingSunCoffee
引用元:HUFFPOST
上の画像1枚目は、坂口さんが手がけるコーヒーショップ「The Rising Sun Coffee (ザ・ライジングサン・コーヒー)」のコーヒースタンド1号店(東京)、画像2枚目は2号店(千葉大綱)、画像3枚目は3号店(横浜鶴見)の画像です。
坂口さんが最初にコーヒーに興味を持ったきっかけは、病気で仕事を休業していた時だそうです。
「たまたま僕の奥さんが昔オレゴンのポートランドに住んでて、足の病気で時間あったので現地に行ったんですよ。そこはコーヒー文化が凄くて。自家焙煎でやっている小さくておしゃれなお店もあって、面白そうだなと興味を持って」と、きっかけを語っています。
当時、セカンドキャリアを模索していた坂口さんは、コーヒーを仕事にするもの面白いと思い、帰国後、焙煎士が主催するセミナーに参加して、コーヒーの基礎知識やドリップなどを学んだそうです。
当時は足の病気で俳優業を休業した為、立ち仕事であるバリスタは難しいと思った坂口さんは、「バリスタ」ではなく、「焙煎士」に注目したのです。
焼き加減の違いで味わいを変えることのできる「焙煎士」という仕事に興味が湧き、まず小さな焙煎機を購入して試行錯誤を重ね、試作で焼いた豆は友人にプレゼントしていたのだそうです。
そして、毎日コーヒーと向き合う日々を重ね、2018年、「The Rising Sun Coffee (ザ・ライジングサン・コーヒー)」の焙煎所を千葉県九十九里に開設しました。
そして、ついに2019年には焙煎所の隣に「THE RISING SUN COFFEE」をオープンしました。
その後もコーヒースタンドを東京、千葉、横浜と次々にオープンするなど、俳優としてだけではなく、焙煎士としても成功を収めた坂口さんですが、今後について「成功した人が得たものを独り占めせず、お裾分けしながらどんどん周りの人を巻き込んでいく……そんなコミュニティが作れたら一番サイコーですよね」と、今後の夢を語っていました。

2022年から、自販機とコラボもしているらしいね!

そうなの。ミル挽き珈琲を展開するトーヨーベンディングとの共同事業で、現在、佐野SA、海老名SA、宝塚北SAにコラボ機が設置されているんだけど、今後も拡大予定だそうだよ。
坂口憲二のプロフィール・SNS
引用元:PRTIMES
プロフィール
- 名前:坂口憲二(さかぐちけんじ)
- 生年月日:1975年11月8日
- 年齢:49歳(2025年4月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:コーヒー
- 特技:英会話 サーフィン
- 所属事務所:オフィスブラックツリー
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/therisingsuncoffee/
- オフィシャルサイト URL:https://www.therisingsuncoffee.com


坂口さんはサーフィンも得意みたいだけれど、始めたきっかけはなんだったのかな?

最初に始めたのは中学3年生の時らしいけど、本格的に始めたのは、高校生の時に留学していたハワイ滞在時だったみたい。
学生だからお金もそんなにないし、貯金も使い果たしてしまったそうなんだけど、サーフィンはお金がかからないし楽しくて、毎日友達とサーフィンをしていたんだって。
初めてボードに立てた時の事を鮮明に覚えていて、今もその時の感覚を追い求めてサーフィンをしているそうだよ。