難役も見事に演じきるダンディな俳優として活躍を続けている渡部篤郎さん。
ミステリアスな存在感にどこか影のある雰囲気で視聴者を魅了してきました。
今回は渡部篤郎さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】渡部篤郎は若い頃イケメン!
10代・20代(1978年〜1998年)
引用元:X X根気出したら『独眼竜政宗』の第17回であっさり渡部篤郎さん見つけた。
— Th_hossy (@Th_hossy) November 26, 2020
画面右。 pic.twitter.com/fRYKLNGNyK大河ドラマファンには有名ですが、この父伊達輝宗が政宗に撃たれるシーンでは、モブで出演していた若い渡部篤郎さんが一瞬だけ写ってました。#独眼竜政宗#麒麟がくる pic.twitter.com/yiXhiUS7Jp
— 一二三 (@nunonofuku123) June 14, 2020
渡部篤郎さんが演技の世界に足を踏み入れたのは高校を中退後、母親のバーを手伝ったり、大道具のアルバイトをしていた頃にエキストラに参加したことがきっかけでした。
東京都の中野区で育った渡部さんは、新宿の映画館やボーリング場が遊び場で、小学生の頃から1人で映画館へ行き、年間100本も映画を見ていたそうです。
母と祖母と3人で生活していた渡部さんは、「離れて暮らしていた父親も映画が好きだった」とお話しされています。
上の画像は1987年(当時19歳)NHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』のものです。エキストラで出演され、出演者としてのクレジットはありませんでしたが、伊達家の足軽役でした。
エキストラといえど、キリッとした目元がかっこいいですよね。
引用元:X渡部篤郎さんと織田裕二さん😂😂若い!😍(1989年 あいつがトラブル第3話) pic.twitter.com/kyRasRGT6L
— 宣ちゃん (@synong) May 11, 2017
渡部さんは俳優丹波哲郎さんの『丹波道場』に18歳の頃から所属していましたが、遊ぶのに忙しくほとんど行かなかったそうです。
20歳の頃には日活ロマンポルノにも出演されていたそうで、この頃は「修行と駆け出しで何でもやった」とお話しされています。
上の画像は1989年(当時21歳)ドラマ『あいつがトラブル』の時のものです。南野陽子さん主演の刑事ドラマで、ゲスト出演されていました。
引用元:Xウインスペクターに渡部篤郎出てるじゃん‼︎ pic.twitter.com/si7bJylJHp
— “DIE”suke (@eroerorocknroll) November 22, 2022
上の画像は1990年(当時22歳)『特警ウインスペクター』です。東映制作の特撮テレビドラマで、ウインスペクターとはヒーローチームの名前になります。この頃までは、まだ本名の渡部篤(わたべあつし)名義での出演でした。
1991年(当時23歳)渡部さんはテレビ東京『青春の門』で主人公・伊吹信介役をオーディションで勝ち取ります。
この時、芸名を『渡部篤郎』と改めて、俳優として本格的なデビューを飾りました。
「オーディションに受かったら、あれよあれよと仕事が入ってきましたから、それからですね。僕は劇団員でもないし、養成所にいたわけでもないので、やりながら興味を持って職業として選んだんじゃないかな」
引用元:スポニチ

渡部さんのお話を聞いていると、最初から俳優になりたくて演技を始めたわけじゃなさそうだね。

そうなのよね。
大道具のバイトから流れに乗ってエキストラを始め、そのうちに演じる楽しさに目覚めていった感じかしら。
引用元:X『静かな生活』父のオーストラリア長期滞在に母が伴う。留守の家を守るのは知的障害のある兄とそれを支える妹。周囲の親切な人々に支えながら両親不在の暮らしを切り抜ける。当事者家族とそれを支える人々の温かな日常にスリリングな展開。佐伯日菜子と渡部篤郎が見事。伊丹十三による1995年の作品。 pic.twitter.com/j8hA4L38Sa
— ワケあって引越した高卒 (@a_pickyeater) June 9, 2023
1994年(当時26歳)フジテレビ系の昼ドラ『愛の天使』に出演した渡部さんは、ひとりの女性をめぐって、父親と愛憎劇を繰り広げる息子役で出演しました。
このドラマの反響が大きく、伊丹十三監督や岩井俊二監督から声をかけられたそうです。
1995年(当時27歳)渡部さんは大江健三郎さん原作、伊丹十三監督の映画『静かな生活』に出演しました。障害を持った大江さんの息子、作曲家の大江光さん(イーヨー)の繊細な心の動きを演じ、日本アカデミー賞の優秀主演男優賞と新人俳優賞を受賞されます。
この時前年にタレントのRIKACOさんと結婚し、生後10ヶ月になった長男の樹さんと親子共演を果たしています。
引用元:X Xスワロウテイルの渡部篤郎はめちゃめちゃかっこよい pic.twitter.com/Oe70VdTjsy
— よっぴーうぃぃぃぃぃぃぃ🤘 (@kamoshika_27) April 21, 2025そういえば昔「ストーカー」ってドラマがあって渡部篤郎がストーカー役だったのはミスキャストでは?若い頃の渡部篤郎はマジで超絶イケメンだかんな…芸能人に興味ないと思われた姉が急にアホみたいにハマってたわ… pic.twitter.com/2DGpgieTNq
— 和たぬき (@watanukiap) April 3, 2020
上の画像は2006年(当時28歳)には岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』と2007年(当時29歳)ドラマ『ストーカー・逃げきれぬ愛』です。
『スワロウテイル』は登場人物達が日本語、英語、中国語とそれらを混ぜた言葉で話す無国籍風な世界観で、渡部さんは移民達と親交がある無愛想な殺し屋役を、全編英語の台詞で演じられました。
『ストーカー・逃げ切れぬ愛』では、ヒロインの高岡早紀さんを追い詰めるストーカーの役で、真に迫った怪演が話題となり、このドラマで一躍ブレイクを果たしました。
20代ですでに色気のあるオーラを放っていますよね!

こんな穏やかそうな渡部さんだけど、20代はトガっていたそうだよ。

演技ではなく、態度が悪くて怒られたことがあるそうよ。
「理不尽な事言う人いるじゃないですか。それに関しては普通に“ああ?何?”みたいな感じで言ってましたよ」とお話しされているの。
「生意気だったんじゃないですかねえ」とその頃のことを回想されていたわ。
30代(1998年〜2008年)
引用元:X#お前ら銃所持解禁されたら何持つの
— シ龍 (VOL.44) (@NAGAE98101256) November 3, 2023
グロック18C…と言いたいとこだが…ニューナンブも捨てがたい…うーむ…。
リボルバーは真山さんにしか似合わないと思ってるので、ここはグロックといこう。#ケイゾク pic.twitter.com/xllEc7JFdf
渡部篤郎さんは1999年(当時31歳)堤幸彦監督のドラマ『ケイゾク』に出演されます。
放送当時から他ドラマとは一味違う作風が大きな話題になり、後のドラマ『SPEC』などの土台となったドラマでもあります。
この作品は、ザテレビジョンドラマアカデミー賞の最優秀作品賞、主演女優賞、助演男優賞、脚本賞、監督賞、タイトルバック賞を受賞しており、「斬新な映像や軽妙な演出が効果的で、視聴者を最後まで飽きさせず引きつけた」と評価されました。
上の動画はドラマ『ケイゾク』のワンシーンです。アクションシーンも軽々こなし、銃の扱い方もかっこいいですよね!
引用元:X エリック・ヴィグナー愛なんていらねえよ、夏(2002年)
— ipupuku🍞 (@ipupuku) October 8, 2023
放送以来また見たくて探し続けてたの。目が見えるようになった亜子に言う「嘘をつく声で その嘘がバレる」がやっぱり素晴らしかったんですよ。最初から最後まで渡部篤郎が渡部篤郎すぎて面白く格好よく、最後はその声がすべてでした。 pic.twitter.com/jHNlUe141x
上の画像は2002年(当時34歳)ドラマ『愛なんていらねえよ、夏』2006年(当時38歳)舞台『Pluie d'ete a Hiroshima』の時のものです。
堤幸彦監督のドラマで、日本ではあまり視聴率が取れなかったそうですが、2006年と2013年に韓国で、2021年にはトルコでリメイクドラマが作成されました。
舞台『Pluie d'ete a Hiroshima』はパリで公演された全編フランス語の2人芝居でした。渡部さんは役作りの為に、事前にフランス語を2ヵ月特訓し、挑んだそうです。
この舞台の演出家であるブルターニュ地方ロリオンのフランス国立CDDBシアターのエリック・ビニエ氏が3年前に来日。数人の俳優と面接し、舞台経験がほとんどない渡部を指名した。渡部には舞台もフランス語もゼロからのスタート。91年にデビュー以来、役者として走り続けたが、ここで原点に返り、芸術の国フランスで生身の力を試してみたいと難しい道を選んだ。今年3月に単身渡仏。パリのアパートで自炊しながらけいこに取り組んだ。
引用元:asahi.com
フランス国内6都市で66公演を演じ、日本人は渡部さんだけでした。

個性的な魅力がある渡部さんには、目標とする俳優さんはいるのかな?

影響を受けた俳優さんということで萩原健一さんを挙げているわ。
萩原さんの“危険な感じ”が好きだったそうよ。
40代以上(2008年〜)
引用元:シネマトゥデイ
渡部篤郎さんは、2008年(当時40歳)映画『コトバのない冬』で監督デビューされました。自ら主演も兼ねて出演・監督したこの作品は、男と女の出会いをワンシーンワンカット、NGなしの演出で描かれました。
北海道のロケで、飛行機の時間検索、弁当の手配、雪かきなど監督として色々な経験をされたそうです。
舞台挨拶では司会者から「渡部監督」と紹介され登壇し「監督の渡部です!監督の渡部です!」と繰り返され「やっぱり気分がいいですね」と挨拶されました。
上の画像は2010年(当時42歳)の『コトバのない冬』インタビュー時のものです。
2008年に東京国際映画祭のコンペティション部門でワールドプレミア公開され、海外の映画祭でも上映されたのち、2年越しに日本での公開となりました。
引用元:Instagram
2014年(当時46歳)ドラマ『ビター・ブラッド』では、新米刑事で息子役の佐藤健さんと、離婚がきっかけで疎遠になっていたベテラン刑事の父親役で親子刑事を演じられました。コミカルな場面はお互いにアドリブを多用していたそうです。
佐藤さんはアドリブの演技について「渡部さんはコスプレをしたり、顔に何かをつけたり何かを被ったりすることが好きなんです」と暴露し、渡部さんは「カラオケでもやります」とそれを受けておどけて返されていました。
キザでプレイボーイ風な変わり者を演じられた渡部さんは、スーツ姿がかっこよくダンディで、親子のコミカルなやり取りが人気のドラマになりました。
引用元:otocoto
上の画像は2024年(当時56歳)亀梨和也さん主演、東野圭吾さんの小説が原作の『ゲームの名は誘拐』に出演されることが発表され、渡部篤郎さんが主人公の前に立ちはだかる敵を演じられることが話題になりました。
2002年に刊行され、2003年に1度映画化、2020年にはこの原案をもとに中国でもドラマが制作された人気作品です。
演じる上で渡部さんは「主人公の敵は、強敵でなければならないと言う強い思いを持ち、撮影に挑んでいました」とお話しされ、「躊躇なく悪を演じられた」そうです。
若い頃からミステリアスな雰囲気を纏った渡部さんは、年齢を重ねてもなお、多くの人を魅了し続けています。

2025年4月16日に行われた『伊丹十三4K映画祭』に登壇された際には、伊丹監督との初対面についてお話しされていたね!
「夏前だったのかな。オーディションと聞かされていたのですが、監督のオフィスに行ったらもう『がんばろうね』みたいな感じだった。そして『アメリカでやるとしたらトム・クルーズにお願いしたいんだよ。日本だったら君だよね』と、最高の口説き文句を言われたことを覚えています」
引用元:映画ナタリー

あの伊丹十三監督に初対面からこんな言葉をかけられた渡部さんは、期待通り『静かな生活』で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞されるなんて、本当に素晴らしいことよね。
渡部篤郎さんが所属する”STARDUST PROMOTION”には他に誰が所属してる?
引用元:STARDUST PROMOTION、STARDUST PROMOTION、STARDUST PROMOTION
渡部篤郎さんの所属するSTARDUST PROMOTIONには、俳優の椎名桔平さん、女優の森尾由美さんやアイドルグループのももいろクローバーZなどが所属しています。
【画像】渡部篤郎と現在の嫁の馴れ初めは?中谷美紀との破局理由は?
渡部篤郎と現在の嫁の馴れ初めは?
引用元:女性自身 女性自身
引用元:X世の男性はもれなく全員渡部篤郎(56)を見習え😇😇😇 pic.twitter.com/e69ZGwwINW
— はな (@m_aqap) November 7, 2024
渡部篤郎さんは1994年にタレントのRIKACOさんと結婚し2005年に離婚。2人の息子さんはRIKACOさんが親権を持っていますが、2016年に11歳年下の一般女性と再婚し、現在お二人の間には3人のお子さんがいます。
再婚したことを渡部さんご本人は発表しておらず、週刊誌の報道で世に知られることになりました。
はっきりと出会の時期や結婚に至ったお話はされていませんが、「東京・銀座の高級クラブに勤めていた30代元ホステスと再婚を視野に真剣交際」と報じられていました。
さらにその女性が元プロ野球選手の清原和博さんの元交際相手とも言われており、そのことについてはバラエティ番組に出演した際、ネットで出回っていた奥さんとされる名前や写真が全くの別人だと否定されています。
実際、清原和博さんの元交際相手は、渡部篤郎さんの知り合いの知り合いという関係で、再婚された奥様とは全く関係がありませんでした。
この報道について渡部さん自身否定の仕方がわからず、事務所も「違うならそのままに」と報道について取り合わなかったそうです。
私生活があまり見えない渡部さんがですが、バラエティ番組では愛妻家の顔を見せています。
どこに行くにも奥様を誘い、ドラマの打ち上げや、試写会、舞台挨拶などにも誘うそうで、「いろんなことが共有できたら一番いいかなと思って」とお話しされています。洋服もおなじところで購入し、美容室も一緒なのだとか。
奥様についても「可愛いですしね、チャーミングだし、凄い好きですよ」と言い切られるほど、再婚から約9年ほど経った今でもラブラブな関係のようです。

渡部さんには芸能界のパパ友がいるんだって?

三浦翔平さんや玉木宏さん、向井理さんなど年下の俳優たちもパパ友で、子連れでお出かけしやすい施設の情報交換などしているんですって!
向井さんとは一緒に家族ぐるみでハワイ旅行をしたこともあるそうよ。
渡部篤郎と中谷美紀の破局理由は?
引用元:X X夜にこそっと。「継続」という言葉を聞くと「#ケイゾク」を思い出してしまうの。アマプラで久しぶりに観たけど、やっぱり色褪せない。やんちゃだけど優しい渡部篤郎さん当時30がかっこいい。中谷美紀さんかわいい。去っていく泉谷しげるさん渋いし、背中に敬礼する弐係の面々に感情持ってかれる。 pic.twitter.com/o3tkxL2mc0
— すずりん (@suzurinlovelife) November 29, 2023人生でもベスト1のドラマが、天童荒太さん原作の「永遠の仔」
— RABIT🇺🇦 (@RABITTANK0201) January 28, 2024
中谷美紀、渡部篤郎、椎名桔平というキャストもすごいけれど、子役で浅利陽介、勝地涼が出ている。
今じゃ放送無理な描写も多くて、当時ですらよく実写化したなと思った。#原作ファンも納得の実写化作品教えて pic.twitter.com/o0ahvvMcgJ
引用元:X渡部篤郎の再婚相手ってどんな人なんだろうって調べてたらこの写真が出てきて、中谷美紀のコートが素敵過ぎてどうでもよくなっちゃった。
— eu (@rita_sia22) July 9, 2016
中谷美紀が完璧でストイックで美しすぎて疲れちゃったのかな。などという邪推も。 pic.twitter.com/aR5sOCdIfN
渡部篤郎さんと中谷美紀さんは、1999年ドラマ『ケイゾク』で初共演し、翌年のドラマ『永遠の仔』で再共演。2000年ごろから2人の交際の噂が流れ始め、渡部さんが2005年にRIKACOさんと離婚してからは「結婚間近」とまで言われていました。
長い同棲生活をされて事実婚状態でしたが、2015年とうとう破局を迎えてしまいます。
破局の理由はいくつか囁かれていますが、1つには渡部さんのお母様の介護問題が挙げられているようです。
中谷との結婚が近いと囁かれていたその時期、実は渡部は母親の介護問題を抱えていた。
「その前に渡部さんはお父さんを亡くしていて、お母さんは一人暮らしでした。そのお母さんの体調がよくなくって…。とはいえ、このまま結婚して中谷さんに介護を一緒に手伝ってもらうということにも、渡部さんとしては抵抗があった。中谷さんとしては全部受け止める覚悟があったと思いますが、彼は考えてしまったんでしょうね。そうこうするうちにお母さんの体調がさらに悪化してしまったんです。それで、渡部さんは中谷さんと共に暮らす家を出て、お母さんと暮らすことを決めたんです」(前出・芸能関係者)
引用元:NEWSポストセブン
そして、長すぎた交際期間も原因の1つでしょう。渡部さんと15年近く交際を続けてきた中谷さんは、夫婦同然の生活をされてきましたが、結婚に踏み切らない渡部さんに愛想を尽かしてしまったのかもしれません。
「中谷さんはよくも悪くも昔気質の女優というか、何事にもキチンと線引きするタイプ。子供が成人したら結婚しようという約束の時が近づいて、ふたりの関係をこのままなあなあにするのではなく、どうにか結論を出そうとした。それは40才になるという女性にとっては当然、切実な問題ですから。でも渡部さんにはそれが重荷になってしまった。もう溝が埋まることはありませんでした」
引用元;NEWSポストセブン
そして、渡部さんはお酒が好きでとても強く、好きなお酒はテキーラだそうです。銀座のクラブに通い、似た境遇のホステスの女性と親密そうにしているところを週刊誌に撮られたこともあります。
結果、破局後2016年に渡部さんはその一般女性と再婚され、同年中谷さんもドイツ人のビオラ奏者との交際が発覚、2018年には結婚を発表されました。

渡部さんは「おれは結婚には向いてない」とよくおっしゃっていたそうだね。

子供が2人いながら離婚してしまった経験が、再婚に踏み込めなかった原因なのかもしれないわね。
長く夫婦同然の関係で生活してきたから渡部さんは”どうして今の関係じゃダメなの?”“うまくやってきたでしょ?”と考えてしまっていたみたい。
でもその考え方じゃ、中谷さんに愛想を尽かされても仕方ないかもしれないわね。
渡部篤郎さんがデビューした1987年はこんな年だった!
引用元:zakzak、PR TIMES、webモーターマガジン
渡部篤郎さんがデビューした1987年は、「マイケルジャクソンソロで来日」、「サラダ記念日現象」、「中嶋悟さん日本人初のF1ドライバーとしてデビュー」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語大賞は、「懲りない○○」で作家の安部譲二さんが受賞しました。
小説『塀の中の懲りない面々』がベストセラーとなり、汚職、詐欺、盗難事件などを目にすると人々は“懲りない○○”と言うようになったそうです。
渡部篤郎のプロフィール・SNS
引用元:スポニチアネックス
プロフィール
- 名前:渡部篤郎(わたべあつろう)
- 本名: 渡部篤(わたべあつし)
- 生年月日:1968年5月5日
- 年齢:57歳(2024年5月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味・特技:ゲーム・海外旅行・テニス・登山・水泳・スキー・乗馬
- 所属事務所:STARDUST PROMOTION
SNS
- オフィシャルサイト URL:https://www.stardust.co.jp/


渡部さんは元サッカー選手の中田英寿さんと友人なんだって?

中田さんがまだ日本代表になる前の19歳頃に、渡部さんの知り合いと友人関係で、お家に遊びにきたことがきっかけだったそうよ。
年の差はあれど、中田さんからは「あっちゃん」と呼ばれるほど親しい仲なんですって。