お笑い芸人としてコントをしたり、俳優業や声優としても活躍し続けている日村勇紀さん。
個人でもコンビでもたくさんの冠番組を持っており、テレビで見ない日がないくらい活躍されています。
今回は日村勇紀さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】バナナマン日村勇紀は若い頃イケメン!
幼少期・10代(1972年~1992年)
引用元:YouTube
日村勇紀さんは、広島県東広島市で生まれで、3歳の頃に神奈川県に引っ越してきました。
幼少期はバレンタインチョコやラブレターをたくさん貰っており、本人曰く「小学生の頃が一番女の子にモテていた」そうです。クラスではかっこいいと言われ、児童会長をやっていたり、足が速かったと自画自賛していました。
上の画像は、小学生の頃の日村さんです。可愛らしい男の子ですね!
引用元:X落書き日村とヤンキー設楽(笑)
— サイタマノ_チバ (@saitamano_chiba) March 10, 2021
なぜか設楽統だけ時代が違う(笑)#バナナサンド pic.twitter.com/4PYZdqQiBg
日村さんは、高校在学中に同級生の原田健さんと「陸上部」というコンビを組みました。
同級生から渡辺正行さん主催のお笑いライブ「ラ・ママ新人コント大会」の情報を聞き、オーデションに参加、それ以降もお笑いライブに出演していました。
上の画像は、高校時代の日村さんの写真です。痩せていてイケメンな雰囲気もありますが、少しお笑いよりなお顔になってきていますね。
引用元:Xあ、あの「陸上部」がテレビに出る日が来るなんて… #THE夜会 #バナナマン pic.twitter.com/3vvGFSYMD8
— 他力本願寺の子 (@konyahakaerenai) July 22, 2021
日村勇紀さんは、1991年(当時19歳)の時に、渡辺さんの個人事務所である有限会社なべやに所属しました。上の画像は当時の写真です。
高校卒業の際に、渡辺さんに進路を尋ねられており、お笑いを続けたい意志を示していたことにより、渡辺さんに誘われて所属したそうです。
「陸上部」として活動を続けていましたが、原田さんが結婚を理由に芸能界から引退すると一方的に告げられ、解散してしまいました。
日村さんは、原田さんとの別れ際は平然を装っていましたが、家に帰って1人になった途端号泣してしまい、心配して両親が見に来るほどショックを受けたそうです。

日村さんは高校生の時からお笑いを始めているけど、親に反対とかされなかったのかな?

日村さんの両親は、芸人になることに対して反対していなかったみたいだよ。原田さんと解散してしまった時も、号泣している日村さんをみて「そこまで好きなら頑張りなさい」と背中を押してくれたんだって!
20代(1992年~2002年)
引用元:ナタリー
解散後は再現ドラマに出演したり、「横浜ばっくれ隊」のツッパリ役など、細々と芸能活動を続けていきましたが、1993年(当時21歳)の時に西秋元喜さんから「4人でお笑いをやろう」と誘われ、お笑いグループを結成しました。
そこで現在の相方である設楽さんと出会いました。
4人での活動を前提として話や稽古を進めていましたが、設楽さんが「このグループじゃダメなんじゃないか」と違和感を抱くようになり、日村さんだけを誘ってグループを抜け、コンビを結成しました。
上の画像は、「横浜ばっくれ隊」に出演していた時のものです。日村さんのトレードマークでもあるマッシュルームヘアですが、この映画で監督から髪型の指示があり、それがきっかけで現在もこの髪型にしているそうです。
引用元:日刊ゲンダイ
1994年2月(当時22歳)に「日村設楽」の名前で「ラ・ママ新人コント大会」でデビューし、春にはコンビ名を「バナナマン」に改名しました。
バナナマンは独特な世界観でお客さんを魅了し、一部では「天才」と評されていました。構成作家で第3のバナナマンと言われているオークラさんも、バナナマンのコントについて「演技力がずば抜けていて、当時の若手の中では、唯一無二の存在だと思えた」とお話しされていました。
上の画像は「ラ・ママ新人コント大会」200回記念の最後の集合写真です。この大会は、若手の登竜門的存在でウッチャンナンチャンや爆笑問題、ダチョウ倶楽部や東京03といった多くの人気芸人が輩出されました。
引用元:スポーツ報知
日村勇紀さんは、1995年(当時23歳)の時に、バナナマンとして初の単独ライブ「処女」を開催しました。テレビにはあまり出れておらず、毎月ネタを作っては、定期期に単独ライブを行なっていたそうです。
現在(2025年4月時点)も年に1回、レギュラー番組などでどんなに忙しくても単独ライブを開催しているそうです。独自のコントが人気で、コントの中に出てくる「赤えんぴつ」というフォークデュオで武道館ライブを行なったこともあります。
赤えんぴつの楽曲は、設楽さんがメロディーを鼻歌で歌った録音を聴いて、日村さんがコードを書き起こすという作り方をしているそうです。音楽業界の方達から驚かれるようなコード進行で、変則的な音楽や狂気的な歌詞もありますが、耳に残るようなフレーズなどがあり業界の中にもファンが多いそうです。
上の画像は、2024年に武道館で行われた「赤えんぴつ」のライブの写真です。基本同じコントはやらないというお2人ですが、赤えんぴつは2001年から続けており「毎回ライブでやるか迷うが、やると楽しい」と語っていました。写真のお2人もとても楽しそうですよね!

どうして「バナナマン」というコンビ名にしたのかな?

それは、日本人は外見が黄色い黄色人種だけど、一皮剥けば白色の白人のごとく振る舞う様子からアメリカからの蔑称で「バナナ」と言われているのを聞き覚えていた設楽さんの提案みたい。「マン」の部分はスネークマンショーが由来なんだって!
30代(2002年~2012年)
引用元:ライブドアニュース
日村さんは、度が入っているサングラスをかけて生活するほど視力が悪かったのですが、2008年(当時36歳)の時に、視力を回復させる目のレーシック手術を受けました。
2011年(当時39歳)には、歯並びが悪く、虫歯や歯周病を放置したことで歯が自然と抜け落ちてしまうことがあり、歯をインプラントにするため治療を受け始めました。
日村さんはめんどくさがりな性格のせいか、本歯が完成しているのに3年以上も仮歯のまま過ごしていたそうです。2013年(当時41歳)の時に、全ての治療を終了しました。総額はなんと500万円かかったそうです。
上の画像は、歯並びを治す前の日村さんです。表舞台に立っている人はやはり見た目も大事になってきますよね。
引用元:ORICON NEWS
2010年(当時38歳)に映画「最高でダメな男・築地編「築地で一番ダメな男」」に主演として出演しました。制作発表会見の際に「ダメでモテない男の役ということで、役作りなしで行けるだろう。打ち合わせも2分で終了した」とお話しされていました。
上の画像はDVDジャケットの画像です。作品は切なくも楽しい人間模様を描いたハートフル・オムニバス・コメディです。内容が気になりますね!
先行上映会に出席したときには、「本当にダメ男が、愛されるダメな男を演じるの難しかった」と振り返っていました。視聴した方のレビューでは、「ダメダメだけどどこか憎めないキャラクターで、日村さんそのものだ」「ハマり役だ」という声がありました。

日村さんは目や歯を治していたんだね。他にも治しているところがあるのかな?

小さい頃に同級生から寸止めするはずだったパンチが鼻に当たってしまい、鼻の軟骨が折れたことで、穴が塞がって蓄膿のような症状が出たことにより鼻の軟骨除去手術と、声帯に腫瘍があって、取らなくてもいいと言われていたけど、声が枯れやすいからという理由で喉の腫瘍の除去手術を行なっているよ。相方の設楽さんに「(顔の表面)数ミリ先は全部手術してんだから」と明かされていたよ。
40代以上(2012年~)
引用元:ORICON NEWS
2012年(当時40歳)ドラマ初主演となる「イロドリヒムラ」に出演しました。このドラマは10人の映画監督と10人の豪華女優がオムニバス形式で日村さんを”彩る”ドラマです。
日村さんは、よくドッキリにかけられることから「連続ドラマの主演と聞いた時からずっと「本当かなぁ」と思っていました」とドッキリなのではないかと疑っていたそうです。
3ヶ月半にも及ぶ撮影を終えた日村さんは「ここで終わっちゃうのは寂しいです。僕にとってはこんな恵まれた現場は今後あるかどうかもわからない、というくらい楽しかったです」とお話しされていました。
上の画像は、ドラマのクランクアップの時のものです。最終回の原案・監督は相方の設楽さんが務め、話題となりました。
引用元:マイナビニュース
日村勇紀さんは、2019年(当時47歳)の時にラジオ番組「バナナマンのバナナムーンGOLD」で、中型自動車免許を取得したことを報告しました。
免許を取得したことで2021年(当時49歳)からHNK総合で「ひむバス!」という送迎バラエティ番組が不定期で放送されています。上の画像は「ひむバス!」の時のものです。バスのデザインは漫画家の浦沢直樹さんが務めているそうです。

どうして中型自動車の免許を取得したのかな?

それは、バスの運転手になって設楽さんや普段お世話になっている人たちを乗せて旅行に行きたいという夢があったからだよ!
仕事にもつながっていて、すごいよね。
【画像】バナナマン日村勇紀と神田愛花の馴れ初めは?離婚危機があった?
バナナマン日村勇紀と神田愛花の馴れ初めは?
引用元:フライデー
引用元:女性自身
日村さんは、2018年(当時46歳)の時にフリーアナウンサーの神田愛花さんと結婚しました。
最初の出会いは、2012年にクイズ番組で共演し同じチームになったことだったそうです。日村さんは、自信満々に違う答えを言う神田さんをみて「面白い人だな」と思っていたそうです。
一方神田さんは、当時日村さんが着ていた衣装がサイズアウトしていて、背中の部分を紐で結んでいて地肌が見えていたことに対して「すごい。かっこいいな」と思ったそうです。
さらにフリーになったばかりだった神田さんを話の輪の中に入れてくれて「ステキな人だな」と思ったとお話しされており、この時すでに好意を抱いていたようです。
数年後に別の番組で再共演を果たし、食事に行ったことをきっかけに距離が縮まり、2015年に交際に発展したそうです。

告白はどっちからだったのかな?

再共演した番組内で、神田さんから「好きです」と告白したみたいだよ。2017年のクリスマスに「僕のことを大切にしてください」と日村さんがプロポーズをしたんだけど、プロポーズも神田さん自ら話を持ちかけていて、当日のタイミングも神田さんが促してのプロポーズだったみたいだよ!
バナナマン日村勇紀と神田愛花は離婚危機があった?
引用元:FRIDAY
引用元:デイリースポーツ
2018年(当時46歳)の時に、結婚したばかりだった日村さんの16年前のスキャンダルが報じられました。
神田さんは「離婚だ!」とかなり怒っていたそうで、日村さん自ら『女遊びをしない』と言う誓約書を書いたというお話がありました。
夫婦で新型コロナウイルスに感染し自宅療養していた時、ラジオで「なるべく会わないようにしていた」と発言したり、神田さんがステイホームの期間に、苦手な食事を作らなければならない苦痛や番組アンケートで不満を書けるようになったと発言したことから離婚の危機と勘違いした人が多かったのではないかと思われます。
さまざまな噂がありましたが、現在も夫婦のエピソードは度々テレビでお話しされており、離婚する様子は見られません。

芸人さんってやっぱり女遊びが多いのかな?

報道されていないだけで、たくさんあるという噂は多いよね。日村さんも女遊びが多くて、当時は1000人ほどの女性の連絡先が登録されていたみたいだよ。
日村勇紀さんがデビューした1990年はこんな年だった!
引用元:ちびまる子ちゃんオフィシャルサイト、大阪モノレール、TBS
日村勇紀さんがデビューした1990年は、「ちびまる子ちゃんが放送開始」、「大阪モノレールが開業」、「渡る世間は鬼ばかりが放送開始」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、「ちびまる子ちゃん(現象)」でトーマス・リードさんが受賞しました。
日村勇紀のプロフィール・SNS
引用元:ORICON NEWS
プロフィール
- 名前:日村勇紀(ひむらゆうき)
- 生年月日:1972年5月14日
- 年齢:52歳(2025年4月現在)
- 出身地:広島県
- 血液型:O型
- 趣味:ゴルフ、ウォーキング
- 特技:ピアノ、ギター、ダンス、タップダンス
- 所属事務所:ホリプロコム
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/bsa_himutaro
おそばの #ひむ太郎 🐸
— バナナマン日村が歩く!ウォーキングのひむ太郎【公式】 (@bsa_himutaro) April 16, 2025
Vegan Soba Tokyo Ayler
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とってもおしゃれなお店で
植物素材を使用した
とっても身体に良さげなおそばを
いただきました。おいしかったです
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- Instagram URL:https://www.instagram.com/sekkaku_gurume/
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@tbs2644
- オフィシャルサイト URL:https://com.horipro.co.jp/talent_info/bananaman/


日村さんはピアノやダンスもできるみたいだけど、幼少期に習ったりしていたのかな?

ピアノやダンスを習っていたことはないみたいだよ。経験がないけどきっと覚えるのが早くて器用な人なんだろうね。経験がなくてもできるなんて天才だよね!