1970年代、80年代にかけて女優・歌手として活躍していた太田きよみさん。
伝説のお色気番組『プレイガール』でのデビューを皮切りに、歌手活動や女優としての活動を展開してきました。
今回は太田きよみさんの若い頃を振り返り、現在に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】太田きよみは若い頃かわいい!
10代(1963年~1973年)
引用元:amazon、X【ちょっと一興😉】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) March 4, 2022
モノクロ(番宣用)▶カラー
ドラマ『プレイガール』〔東京12チャンネル〕
第171話「勢揃いやわ肌仁義」[72.07.10放送]より
(左から)#太田きよみ #宮園純子 #桑原幸子 #八代万智子 #深田ミミ @retoro_mode pic.twitter.com/hCkvyNbvpn
太田きよみさんは、1970年17歳当初、篠雪子(しの ゆきこ)名義でテレビドラマ『プレイガール』にゲスト出演し、女優としてのキャリアをスタートさせました。『プレイガール』は、女性探偵団の活躍を描くアクションドラマで、当時の視聴者から高い人気を博していました
数回のゲスト出演を経て、翌年にレギュラー出演が決定しましたが、当時すでに桑原幸子さんが同番組に出演しており、名前の「ゆきこ」が重複してしまうため、本名をもじった「太田きよみ」に改名されたそうです。
レギュラー出演時は一条きよみ役で、初登場となる第113話「大菩薩峠の決闘」では、神社の娘で武芸の達人という設定でした。その後のエピソードでは、明るく親しみやすいキャラクターへと変化し、番組に新たな魅力を加えていました。
上の画像はプレイガール出演時のものです。美しくカッコよい女性たちに蹴られたい男性も多そうですね!
引用元:X、X@katayamayumiko 『プレイガール』に出演していた太田きよみさんは『仮面ライダー』第4話(篠雪子名義)と『超人バロム・1』第33話(実名)にも出演されていました。『ライダー』では怪人に誘拐され、『バロム・1』では魔人の糸で出来たドレスを着て溶かされてしまいます。 pic.twitter.com/f9BNSqy4Hz
— ヨッシー (@00Yoshii) September 1, 2017#仮面ライダー 4話に雪江を演じた篠雪子さんと雪江の弟を健二を演じた五島義秀さん。篠雪子さんは後に太田きよみとして 「#プレイガール」 のレギュラーになる。五島義秀さんは 「#キカイダー01」でプロフェッサー・ギルの次男アキラを演じた。 pic.twitter.com/8sIXZaJQqS
— 哲ちゃん/哲五朗親分 (@tecchan110) May 5, 2018
太田きよみさんは『プレイガール』のイメージが強いですが、実は特撮ヒーロー作品にも出演していました。
1971年(当時18歳)には『仮面ライダー』第4話「人喰いサラセニアン」に宮下雪江役で登場しました。仮面ライダーシリーズ初期のエピソードに出演していたのは貴重ですね。
さらに、1972(当時19歳)年には『超人バロム・1』第33話にも出演しました。『仮面ライダー』と同じ東映制作の特撮ヒーロー作品で、当時の子どもたちに大人気の番組でした。
アクションドラマ『プレイガール』だけでなく、特撮作品にも関わっていた太田きよみさん。昭和のヒーロー作品のファンにとっても見逃せない女優の1人ですね!
上の画像Xはそれぞれ仮面ライダー、超人バロム出演時のものです。美人すぎるお姉さんですね!誘拐される役柄がぴったりです!

プレイガールってなんで人気になったのかな?

当時の人気セクシー女優が多数出演したし、流行のミニスカート姿で繰り出される華麗な前上段蹴りは、視覚的なインパクトも抜群だったわ!
アクションのたびにパンチラシーンがあり、男性視聴者を夢中にさせたそうよ!
20代(1973年~1983年)
引用元:YouTube
引用元:snow records
『プレイガール』降板後、太田きよみさんは橘モナ(たちばな もな)の芸名で歌手デビューを果たしました。
きっかけは、あるパーティで俳優の勝新太郎さんのカフスボタンを拾って届けたことだったそうです。その場で勝さんにスカウトされ、デビューが決まったと言われています。
勝さんの支援はかなり手厚く、デビュー曲「涙のサンバ」の宣伝パンフレット用の写真は、なんと勝さん自らがカメラマンを務めるほどの熱の入れようでした。
2曲目の「私は蜘蛛の糸」は、当時の"ポルノブーム"に便乗し、情事をテーマにした大胆な歌詞が話題になりました。当時まだ20歳の若さながら、"ポルノ歌手"というセンセーショナルなキャッチフレーズがつけられ、異色の歌手として注目を集めました。
上のYouTube画像はデビュー曲「涙のサンバ」です。昭和のメロディに惹かれて今なお人気がある名曲です。上の画像は「私は蜘蛛の糸」のジャケットです。黒のセクシードレス姿がピッタリですね!
引用元:Xプレイガール女優~♪橘モナや山崎一美の名義でレコ出してたのは知ってたけど、❝大田きよみ❞(太田じゃない!)でもあったのね。なんと作曲も自ら!(・o・)夫君・曽根幸明の影響もあるのかの…。なかなかグルーヴしてるB面「愛したままで」が◎ pic.twitter.com/EqS4wfeJ2j
— RECORD SHOP NAKA/ナカレコ (@nakareco2) March 4, 2013
この頃太田きよみさんは、事務所移籍に伴い、山崎一美(やまさき かずみ)という芸名を経て、再び太田きよみに改名しました。これをきっかけに、新たな音楽活動をスタートさせます。
1979年3月、エルボンレコードからリリースされた「別れて下さい」は、当時26歳の太田きよみさん自身が作詞を手掛けた楽曲です。この曲は、彼女の音楽活動における新たな一歩として、当時のファンからも注目を集めました。
上の画像は「別れてください」のジャケット画像です。愛憎の想いがただよっているように見えますね。

山崎一美の時はどんな曲を出しているのかな?

1976年に「風知草」「結婚」と2枚のレコードを出しているわよ!
30代以降(1983年~)
引用元:ROADSIDERS
1980年(当時27歳)、太田きよみさんは突然芸能界を引退しました。引退の理由は、当時報じられた不倫騒動が大きな影響を与えたと言われています。(詳しくは後述します)
その後、1984年(当時31歳)には第2子を妊娠し、ようやく前妻と離婚した曽根幸明さんと結婚されました。新たな家庭を築いたことも、芸能活動から遠ざかる要因となったのでしょう。
上の画像は2005年の太田きよみさん42歳の時のものです。夫の曽根幸明さんの取材時の家族写真です。脳梗塞で倒れ、麻痺が残る夫の介護を献身的にしていたようです。
しかし、2017年(当時64歳)、太田きよみさんの夫である曽根幸明さんが逝去しました(享年83歳)。長年にわたって介護を続けてきた太田さんにとって、大きな節目となる出来事でした。曽根さんは生前、音楽家として数々の名曲を手がけ、多くの人々に愛された存在でした。太田さんは、夫の介護に尽力し、最後まで寄り添い続けました。
2019年4月19日(当時66歳)放送の『爆報! THE フライデー』に出演した太田きよみさんは、曽根幸明さんとの結婚が不倫の末の略奪婚であったことを改めて語りました。
しかし、結婚からわずか1年後に義母が直腸がんを患い、太田さんは介護に専念することになったそうです。その後、夫の曽根幸明さんも脳梗塞を発症し、彼の介護も行うことになりました。彼女はこれを「私が犯した罪の償いとしての介護」と語り、必死に支え続けたのです。
また、曽根幸明さんは離婚後も前妻に十分な仕送りを続けていたことから、遺産相続の際、前妻から「私たちは印税は結構です」と告げられたそうです。前妻は太田さんが30年以上も義母や曽根さんの介護を懸命に行っていたことを知り、彼女を労う気持ちを持っていたといいます。
かつては波乱万丈な人生を歩んだ太田きよみさんですが、彼女なりに誠実に生き抜いてきたことが伝わるエピソードですね。

太田きよみさんは今はお元気なのかな?

芸能活動はしていないようだけど、お嬢さんのブログに時々登場しているわよ。お嬢さんのコンサートをよく聴きにいっているみたいね。
太田きよみさんが発売した音楽(シングルやアルバム)はどんなものがあるの?
引用元:デシネショップ、downtown records、楽天市場
太田きよみさん(別名義あり)は、これまでにシングル4枚、アルバム5枚を発売をし、最も人気があるのが「別れてください」となります。これまで多くの作品に携わり、美声を披露していました!
【画像】太田きよみは曽根幸明と略奪婚?娘は元ブランチリポーター!
太田きよみは曽根幸明と略奪婚?
引用元:スポニチ
『プレイガール』出演や歌手として活躍した太田きよみさんですが、私生活では波乱の恋愛劇を経験しています。お相手は、数々のヒット曲を生み出し、数百万枚のレコードやCDを売り上げたヒットメーカー、曽根幸明さんでした。億単位の収入を得る音楽界の大物です。
太田さんのデビュー曲の「涙のサンバ」を作曲したのが曽根さんで、お2人は、その楽曲をきっかけに知り合いますが当時、まだ19歳の太田さんに対して、曽根さんは37歳で既婚者でした。厳格な家庭で育った「箱入り娘」の太田さんにとって、曽根さんの大人の色気と包容力があり、そこに惹かれていったと言われています。
しかし、曽根さんはなかなか妻と別れようとはしませんでした。それでも2人の関係は続き、不倫騒動で太田さんは芸能界を引退します。そして曽根さんの子どもを妊娠・出産し、出会いから14年後、2人目の子どもを妊娠したことをきっかけに、ようやく曽根さんが妻と離婚し、太田さんは曽根さんと結婚を果たします。
世間からは“略奪愛”と呼ばれたこの恋ですが、太田さんはその後、曽根さんの母親や夫の曽根さんの介護を献身的に行い、彼女なりの“償い”と“愛”を貫いたとも言えるエピソードが残されています。

太田さんは介護を償いと言っているけれど、どういう意味なのかな?

自分たちの不倫で1つの家庭を壊した代償を介護という形で払っていたのかもしれないわね。因果は巡るのかも。
太田きよみの娘は元ブランチリポーター!
引用元:サンスポ
太田きよみさんの第2子で1985年生まれの曽根由希江さんは、TBS系「王様のブランチ」で2007年から約6年半にわたってブランチリポーターを務め、明るく親しみやすい笑顔でお茶の間の人気者でした。グルメ情報やトレンドを伝える姿に、毎週元気をもらっていた人も多いのではないでしょうか。
現在(2025年3月時点)もシンガーソングライターとして音楽活動を続けています。
2021年には、海外の広告代理店でプロデューサー兼サウンドクリエーターとして活躍している男性との結婚をツイッターで報告し、ファンからは祝福の声がたくさん届きました。
パートナーも音楽に携わる方ということで、今後さらに音楽活動が広がっていきそうで楽しみですね!

曽根由希江さんの趣味や特技を教えて!

映画・音楽鑑賞、ドライブ、ショッピング、水族館にシャチを見に行くこと、漫画、ゲーム、と多趣味ね。特技は絵を描くことだそうよ!
太田きよみさんがデビューした1970年はこんな年だった!
引用元:art tourism、時事ドットコム、時事ドットコム
太田きよみさんがデビューした1970年は、「大阪万博開催」、「アポロ13号打ち上げ」、「ボーリング・ブーム」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語は、「ウーマン・リブ」が受賞しました。
太田きよみのプロフィール・SNS
引用元:曽根由希江ブログ
プロフィール
- 名前:太田きよみ(おおた きよみ)
- 本名: 曽根喜代美
- 生年月日:1953年5月15日
- 年齢:71歳(2025年3月現在)
- 血液型:O型

太田きよみさんはもう歌は歌っていないのかな?

日本歌謡芸術協会に属して歌手活動を続けているとの噂もあるけど、実際のところはわからないね。