歌手としてはもちろん、裏表のない明るい人柄で人気を集めていた冠二郎さん。
演歌歌手になった経緯、年齢詐称、かつら疑惑、年の差婚、病気など様々な話題がありました。
今回は冠二郎さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】冠二郎は若い頃年齢詐称?
10代(1954年~1964年)
引用元:discos
冠二郎さんは、1944年4月23日、埼玉県秩父市で生まれました。
小学生時代は真面目な性格からか、クラスの学級長などをしていたそうで、高校は埼玉県立秩父高校で、自転車で通学、剣道部所属だったそうです。そして学校内では「秩高の橋幸夫」と呼ばれていたというエピソードがあります。
埼玉県立秩父高等学校を卒業し、学生時代は異性に人気があり、その延長でアイドルを目指そうと思い上京しました。
しかし、そこで出会った作詞家の三浦康照さんに、「君は演歌顔だ」と言われ、目指していたアイドルから一転、演歌歌手を目指すことになりました。
それから、演歌歌手の道への進み始めた冠さんですが、音程の良さや「土の香りのする素朴さがいい」と見込まれ、三浦康照さんに弟子入りする事になります。
そしてレコード会社でも同様に「あなたの顔は演歌だ。鼻が演歌鼻だ!」と演歌でのデビューを推されたそうです。そしてついに、1967年(当時23歳)の時「命ひとつ」で、デビューを果たしました。上の画像はジャケット写真です。

アイドル志望だったようだけど、誰か憧れていた人がいたの?

当時は橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんの「御三家」全盛期だった時で、冠さんは床屋さんに橋幸夫さんのブロマイドを持って行って、同じ髪型にしてもらったんだって。
そしたらクラスの女子が騒ぎ始めたみたいで、「女の子がキャーキャー言うから、変な自信過剰になって。突然アイドル志望になったわけ」とアイドル志望になったきっかけを語っていたよ。
20代(1964年~1974年)
引用元:withnews
上の画像も、1967年頃(当時23歳)、デビュー当時の時のものです。デビュー後、ヒットに恵まれず、出す曲も泣かずとばずだった冠さん、全国約3千軒のスナックや飲み屋を回り、自らレコードを売り歩いていたそうです。
1軒で買ってもらえるのはせいぜい3、4枚程度で、スタッフと二人三脚で午後7時から深夜2時まで、多いときには一晩に27軒をハシゴすることもあったそうです。
時にはキャバレー歌手としても働いたそうですが、ギャラはほとんどなく、師匠の肩もみや、師匠宅の掃除をして小遣いをもらっていたそうです。

下積み時代は相当苦労したみたいだね。

そうだね。だけど冠さんは当時の事を「あれは俺の黄金時代だと思ってる」と言っているんだよね。
売れると人が変わるというけれど、冠さんの場合は「あの10年で、人を見ると声を出すより先に頭を下げる習慣がついて。それが低姿勢って、かわいがられた。やっぱ黄金時代があったから、今があるんだなあ」と、下積み時代の経験がとても役に立っていると話していたよ。
30代(1974年~1984年)
引用元:amazon
上の画像は1977年、冠さん33歳ころに発売されたシングル「旅の終わりに」のジャケット写真です。この曲がヒットする前は、お店に足を運び、1枚しかないレコードを手前に置いて、手を合わせて、「何とぞ売れますように」と拝んでいたのだそうです。
その甲斐もあってか曲が大ヒット、売り場の状況は一転し、「冠二郎コーナーがあって、箱が二つも三つもあって。これ、売れなかったらどうしちゃうんだろうって。今度は怖くなった」と、それまでとは違う対応に驚いたのだそうです。
この曲は他の曲と違い、歌う上で作詞者の五木寛之さんから要望があったそうで、「この曲を歌う時だけは、真剣に、そして人生の一番辛かった時のことを思い浮かべて唄って欲しいとお願いをされた」と語り、「五木先生の世界観を壊さないという約束を守って本曲を歌うようにしている」と語っていました。

この曲は、ドラマの挿入歌だったんだよね。

そうなの。1977年に放送されたドラマ「海峡物語」の挿入歌で、ドラマには芦田伸介さん、八千草薫さん、秋吉久美子さんなど、大物俳優さんが多数出演しているんだよね。
40代以上(1984年~)
引用元:YouTube
上の画像は1991年、冠さん48歳の時に発表されたシングル「酒場」のジャケット写真です。この曲がロングヒットとなり、1993年(当時49歳)、念願のNHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。
それまでお酒好きで知られていた冠さんでしたが、1989年の紅白に落選し、「生半可じゃ選ばれない。断酒する」と、大好きなお酒をキッパリと絶ったそうです。
そして宣言通り禁酒を続け、その後「酒場」が大ヒット、見事紅白出場を果たし、その後合わせて3回紅白に出場したのです。
そして紅白出場を果たした後も禁酒は続け、ホテルのパーティーやお酒の席でどんなに勧められても、「申し訳ありません。もう止めましたので、私の代わりにいっぱい飲んで、楽しんでください」と頭を下げ、決して飲まなかったそうです。
引用元:日刊スポーツ
上の画像は2006年3月、冠さん62歳ころ、プロ野球横浜ー阪神戦で始球式に登場した際の画像です。
冠さんは野球をしていたという情報はないのですが、この年に新曲となる「横浜物語」をリリースしており、それにちなみ、始球式に登場したのだそうです。
引用元:FRIDAY
上の画像は2020年冠さん76歳の時、コロナ禍でステイホーム中の2人を取材した際の写真です。コロナでコンサートも全滅し、人前で歌う事が出来なくなってしまった冠さんですが、妻のみなこさんと料理をしたりトランプをしたりと、ステイホームを満喫していたそうです。
ステイホーム中に離婚する夫婦が多い事について聞かれた際には「コロナ離婚なんて言われてますが、私たちはコロナ愛ですよ。こんなに愛おしい宝物はないってことに気付かされていますよ。また笑顔がカワイイ。71歳まで独身で孤独でしたから、今が一番幸せですね」と、終始のろけっぱなしだったようです。

冠さんに子供はいるのかな?

子供はいないみたい。奥さんは欲しいと思っていたみたいだけど、冠さんは自身の年齢が気になっていたみたいだよ。
子供について聞かれた際に、「子供が20歳のとき、私は90歳オーバー。できないように気をつけています」と話していたよ。
【画像】冠二郎は妻と歳の差婚!カツラ疑惑の真相は?
冠二郎は妻と歳の差婚!
引用元:日刊スポーツ
引用元:日本コロムビア
上の画像1枚目は2016年、結婚式での2ショット、2枚目は2020年に発売された、妻とのデュエットソング「あなたは男でしょう」での2ショットです。
冠二郎さんは2016年、72歳の時に、歯科衛生士だった31歳年下のみなこさん(当時41歳)と歳の差婚をしました。
お2人の出会いは2016年2月、静岡で行われた冠さんのイベントだったそうです。冠さんは楽屋にみなこさんが入ってきて目が合った瞬間に、一目惚れしたそうなのですが、その時みなこさんも「冠さんとは前世から親しかった」と感じたのだそうです。
そして後日、みなこさんを食事に誘ったのですが、みなこさんは「外食だとパパラッチに狙われてしまうから、私が自宅に行って食事を作ります」と提案したそうで、初デートはなんとみなこさんの手料理だったそうです。初日から自宅で手料理なんて、相手に気がないと出来ないことですよね。
それからみなこさんは、冠さんの自宅に通っては、調理器具や食材を持ち込み、手料理を振る舞ってくれたのだそうです。ご飯を食べながらの会話は2人の距離を縮め、会話を通してお互いの気持ちを確かめた後、交際に至ったそうです。
しかし最初にみなこさんの父親から、芸能人という事と、歳の差の事で交際を反対されたそうなのですが、みなこさんの母親の「20年後は90歳と60歳でしょ。同じ高齢者よ!」というひと言で事が丸く収まり、冠さんは嬉しくてその場で泣いてしまったそうです。
その帰り道、冠さんはみなこさんに「俺の命をあげるよ」というプロポーズの言葉を伝え、交際から2ヶ月余りで見事ゴールインする事となったのです。

妻のみなこさんは、歳の差について気にはならなかったのかな?

みなこさんは、8歳の時に両親と一緒に冠二郎さんのコンサートに行っていて、その頃から知っていたみたいなの。
みなこさんは「出会ってすぐ冠さんと結婚すると思ってました。いろんな事がスムーズに進んで、すごくウマが合う。年齢は数字だけのことであまり気にしていません。一緒になれてよかった。男気があって優しい。一緒にいてホッとします」と語っていたよ。
冠二郎のカツラ疑惑の真相は?
引用元:サードニュース
引用元:X突如、浮上した「カツラ疑惑」に地毛を差し出し「引っ張って!」。経歴詐称を乗り越えた冠二郎の潔さ。 - ウィズニュース https://t.co/iHJlDp1sEe #withnews pic.twitter.com/veRQmYwqkM
— withnews (@withnewsjp) May 22, 2016
上の画像1枚目は2023年、冠さんが79歳頃に発売された「アイ・ライク・エンカ! - 冠二郎 炎の演歌決定盤」のジャケット写真、画像2枚目は、取材を受けた際に、かつら疑惑を晴らす為、記者に引っ張ってもらい確認させている動画です。
冠二郎さんはデビュー当時から毛量は多い方でした。しかし、年を重ねても髪のボリュームが変わらず、それを疑問に思った人達の間で「かつらなのでは」とかつら疑惑が浮上し、瞬く間に冠さんのかつら疑惑騒動が広まったのです。
かつら疑惑に最初に触れたのは徳光和夫さんだったそうで、「髪の毛疑惑を最初に言ったのは私ですからね。つかんだら本当にそうだったっていう。本物ですよって言ってたら本当に本物だったっていうことがありました。」と語っていました。
かつら疑惑を払拭するような動画もあり、かつら疑惑が晴れたとともに、何事も包み隠さず正直に話す、冠さんの人柄の良さが垣間見えるエピソードとなったようです。

冠二郎さんには年齢詐称疑惑もあったよね。

そうなの。デビュー当時23歳だった冠さんは、事務所の方針で18歳とプロフィールに記載して、それから公表するタイミングがなく、5歳サバを読んだまま年月が経過していったんだって。
2016年に突如スクープされ、実年齢が公表されたの。でも叩かれるどころかそれをきっかけに、収入が2倍になったそうだよ。やっぱり何事も明るく素直に話す冠さんだから受け入れられたのかもしれないね。
冠二郎のプロフィール・SNS
引用元:デイリー
プロフィール
- 名前:冠二郎(かんむりじろう)
- 本名: 堀口義弘
- 生年月日:1944年4月23日
- 年齢:享年79歳(2024年1月没)
- 出身地:埼玉県秩父市
- 血液型:A型
- 趣味:パチンコ 競馬 ゴルフ お酒
- 特技:剣道
- 所属事務所:日本コロムビア
タイアップ曲
- 1977年:「旅の終わりに」テレビ朝日系ドラマ「海峡物語」挿入歌
- 1998年:「バイキング」オリジナルビデオ「熱血!二代目商店街」主題歌
- 1999年:「愛しき人よ」ニッポン放送「テリーとうえちゃんのってけラジオ」挿入歌
- 1999年:「歌は世界を救う!!」テレビ朝日系特撮ドラマ「燃えろ!!ロボコン」EDテーマ

冠二郎さんは禁酒前どのくらいお酒を飲んでいたの?

酒豪と呼ばれるくらい強くて、若い頃は1日1升以上飲んでいたんだって。体を壊しながらもなかなか辞められなかったみたいだけど、最終的にアルコール中毒寸前と診断されて、それからは完全禁酒したそうだよ。