ファッションモデル、タレント、女優、起業家で活躍を続けている吉川ひなのさん。
整った容姿は「お人形さんみたい」と話題を集め、ファッション雑誌の表紙にたくさん登場してきました。
今回は吉川ひなのさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】吉川ひなのは若い頃かわいい!
10代(1989年~1999年)
引用元:X、instagram1993年の吉川ひなの、伊勢丹の広告。「夕食とファッションが変わる秋。」って毎年でも使い続けられる素敵なコピーだな。秋はいい季節ですね。 pic.twitter.com/iSzSPkyM3h
— 小野桃子 (@lamedalico) September 17, 2014
吉川ひなのさんは、1992年(当時12歳)の時に、銀座にて買い物気分を楽しんでいるとスカウトの声がかかり、芸能界に入ることになります。
翌1993年(当時12歳)の時に、伊勢丹の広告モデルを務めました。上の画像はその時のものです。ポーズのとり方が上手で、この時から頭角を現わしていますね!
「すごく忙しくて、そこにまだ価値を感じられなくて。でも自分の背負っているものの大きさというのは感じられていたから、そのためだけに“私がこういうふうにしちゃダメになる。だからやるしかない”と、プレッシャーと向き合いながらやっていた気がします。」
引用元:eltha by ORICON NEWS
10代の時からかなり多忙だったようですね。2つ目の画像は15歳の時のものです。お花を持つ姿がお人形のようにチャーミングでした。
引用元:MANDARAKE、Xおやすみ前のひととき…
— マモル (@mamoru04021219) December 7, 2016
1996' model_吉川ひなの chan♡
ひなのが ぴょんぴょん
よしかわ ひなの
しゃしんをとったひと
しのやまきしん
photographs_篠山紀信
お台場のフジテレビが建築途中ですね、ミステリアスなひなのちゃんの顔いいですね〜♡ pic.twitter.com/D8DmH6THYX
吉川ひなのさんは、1995年4月(当時15歳)の時に、ドラマ「君を想うより君に逢いたい」で女優デビューします。
1996年3月(当時16歳)の時に、写真家・篠山紀信さんの撮影による写真集「ひなのがぴょんぴょん」を発売しました。本作は等身大の吉川ひなのさんを被写体に収めた、白黒写真を用いた作品です。
上の画像は写真集の表紙です。吉川さんの絵心を垣間見ることができますね。2つ目の画像は写真集の内容です。少しあどけなさが残り、かわいいですね。
引用元:Xポッキー坂 恋物語①#吉川ひなの#鳥羽潤#懐かCM#ポッキー #ポッキープリッツの日 pic.twitter.com/4siw4daAe8
— 竜也-MEN (@sailing_jump) November 11, 2020
吉川ひなのさんは、1996年(当時16歳)の時に、江崎グリコ「ポッキー&メンズポッキー」の「ポッキー恋物語編」のCMに出演しました。
本作はポッキー坂高校に通う転校生ひな(吉川ひなのさん)と物静かな少年ジュン(鳥羽潤さん)の爽やかな恋を描いた作品で、映画「セーラー服と機関銃」にて一躍有名になった相米慎二監督が制作しています。
上の動画はCMのものです。ジュンの「好きだよ」の言葉に「キャー」と喜ぶひながかわいいですね!
この時吉川ひなのさんは、「あの時は喜ぶお芝居が上手に出来なくてカントクさんを困らせちゃったり、いろいろありました。でも、何よりステキなことは‼ポッキーをおなかいっぱい食べたコトォ」とお話しされており、演技に慣れなくて大変でも、ポッキーをたくさん食べれて嬉しかったようですね。
このCMは北海道函館の「八幡坂」で撮影されており、ささやかな観光スポットにもなっているそうです。テーマソングにはスピッツの「渚」が起用され、清涼感のある草野マサムネさんの歌声やメロディーが、このCMにぴったりですね。
引用元:ぴあ映画、Uta-Net
引用元:YouTube
1997年3月(当時17歳)の時に、映画「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」にて、映画デビューをします。「第35回ゴールデン・アロー賞 グラフ賞」を初め、3つの賞を受賞しました。
同年5月、藤井フミヤさんが曲のプロデュースをした、シングル「ハート型の涙」で歌手デビューをし、吉川ひなのさんは「とんでもない歌手デビューをしてしまって」と当時を振り返っていました。
同年8月、多田かおるさんの同名漫画を原作とした映画「デボラがライバル」にて初主演しました。
本作はアメフトチーム「アルバトロス」の主将・五十嵐を好きになり、同大学に進学した関本朝代(吉川ひなのさん)が1人暮らしを始めたマンションの隣人が五十嵐かと待ち望むが、オネエのデボラこと市川梅之介(谷原章介さん)と巡り合う様子を描いています。
作中披露されたチアリーダーのダンス練習について、「こうやって見てると全然みんなニコニコしてるしそんなに大変に見えないけど、実際やるとすっごい大変なんです」とお話しされており、周囲と足並みを揃えたりすることに苦労したことが確認できます。
主題歌には吉川ひなのさんが2枚目シングル「ウサギちゃんSAY GOOD BYE」の作詞と歌唱を担当し、藤井フミヤさんが楽曲を制作しています。恋に消極的な少女が前向きに考えようと奮起し、泣き虫の自分をウサギに例え、マーチングのような曲調の作品です。
上の画像1つ目は映画のポスターです。夢見がちな表情の朝代や本間しずか(篠原ともえさん)が女子大生らしさを演出していました。
2つ目の画像は「ウサギちゃんSAY GOOD BYE」のジャケットです。大人になろうと背伸びをしているひなのさんに見えました。
3つ目の動画は映画の撮影の裏側です。映画のロケのために頑張る、俳優さんの姿を見ることができます!

吉川ひなのさんと「ポッキー」のCMで共演の鳥羽潤さんは、今でも役者さんとして活躍しているのかな?

「仕事に波があって、収入が思うようにいかないし」という理由から、ダイニングバーやボクシングジムで働いているみたいよ!
それでも俳優が一番やりたいそうだね。
20代(1999年~2009年)
引用元:週刊女性PRIME
吉川ひなのさんは、2004年(当時24歳)の時に、「YUMI KATSURA パリ・コレクション」で桂由美さんの新作発表会が開かれ、ゲストモデルとしてドレス姿をお披露目しました。
今回のテーマは「The Flower Way Nippon」と言われており、満開の春の花をテーマに、優雅なロマンチックを表現するとのことです。
吉川ひなのさんは「キレイなドレスでとても嬉しい!本職のモデルさんに負けないよう、ウォーキングを練習しています」とお話しされていました。
上の画像は同年1月、記者発表の時に200万円のイブニングドレスを着た、吉川ひなのさんです。顔が小さく、まるでプリンセスのようでした。
引用元:ぴあ映画、CINEMATOPICS
吉川ひなのさんは、2006年12月(当時26歳)の時に、映画「ホーンテッド ハイウェイ」でハリウッド映画に進出をしました。
東京都の映画館・ユーロスペースでのレイトショー初日、すずきじゅんいち監督、リー・ラドニキプロデューサーと一緒に舞台挨拶をしました。
本作は妻を殺害した男が死体を車で運び、異常な精神状態のまま逃走するさまを描いたサスペンス・スリラーです。吉川ひなのさんは主人公グレッグの愛人、スーパーモデル・ゆみを演じています。
この時吉川ひなのさんは、「『13日の金曜日』が撮影されたという由緒ある場所で撮影したんですが、雰囲気も怖いんですけど、泊まる場所で熊が出るから気をつけろと本気で言われていて、夜は怖かったです。」とお話しされており、宿泊場所やロケ現場が怖かったことが確認できます。
吉川さんを抜擢した理由について、
「台本ではスーパーモデルの役だったので、何人かお美しい方にお会いしました。その中でやはり飛びぬけて頭が良かったんですね。(中略)美しいだけでなく人間としてしっかりしているんで、今後大きく伸びていくだろうと思って、確信を持ってお願いをした次第です。」
引用元:CINEMATOPICS
とすずきじゅんいち監督が太鼓判を押すほどでした。
上の画像は映画のポスターです。最後まで鑑賞を続けるには、恐怖を感じるデザインですね。2つ目の画像は吉川ひなのさんが挨拶のコメントを述べているシーンです。すずき監督からの良い評価に驚きの表情でした。
引用元:ORICON、テレビ東京
吉川ひなのさんは、2009年9月(当時29歳)の時に、海外ドラマ「ザ・ヒルズ」の声優に初めて挑みました。
本作はロサンゼルスの20代女性が実生活のさまざまな場面で悩む様子を描いた作品です。吉川ひなのさんはオードリナの姉・ケイシー役で、落ち着きがあり確実なアドバイスができる女性です。
2つ目の画像は主な登場人物です。4人ともおしゃれ上手な美女でした。
この時吉川ひなのさんは、「何気に大人っぽい声を出せることがわかって嬉しかった。(ケイシーの役は)私も妹に恋愛のアドバイスを送ったりするのでそっくりだと思いました」とお話しされており、普段の声よりも低い声で演じたことが確認できます。
現場に居合せたスタッフも、初挑戦には見えないほど吉川さんは理解力が早かったと言い、「(声に)集中できるのがいい」と原因を考えました。上の画像1つ目は台本を片手に、セリフを吹き替え中の時のものです。真剣な表情で役に没頭しました。

吉川ひなのさんの出演映画「ホーンテッドハイウェイ」では、どうしてお化け役で登場するシーンがあるのかな?

主人公が妻を殺した後、気を張った上に疲労も出てきて、だんだん現実と妄想の判別も難しくなるみたい。幻覚かどうかはわからないけど、逃走中に妻や愛人(吉川ひなのさん)の姿が見えてしまうシーンがあるみたいよ!
30代(2009年~2019年)
引用元:Cinema Cafe.net、Hinano Yoshikawa Official Blog by Ameba
吉川ひなのさんは、2015年7月(当時25歳)の時に、自身がプロデュースするウエディングドレスのブランド「alohina」のイベントに出席しました。
ブランド名「alohina」はハワイ語で「まばゆい空」の意味の「alohilani」と、吉川ひなのさんの名前「ひなの」を組み合わせて考えられました。
この時吉川ひなのさんは、「トレーン(スカートの裾の部分)がボリューミー。それが取れたり、リボンの位置も変えたりできる」とお話しされており、知恵を絞ってドレスのデザインを考えたことが確認できます。
上の画像は「alohina」のドレスをお披露目のシーンです。シンプルな形のドレスがお似合いでした。2つ目の画像は姉妹ブランド「alohina moe」のドレスを着用した吉川ひなのさんです。ドレスの素材やデザインが「alohina」と少し違いますが、こちらも素敵でした。
引用元:Hinano Yoshikawa Official Blog by Ameba
吉川ひなのさんは、2016年(当時36歳)の時に、「全米ヨガアライアンスRYT200」の資格を取得しました。
この時吉川ひなのさんは、「ヨガの指導者になろうと思ってこの資格を取った訳ではなくて、ただヨガのことを深く学びたかったの」とお話しされており、ヨガをじっくり学んでいると資格も後からついてきたようですね。
上の画像は吉川さんのお子さんとお兄さんとヨガに集中している時のものです。前後に開脚しても姿勢がきれいなままなので、体幹が強いですね。お嬢さんも一緒に取り組む姿がかわいいです!
2つ目の画像はお兄さんの高田一也さんと吉川さんです。お兄さんは筋肉質でカッコよく、吉川さんも片脚を楽々と上げて体が柔らかいですね。

お兄さんである高田一也さんは、どんな職業なのかな?

スポーツインストラクターやボディビルダーみたいよ!
パーソナルジムの開業もしているらしいね。
40代以上(2019年~)
引用元:Peachy
吉川ひなのさんは、2019年12月(当時39歳)の時に、40歳を迎えるにあたり誕生日の数日前、雑誌「otona MUSE」3月号の取材を受けました。
上の画像は宝島社の雑誌「FASHION BOX」のものです。撮影を楽しむ、プロのファッションモデルの顔でした。
この時吉川ひなのさんは、
「40歳になる自分は全く想像できてなかったけど、『40歳って、すっごくいいじゃん!』と前向きな気持ち。実は30歳になるときはすごくイヤだったの。まだ心の準備ができていないまま迎えてしまったし、20代にやり残したことがいっぱいですごい泣いちゃって」
引用元:Peachy
とお話しされており、素直な気持ちであったことが確認できます。
吉川さんは子どもの頃に両親から褒められる経験をしなかったため、2011年9月に再婚した夫に褒められることにより、自己肯定感が養われたと感じているとのことです。
また東京からハワイへ移住し、環境が変わることで生き方がはっきりしてきたそうです。
引用元:instagram
吉川ひなのさんは、2025年3月(当時45歳)の時に、親子で11年暮らしたハワイから沖縄へ移住しました。
吉川さんの子どもたちにとって、日本での生活はこの度が初めてとのことです。
この時吉川ひなのさんは、「思い切って来てみた沖縄だけど、なんか、大大大正解だった気がする」とお話しされており、沖縄に来てよかったことが確認できます。
上の画像は沖縄の砂浜で息子さんを抱っこしている時のものです。お子さんと海辺に癒されているようでした。

吉川ひなのさんは、どうしてハワイへ移住したのかな?

それは、東京にいることで「私といると『吉川ひなのの娘』として、私が子どもの頃に味わった好奇の視線が向けられてしまう」という理由から、物理的に離れることに至ったみたいよ!
吉川ひなのさんが所属していた”レプロ エンタテインメント”には他に誰が所属してる?
引用元:レプロ エンタテインメント、レプロ エンタテインメント、レプロ エンタテインメント
吉川ひなのさんの所属していたレプロ エンタテインメントには、女優の羽田美智子さん、俳優の池内博之さんや女優の真木ようこさんなどが所属しています。
吉川ひなのさんは2021年12月31日を区切りにレプロ エンタテインメントを退社し、フリーとなりました。
【画像】吉川ひなのと旦那の離婚理由は?生い立ちが壮絶!
吉川ひなのと旦那の離婚理由は?
引用元:instagram
引用元:スポニチAnnex
1999年9月、吉川ひなのさんとロックバンド・SYAZNA(シャズナ)のIZAMさんは離婚しました。
お2人の出会いは吉川さんの兄・高田一也さんとIZAMさんが顔見知りで親しくしていて、その後1998年1月、ドラマ「三姉妹探偵団」で共演後、交際へと発展しました。
その後1999年2月24日、吉川ひなのさん19歳、IZAMさん26歳の時、入籍をしました。同年3月3日、赤坂プリンスホテルにて会見を開いています。
結婚について吉川ひなのさんは、「せっかく結婚というカワイイ制度があるんだから、乗らない手はないでしょ。(理想の家庭は)犬がたくさんいて、賑やかで、けんかしてもすぐ仲直りして、ご飯の時はテレビを消すようなおうち」と夢を語っています。
しかし同年7月、2人が別居していることが明るみになり、9月には一部のスポーツ紙が「離婚は決定的」と広めるまでになりました。「ままごと婚」と嘲笑された結婚生活は、わずか7か月でピリオドを打ちました。
離婚理由については公表されていませんが、以下のように推測されています。
- 結婚披露宴に対して吉川さんとIZAMさんの価値観が違った。
- 旅行中に偶然お化粧をしていないIZAMUさんを見た時、イケメン度が下がって見えたのか、吉川さんの愛情が冷めてしまった。
離婚に関し、双方の所属事務所は「プライベートなことはお答えできません」とコメントを発表し、同年6月4日に行う予定であった「招待客500人」の超豪華披露宴をやむを得ず白紙に戻され、披露宴会場関係者を取材しました。
初めは、吉川さん主導で計画が行われていましたが、5月4日に新婚旅行から帰国後急変します。まず吉川さんが打ち合わせに現れなくなり、その後IZAMさんの事務所関係者から解約を依頼されたそうです。おそらく「成田離婚」の状態だったのではないかと思われます。
IZAMさんの簡単なプロフィールをご紹介します。
引用元:Numero TOKYO
2024年11月15日、吉川ひなのさんは2回目の離婚をしました。
その後2007年から交際を開始し、2011年9月、再婚を発表しました。吉川さんはこの時妊娠3か月で、授かり婚でした。お相手は音楽やファッション関係の会社を経営し、通信販売や音楽制作もこなす、36歳の一般男性です。
吉川ひなのさんは、「どちらかが裏切った、だから夫婦という形を手放す、というようなことではありません。この変化が、わたしたち家族にとってよりよい未来をつくるための大切なプロセスになるように、ふたりで話し合って決めました」とコメントを発表しています。
東京から他の場所へ移ろうと決心し、ゆっくり過ごす時間を作るために行動した時、妊娠が判明したのです。ハワイで第1子を出産、第2子は自宅出産に挑戦しました。
日本では、両親の親権争いにより、子どもが被害者となるケースが多く見られますが、アメリカでは、離婚について夫婦の自由であると尊重されています。中でもハワイでは、離婚後も子どもに隠し事をしない、オープンな環境が整備されているようです。そのような背景から、2回目の離婚に踏み切ったのかもしれません。

吉川ひなのさんとIZAMさんは、ドラマ「三姉妹探偵団」でどんな役柄だったのかな?

IZAMさんはドラマの第3話に、SYAZNAのメンバーと一緒に登場しているみたい。吉川ひなのさんは3姉妹の中で、次女の佐々本夕里子役を演じたみたいよ!
吉川ひなのの生い立ちが壮絶!
引用元:FRAU
引用元:幻冬舎
吉川ひなのさんは、2021年5月「わたしが幸せになるまで 豊かな人生の見つけ方」、2023年6月「Dear ママ」を出版しました。
デビュー当時、「本を書く人って素敵だなと思っていて、私も本を読むことが好きだったから、作家になるのが夢だったんです」と、こっそり憧れを抱いていたとのことです。
「わたしが幸せになるまで 豊かな人生の見つけ方」の中では「電気代が払えず電気を止められてしまうほどお金に困り、自宅に借金取りが来るほどでした。お母さんは毎回居留守を使い、吉川さんが代わりに「お母さんはいません」と追い払っていた」と過去を打ち明けました。
彼女が芸能界入りしてからは両親が給料を管理し、豪邸を借りて住んでいたそうです。お父さんがお母さんから命令されて、吉川さんにお金の無心をすることもたびたび起こったと記されていました。
「結果論なんですが、私はどんなに理不尽な目に遭わされても、されてしまった人よりしてしまった人の方がツラいはずだとあるときから思うようになりました。私はされた側だから恨まれることも憎まれることもない。してしまった側のほうが本当の意味ではツラいんだろうなって。だから、とにかく許そうと。どうしても好きになれない部分はもちろんあるけれど、それでも許そうとずっと思い続けてきました」
引用元:FRAU
「Dearママ」には幼少期の心の傷と母親の信仰について、包み隠さず書かれています。
芸名「吉川ひなの」を本名と言い、お母さんについて否定的に述べることはなかったそうです。お母さんが亡くなり数年経ったことから、開けてはいけない箱のふたを外す決心をしたのかもしれません。
吉川ひなのさんのお母さんはキリスト教系の宗教団体の信者であり、彼女は宗教二世だそうです。以下に吉川ひなのさんの体験をまとめてみました。
吉川ひなのさんの家庭での体験
- 一度も誕生日をお祝いしてもらえなかった
- クリスマス会やお正月の行事もできなかった
- 競争も禁止されており、学校の運動会も参加できなかった
- 校歌を歌うこともダメで、「こいつはいつも校歌を歌わない」と同級生の男子にいじめを受けた
- お母さんに革ベルトでお尻を直接叩かれた
- 兄妹が頭から水シャワーを浴びせられた
- 階段の上から、下にいる子どもに掃除機を投げつけられた
- お母さんから「事故などで輸血をしないといけない場合、そのまま死になさい」と言われ、吉川さんの名札の裏に「輸血はしないでください」と書いてあった
2023年5月、インスタグラムに「自分でもどうしたらいいのか、どう思えばいいのかわからなくて、隠すことしかできなかった過去。でも少しずつ乗り越えることができて、ありのままの自分を受け入れたいと思うようになった」とアップし、心の傷が癒された模様です。

吉川ひなのさんは、本を執筆する何かきっかけがあったのかな?

それは、作家の吉本ばななさんに「もっと文章を書いたほうがいい」と言われるほど文章力が高いという理由から、文章を書くことで「仕事柄、こんなことを言わないほうがいいよね」と抑えてきた気持ちの整理につながったみたいよ!
吉川ひなののプロフィール・SNS
引用元:VERY
プロフィール
- 名前:吉川ひなの(よしかわひなの)
- 本名: 高田愛(たかだあい)
- 生年月日:1979年12月21日
- 年齢:45歳(2025年4月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 趣味:ネイル、ヨガ、読書、調味料を手作りすること、オーガニックの畑作り
- 特技:耳の匂いから性格を判断できる、文章を書くこと
- 所属事務所:レプロ エンタテインメント
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/hinanoyoshikawa/?hl=ja
- Threads URL:https://www.threads.net/@hinanoyoshikawa
Threadsで見る
- facebook URL:https://www.facebook.com/hinanoyoshikawa.1221
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@hinanoyoshikawa198
- オフィシャルサイト URL:https://hinano-yoshikawa.com/

- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/hinano-yoshikawa/

音楽作品・著書・受賞歴
CD
シングル
- 1997年5月:ハート型の涙
- 1997年8月:ウサギちゃんSAY GOOD BYE
- 1998年3月:ホットミルク(映画「ドラえもん のび太の南海大冒険」主題歌)
- 1998年4月:One More Kiss
- 1999年4月:メロウプリティ
アルバム
- 1998年5月:I am pink
☆Spica☆名義アルバム
- 2001年3月:We love Spica
- 2001年9月:One
著書
写真集
- 1996年3月:ひなのがぴょんぴょん
- 1997年10月:イリュージョン 吉川ひなの写真集
- 1997年10月:ナチュラル 吉川ひなの写真集
- 1998年8月:ひなあそび
- 1999年3月:Accident series8 吉川ひなの+篠山紀信
- 2001年7月:ひなのがチュッ
- 2008年12月:Blue Diamond:Hinano Yoshikawa 吉川ひなの
単行本
- 2001年12月:arpm. Hinano Yoshikawa
エッセイ
- 1997年7月:1979年生まれ
- 1998年12月:ひなのはひなの
- 2015年2月:ずっと途中
- 2021年5月:わたしが幸せになるまで 豊かな人生の見つけ方
- 2023年6月:Dearママ
ムック
- 2011年2月:LOVE e-MOOK ひなの解禁!
- 2016年4月:ガイドブック「offo hawaii」
レシピブック
- 2019年4月:吉川食堂
受賞歴
- 1997年:第35回ゴールデン・アロー賞 グラフ賞「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」
- 1998年:第21回日本アカデミー賞 新人俳優賞「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」「デボラがライバル」
- 1998年:第52回毎日映画コンクール スポニチグランプリ 新人賞「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」
- 1998年:第15回ベストジーニスト 大賞
- 1998年:第13回高崎映画祭ベストアイドル賞「TOKYO EYES」
- 1998年:第27回ベストドレッサー賞
- 1999年:ビデオでーたDVD賞
- 1999年:ネイルクイーン賞

吉川ひなのさんの「耳の匂いから性格を判断できる」きっかけって何なのかな?

きっかけはわからないけど、バラエティ番組「ダウンタウンなう」で、坂上忍さんと浜田さん、松本さんの性格をそれぞれ言い当てたみたいだね!