【画像】戸田恵子は若い頃と顔が変わった?旦那との離婚理由は?アンパンマン声優の経緯は?

女優、声優、タレントとして活躍を続けている戸田恵子さん。

子役から歌手としてデビューし、子供達に大人気なアンパンマン役の声優としても名を馳せてきました。

今回は戸田恵子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】戸田恵子は若い頃と顔が変わった?

10代(1967年〜1977年)

引用元:X

名古屋出身の戸田恵子さんは、1968年(当時11歳)からNHK名古屋放送児童劇団に在籍し、1969年(当時12歳)には中学生日記シリーズの『中学生群像』で子役として出演されていました。

上の画像は1973年(当時15歳)NHKドラマ『中学生群像』の後の『中学生日記』出演時のものです。目元に面影が残りますよね!

歌も好きで、フジテレビの『日清ちびっこのどじまん』で東海地区チャンピオンになったことを機に、母親から勧められ『NHK名古屋放送児童劇団』のオーディションを受けたそうです。

引用元:XX

ドラマ出演後は、アマチュアフォークバンドのボーカルとして活動されていたそうですが、地元テレビ局のプロデューサーに出会い「歌手になりませんか?」とスカウトされ、15歳で単身上京されました。

そのときは「私も山口百恵のようになれる」と本気で思っていたそうです。

その後、1974年(当時16歳)『あゆ朱美』という芸名でアイドル演歌歌手としてデビューします。ところが、歌手としては成功せず、4曲歌を出しましたがいずれもヒット曲はありませんでした。上の画像は歌手デビュー時の音楽番組とレコードのジャケットです。

全く売れなかった4年間の歌手活動のなか、並行してバラエティ番組にも出演し、コントをされていたそうです。この頃の経験が戸田さんに「コメディエンヌになりたい」という気持ちを芽生えたさせたとお話しされています。

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周りはどんどん売れていく中、なかなか売れず1人悶々と悩んだ末、戸田さんは20歳を前に芸能界を辞めようと決心していたそうです。

そんな中、1977年(当時19歳)演出家で声優でもある野沢那智さんに声を掛けられ、劇団『薔薇座』に入団します。

もったいない。せっかく東京に来たんだから、何か他にやれることがあるんじゃないか」と戸田さんが歌手を辞めるという話が耳に入ったようで、劇団にお誘いいただいたとお話しされていました。本格的に演技の勉強を始め、何もかもが新鮮で、芝居の世界にどんどんのめりこんでいったそうです。

上の画像は1977年劇団薔薇座第3回公演のパンフレットです。『アップルツリー』は、1966年にブロードウェイで誕生したミュージカルで、日本では劇団薔薇座が初演しました。

ここまで出会った人のご縁でお仕事が続いていくとは、戸田さんには人を惹きつける才能があるのでしょうね。

ギモンくん

戸田恵子さんは、『あゆ朱美』さんという名前で活動されていたんだね!

カイケツさん

戸田さんが歌手デビューされた頃に『あ』から始まる歌手は売れるという理由で事務所の方がつけてくれたそうよ。でも演歌歌手として鳴かず飛ばずだったから、「苗字と名前で『あ』を2個もつけて欲張ったのが悪かったのかも」とご本人がおっしゃっていたとか…

20代(1977年〜1987年)

引用元:XX

戸田恵子さんは、1979年(当時22歳)野沢さんに紹介され、実写版『眠れる森の美女』のオーロラ姫役で声優デビューを果たしました。

当時の劇団員は生活のためにアルバイトをしており、野沢さんから「どうせなら同じようにしゃべる仕事で稼げたらいいじゃないか」と声優の仕事を紹介してもらったそうです。

デビューのオーロラ姫役について戸田さんは、「よくよく考えたら、すぐ眠ってしまうので、セリフがあまりなかったんですよね」とお話されていました。

特にこの年は声優として、アニメ『機動戦士ガンダム』のマチルダ・アジャン役で大きな注目を集めました。

上の画像は1981年(当時24歳)アニメ雑誌に載った『伝説巨神イデオン』と機動戦士ガンダムのマチルダ・アジャンが歌う『いまはおやすみ』です。

初めて声優として、イデオンでは正式なレギュラーの役をもらい、さらにエンディングテーマ『コスモスに君と』も戸田さんが歌われていました。『いまはおやすみ』はファーストガンダムファンにも人気の挿入歌だったそうです。さすが、素敵な歌声ですよね。

引用元:X

声優の仕事はアニメファンだったわけでも、興味があって始めたわけではなく、生活のためのものだったため、2度目の仕事のあとすぐ事務所に「声優は向いてないと思う」と伝えていたほど大変だったそうです。

そんな中でレギュラーを持ち、演じていくうちに面白さもわかるようになり、次第にセリフに合わせて自分らしい感情が出るようになったとお話しされています。

上の画像は1983年(当時26歳)アニメ『キャッツアイ』のものです。美人3姉妹の怪盗集団で、次女の来生瞳役を演じられました。

この頃のアニメ雑誌では、キャラクターの声優さんがコスプレをするんですね。戸田さんもレオタード姿がとてもお似合いです!

戸田恵子さん
引用元:SPICE

戸田さんは1985年(当時28歳)『ゲゲゲの鬼太郎』の3代目鬼太郎として、第3シリーズおよび劇場版の声を担当されました。

私が『ゲゲゲの鬼太郎』の3代目鬼太郎の声を演じられた事は大変、光栄なことでした。1、2代目の野沢雅子さんのすぐ後を務めたわけで、当然プレッシャーもありました」と当時を振り返られています。

 そんな中作者の水木しげるさんとお会いした際、プレッシャーでいっぱいの戸田さんへ、優しく静かに「貴女らしく頑張ってください」と励ましの言葉をいただいて、鬼太郎役は戸田さんにとっても勉強になり、貴重な経験となりました。

上の画像は1985年ミュージカル『ザ・ミュージックマン』のものです。

ブロードウェイでロングランを果たしたこの作品は、日本では博品館劇場で初演され、戸田恵子さんは野口五郎さんと共演し、大衆芸能を対象とした蘆原英了賞を受賞されました。以降、劇団薔薇座の看板女優として活動します。

ギモンくん

子役を経て歌手デビューした戸田さんが、ミュージカル女優になるって、とても自然な流れに見えるよね。

カイケツさん

そうよね!そして20代で初めてニューヨークを訪れてミュージカルを観劇されたんですって。
以来40年以上、毎年1回から3回は必ずブロードウェイでお芝居を観られているんですって。ミュージカルに魅了されてしまったのね!

30代(1987年〜1997年)

戸田恵子さん
引用元:yomiDr.

1988年(当時31歳)主演に抜擢された『スイートチャリティー』では文化庁芸術祭賞を受賞されます。

上の画像は当時の舞台についてお話しされている戸田さんです。この翌年には薔薇座を退団し、『渾・身・愛』で紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞しました。舞台女優としてますます活躍をされていきます。

同年には『それいけ!アンパンマン』のアンパンマン役に抜擢され、以来2025年現在もアンパンマン役を務められています。

戸田恵子さん
引用元:アメブロ

1989年(当時32歳)にはジブリ映画『魔女の宅急便』オソノさん役、1990年(当時33歳)からは『きかんしゃトーマス』のトーマス役として活躍されます。

きかんしゃトーマスはイギリスのウィルバートオードリー牧師が『汽車のえほん』を原作とする映像作品でした。

日本では幼児向けの長寿番組『ひらけ!ポンキッキ』内のコーナードラマとして放送を開始し、声優のキャスティングには、当時人気があった俳優の森本レオさんや戸田恵子さんが起用されました。

トーマスの声を第1シーズンから第8シーズンまで担当し、役の降板後から現在(2025年3月時点)も自身が実行委員長を務める『キネコ国際映画祭(キンダー・フィルム・フェスティバル)』のイベントなどでトーマス役としてライブ吹替えを行っているそうです。

上の画像はその当時、1991年(当時34歳)西城秀樹さんとのシンガポールで撮ったツーショット写真です。

西城秀樹さんとは戸田さんが芸名『あゆ朱美』として活動していた頃からの付き合いで、特に30代の頃は仲が良く、家族ぐるみ密なお付き合いをされていたそうです。多くのお仕事に忘れてしまいそうになりますが、戸田さんは元子役で、アイドル歌手でした。

引用元:Instagram

戸田恵子さんは1994年(当時37歳)金子修介監督の『毎日が夏休み』で映画初出演を果たしました。30代後半から本格的に映画やテレビでの女優活動を始めることになります。

1997年(当時39歳)脚本家の三谷幸喜さんからの熱烈なオファーを受け、初めての連続ドラマに出演します。

三谷さんは戸田さんが劇団薔薇座に在籍されていた頃から、公演をよく見に来る戸田さんのファンだったそうで、戸田さんもいつか三谷さんの舞台に呼ばれるかもしれないと淡い期待を抱いていたそうです。

ところが、オファーは舞台ではなく連続ドラマということで、最初は他の舞台と被ってる時期でもあり、年齢的にも新しい仕事に勇気が無く、出演のオファーを丁寧に断っていたそうです。

それでも三谷さんから「お断りの理由は何ですか? 戸田さんのことをずっと拝見してきた僕が書くので、なんら心配はいりません」と、何度も出演を説得されたそうです。

上の画像がオファーを受けた1997年の月9ドラマ『総理と呼ばないで』のものです。その後すぐ、三谷幸喜さん初監督映画『ラヂオの時間』のオファーも受けることになりました。

ギモンくん

アニメだけでなく、洋画の吹き替え声優としても、そうそうたる女優さんの声を担当されているよね。

カイケツさん

『プリティ・ウーマン』のジュリア・ロバーツさん、『羊たちの沈黙』のジョディ・フォスターさん、『エイリアン』のシガニー・ウィーバーさん、『X-ファイル』のスカリー調査官役ジリアン・アンダーソンさんの声を担当しているよ。
今思い返しても、全て同じ声だったなんて本当に信じられない!戸田恵子さんの声だけで演じ分けていた凄さがわかるわね。

40代以上(1997年〜)

引用元:Instagram

1997年(当時40歳)戸田恵子さんは映画『ラヂオの時間』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞しました。

その後さらに女優として世間に認知されたのは、上の動画の1998年(当時41歳)からスタートしたテレビドラマ『ショムニ』の徳永あずさ役でしょう。

1998年、2000年、2002年、2003年SPドラマ、2013年と4シリーズ続いたヒット作品で、戸田恵子さんが女優としてブレイクするきっかけとなった作品でした。

毎年ショムニメンバーが集まって、悲喜こもごもの話が尽きません。もちろん、仕事などもあるので全員出席ではないけれど、アッと言うまに時が過ぎますね。いつも笑いが絶えません。」と今も交流があり、早めの還暦祝いをしてもらったり、集まりを大切にされていることが書かれています。

戸田さんの2017年(当時60歳)のブログには、年に1度の『ショムニ会』が行われ、すでに15回目であることが明かされています。

戸田恵子さん
戸田恵子さん
引用元:ORICON MUSICスポニチ

40代以降はドラマや舞台女優としての知名度が上がり、声優としてはアンパンマンの活動がメインになります。

そんな中、2007年(当時50歳)にはアルバム『ACTRESS』で歌手“戸田恵子”として再デビューを果たしました。

戸田さんは、歌手と呼ばれることにまだ慣れないと話され、「あれから30数年経ったけど、(今回は)たくさんの経験をしてきたから“大人”の歌になります。でも(デビュー時と)気持ちは変わらない。今の等身大のままを表しています」とコメントされました。

2017年(当時60歳)には還暦記念ライブショーを開催し、過去の演歌歌手時代の歌も披露されました。

いまだに衰えない若さの秘訣を聞かれ、「十何年ぶりにぬか漬けを始めました。家を離れることが多くてなかなか続けられなかったけど、今回のぬかはドラマの撮影中も新幹線で運んでかき混ぜています」と報道陣を驚かせていました。

上の画像は2007年、2017年の時のものです。2025年には68歳になる戸田恵子さん。美貌もスタイルも歌声も変わらず、本当に素敵です。

これからも小さな子供から大人世代にまで親しまれる戸田恵子さんは、唯一無二の存在として輝き続けると思います。

ギモンくん

戸田恵子さんは、本当に多才な女優さんだよね。
舞台に映画にドラマに歌手に声優にナレーターと・・・

カイケツさん

他にもディナーショーや講演会、ボランティア活動など常に新しいことに挑戦されているわよね。
戸田さんは『集中力』を大切にしていて、ニュートラルな気持ちでいるために日常のつまらないことで悩まないようにしているそうよ。

私の仕事は大きなデパートのようなもの。声優のフロア、舞台のフロア、映画やテレビドラマのフロア、それぞれの階を、エレベーターでスムーズに行き来できるように常に努力する。品ぞろえも良くして、棚卸しもして。老舗のお店に負けないぐらい、各フロアを充実させたいっていう気持ちがいつもあるんです。

引用元:Wendy Net

戸田恵子さんが所属する”ルックアップ”には他に誰が所属してる?

戸田恵子さん
引用元:narrow

戸田恵子さんの所属するルックアップには、戸田恵子さんご本人のみが所属する個人事務所です。

青二プロダクション、グランパパプロダクションを経て、ルックアップを設立されました。

【画像】戸田恵子と旦那の離婚理由は?アンパンマン声優の経緯は?

戸田恵子と旦那の離婚理由は?

引用元:XX

戸田恵子さんは、現在(2025年3月時点)、独身で子供もいませんが2度の結婚歴があります。

1人目のお相手は1981年(当時24歳)8歳年上の声優、池田秀一さんでした。『アニメディア』1981年7月創刊号には、1981年5月9日の結婚式の様子が紹介されています。

無敵鋼人ダイターン3』というアニメがお互いに声優デビュー作で、その後の『機動戦士ガンダム』で再共演されています。

戸田さんは『ガンダム』の頃はまだ声優2作目で、なかなか慣れずどういう風に仕事をしていいのか分からない状態だったそうです。周囲の人たちに支えられて続けられたとお話しされています。

ところが結婚生活は短く終わり、離婚時期もわかりません。そして離婚に至った詳しいことはお話しされていません。

まあ、なんといっても、シャア役の池田さん(池田秀一)と結婚したということが、私にとっては大きな事ではありましたが……。“ジオン軍と連邦軍の結婚は上手くいかなかった”ということで、いつもオチをつけているんですけど(笑) 声優の仕事を始めた頃の話は、本当に思い出がいっぱいで、いつ思い出しても胸が熱くなります

引用元:ニッポン放送

『機動戦士ガンダム』キャラクターでは、地球連邦軍のマチルダ(戸田さん)とジオン公国のシャア(池田さん)は敵対関係にありました。

離婚から何年も経った現在でも、このように当時のことをお話しされたり、2人で対談をされたり、関係は良好のようです。

戸田恵子さん
引用元:FRIDAY DIGITALX

2人目は、1990年(当時33歳)に1歳年下の俳優井上純一さんと結婚されました。

1987年(当時30歳)劇団薔薇座の舞台『踊れ艦隊のレディたち』で共演したことがきっかけで、1988年(当時31歳)には交際宣言をし、結婚に至りました。

お2人は都内に画廊をオープンしたり1998年(当時41歳)には豪邸も建設されていましたが、2006年12月(当時49歳)に離婚されていたことが週刊誌によって発覚したそうです。

ご本人たちははっきりと離婚の原因をお話しされていない上で、事務所も「今でも連絡を取り合ったり、色々と相談している」と円満離婚を強調されているそうです。

ギモンくん

週刊誌によると、戸田さんのお母さんの看病と井上さんの新興宗教入信が原因だと書いているみたいだね。

カイケツさん

戸田さんが病気の実母のために病院近くに家を借りて、母と2人で暮らしたことが別居のきっかけだけど、その前から井上さんが宗教の講演会に熱心に通っていたことも、戸田さんが快く思っていなかったって話ね。
原因は2人にしかわからないことなんだから、「離婚しました」って事実だけじゃダメなのかしらね。

戸田恵子のアンパンマン声優をすることになった経緯は?

戸田恵子さん
戸田恵子さん
引用元:MAN TAN WEBアメブロ
引用元:X

アンパンマンといえば、戸田恵子さんの代名詞でもあり、現在に至るまで続く戸田さんの代表作でもあります。

ところが、当初はアンパンマンのオーディションにすら呼ばれていなかったそうです。

アンパンマン役の選考が難航していたところ、監督が戸田さんの声を聞き、原作者のやなせたかしさんにデモテープを渡し推薦し、「この人でいきましょう」と戸田さんが選ばれたそうです。

戸田さんは「アンパンマンは“世界一弱いヒーロー”なんだよ」と収録の最初にやなせさんがお話しされたことが1番印象に残っているそうです。

困っている人がいれば、自分の顔をちぎって、力が弱くなることもいとわない。誰かのために“自己犠牲”できるのがアンパンマンなのだ」とおっしゃられていたそうです。

それまで当たり前だった “強くてカッコいい”ヒーロー像とは全く違う存在だったとお話しされています。

戸田さんは、このヒーローをどう演じようかと悩んでいた中で「スタイリッシュなアンパンマンを求められているのではない。むしろ日常の優しさを大切にしていこう」と“やなせイズム”のようなものを汲み取って演じてみたところ、先生や監督から直されることはなかったそうです。

ギモンくん

日本を代表する絵本作家のやなせたかしさんとの出会いは、戸田さんに大きな影響を与えたんだね。

カイケツさん

先生は会うたびに『人が喜ぶことをおやりなさい』と仰っていましたね。アンパンマンを続けていることで、みなさんに喜んでもらえているのだったら、私は一本でも、少しでも長くやりたいと思っています。」とお話しされているわ。

戸田恵子さんがデビューした1974年はこんな年だった!

小野田寛郎陸軍少尉ルバング島から帰還
セブンイレブンが第1号店を出店
超能力者ユリ・ゲラー来日
引用元:47NEWSWalker plusMOVIE WALKER

戸田恵子さんが歌手デビューした1974年は、「小野田寛郎陸軍少尉ルバング島から帰還」、「セブンイレブンが第1号店を出店」、「超能力者ユリ・ゲラー来日」などの出来事があり、話題となりました。

小野田寛郎陸軍少尉ルバング島から帰還
旧陸軍少尉の小野田寛郎さんは、太平洋戦争が終わった後もフィリピンのジャングルに潜み、戦後29年目に生還されました。昭和19年フィリピンのルバング島に派遣され、昭和49年まで終戦を信じず、密林の中で戦い続けました。

セブンイレブンが第1号店を出店
東京都江東区豊洲にコンビニエンスストアのセブン-イレブン第1号店「豊洲店」が出店されました。1番最初に売れたのはレジの近くに置いていたサングラスだったそうです。

超能力者ユリ・ゲラー来日
超常現象や都市伝説などの「オカルト」が流行していたこの年。超能力でスプーンを曲げ、テレビの向こう側にいるお茶の間の人々に語りかけ、そのハンドパワーで壊れた時計を直してしまう離れ技を中東出身の謎の青年ユリ・ゲラーが披露しました。
日本にも何度か来日し、超能力ブームの火付け役となりました。

また、この年の流行語は、巨人長嶋茂雄選手の「我が巨人軍は永久に不滅です」という引退宣言でした。

戸田恵子のプロフィール・SNS

戸田恵子さん
引用元:animate Times

プロフィール

  • 名前:戸田恵子(とだけいこ)
  • 旧芸名:あゆ朱美
  • 生年月日:1957年9月12日
  • 年齢:67歳(2025年3月)
  • 出身地:愛知県
  • 血液型:O型
  • 趣味:グッズプロデュース
  • 特技:歌・ダンス・茶道・華道・名古屋弁
  • 所属事務所:ルックアップ

SNS

戸田恵子さん
戸田恵子さん
ギモンくん

戸田恵子さんの実家は砂糖の卸問屋だったんだよね。

カイケツさん

ご両親が商売で忙しい中、好奇心旺盛だった戸田さんは、ピアノ・お茶・お華・詩吟・バレエ・剣舞・そろばん・学習塾と毎日のように習い事に通っていたそうよ。

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