ひふみんの愛称でバラエティー番組で活躍を続けている加藤一二三さん。
将棋界では「神武以来の天才」などの異名を持ち、最高齢現役記録や現役勤続年数歴代1位など数々の記録を打ち立て、旭日小綬章を受章されました。
今回は加藤一二三さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】加藤一二三(ひふみん)は若い頃凛々しい!
10代(1950年~1960年)
引用元:朝日新聞
加藤一二三さんは、1954年8月1日(当時14歳)に四段に昇段し、当時の史上最年少棋士・史上初の中学生棋士となりました。
上の画像は当時の対局のものです。右側が加藤一二三さんです。相手が年上でも、動じることなく静かに駒を指している落ち着いた姿が、すごいですよね!
引用元:毎日新聞
加藤一二三さんは、1955年4月1日(当時15歳)に、順位戦C級1組への昇級で五段に昇段しました。
最年少プロになったころについて加藤一二三さんは、「プロになった時はさほど反響はなかった。」とお話しされており、当時は今ほど将棋が注目されていなかったためか、目立った取り上げられ方はされなかったようで、加藤一二三さんも少し寂しげなコメントを残されています。
上の画像は1957年(当時17歳)の七段に昇進したときのものです。すっきりとした額とシャープな眉から、自信と落ち着きを感じます。
引用元:毎日新聞
加藤一二三さんは、1958年(当時18歳)の時に、八段になったことにより、最年少でA組へ昇格しました。
プロ棋士の中でも「A級」という地位を築いていたにも関わらず、早稲田大学に進学したことについて加藤一二三さんは以下のようにお話されています。
歌舞伎の九代目松本幸四郎さんとか、オリンピックの有力な候補だった競泳の山中毅選手とかね、そういったいわゆる若くしてトップの活躍をしていた人が早稲田の学生だったんです。なかなか多彩な人が大学にいて、それはやっぱり刺激になりましたよね。
引用元:早稲田大学
多彩な才能を持つ学生が集まる環境が、加藤一二三さんにとって大きな刺激となっていましたことが確認できますね。上の画像はその当時のものです。すっきりとした眉と引き締まった輪郭が若々しく、笑顔がとても爽やかです。

加藤一二三さんは、どうして将棋を覚えたのかな?

それは、幼稚園の頃、近所の子どもが指しているのを見て、将棋を覚えたみたいよ!
20代(1960年~1970年)
引用元:X.com週刊サンケイ1960年2月1日号より、加藤一二三当時八段のグラビア。なにこの信じられないイケメン。 #shogi #ひふみん pic.twitter.com/KiLJyGlXih
— アライコウ (@araicreate) March 27, 2020
加藤一二三さんは、1960年(当時20歳)の時に、A級で名人挑戦権を獲得しました。上の画像は当時の時のものです。無造作に流れるような前髪と力強い眉が個性的でいて知性が伝わってきます。
この当時のことについて加藤一二三さんは、以下のように話しています。
名人戦で負けたことは問題ではなかったのですが、その次のA級順位戦が間違いでした。私が挑戦者になった59年の時とA級は同じ顔ぶれだったので、同じような気持ちで戦えばいいと思っていたのです。はっきり言って楽観していました。極めてまずく、大いに反省すべき点です。
引用元:読売新聞オンライン
準備や心構えに甘さが生じ、思うような成績を残すことができなかったそうです。
引用元:毎日新聞
加藤一二三さんは、1967年(当時27歳)の時に、名人戦七番勝負で尊敬する大山康晴さんに挑戦しました。
この時の対局には海外からも記者が駆けつけるほど話題になっており、まだ学生だった加藤一二三さんでしたが、第1局ではあっさり勝利し、会場を盛り上げました。
しかし劣勢続きだった大山康晴さんは第3局にして、その真骨頂ともいうべき粘り強さを魅せました。
「大山流の将棋は気合と意地です。大山先生は理論派ではありません。でも、相手の心に響く手を指すことができる人で、私はそこに感心しました。」
この当時についてそう語る加藤一二三さん。1勝4敗と残念な結果にはなったものの尊敬する大山さんとの対局には、戦略的に指すだけが将棋ではない、と学ぶことも多かったようです。
上の画像は当時の対局の時のものです。落ち着いた雰囲気を持ち、集中した表情が素敵です。
引用元:早稲田大学
加藤一二三さんは、1969年(当時29歳)の時に、今の竜王戦の前身、読売新聞社主催の十段戦で初タイトルを獲得しました。上の画像は当時のものです。
当時のことについて加藤一二三さんは、「7時間掛けて、素晴らしい一手にたどり着いたことで、私は「将棋というのは深い」ということを、実際に経験したんです。」とお話しされており、この経験が将棋の奥深さを身をもって実感した貴重な経験となったようですね!
しっかりと整えられた髪型と柔らかな丸みを帯びた額から知的で誠実な雰囲気を漂わせつつも、親しみやすい雰囲気が広がっています。

加藤一二三さんは、どうして将棋を指すときに長考するようになったのかな?

大山先生や升田先生は一度リードを許すと負けてしまうので、序盤で懸命に考えたらしいわ。中盤ではどの局面でも直感で浮かんだ手がだいたい正しく、それを確認するために時間をかけて精読しないといけなかったみたいよ!
30代(1970年~1980年)
引用元:読売新聞オンライン
加藤一二三さんは、1977年(当時37歳)の時に、第16期十段戦で中原誠名人に勝利しました。
この時加藤一二三さんは、「『直感精読』と『9日間の祈り』が最も功を奏したこの将棋は、私の指した将棋の中でベストテンに入る名局です。」とお話しされており、これまで積み重ねてきたものが、しっかりと形になった瞬間であったことが確認できます。
上の画像は第16期十段戦第6局の時のものです。知的で洗練された雰囲気があります。
引用元:SPUR
加藤一二三さんは、1979年(当時39歳)の時に、中原誠名人に第28期王将戦で勝利しました。
この時期のことについて加藤一二三さんは、「他の棋士たちがぶつかって行っても勝てない。ということは、私にもまだ勝つチャンスがあるということだ。」とお話しされており、誰よりも早く中原名人に勝ちたいという強い思いが感じられますね!
上の画像は当時のものです。自信を感じさせると同時に、柔らかな微笑みを浮かべているところからこの1局について満足した結果だったことがわかります。

加藤一二三さんは、中原誠さんに対してどのようにして戦ったのかな?

それは、中原誠さんの将棋を詳しく研究していくうちに、自信を持って戦えるようになったみたい。攻めが強い中原誠さんに対して、「それ以上に鋭く攻める」ことを心がけていたらしいわ。
40代(1980年~1990年)
引用元:Number Web
加藤一二三さんは、1982年(当時42歳)の時に、名人位を獲得しました。
この時加藤一二三さんは、「いつの日か必ず名人になれると信じて精進してきたことが叶うんだ、という万感の思いが込められていたのです。」とお話しされており、胸に込み上げるのは、これまでの苦労や喜び、そして信じ続けてきた思いのすべてであったのではないでしょうか。
上の画像は当時のものです。力強い眉と鋭い眼差しに落ち着いた貫禄と知的な魅力があります。
引用元:日本将棋連盟
加藤一二三さんは、1986年(当時46歳)の時に、聖シルベストロ教皇騎士団勲章を贈呈されました。
この時加藤一二三さんは、「長年の信者としての活動が認められて非常に感激です。これからもいっそうこの道に励んで行きます。」とお話しされており、キリスト教の道をさらに極めるべく、これからも一層励んでいく決意を新たにしていたようです。
上の画像は当時のものです。穏やかな笑顔が印象的で、ふくよかで堂々とした顔立ちは、威厳と親しみやすさを感じます。

加藤一二三さんは、どうして聖シルベストロ教皇騎士団勲章が授与されたのかな?

それは、長年にわたる教会活動や社会への貢献が認められたから、授与されたみたいよ。最近では 「バチカンと日本 100年プロジェクト」という国際文化交流を応援していたわ。
50代以上(1990年~)
引用元:ナタリー
加藤一二三さんは、2012年(当時72歳)の時に、バラエティー番組「アウト×デラックス」に出演しました。
出演当時、加藤一二三さんは、「3日に1回は街で声をかけられるんですよ。大変うれしくて。」とお話しされており、番組出演の反響が大きかったことが伺えますね!
上の画像は2017年(当時77歳)の時のものです。ふっくらした頬は親しみやすさを感じさせ、とても温かみのある笑顔が素敵です。
引用元:公益社団法人 日本将棋連盟
加藤一二三さんは、2018年(当時78歳)の時に、旭日小綬章を受章しました。この時「たいへん光栄なことであり、心より感謝しています。」とお話しされていました。
上の画像は旭日小綬章を受章時のものです。顔立ちは柔和でありながらも、とても穏やかで品のある雰囲気を持っています。
四段に昇格した14歳から人生を将棋に捧げてきた加藤一二三さん。この受賞の前年に現役を引退していますが、引退後も将棋の研究が続けていて、さらに将棋界を盛り上げる強い思いを持っているようです。さすがですね!
藤井聡太さんの登場で、さらに将棋界が世間からの注目を集めている今、その影響を受け、多くの子どもたちが将棋にのめり込んでいます。そんな子どもたちの姿を見て「集中して夢中になっている姿を見るのはいいものです。」と語っていました。
まだまだ加藤一二三さんの活躍は続きそうですね!今後も楽しみです!

加藤一二三さんは、どうして「アウト×デラックス」に出演することになったのかな?

それは、「対局の時に長すぎるネクタイをする人がいる」という話が番組スタッフの耳に入り、加藤一二三さんに声がかかったみたい。
加藤一二三さんが所属する”株式会社ワタナベエンターテインメント”には他に誰が所属してる?
引用元:株式会社ワタナベエンターテインメント、株式会社ワタナベエンターテインメント、株式会社ワタナベエンターテインメント
加藤一二三さんの所属する株式会社ワタナベエンターテインメントには、タレントの中山秀征さん、ギャル曽根さん、俳優の山田裕貴さんなどが所属しています。
【画像】加藤一二三(ひふみん)のギネス記録がスゴイ!妻との馴れ初めは?
加藤一二三(ひふみん)のギネス記録がスゴイ!
引用元:スポーツ報知
引用元:ギネス世界記録
加藤一二三さんは、2024年11月21日(当時84歳)にギネス世界記録「同一雑誌におけるボードゲームパズル作者としての最長キャリア」に認定されました。記録は2024年10月1日時点で、65年62日です。
対象となった雑誌は、JAグループの出版・文化事業を営む「家の光協会」が出版するファミリー・マガジン「家の光」です。加藤一二三さんは、その読者ページ「あなたとわたしのハッピーアワー」内のコーナーで、詰め将棋記事を連載しています。
この時、加藤一二三さんは「これからも記録を更新していきたい」とお話されており、まだこれから世界記録は伸びていきそうですね!

加藤一二三さんが、詰め将棋の記事をつくる際に心がけていることはなにかな?

それは、一般の将棋ファンへ向けているから、だいたい7手詰めか9手詰めを作ることを目標としており、目が覚めるような良い手、感心してもらえる手を2手はいれているみたいよ!
加藤一二三(ひふみん)の妻との馴れ初めは?
引用元:朝日新聞
引用元:早稲田大学
加藤一二三さんは1960年1月15日(当時20歳)に入籍しました。お相手は14歳でプロ棋士となった加藤一二三さんを支え続けた紀代さんという女性です。
将棋にほとんどの時間を費やしたため、学校の授業にはあまり出席できなかった加藤一二三さんのために、紀代さんはノートを届け続けてくれたそうです。そんな紀代さんの優しい一面に恋心を抱き、加藤一二三さんにとって紀代さんは初恋の人となったそうです。
初恋の相手と結婚なんて素敵ですよね!ちなみに、加藤一二三さんと紀代さんの間には4人のお子さんがいます。

加藤一二三さんの奥様は、加藤一二三さんが棋士として行き詰っていたときにどんな言葉をかけたのかな?

あなたは棋士だから、どんな時もいい将棋を指さないといけないと伝えたみたいよ!加藤一二三さんは奥様について、陰で忍耐強く、穏やかに、優しく、自分を支え続けくれたと語っているわ。
加藤一二三さんがデビューした1954年はこんな年だった!
引用元:読売新聞オンライン、ライブドアニュース、ニッポン放送 NEWS ONLINE
加藤一二三さんがデビューした1954年は、「マリリン・モンロー来日」、「明治製菓が日本初の缶入りジュースを発売」、「ニッポン放送開局」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語は、「イタリアン・ボーイ」、「サブリナ・シューズ」、「ロマンスグレー」などがありました。
加藤一二三のプロフィール・SNS
引用元:公益社団法人 日本将棋連盟
プロフィール
- 名前:加藤 一二三(かとう ひふみ)
- 愛称:ひふみん
- 生年月日:1940年1月1日
- 年齢:85歳(2025年3月現在)
- 出身地:福岡県
- 血液型:A型
- 趣味:クラシック音楽、猫
- 所属事務所:株式会社ワタナベエンターテインメント
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/hifumikato
『人生で
— 加藤一二三【2024年棋士デビュー70周年 皆様への感謝を込めて】 (@hifumikato) November 18, 2022
一番幸せな瞬間は、
これからやってくる!』 pic.twitter.com/1QMS51AOk7
- オフィシャルサイト URL:https://www.watanabepro.co.jp/mypage/60000022/


加藤一二三さんは猫が好きと言っているけれど、どれくらい好きなのかな?

ツイッターで「#世界猫の日」をつけて、猫へのメッセージをたくさん投稿していたみたいだね!NHK「ひふみんのニャンぶらり」では「ネコと仲良くするための心得」を実践しロケをしていたらしいわ。