漫画家、デザイナーで活躍を続けていた鳥山明さん。
1984年に連載が始まったドラゴンボールでは世界中の読者を虜にしてきました。
今回は鳥山明さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】鳥山明は若い頃から天才?
幼少期・10代・20代(1955年~1985年)
引用元:X鳥山明先生は、デビュー作の『ワンダーアイランド』ですでに、個性的でセンス爆発な画力は備えておられたんですよね。
— MANZEMi_pod (@MANZEMI_bot) March 8, 2024
ここから、一年間で500枚のボツ原稿を食らったわけで。
どうしても画力に目が行きがちですが、この500枚のネームのボツがあったからこそ、漫画家としてあの境地に至られたわけで。 https://t.co/OUm5FM74o1
鳥山明さんは子供の頃から絵を描くのが好きで、育った家庭は貧しく子供の頃は漫画を描くことが唯一の楽しみとしていたそうです。漫画家では手塚治虫さんやウォルトディズニーを尊敬しており、 1番影響を受けたのはディズニーアニメだそうで、ディズニー作品を毎日描いていたそうです。
小学校高学年以降になると、画よりもドラマや映画に興味が移り、漫画自体には触れる回数は少なくなっていったそうですが、絵を描くことは変わらず好きであったため、高校に進学してからは美術部に所属されました。
高校2年の時には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部に『自然を返せ』で入賞をしました。
高校卒業後に、デザイン会社に就職し広告イラストを描いていましたが、方向性の違いから2年ほどで退社をしたそうです。その後は再び絵を描き始め、イラストレーターとして仕事をしていましたが、ほとんど無職に近い状態でした。
そんなときに週刊少年ジャンプの新人賞の募集を見て、賞金欲しさにある新人賞への応募を決意しました。しかし、半年に1度の締め切りに間に合わず、受賞は逃したものの集英社の編集者の目に留まり、その助言を基に鳥山さんは才能を見出しました。
彼のもとで鳥山さんは修行を開始し、1978年(23歳)に週刊少年ジャンプの『ワンダー・アイランド』で漫画家デビューを果たしました。鳥山さんは意外にも漫画家の中では遅咲きのデビューでした。
引用元:テレビ愛知
鳥山さんの転機はデビューから2年後の1980年(25歳)でした。週刊少年ジャンプの5・6合併号よりで『Dr.スランプ』の連載を開始したことでした。
科学者の則巻千兵衛が作った、怪力を誇るロボットのアラレちゃん率いる個性的なキャラがペンギン村で和気あいあいと過ごす日常を描いた物語は瞬く間に人気作品となり、連載から1年で『Dr.スランプアラレちゃん』としてTVアニメ化されました。
アニメは、最高視聴率は36.9%を記録し、歴代アニメ最高視聴率で3位になるなど大ヒットアニメとなりました。
また、アラレ語でもある「ほよよ~」「バイちゃ!!」は1980年代初頭に社会現象を巻き起こしました。

鳥山明さんの画力のルーツって何だったのかな?

子供の頃に絵画教室に通っていて、そこで腕を磨いたそうよ!
あとは鳥山さんはモデラーとしても有名で、作品にもモデラーならではの視点が反映されており、模型作りで空間配置などを学んだのも一因だろうし、持って生まれた才能もあるだろうね!
30代(1985年~1995年)
引用元:ドラゴンボール
鳥山明さんの代表作ともいえる『ドラゴンボール』は、1984年51号から1995年25号までの約10年半にわたって週刊少年ジャンプにて全519話連載されました。
漫画だけではなく、アニメ、映画、ゲーム、グッズ販売なども手掛け、世界80カ国以上で愛読され、累計発行部数は約2億万部に上るといいます。
アニメ化されたドラゴンボールとドラゴンボールZは、1986年~1996年にかけて日本で放送され、その後、『ドラゴンボールGT』や『ドラゴンボール超』などのシリーズが続きました。
引用元:任天堂ホームページ
鳥山さんは漫画だけではなく、国民的ゲームでもある『ドラゴンクエスト』シリーズでキャラクターやモンスターのデザインを1986年(31歳)の第1作目から手掛け『国民的RPG』と評されています。
しかし、実は最初に携わった1986年頃、鳥山さんはゲームに疎く、ロールプレイングゲーム(RPG)という言葉すら分からないレベルだったそうです。
そもそもドラゴンクエストシリーズの仕事自体、週刊少年ジャンプの編集者でもある鳥嶋さんから紹介されたものを軽い気持ちで引き受けたものでした。デザインにあたっては、ゲームデザイナーの堀井雄二さんのラフ画を元にとはいえ、経験値としてはゼロからのスタートということになりました。
発売から30年以上経った現在でも愛されているデザインを生み出してしまうのは、偉業でありますね。

鳥山明さんはすごく多忙なイメージがあるけど睡眠は取れていたのかな?

鳥山明さんの睡眠時間は、多忙の時は1週間で20分だったこともあるそうよ!4日間徹夜した後に20分間の睡眠を取って、その後は更に追い打ちをかけるように3日間仕事をし続けたなんていうエピソードもあるみたい!死に物狂いで頑張っていたのね!
40代(1995年~2005年)
引用元:ドラゴンボール
1995年(40歳)にドラゴンボール連載終了となった後は、同紙及びジャンプ系列誌での読み切り漫画『COWA!』『カジカ』『SAND LAND』などの短期集中連載作品がメインになりました。
「やりたいっすよ、次(の新しい作品)を。そのために(ドラゴンボールの連載を)やめたいと思ったってのもあるし。不器用だから他をやりながらってのがダメなんです。この作品をやって純粋にストーリー漫画の面白さってのもわかりましたし、自分では動きのある絵もやっと描けるようになってきたなあと思い始めた」
引用元:Wikipedia
鳥山さんはドラゴンボール連載終了直後にそうコメントされています。どうやら次の作品を始めるために、ドラゴンボールを終わらせたようですね!
引用元:東映アニメーション
80年代編のリメイク作として、1997年11月(42歳)~1999年9月(44歳)までフジテレビ系列で『ドクタースランプ』がスタートしました。
アラレちゃんの髪の色やデザインにも手を加えられており、新生アラレちゃんとして親しまれてました。タイトルに“アラレちゃん”と追加され、『Dr.スランプ アラレちゃん』としてフジテレビ系列の水曜19時台枠で放送開始となりました。
Dr.スランプといえば、アラレちゃんを主人公とした作品ですが、鳥山さんはもともとアラレちゃんに登場する科学者である則巻千兵衛(のりまきせんべえ)を主人公にするつもりだったようです!
アラレちゃんは、むしろゲストキャラというポジションだったそうで、最初はハカセものを描くという方針を決めてロボットを考えていたところ、担当編集者さんが「ボツ」と判断し、そこで担当編集者さんが気に入りそうな女の子のロボットを登場させることで、企画を通したのがきっかけでした。

鳥山明さんはメディアへの露出はあまりしていないのかな?

元々マスコミなどへの露出を好まなかったそうだけど、特にドラゴンボールの連載後期には顕著になって、小さな町に在住しているため顔がばれるのが嫌だからいう理由で本人の写真が公表、掲載されることは少ないみたい!以前、新しくオープンしたスーパーへ行った際に売場の女性たちからサイン攻めに遭い、なかなか出ることができなかったことがあり、以降はそれまで応じていたインタビューを断るようになり、メディアへの露出も避けるようになったそうよ!
50代以上(2005年~)
引用元:X鳥山先生と尾田先生といえば、対談がきっかけで作られた「ドラゴンボール✕ONE PIECE」の合作漫画『CROSS EPOCH』を思い出すなあ
— まな (@mana__) March 8, 2024
尾田先生がネーム作り、鳥山先生が原稿確認。2人で作った伝説のコラボ漫画…
いつか第2弾がないかと淡い期待を抱いてたけれどそれも叶わぬ夢になってしまった😔#onepiece pic.twitter.com/H2e7eLi69k
週刊少年ジャンプの2007年(52歳)、4・5合併号の目玉企画として鳥山明さんと漫画家の尾田栄一郎さんによる『DRAGON BALL』と『ONE PIECE』の合作漫画であるCROSS EPOCHが掲載されました。
2007年発売の週刊少年ジャンプ特別編集増刊『ONE PIECE 10th Treasures』に収録の尾田さんの画集『ONE PIECE COLOR WALK 1』での鳥山さんと尾田さんの対談がきっかけで、合作の企画が持ち上がり、掲載された3年前よりプロジェクトは始動しておりました。
巻末のコメントで尾田さんは「双方のファンに気を遣いつつ、自分が一番楽しんでいた」といった趣旨の発言をしていました。両作品のキャラクターの競演を楽しむといった作品であり、ストーリー性はほとんどないものでしたが、ONE PIECEとDRAGON BALLのキャラクター同士がペアを組んで活躍する作品となりました。
引用元:SAND LAND
鳥山明さんがアシスタント無しで1人で描いた伝説の作品で“圧倒的完成度を誇る名作"『SAND LAND』は、2000年23号から同年36・37合併号まで『週刊少年ジャンプ』で連載されていましたが、時を経て2023年(68歳)には鳥山明さんのインタビューや設定資料を加えた『SAND LAND 完全版』が発売されました。
同年8月18日(金)には日本で映画が公開されました。
映画を観た人の感想として「綺麗な話で進むスピードも丁度よく最後まで飽きずにワクワクしながら見える作品」「鳥山明先生の伝えたい事が伝わる作品だと思います。本当に最高で面白かった」などと鳥山作品に対しての絶賛の声が上がっています。
様々な伝説を残した漫画の巨人、鳥山さん功績は、今後も多くのファンの記憶に残り続けることでしょう。

鳥山明さんは漫画を通して読者に伝えたいことはあったのかな?

鳥山さんは自分の役目は娯楽に徹することだと思っていて、ひと時楽しい時間を過ごしてもらえたら何も残らなくてさえ良いと思っているみたい!意識をしてメッセージを伝えようとは思っていないみたいだね!
鳥山さんは漫画の内容は健全な内容も苦手で、実は話に毒が入っていたりすることもあるみたいよ!
鳥山明さんが所属する”バードスタジオ”には他に誰が所属してる?
引用元:毎日新聞
鳥山明さんの所属するバードスタジオは、1982年5月に設立した非上場株式会社で、代表取締役は妻の鳥山由美さんです。
【画像】鳥山明の死因は何?子供はいる?資産総額は?
鳥山明の死因は何?
引用元:毎日新聞
鳥山明さんは2024年3月1日に急性硬膜下血腫で急逝しました。68歳でした。
急性硬膜下血腫とは?
引用元:社会福祉法人 恩賜財団 済生会
頭蓋骨の下にある硬膜(脳と脊髄を覆う膜の一つ)と脳の間に出血が起こり、そこに出血した血液が急速にたまることで、脳を強く圧迫する状態です。あらゆる年齢層に起こりえますが、高齢者に多いのが特徴です。
所属する株式会社バード・スタジオと、鳥山明さんの作品の映像、メディア展開事業を担う株式会社カプセルコーポレーション・トーキョーは連名でコメントも発表しています。
「ファン、関係者の皆さまへ 突然のご報告になりますが、漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした。熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います。」
引用元:集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト
たくさんの人に夢を与え、鳥山明さんの作品で育った方も大勢いらっしゃるでしょうし、まだまだ作品を見たかったですが、残念でなりませんね。

鳥山明さんの訃報は海外でも悲しみの声がたくさん届いているかな?

マクロン仏大統領は訃報を受けて、Xで追悼、中国外務省の報道官は「心からお悔やみ申し上げます」と哀悼の意を示し、韓国のファンの方々は「子どものころにいっぱい読んだ。懐かしいです」「残念です。私の少年時代をともにした漫画の作者だった」などと悲しみの声が沢山届いたみたい!
今までもこれからも世界の人々に愛されていくことでしょう!
鳥山明に子供はいる?
引用元:Instagram
引用元:Instagram
鳥山明さんは1982年(27歳)に結婚しており、奥様との間には3人の子供がおり、男の子が1人と女の子が2人います。
子供たちの中でも、特に長女の鳥山きっかさんが注目されており、現在(2025年2月時点)きっかさんはイラストレーターとして活動しています。
鳥山明の娘として、大々的に名を売り出してるわけではなく、鳥山明さんの名声に頼らず地道にイラストレーターとして活動されていましたが、2004年(49歳)の読売新聞にて、中学生の時に『読売国際漫画大賞』のジュニア部門に参加したことがあり、鳥山明さんの娘と紹介されていました。
きっとお父様の遺伝子を受け継いでいて絵の才能もすぐれていることでしょう。

長女のきっかさん以外もメディアに出たことはあるのかな?

息子の鳥山佐助さんは幼児の頃に、単行本帯コメント(旧版)に赤ちゃんの頃の写真が写っていたり、鳥山さんの補助として、映画『スーパーヒーロー』の制作などに携わっていたこともあるみたい!
ちなみに次女の情報は非公表みたいね!
鳥山明の資産総額は?
引用元:MSN
鳥山明さんは『ドラゴンボール』や『Dr.スランプ』が大ヒットし、作品は漫画、ゲーム、グッズ販売など幅広いメディアで成功を収め、日本の漫画・ゲーム業界における伝説を生み出しました。
特に『ドラゴンボールZ』は、世界中で4億部以上の漫画が販売され、80ヵ国以上でアニメが放送されています。
鳥山明さんの年収や資産について、具体的な数値は公開されていないものの業績は世界中に広がり、過去の業績からも収益がいかに大きいかを予測することができます。
また、アニメやゲームなどを含めたシリーズ全体ですと、累計の経済効果は230億ドル(3.4兆円)以上といわれており、これは日本の漫画市場1位となる数字です。これらのことを踏まえると鳥山明さんの資産は数百億はくだらないと思われます。

鳥山明さんの才能ってどんなところだろう?

鳥山さんの才能は、ニーズを捉えた作品や、圧倒的な画力だね!
手塚治虫さんや、尾田栄一郎さんなど多くの漫画家も絶賛しているみたい!手塚治虫さんは「彼はぼくの後継者。」と語るなど、鳥山さんのその才能に一目置いていたみたいね!
鳥山明さんがデビューした1978年はこんな年だった!
引用元:日本経済新聞、NHK、ツギノジダイ - 朝日新聞
鳥山明さんがデビューした1978年は、「サンシャイン60開業」、「成田空港開港」、「サザン、勝手にシンドバッドでデビュー」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語は、「ナンチャッテおじさん」、「フィーバー」、「窓際族」などがありました。
鳥山明のプロフィール・SNS
引用元:CREA WEB - 文春オンライン
プロフィール
- 名前:鳥山明(とりやま あきら)
- 生年月日:1955年4月5日
- 年齢:68歳没(2024年3月)
- 出身地:愛知県西春日井郡清洲町
- 血液型:A型
- 趣味:模型制作、バイク
- 所属事務所:バード・スタジオ
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/akira.toriyama

漫画家の方はペンネームを使っている方が多いよね?
鳥山明さんは本名を使っているけれど何か理由があるのかな?

デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っていて、ペンネームを使う発想もなく本名を使ったみたい!
Dr.スランプ第11巻によれば鳥山という苗字は愛知県に3軒しかない変わった名前で、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たみたい!
鳥山さんは本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したことなんだって!