キーボード奏者、ピアニスト、作曲家で活躍を続けていた田口智治さん。
1980年代にはC-C-Bのメンバーとして活躍し、一世風靡しました。解散後も様々なバンド活動を続けていました。
今回は田口智治さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】田口智治(C-C-B)は若い頃人気!
10代(1970年~1980年)
引用元:facebook
田口智治さんは東京都足立区で生まれました。二人兄弟の次男で、お父さんは消防士、お母さんは三味線のお師匠さんでした。子供の頃にオルガンを習い始め、その先生が初恋の相手だったそうで、毎回レッスンを楽しみにしていたといいます 。
ある程度上達すると習うことがなくなり、その後ピアノに転向しました。
上の画像は小学校の頃に音楽クラブに所属していた時のものです。女の子がたくさんいる中、隅っこに立つ姿が可愛らしいですね。
引用元:facebook
田口智治さんは10代の頃から音楽の才能を発揮し、アマチュアバンドで活動を始めたことで、キーボード奏者として徐々に音楽業界で注目を集めるようになりました。
田口智治さんは高校時代、バンド「ステーション」に在籍していました。このバンドには、のちにC-C-Bとして共に活動する渡辺英樹さんがベーシストとして、笠浩二さんがドラマーとして参加していました。1996年に発売された田口さんや渡辺さんらによるバンド「THE GATES」の1stアルバム『もんだらけ』に収録された楽曲【全裸を許さない頭の社会に対するカラダ達の反抗】は、ステーション時代の楽曲『もしもおまえが天使なら』を元に制作されたものです。
上の画像は高校1年生の頃、遠足で伊豆に行った時に撮られたものです。まるでアイドルのような可愛さがありますね。

高校時代からバンド活動をしていた田口智治さんは女の子にモテたのかな?

高校生の頃から可愛いと言われて女の子より男の子にモテたみたいよ。ある日、校門前で「おまえはオレの事嫌いかもしれないけど、オレは好きだから」って言われた時はドキっとしたそうよ!
20代(1980年~1990年)
引用元:YouTube
引用元:Fandom
田口智治さんは、1980年に20歳を迎え、音楽活動をさらに本格化させていきます。それまでアマチュアバンドで培った腕前を認められ、1982年から1983年にかけて、人気アイドル近藤真彦さんの専属バックバンド「ダブルス」のメンバーとして活躍します。この時期には日本武道館をはじめとする大きな舞台でのコンサート経験も積み、プロのキーボード奏者としての技術と経験を磨いていきました。
「ダブルス」での活動は安定していましたが、田口さんは自身の音楽性をもっと発揮したいという思いを抱いていました。大手事務所の傘下で安泰と言われながらも、ミュージシャンとしての可能性を追求したいという気持ちが強くなっていったのです。
そんな折、1983年(当時23歳)、アマチュア時代からの知り合いだった渡辺英樹さんや笠浩二さんらの強い誘いを受け、「CoconutBoys(後のC-C-B)」に加入することを決意します。バンド名が「C-C-B」と改名された1984年後半から本格的に活動を開始し、1985年にリリースされたセカンドシングル『瞳少女』からは正式メンバーとして参加しました。
引用元:UNIVRESAL MUSIC JAPAN
田口智治さんがC-C-Bとしての活動が軌道に乗り始めた1985年(当時25歳)、『Romanticが止まらない』が大ヒットしました。この曲は日本中で大ブレイクし、一躍人気バンドの仲間入りを果たします。同年にはNHK紅白歌合戦にも出場し、バンドはさらなる人気を獲得していきました。
田口智治さんはC-C-Bでキーボード演奏のみならず、作曲・編曲の才能も発揮します。バンド内では「C-C-Bの頭脳」と称されるほど、音楽センスには定評がありました。また、メンバーの中では年上チームと年下チームの中間的存在として、バンド内のムードメーカーも担当しています。明るく優しい性格で、メンバー間の潤滑油としての役割も果たしていました。
引用元:Suponicih Annex
C-C-B時代の田口智治さんは、華麗なキーボードプレイで観客を魅了していました。ジャニーズのバックにいた経験から、キーボードを操る姿はまるで踊っているかのように華麗だったと言われています。また、このころの田口さんはメンバーカラーとして紫色を担当していました。
1986年から1988年にかけても、C-C-Bはヒット曲を連発し、人気絶頂期を過ごします。しかし、1989年(当時29歳)、活動のピークを過ぎたC-C-Bは惜しまれつつも解散することになりました。田口さんは29歳での新たな出発となります。

人気絶頂期だったC-C-Bの解散の理由はなんだったの?

それは、特に人間関係の悪化や決定的な事件があったわけではなく、音楽性や活動スタイルの変化、人気の低下、メンバーの心身の負担などが重なり合い、「これ以上続けてメンバーを嫌いになりたくない」という前向きな決断によるみたい!
30代・40代(1990年~2010年)
引用元:YouTube
田口智治さんは1989年10月のC-C-B解散後、1990年頃(当時30歳)から森田哲朗さん、丸岡浩司さん、野口薫さんとバンドを結成し、「ECLIPS」と名付けて1994年(当時34歳)まで活動しました 。このバンドでは、C-C-B時代とはまた違った音楽性を追求していきます。
ECLIPSの活動後は、特定のバンドに縛られることなく、自由な立場でさまざまなミュージシャンとの共演や音楽プロジェクトに参加していきます。多くのアーティストやバンドとのセッションやユニットに参加し、C-C-Bの元メンバーとバンドやユニットを組んでライブを行うこともありました 。
1996年(当時36歳)には新たな活動として、渡辺英樹さん、丸山正剛さん、野口薫さんとプログレッシブ・ロックバンドを結成します。同じ年には谷口宗一さん、村田"HIDEO"政隆さん、野口薫さんとも別のバンドを結成するなど、精力的に音楽活動を続けていきました。
1997年(当時37歳)には「mustard」というバンド名に改名したグループでも活動し、1999年(当時39歳)には西川進さんが加入するなど、30代後半も様々なバンド活動を展開しています。この時期の田口さんは、キーボード奏者・ピアニストとしての実力を様々な場面で発揮し、ジャンルを超えた幅広い音楽活動を行っていました。
引用元:ニコニコ動画
田口智治さんは、2004年(当時44歳)に大きな転機を迎えます。この年、渡辺英樹さん、米川英之さんと3人でユニット「ヨネタワタル」を結成し、7月6日に青山円形劇場でライブを行いました 。このライブは即完売の大盛況となり、追加公演が決定するほどの人気でした。
「ヨネタワタル」という名前は興味深い由来を持っています。元々1990年から1993年に存在していた渡辺さん、田口さん、米川さんのファンクラブ名が、このユニット名として復活したのです 。この活動はファンからも温かく迎えられました。
2006年(当時46歳)には新たな試みとして、YouTubeに自身のチャンネル「taguchi gumi」を開設します 。インターネットを通じた音楽活動や情報発信にも積極的に取り組み始めました。このチャンネルでは自身の演奏動画や日常の様子などを発信し、ファンとの交流の場としても活用していきます。

田口智治さんは音楽活動のほかに何かしていたの?

実は田口さんはクリスチャンであることを公言し、その信仰に基づいた社会貢献にも力を注いでいたみたい。音楽活動と並行して、ボランティア活動にも取り組み始めて、音楽を通じた支援活動を積極的に行なっていたわ!
50代以上(2010年~)
引用元:YouTube
田口智治さんは、2011年7月(当時50歳)、「ヨネタワタル」にファンキー末吉をサポートミュージシャンに迎え、「AJ-米田渡-」という名義のユニットを結成しました 。このユニットでは神戸、名古屋、東京などでライブを開催し、C-C-B時代のメンバーが作った楽曲を中心にしたセットリストで演奏を行いました。
同年10月27日51歳の誕生日には「田口智治Birthday Live『田口★祭』」をMt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて開催しました 。翌年も「田口★祭2」を開催するなど、精力的に音楽活動を続けていました。
上の画像は2014年(当時54歳)には「トモちゃんのお誕生日会『タグティーパーティー!』」を川口・SHOCK-ONで開催されたもので、このライブはニコニコ生放送で中継されるなど、ファンとの交流も大切にしていました。
しかし2015年4月27日には腹部に強い痛みを訴え入院し、5月8日に退院 。5月16日には渡辺英樹とのユニット・TANaBEのライブで仕事復帰しました 。
その後も健康問題は続き、2016年1月1日には前年に経験したような強い痛みを腹部に覚え、翌日の検査で大腸に穿孔が認められ、即日大腸の一部を切除する手術を受けることになりました 。約2週間の入院の後、1月15日に退院しています。
引用元:facebook
田口智治さんは、2021年10月4日(当時60歳)、約5年6か月ぶりにFacebookを更新し、同年年頭に5時間に及ぶ頚椎症性脊髄症の手術を受け、ひと月ほど入院していたことを報告しました 。
同じFacebook投稿で田口さんは、心の病を患い、精神科のプログラムに毎日通っていることなどの近況も綴りました 。2024年の裁判での被告人質問では、訪問看護を受けていることや、糖尿病を抱えていること、頸椎症性骨髄症の手術後も「指先や手足が動かない」ことがあると語っています 。
かつて「C-C-Bの頭脳」と呼ばれ、多彩な音楽性で多くのファンを魅了した田口さんですが、60代の現在は健康問題や薬物依存との闘いが続いています。同じバンドの元メンバーだった関口誠人さんは、「田口の事は残念。あいつは悪人じゃないんだよ。むしろとても優しくていい奴です」 とコメントし、その心情を吐露しています。

田口智治さんは自身の健康のために何か取り組んでいたのかな?

2015年に自身が体調を崩して入院してからは、外食を控え、健康を意識した食生活を心がけていたようよ。facebookにも自分が作った料理をあげているわ。タンドリーチキンが得意みたいね!
田口智治さんは事務所に所属してる?
引用元:筆者製作、TOWER RECORD、Amazon
田口智治さんは事務所には所属していません。共同作業者はC-C-Bのほかに「THE GATES」「The Trip White Hornet」「AJ-米田渡-」です。
【画像】田口智治(C-C-B)は結婚してる?3度の逮捕で現在も服役中?
田口智治(C-C-B)は結婚してる?
引用元:東スポWEB
引用元:Sponichi Annex
田口智治さんが結婚しているかどうかについては、はっきりと「結婚している」または「結婚していた」とわかる情報は見つかっていません。
プロフィールやインタビューなどでも、結婚や家族に関する話は出ておらず、最近の報道でも配偶者についての記載は見られません。
また、過去の出来事に関する報道でも家族の存在が語られることはなかったため、現在も独身である可能性が高いと考えられます。公的には「未婚」または「結婚歴は不明」とされています。

田口智治さんはずっと独身で寂しくないの?

田口智治さんは猫を非常に大切にしてまるで家族のようよ。
自身のFacebookで愛猫「チャーリーくん」の写真をたびたび投稿し、その可愛らしい姿を紹介しているの。愛猫の死は大きな精神的ショックだったみたい!
田口智治(C-C-B)は3度の逮捕で現在も服役中?
引用元:X【悲報】元C-C-Bのキーボード奏者・田口智治(65)、ハゲる
— お侍さん (@ZanEngineer) August 1, 2024
これは罪深い…
>C-C-B 元メンバー 覚醒剤取締法違反の罪で逮捕 起訴 pic.twitter.com/4Coo5vqBgR
田口智治さんは、これまでに覚醒剤取締法違反で3度逮捕・起訴されています。
最初の逮捕は2015年7月で、覚醒剤の所持により懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決を受けました。しかしその翌年、執行猶予中の2016年4月に再び覚醒剤に関わり、2度目の逮捕・起訴されました。今回は懲役1年6ヶ月のうち4ヶ月に執行猶予2年がつく判決となり、実際に1年2ヶ月服役したのち、2019年2月に出所しました。
引用元:NEWS WEB
「もう鍵盤から離れて8年という月日が経ちました。最近埃だらけのピアノの蓋を開け、せめて自分が作った曲ぐらいは弾けるだろうと思いカレンダーの裏に大きくコードを書いて弾いてみました。8年のブランクを甘く見てました。鍵盤はそんな簡単に弾かせてくれませんでした」
「今の気持ちを正直に書きます。今は幼い頃からずっと一緒だった鍵盤から解放されたといった思いが強いように思えます。パーセンテージでいったら80%が解放感、残りの20%は自分でもよくわかりません」
引用元:日刊スポーツ
そして3度目は2024年6月、自宅での覚醒剤所持により現行犯逮捕され、同年9月に懲役2年の実刑判決を受けています。判決はすでに確定し、現在も服役中です。田口さんはこれまでに3度の薬物事件で逮捕されており、更生が強く求められる状況にあります。

田口智治さんはにどうして3度目の逮捕になったのかな?

それは、飼っていた愛猫が事故死して、「知人から覚醒剤使用を持ち掛けられ、落ち込む気持ちを紛らわすために使用してしまった」と話しているわ!
田口智治さんがデビューした1982年はこんな年だった!
引用元:ウイキペディア、、nippon,com、NHKニュース
田口智治さんがデビューした1982年は、「500円硬貨発行」、「日航機羽田沖に墜落」、「東北新幹線開業』などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語は、「ネクラ、ネアカ」、「逆噴射」、「ルンルン」などです。流行語大賞は1984年に始まったためこの時はまだありません。
田口智治(C-C-B)のプロフィール・SNS
引用元:LIVE SPOT RAG
プロフィール
- 名前:田口 智治(たぐち ともはる)
- 生年月日:1960年10月27日
- 年齢:64歳(2025年5月現在)
- 出身地:東京都足立区
- 血液型:B型
- 身長:169.5cm
- 趣味:温泉巡り、帽子集め
- 特技:キーボード・ピアノ演奏
SNS
- facebook URL:https://www.facebook.com/taguchigumi/
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@taguchigumi/videos

田口智治さんの帽子を集めるきっかけって何なのかな?

田口智治さんが帽子を集めるようになったきっかけは、「頭髪も寂しくなったこともあり帽子も好んで被っている」と本人が語っているわ。つまり、加齢などによる髪の変化がきっかけで、自然と帽子を集めたり被ることが増えたみたいだね!