連続テレビ小説「ちゅらさん」で一躍有名になり、その穏やかで優しい口調と雰囲気で、沖縄はもちろん日本国民のおばあと慕われた平良とみさん。
演劇、夫との出会い、ちゅらさんへの想い、地元への愛など、おばあと親しまれた平良さんの心には、いつも地元沖縄への愛がありました。
今回は平良とみさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】平良とみは若い頃かわいい!
〜40代(1958年~1978年)
引用元:X2024年3月15日は『走れ!#ケー100』第49話 #放送50周年。
— 発車オーライ・走れ!ケー100 (@monta_ex) March 14, 2024
すなわちK100沖縄上陸 #50周年❗
竹下景子さんや平良トミさんをゲストに前回とは趣がまったく異なる観光的要素も盛り沢山な華やかな娯楽編。
それまでの回より明らかに熱量が高い傑作揃いの沖縄三部作‼️旅の終わりの始まり😞 pic.twitter.com/dP00hK3l5G
平良とみさんは、1928年11月5日、沖縄県那覇市松山町に生まれました。生活が苦しく、母親から進学は厳しいと言われていた平良さんですが、自力で国民学校高等科に進学する為石垣島に渡り「翁長小次郎一座」に入団します。
標準語が励行され、学校で「方言札」が幅を利かせた時代だった為、標準語は上手になったそうですが、唯一直せなかった言葉があり、それが「あやー(お母さん)」だったそうです。
真喜志康忠氏らの指導の下で毎日厳しい稽古に打ち込み、その甲斐あってか母親やおばあ役を得意とする名女優へと成長しました。役づくりの努力を欠かさない真摯な姿勢は後輩からも一目置かれていたそうです。
上の画像は1973年(当時45歳)の時にドラマ「走れ!ケー100」の第49話「助けて!紋太さんの幽霊だ-沖縄の巻-」にゲスト出演した時のものです。やはり平良とみさんといえばの沖縄編での登場だったようですね!

平良さんはかなり小柄な人なんだよね。

そうなの。身長は140とかなり小柄なんだけど、共演した人達は、その小さい体からは想像できないような存在感とオーラがあると、みんな驚くみたいだよ。
50代(1978年~1988年)
引用元:しまくとぅば
1982年(当時54歳)、平良とみさんは、夫の平良進さんと共に、劇団「綾船」を設立しました。
綾船では、演劇はもちろん、沖縄の伝統であるしまくとぅばを後世に残す為、夫の進さんと共に各地で講演会を開いていました。活動は長きに渡って続けられ、忙しい合間を縫っては、沖縄演芸やしまくとぅばの普及、後進の育成に励んでいたそうです。

平良さんは生涯に渡って、沖縄文化の継承に力を入れていたけれど、その中でもウチナーグチ(沖縄方言)を大切にしていたそうだね。

そうだね。小学生の頃は標準語を使うよう言われていたみたいだけど、どうしても直せなくて、方言を話してしまって廊下に立たされた事もあるみたい。
平良さんがそこまでウチナーグチにこだわる理由は、「心がちゃんと表現できるところ」なのだそうよ。ウチナーグチの中でも好きな言葉は「ちむくくる、でーじー(心が大事)」なんだって。
60代(1988年~1998年)
引用元:all cinema
上の画像は1992年、平良とみさん64歳ころに出演したオムニバスドラマ「パイナップルツアーズ」の1コマです。
このドラマは全3話で構成されていますが、平良さんは全話に出演しています。他キャストも沖縄を代表するエンターテイナーばかりで、沖縄らしさ全開のコメディドラマとなっています。
2022年にはデジタルリマスター版で映画が上映されるなど、30年経った今でも色褪せない、沖縄感満載の作品です。沖縄に浸りたい方は是非1度見てみてはいかがでしょうか。
引用元:沖縄タイムス
上の画像は1995年平良さん68歳ころ、戦後50年の節目に上映された沖縄戦映画「GAMA 月桃の花」での1コマです。
初上映から20年以上経っても東京を中心に約150回の上映会があり、これまでの観客数は延べ300万人を超えた根強い人気を誇る映画です。
舞台は沖縄、米兵と結婚してアメリカに渡った娘の子供(ジョージ)が、地上戦を生き延びた祖母を訪ね、戦争の悲惨さと一家のわだかまりの融解を描いた映画となっています。

GAMAというのは、沖縄で鍾乳洞という意味があるそうだね。

そうなの。GAMAの使い方は様々で、 祈りの場所でもあり、葬送の場所でもあり、戦時中は防空壕や野戦病院としても使用されていたそうだよ。
70代以上(1998年~)
引用元:映画.com
その後平良とみさんは、1999年(当時71歳)に放送された映画「ナビィの恋」でナビィ役を演じ、平良とみさんは一躍有名になります。上の画像は当時の画像です。
ナビィおばあが初恋の男性と恋に落ちるという恋愛コメディです。この作品を作るにあたっては、1992年に本作を担当した中江監督の作品である「パイナップルツアーズ」での出来事があったのです。
当時、パイナップルツアーズに出演していた平良さんから「私は昔から老け役ばかりなので、恋する乙女の役がやりたい」と言われ、4年を費やし書きあげたのが「ナビィの恋」の脚本だったそうです。
しかし、いざ脚本を持っていったところ、平良さんから「私はそんなこと言った覚えがない」と1度は出演を断られてしまったのだそうです。
これには監督も困ってしまったようですが、結局平良さんは出演を承諾し、事は丸く収まったそうです。平良さんらしい、ほんわかとしたエピソードですね。
引用元:沖縄タイムス
そして2年後の2001年(当時73歳)、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」で主人公の祖母、ハナ役を演じ大ブレイクします。優しい笑顔とゆったりとした語り口で人気者となり、沖縄ブームを巻き起こしました。
上の画像は出演時の写真です。平良とみさんはナレーター兼ヒロインのおばあ役で出演しました。
沖縄が舞台となっており、出演するキャストも沖縄出身の俳優が名を連ねました。平均視聴率22,2%、最高視聴率29,3%と「おしん」に続く高視聴率ドラマとなりました。
平良さんがちゅらさんに出演するまでには、一筋縄では行かなかったそうで、出演交渉した制作統括の菅康弘さんによると、とみさんの家へ行って「すみませんけど、朝ドラお願いできませんかね」とお話ししたら、初日は「私なんかが朝ドラみたいなものに出てはいけません」と、あっさりと断られたそうです。
それでも交渉を続けるも、次の日には「菅さん、私はね、トートーメー(位牌)を拝まなきゃいけないんだよ。あなたが言う朝ドラ出たら、ずっと東京に行ってないとダメでしょ?だからダメですよ」と言われ、3日目には「私が東京にずっと行ってたら、ウチの父ちゃんがカップラーメンばかり食べるから、体に悪いからダメだ」と断られ続けたそうです。
4日目に行った時「進さん(夫)が、こんなに菅さんが言ってるんだから、出てあげろって」と、4度目にしてやっと交渉が成立したと明かしました。
引用元:woman excite
上の画像は2012年平良さん84歳ころ、「劇場版テンペスト3D」の舞台挨拶に登壇した時のものです。
この映画の舞台は琉球、主人公の女性が、琉球の民を愛し、国をどう思って地に足をつけて踏ん張ったかという女性の生き様が描かれている物語です
平良さんはこの作品にいついて「私も60年芝居をしていますが、こんなスケールの大きい映画に出たことがないし、琉球と中国と日本本土をテーマにした歴史モノは初めてなんですよ。こういう映画に出していただいて、うれしいです。ずーっと芝居をしてきて、良かったなと思います。」と語っていました。

菅さんは、そこまでしてちゅらさんのおばあ役を平良さんに演じてもらいたかったのには、何か理由があるのかな?

そうだね。菅さんは、沖縄を中心に活動していた平良さんを知っていて、ちゅらさんの話が出た時に、真っ先に平良さんが思い浮かんだそうよ。そして「このおばあ役は平良さんしかいない!」と、迷わず出演交渉に行ったそうだよ。平良さんが放つ優しいゆったりとした雰囲気が、まさしく沖縄のおばあそのものだったんだろうね。
【画像】平良とみと夫の馴れ初めはちゅらさん?お墓はどこ?
平良とみと夫の馴れ初めはちゅらさん?
引用元:沖縄タイムス
引用元:やいまタイム
平良とみさんは、13歳の時に入団した石垣島の「翁長小次郎一座」で、後輩だった平良進さんと出会い、1950年(当時22歳)に結婚しています。そして4人の子供にも恵まれました。
お2人は沖縄に拠点を移し、1982年(当時54歳)に劇団「綾船」を創設しました。
夫の進さんは、沖縄県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者の認定を受け、沖縄県文化功労者を受賞するなど、平良とみさんと共に沖縄に貢献している人物でもあります。
平良とみさんが一躍有名になった「ちゅらさん」には、夫の進さんも出演しており、夫婦揃ってちゅらさんブームに一役買っていたようです。

平良さん夫妻は、ちゅらさんで人気を博した後も、地元沖縄を中心に活動していたみたいだね。

そうなの。2人とも沖縄が大好きで、地元愛に溢れているんだよね。
沖縄の芝居を大切にしていて、どんどん薄れていく沖縄のしまくとぅば(沖縄の方言)を後世に残す為に頑張っていたそうだよ。
平良とみのお墓はどこ?
引用元:QAB NEWS CATCHY
引用元:那覇市観光資源データベース
上の画像1枚目は、平良とみさんの告別式の写真、画像2枚目は、那覇市にある沖縄芝居顕彰碑の画像です。
平良とみさんは、2015年12月6日、敗血症により87歳で亡くなりました。
那覇市にあるサンレー那覇北紫雲閣行われた告別式では、友人やファンら約900人が参列し、多くの人に慕われていた平良さんの人柄が伝わる告別式となったようです。
そんな平良さんの優しい人柄から、法名は「淨誠院釋優愛」(じょうせいいんしゃくゆうあい)となったそうです。
平良とみさんのお墓については情報が乏しく、場所も不明なのですが、那覇にある沖縄芝居顕彰碑に、平良とみさんの名が刻まれています。
沖縄芝居顕彰碑とは、沖縄芝居の振興に尽くした先人の功績をたたえ、2012年に建立された記念碑です。沖縄には他にもたくさんの記念碑があるそうなので、沖縄に行った際には足を運んでみてもいいかもしれません。

長年共に過ごしてきた夫の進さんは、辛かっただろうね。

そうだね、結婚して65年という長い時間を共に過ごしてきた2人だからね。進さんは、「つらく寂しい思いですが、とみの芝居への思いを無駄にせず微力ながら頑張ります」と涙ながらに話していたそうだよ。
平良とみさんがデビューした1999年はこんな年だった!
引用元:jiji、kinokuniya、X
平良とみさんがデビューした1999年は、「だんご3兄弟大ヒット」、「乙武洋匡団の書籍「五体不満足」ベストセラー」、「アニメワンピース放送開始」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、小渕恵三元内閣総理大臣の「ブッチホン」と西武ライオンズ時代の松坂大輔投手の「リベンジ」が受賞しました。
平良とみのプロフィール・SNS
引用元:cinefil
プロフィール
- 名前:平良とみ(たいらとみ)
- 本名: 平良とみ子
- 生年月日:1928年11月5日
- 年齢:享年87歳(2015年12月6日逝去)
- 出身地:沖縄県
- 所属事務所:ACO沖縄
受賞歴
- 1956年 琉球新報第2回演劇コンクール個人演劇賞
- 1991年 沖縄タイムス芸術選賞 演劇部門大賞
- 1998年 沖縄県文化功労者表彰
- 1999年 沖縄指定無形文化財「琉球演劇」保持者認定
- 2000年 第9回東京スポーツ映画大賞 主演女優賞
- 2001年 放送ウーマン賞2001特別賞 第30回ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演女優賞
- 2002年 エランドール賞特別賞
- 2003年 沖縄県功労者表彰
- 2011年 総務大臣感謝状
- 2014年 旭日双光賞

平良さんが2014年に受賞している旭日双光賞は、功績の大きい人に贈られる、日本の勲章の1つなんだよね。

そうなの。授賞式は天皇陛下臨席のもとで行われ、内閣総理大臣から受賞者に手交されるんだって。平良さんは、後の会見で「こんな大きな賞頂けるなんて、本当かしら夢かしら」と笑顔で話していたそうだよ。