【画像】余貴美子は若い頃美人!旦那との馴れ初めは? 范文雀との関係は?

圧倒的な演技力で、俳優として活躍を続けている余貴美子さん。

20代の頃は劇団員として舞台を中心に活動し、30代に入った頃から映画やドラマに出演するようになりました。これまで数多くの作品で存在感を放ち、名バイプレイヤーと言われています。

今回は余貴美子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】余貴美子は若い頃美人!

幼少期・10代・20代(1956年~1986年)

余貴美子さん
引用元:NHKアーカイブス

余貴美子さんは、台湾人の父と日本人の母を持つハーフで、神奈川県横浜市で生まれました。

国籍は父方の先祖の出身地である中国広東省にあります。父方の祖父が、戦前に台湾から日本に移住して日本で事業を始めており、余貴美子さんは日本生まれ日本育ちです。

一軒家に、両親と妹、祖父母や叔母やいとこと一緒に住み、大家族で育ったそうです。

上の画像はNHKの番組『ファミリーヒストリー』出演時のものです。母親の京子さん、妹の富美子さんや姪御さんと、余貴美子さんの父方のルーツをたどりました。

引用元:X

余貴美子さんは、神奈川学園高等学校の出身です。高校時代は、地元横浜の元町にあるジャズ喫茶やライブハウスで朝まで遊んでいるような青春時代を過ごしていたそうです。

当時、横浜にあるモーターサイクルクラブ”ケンタウロス”にも出入りしていた余貴美子さんは、チームメンバーから「ハマのマリア」と呼ばれるアイドル的存在でした。

1981年の週刊プレイボーイに連載された漫画『ケンタウロスの伝説』がきっかけで、バイクチーム”ケンタウロス”は全国に名を馳せます。漫画には実際のメンバーが登場しており、余貴美子さんは、長い黒髪でスタイル抜群の美女”レディ”として、描かれていました。

この時余貴美子さんは、「尖った学生時代を過ごしていた」とお話しされており、少しやんちゃな高校生時代だったのかもと想像されます。

上の画像は若い頃の余貴美子さんや、『ケンタウロスの伝説』のレディが掲載されています。美人でかっこいいレディは、余貴美子さんそっくりですね!

引用元:YouTube

余貴美子さんは、1975年(当時19歳)の時に、劇団『オンシアター自由劇場』に入団し、俳優の仕事を始めました。

俳優を目指したきっかけは、従妹で俳優の范文雀(はんぶんじゃく)さんの存在だったと言われてます。

演劇の世界に足を踏み入れ、日々、稽古に励んでいた余貴美子さんでしたが、30歳目前で突然劇団を解雇されるという衝撃の出来事が起こりました。劇団からは、「芝居が下手で、集団行動も苦手」という理由での解雇でした。

この時余貴美子さんは、「何をやっても周りから「面白くない!」と言われるばかりだったけど、当時は、若くて無謀で根拠のない自信があったから、『フン!』って。そういう鼻息の荒さがあったことは、演劇に向いていたのかもしれない。」とお話しされており、劇団をクビになっても芝居を続ける意思が強かったことが確認できます。

余貴美子さんは、オンシアター自由劇場を退団後の1986年(当時30歳)の時に、劇団 東京壱組を結成しました。飲み屋を回り、チラシ広告への協力をお願いしながら客へ芝居のチケットを売るような、芝居一筋の生活でした。1996年に東京壱組が解散するまでの10年間で、全14公演に出演しています。

上の画像は自由劇場での『上海バンスキング』上演の時のものです。大所帯の劇団より、自分の演技ができる環境のほうが実力を発揮できたのかもしれませんね。

けん

ファミリーヒストリー』で余貴美子さんのお父さんのルーツをたどって、どんな事が分かったのかな?

のぞみ

余貴美子さんは、中国の漢民族「客家(はっか)」にルーツがあるみたいだよ。
客家は少数民族で、子どもへの教育にとても熱心な人たちなんだって!どんな状況にあっても負けないという信念を持っていて、余貴美子さんの存在感ある演技もそんな精神から生まれているのかもしれないね。

30代(1986年~1996年)

余貴美子さん
引用元:YAHOO!JAPAN フリマ

余貴美子さんは、1988年(当時32歳)の時に、映画『噛む女映画界に本格的スクリーンデビューをしました。

1996年に東京壱組が解散するまでの間は、劇団での活動から映画・テレビに舞台を移していった時期で、この頃からメディアに出る機会が増えていきます。

余貴美子さんは、1991年(当時35歳)の時に沖縄が舞台の映画『うみ・そら・さんごのいいつたえに出演しました。上の画像は『うみ・そら・さんごのいいつたえ』のパンフレットに掲載されている写真です。沖縄の空気のせいか、とても穏やかな表情に見えますね。

撮影のため2ヶ月ほど石垣島に滞在していた時、現地の人がお酒を片手に三線を弾きながら唄い、楽しむ姿をみたのがきっかけで、三線を習い始めたそうです。

沖縄は、台湾と距離的にも食文化も近く、ルーツが台湾である余貴美子さんにとって、大好きな場所だと言います。

この時余貴美子さんは、「三線にハマってお稽古したり、古酒(くーす)泡盛を毎晩飲むとか、買い溜めしたりとか。本当に沖縄に住みたいぐらいだったんです。」とお話しされており、沖縄が思い入れのある場所であることが確認できます。

けん

余貴美子さんは、今でも三線を続けているのかな?

のぞみ

今は、津軽三味線を弾いているみたいだよ!自宅に地下の部屋があって、毎朝練習をしているんだって!もう30年以上も続けているというから、かなりの腕前なんじゃないかな!

40代以上(1996年~)

余貴美子さん
引用元:NHKオンデマンド

余貴美子さんは、2001年(当時45歳)の時に、沖縄県小浜島が舞台の朝ドラ『ちゅらさん』に出演しました。余貴美子さんにとって、『ちゅらさん』が朝ドラ初主演の作品です。

キャリアウーマンだけど自由奔放で、頼りがいのあるキャラクターを見事に演じ切り、余貴美子さんの知名度を一気に上げました。ドラマの中で余貴美子さん演じる容子さんが、三線を演奏する貴重なシーンもあります。

容子さんは東京に暮らしていましたが、結婚・出産を経て、子どもを自然の中で育てたいという想いで、小浜島への移住を決意します。

沖縄への移住は、『うみ・そら・さんごのいいつたえ』で沖縄に魅せられてから実際にご本人も望んでいたことだったので、重なる部分があったかもしれないですね。

上の画像は、『ちゅらさん』の一場面です。その後、朝ドラには、2012年~2013年『純と愛』、2018年『半分、青い。』、2024年『虎に翼』に出演されました。

余貴美子さん
引用元:映画.com

余貴美子さんは2009年(当時53歳)の時に、映画『おくりびと』で日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞を受賞しました。その後にも、2010年の時に『ディア・ドクター』で2年連続の受賞、2013年の時に『あなたへ』でも同賞を受賞する快挙を成し遂げています。

さらに、2019年(当時63歳)の時には、紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章しました。

紫綬褒章とは、科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた方に授与される褒章です。

この時余貴美子さんは、「こつこつとやってまいりました俳優の仕事、これからもお褒めいただけるような演技ができますよう、ただただ一生懸命お稽古を積み努力してまいります。」とお話しされており、40年以上の俳優のキャリアに慢心することなく、お芝居にさらに力を注ぐ気持ちが確認できます。

上の画像は2009年 第32回日本アカデミー賞授賞式の時のものです。着物がとてもお似合いで、大人の魅力があふれていますね。

けん

余貴美子さんは、これまで朝ドラに4作も出演されているんだね。
それぞれどんな役柄だったのかな?

のぞみ

ちゅらさん』では、キャリアウーマンの役で、『純と愛』では、テレビばかり見ているまったくやる気のない女将役、『半分、青い。』では、明朗快活でみんなの肝っ玉母ちゃんのような存在の病院長役、『虎に翼』では、義息子の子どもたちをかわいがるとても穏やかな性格で、晩年には認知症を発症する役、を演じているよ。

2024年の『虎に翼』放送と同時期に、『ちゅらさん』の再放送をしていたんだけど、同時に見ていた視聴者から「同じ人が演じているのに、別人にしか見えない」「すごい演技力」と賞賛の声があがっていたよ!

余貴美子さんが所属する”アルファエージェンシー”には他に誰が所属してる?

滝藤賢一さん
伊藤沙莉さん
和久井映見さん
引用元:ALPHA AGENCYALPHA AGENCYALPHA AGENCY

余貴美子さんの所属するアルファエージェンシーには、俳優の滝藤賢一さん伊藤沙莉さん和久井映見さんなどが所属しています。

【画像】余貴美子と旦那の馴れ初めは? 范文雀との関係は?

余貴美子と旦那の馴れ初めは?

余貴美子さん
引用元:シネマカフェ
引用元:X

余貴美子さんは、2006年(当時50歳)の時に、NHKで美術スタッフだった山下恒彦さんと結婚しました。

2001年に放送された朝ドラ『ちゅらさん』の美術を山下恒彦さんが担当されており、ドラマが出会いのきっかけだったと言われています。

山下さんは余さんより2歳年下で、2014年から母校の多摩美術大学の教授に就任されました。

余貴美子さんは、2007年1月12日に出演したバラエティー番組『メントレG』で、結婚したことを公に発表しています。その翌日に、映画『子宮の記憶/ここにあなたがいる』の舞台挨拶があり、共演者から花束が贈られたり、客席からもお祝いの声があがったり、会場はお祝いムードだったようです。

上の画像1枚目は、『子宮の記憶/ここにあなたがいる』の舞台挨拶の時のもので、2枚目はお2人が2015年に一緒に仕事をされた時のものです。

けん

余貴美子さんと山下恒彦さんは、5年もお付き合いをされていたんだね。
結婚を決意したのは何かきっかけがあったのかな?

のぞみ

それは、余貴美子さんが外国籍ということもあって、例えば保険関係の手続きが大変というような理由だったそうだよ。
どっちでもいいんですよね。人と暮らす、他人同士が生活するっていうことが大事。」とお話されていて、特に結婚にはこだわっていなかったみたいだね。自立した大人のお2人の関係がとても素敵だよね。

余貴美子と 范文雀の関係は?

范文雀さん
引用元:スポニチ Sponichi Annex

余貴美子さんと范文雀(はんぶんじゃく)さんは、いとこ同士の関係にあります。余貴美子さんの父親と范文雀さんの母親が実の兄妹であり、​ともに台湾人で、祖先は中国の客家人であることが知られています。 ​

范文雀さんは余貴美子さんの8歳年上で、1968年から俳優として活動し、1970年に出演した『サインはV』で人気を博しました。

上の画像1枚目は、『サインはV』主題歌のジャケットで、左から3番目のロングヘアの女性が范文雀さんです。アジア系と黒人のハーフの役柄だったため、撮影時はドーランを塗って演じてたそうです。

引用元:X

范文雀さんは1973年に、俳優の寺尾聰さん結婚しました。東京都品川区の教会での挙式には、当時17歳だった余貴美子さんも参列しています。

しかし、約1年半で寺尾聰さんとの結婚生活にピリオドを打つことになりました。スピード離婚となって、范文雀さんは、「性格の不一致というか、最初から相いれない部分があったのかも」とお話されました。

范文雀さんは、離婚後も映画やテレビドラマに出演し活躍を続けていましたが、1998年に悪性リンパ腫が見つかり、約4年に渡る闘病の末、54歳の若さでこの世を去りました。

上の画像の3枚目は、范文雀さんと寺尾聰さんの結婚式のものです。仲人は、石原裕次郎さんと奥様のまき子さんが務められました。

けん

范文雀さんは、再婚はしなかったのかな?

のぞみ

范文雀さんが結婚したのが25歳、離婚したのが26歳で、まだまだ再婚の機会はあったはずだけど、実際は生涯独身だったみたいよ!

寺尾聰さんは、元女優でモデルの星野真弓さんと再婚して、3人の子どもがいるらしいね。みなさん一般の方なので、真偽は分からないけど、お孫さんも6人いるらしいよ!

余貴美子さんがデビューした1988年はこんな年だった!

東京ドーム開場
ソウルオリンピック開幕
青函トンネル開通
引用元:有限会社イメージリンク毎日新聞時事通信

余貴美子さんがデビューした1988年は、「東京ドーム開場」、「ソウルオリンピック開幕」、「青函トンネル開通」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語大賞は、芸能界の「今宵はここまでに(いたしとうござりまする)」で女優の若尾文子さんが受賞しました。

余貴美子のプロフィール・SNS

余貴美子さん

引用元:日刊ゲンダイ DIGITAL

プロフィール

  • 名前:余貴美子(よきみこ)
  • 生年月日:1956年5月12日
  • 年齢:68歳(2025年4月現在)
  • 出身地:神奈川県
  • 血液型:B型
  • 趣味、特技:三線、能
  • 所属事務所:アルファエージェンシー

SNS

けん

余貴美子さんは、三線だけじゃなくて能の稽古もしているんだね。
日本の古典芸能がお好きなのかな?

のぞみ

三味線と能は、仕事で出会って、今でも続けているんだって!
お母さんが日本舞踊の先生をしていて、子どもの頃から”和”が身近にあったから、和の音や所作に惹かれるのかも、とお話されていたよ。

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