お笑いタレントや俳優、映画監督としても活躍を続けている内村光良さん。
南原清隆さんとウッチャンナンチャンとしてコントを主要に活動しており、ショートコントというジャンルを確立した第1人者で、『人を傷つけないお笑い』で人気を博しました。
今回は内村光良さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】内村光良(ウッチャン)は若い頃イケメン!
20代(1984年~1994年)
引用元:Instagram
内村光良さんは、映画監督を志して高校卒業後に横浜放送映画専門学校の演劇科に入学しました。
1984年(当時20歳)の時、漫才の授業をきっかけに南原さんとコンビを結成しました。当時のコンビ名は「おあずけブラザーズ」で、フジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』内で結成した片岡聖子さんと井上明子さんのユニット「おあずけシスターズ」をもじって命名したそうです。
卒業後の1985年(当時21歳)、漫才の講師を務めていた内海桂子・好江さんの勧めでマセキ芸能社に所属し、『お笑いスター誕生!!』に出演しました。
南原さんが思いつきで命名した「ウッチャンナンチャン」にコンビ名を変えて出演しましたが、どっちも長男だったことから「ちょうなんず」にするか迷っており、スター誕生のスタッフに名前を変更できるか聞いたところ、「もう、『ウッチャンナンチャン』で作ったから」と美術発注してしまっていたので変更できず、そのままコンビ名が定着したそうです。
上の画像はデビューしてまもない頃のウッチャンナンチャンです。内村さんは幼少期から肌が白かったそうです。
引用元:X小5の時に人生で初めて熱狂的に好きになった芸能人が内村光良なんですが、今はオジサンキャラになってるけど若い時ハンパなくかっこいいんですよね… pic.twitter.com/24Ef7HOq6I
— おだやか生活 (@hoshiasahi07) December 31, 2018
内村光良さんは、1986年(当時22歳)の時に始まった「ラ・ママ新人コント大会」という渡辺正行さん主催のお笑いライブにウッチャンナンチャンで出演していました。そこで、ネタの冒頭に「コント、〇〇」と称してから始める短めのコントを連発するスタイルのネタを多く作り、人気を獲得しました。
ショートコントというフォーマットは、今ではとてもポピュラーなものですが、一般的に認知させたのはウッチャンナンチャンであると言われており、後輩芸人にも甚大な影響を与えました。
上の画像は若い頃の内村さんです。SNSでは”ウッチャン イケメン”で何件もヒットするほど、皆さんが若い頃の内村さんをかっこいいと思っているようです!
引用元:文春オンライン
1988年(当時24歳)の時にブレイク前のダウンタウン、清水ミチコさん、野沢直子さんとウッチャンナンチャンの6人でフジテレビの深夜番組『夢で逢えたら』の放送が開始されました。
コントやトーク、音楽などさまざまなコーナーがあり、特に台本から発展しアドリブ合戦となっていたコントは、若者を中心に人気のコーナーでした。深夜番組としては異例の最高平均視聴率が20.4%という高視聴率を叩き出し、同番組をきっかけにウッチャンナンチャンの知名度が上昇しました。
その後、1990年(当時26歳)に『とんねるずのみなさんのおかげです』が半年間休止することに伴い、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』がスタートしました。
番組名にもある『誰かがやらねば』は番組の休止により空白を埋めるための番組だったことからつけられたそうです。『夢で逢えたら』のテイストでゲストを交えたコントを演じ、人気を博しました。
上の画像は『夢で逢えたら』に出演していた時の、ウッチャンナンチャンです。文春の『自分史上最高のバラエティトップ10』の第10位に選ばれるほど、人気の番組だったようです。
半年間限定だった『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』が好評だったため、時間帯を改め『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』が放送を開始しました。時事ネタや人気ドラマ、ミュージシャンを題材としたパロディーコントで高視聴率を叩き出しました。
こうしてウッチャンナンチャンは、90年代のお笑いブームの中心的存在になり、とんねるずやダウンタウンに続き、「お笑い第3世代」として若年層を中心に多大なる人気を獲得しました。

内村さんは、映画監督志望だったけど、お笑いには興味あったのかな?

小学生の頃にドリフのコントを真似したり、もともとお笑いは好きだったみたいだよ!映画監督になりたくて入った専門学校で、なぜか授業のカリキュラムにあったお笑いで魅力に取りつかれて、お笑いの世界で1等賞をゲットしようと思ったみたい。
30代(1994年~2004年)
引用元:ORICON NEWS
内村光良さんは、1995年(当時31歳)の時に『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の企画から、千秋さん、ウド鈴木さんの3人で『ポケットビスケッツ』という音楽ユニットを結成しました。
翌年の1996年4月(当時32歳)に『Rapturous Blue』でCDデビューし、同年9月に発売した2ndシングル『YELLOW YELLOW HAPPY』を筆頭に『Rad Angel』『POWER』でミリオンセラーを達成しました。
1998年(当時34歳)にはポケットビスケッツとして第49回NHK紅白歌合戦に出場するなど、番組の企画として誕生したグループとしては異例の人気を博しました。
上の画像は『POWER』のジャケット写真です。発売前のインタビューで「企画ものは一発で終わるけど、ポケビはもう4年目。こんなに続くなら、念入りなメークしなかったのにな」とお話ししており、凄まじい活躍は予想外だったそうです。
引用元:Instagram
1999年8月(当時35歳)「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の企画で、ドーバー海峡横断部を発足し、遠泳リレーでドーバー海峡を16時間37分かけて泳ぎ切り、世界的快挙となりました。
内村さん、よゐこ濱口さん、神尾米さん、藤井貴彦さん、堀部圭亮さん、ウド鈴木さんとマネージャーとして千秋さんの7人で行われた企画でしたが、水泳に関しては素人の集まりであったため、泳ぎの練習や遠泳の大会に出場するなど徐々に経験を積んでいったそうです。
2年以上の準備期間を経て挑戦し、内村さんは後に「人生で1番キツかった仕事」だと語っていました。
上の画像は、ドーバー海峡横断部の25周年会として、2024年に全員が集合した写真を「一生ものの仲間です」と千秋さんのInstagramにて投稿されたものです。長い準備期間と様々な苦難、誰も予想していなかった成功を成し遂げた7人の絆はとても深いものでしょう。
引用元:モデルプレス
2000年(当時36歳)からテレビ朝日系列のバラエティ番組『内村プロデュース』が放送開始されました。
大喜利やアドリブコントなど即興ネタの企画と、出演者の和気藹々とした雰囲気をそのまま伝えたような番組制作で、お笑いファンから支持を集めており、深夜番組でしたが視聴率は2桁超えの人気番組となりました。
若手の登竜門のような番組で、有吉弘行さんやバナナマンなどが出演しており、今ではレギュラー番組を何本も持っている超売れっ子芸人を輩出した番組となりました。
2005年にレギュラー放送終了後、2008年まで不定期でスペシャル放送を行うなど、長きにわたって視聴者を楽しませていました。不定期放送もなくなり約16年ほど経った2024年、ついに内村さんの還暦で一夜限りの復活SPを放送しました。
上の画像は2024年の復活SPの時のものです。当時の人気企画などを再現されており、視聴者からは「当時を思い出した」「最高」などの声が寄せられました。
同番組をはじめピンでの活動が中心となり、現在(2025年3月時点)では『世界の果てまでイッテQ』や『スクール革命』など10年以上続く番組の司会を務めています。

『内村プロデュース』は人気だったのにどうして終わっちゃったのかな?

テレビ朝日の社員で、現在の妻である徳永有美さんとの不倫を報じられたことにより、上層部の指示のもとテレビ朝日を出禁にされたみたい。『内村プロデュース』に出演していた有吉さんは、同番組にリスペクトを持っており、現在放送されている『有吉の壁』は同番組をオマージュした企画をやっているそうだよ!
40代(2004年~2014年)
引用元:Amazon
内村光良さんは、2006年(当時42歳)の時に『ピーナッツ』という作品で待望の映画監督デビューを果たしました。
出演してくれた仲間と毎週のように飲みに行っており、そこで「草野球やりたいっすね」と言い合っていたことがヒントになり脚本を書き上げました。当初はよりコメディ寄りだったそうですが、アドリブなども入りだんだんとドラマ性を深めていったそうです。
監督と主演を果たした内村さんは「竹中直人さんが監督と主演をされた作品に出演したとき、竹中さんの仕事ぶりを見て勉強させていただきました」とお話されていました。
引用元:札幌経済新聞
2013年(当時49歳)の時に映画監督2作品目となる『ボクたちの交換日記』が公開されました。この作品は鈴木おさむさんの『芸人交換日記〜イエローハーツの物語』という小説が原作となっています。
上の画像は映画公開を記念して、札幌で舞台挨拶をおこなった時のものです。舞台挨拶で内村光良さんは、「鈴木おさむさんに『好きなように料理してください!』と言っていただけたことに後押しされ、自分の実体験も交えつつ、漫才コンビだったのをコントのコンビにするなど原作にない部分も盛り込んだ」とお話しされていました。
伊藤淳史さんと小出恵介さんのW主演で、作中のコントは内村さんが書き下ろしたものです。既存のネタだとあまりウケず、二人のキャラクターに寄せて書いたそうです。
インタビューで内村さんは「コントを誰かに教えるというのは今回が初めてだったので、僕自身も勉強になりました。」とコメントしていました。

映画監督になる夢を叶えたんだね。他に監督した作品はあるのかな?

内村さんが監督した作品は
2006年公開 『ピーナッツ』
2013年公開 『ボクたちの交換日記』
2016年公開 『金メダル男』
2023年公開 『夏空ダンス』の4作品だよ!
それぞれ脚本も書いていて「すごく大変だけど楽しい」と語っていたよ。
50代以上(2014年~)
引用元:Instagram
内村光良さんは、2017年(当時53歳)に第1回目の『内村文化祭』と題した内村さん主催のコントライブを行いました。内容は、内村さんが今やりたいことをするというもので、コントや歌、ダンスなどバラエティに富んだ内容です。
この『内村文化祭』は「今やりたいことをする自己中文化祭だ」とお話しされていました。
上の画像は2024年に還暦を迎えた時の公演の写真です。出演者全員が楽しそうで素敵な笑顔をしており「自己中文化祭」と内村さんは表現していましたが、出演者やスタッフ、観客までも巻き込んで、楽しい気持ちにさせてくれる素敵な文化祭であることが伺えます。
引用元:人吉新聞
2017年(当時53歳)の時に第68回NHK紅白歌合戦の総合司会が決まり、その後4年連続で総合司会を務めました。
この大役に内村さんは「この話を聞いた時、本当に驚きました。全くの予想外のことでした。紅白の総合司会とは一体どんな総合なのか、総合的に体感してみようと思います」とコメントしていました。
また内村光良さんは、2019年2月(当時55歳)の時に、故郷・人吉市の市民栄誉賞を受賞しました。
上の画像は、市民栄誉賞を受賞した際に松岡隼人市長と撮られた写真です。NHK紅白歌合戦の総合司会を2年連続務めたことや、俳優業としても活躍していることが受賞する理由となったそうです。
内村さんは、「帰省するたび、ドライブ、散策をしては故郷の素晴らしさを再認識している。この素晴らしさをもっとアピールしていけたらと思う」と受賞した際に、コメントされていました。

ソロのお仕事ばかりな気がするけど、コンビでも活動しているのかな?

特番ではコンビでの出演があるけれど、レギュラー番組はそれぞれソロで活動していてコンビでやっている番組はないみたい。
でも2025年の春に『ザ・イロモネア』が復活することが決まっているよ!コンビでの活動を熱望しているファンが多いみたいだから、番組復活に合わせてコンビ活動が増えるといいよね!
【画像】内村光良(ウッチャン)は嫁とは不倫?鼻の肥大化はなぜ?
内村光良(ウッチャン)は嫁とは不倫?
引用元:スポニチ
引用元:マイナビニュース
内村さんは、2005年(当時41歳)の時に元テレビ朝日アナウンサーで、現在フリーアナウンサーの徳永有美さんとご結婚されました。
徳永有美さんは、テレビ朝日のディレクターを務める同期の社員と2001年に結婚していましたが、『内村プロデュース』で共演していた内村さんに、夫婦関係について相談している間に仲が深まり不倫関係となってしまったそうです。
2003年4月に、お2人が温泉旅行に行っていたことが週刊誌にて報じられました。同年9月に徳永さんの離婚が成立し、2005年に内村さんと結婚したようです。

徳永さんが相談していた夫婦関係ってなんだったのかな?

元夫からDVがあったという噂だよ。本当にあったか真偽は不明みたいだけど、そのことについて相談していたのかもしれないね。
内村光良(ウッチャン)の鼻の肥大化はなぜ?
引用元:NEWSポストセブン
引用元:スポニチ
内村さんの鼻について、SNSではデカすぎると噂になっていました。若い頃の写真と比較すると、現在のほうが確かに大きく目立って見えますね。肥大化については年齢が関係しているそうです。
鼻は、頭蓋骨の中心にある空洞の上に鼻骨と薄い皮膚と軟骨がのり、それを皮膚で覆う形でつくられた器官で、年齢を重ねて骨の量が減少すると、鼻がある頭蓋骨も萎縮して空洞が広がるそうです。そこに皮膚のたるみも加わりボテッとした印象になると考えられているようです。
つまり老化現象だということです。誰しもがなる可能性があり、特に中高年の方は注意が必要です。

老化現象ということは、対策とかあるのかな?

骨の量が減少してしまうことが原因だから、カルシウムをしっかり取ることが大事みたい。バランスの取れた食事が取れるように、食生活を見直さないとね!
内村光良のプロフィール・SNS
引用元:スポニチ
プロフィール
- 名前:内村 光良(うちむら てるよし)
- 生年月日:1964年7月22日
- 年齢:60歳(2025年3月現在)
- 出身地:熊本県
- 血液型:AB型
- 趣味:映画鑑賞
- 特技:演劇
- 所属事務所:マセキ芸能社
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/uchimurabunkasai2017/
- オフィシャルサイト URL:https://www.maseki.co.jp/talent/uchan_nanchan


内村さんの同期は誰がいるの?

出川哲朗さんやダチョウ倶楽部、今田耕司さんなどがいるよ!
出川さんとは専門学校から一緒で、内村さんがジャッキーチェンさんに似ていることから、学生時代から出川さんだけ「チェン」と呼んでいるみたい。