女優で活躍を続けている大塚寧々さん。
ドラマ・映画・CMで大活躍をし続け、20代の頃に週刊誌の表紙を飾ってから30年以上経過した現在も若くて美しい姿は憧れですよね。
今回は大塚寧々さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】大塚寧々は若い頃かわいい!
10代・20代(1978年~1998年)
引用元:文春オンライン
大塚寧々さんは、東京都出身で1人っ子でした。両親は関西人ですが、子供の頃からお正月の雑煮は関東風だったそうです。子どもの頃は節分の日が、本気で嫌だったそうで、父親が変装した鬼が本気で怖すぎて、大泣きしていたそうです。可愛らしいエピソードですね!
中学から高校時代はフィギュアスケート部に所属していましたが、高校を卒業後、日本大学芸術学部写真学科に入学してからは、ひたすら写真を撮る日々を送り写真家になる事を真剣に考えていました。
ですが、1988年(当時20歳)に「週刊朝日」の女子大生シリーズで表紙を飾り、モデルデビューとなりました。上の画像は「週刊朝日」の表紙を飾った時のものです。モデルとして初めての撮影でしたが、大人っぽく素敵な表紙です。

大塚寧々さんは、どうして写真学科を選んだのかな?

それは、父親がカメラ好きで、当時家に古いカメラがたくさんあったみたいよ!
引用元:Amazon
大塚寧々さんは、1992年(当時24歳)の時に、ドラマ「君のためにできること」で女優デビューを果たし、その後、1993年(当時25歳)初の連続ドラマ「スキャンダル」に出演し、難しい役柄を見事に演じ話題となりました。上の画像はその時のもので、25歳で初の連続ドラマ出演となりました。
翌年(当時26歳)には、欽ちゃんのシネマジャックが公開され、その1編の映画「やさしい嵐」に出演し映画デビューもしております。
引用元: aucfan
大塚寧々さんは、1995年(当時27歳)の時に、フジテレビ系毎週月曜日の21:00~の「月9」枠で放送されていた
ドラマ「いつかまた逢える」に出演しました。上の画像はその時のもので、大人気だった「東京ラブストーリー」と酷似していると当時は話題になりました。
主演・福山雅治さんをはじめ、お笑い芸人の今田耕司さんも出演して話題となりました。同じ故の男女5人が東京で再開をした事をきっかけに、すれ違いの恋が切ないラブ・ストーリーです。
この時大塚寧々さんは、このドラマで第6回ザテレビジョンドラマアカデミー賞・助演女優賞を受賞しました。
引用元:文春オンライン
大塚寧々さんは、1996年(当時28歳)の時に、靴メーカー「ホーキンス」の広告でのセミヌードが話題になりました。このポスターの手ブラのポーズがグラビア界で話題となり、影響を与えたといわれています。
この時大塚寧々さんは、オファーをもらって「やってみたい!」と、挑戦されたそうです。当時清楚なイメージがあった寧々さんは、新たなイメージに挑戦してみたかったのかもしれませんね。上の画像は
上の画像はその時のホーキンスのポスターです。清楚なイメージからは一転、スタイル抜群でかっこ良い大人の女性です。

大塚寧々さんは、どうしてモデルとしてデビューだったのかな?

それは、寧々さんのお母さんが応募して、当時から可愛かったみたいよ!
30代(1998年~2008年)
引用元:Amazon music
大塚寧々さんは、1998年(当時30歳)の時に、詩人・音楽家の三代目・魚武濱田成夫さんと結婚しました。お2人は男児を授かりましたが、2001年に離婚しました。
その後、2002年(当時34歳)には俳優の田辺誠一さんと再婚をしました。
この時大塚寧々さんは、再婚した田辺さんについて「誠実な人柄に惹かれた」とお話しされており、離婚したのち急速に距離が縮まったことが確認できます。
上の画像は三代目・魚武濱田成夫さんが1998年にアルバムを出されたの時のものです。
引用元:株式会社ワコー
大塚寧々さんは、2002年(当時34歳)の時に、映画「笑う蛙」に出演をしました。
元銀行マンが会社の金を横領し、指名手配され逃げた別荘で妻と再会するという。寧々さんは長塚京三さん演じる倉沢逸平の妻役を演じました。
この時大塚寧々さんは、映画のタイトルの提案者であり「お箸の袋に書いて出したのに、決まると思わなかった」と話されており、チームワークの良さが確認できます。
上の画像は2002年・34歳・映画「笑う蛙」の時のものです。難しい役柄に挑戦した作品でした。

大塚寧々さんは、どうして三代目魚武濱田成夫さんと結婚したのかな?

それは、寧々さんが「この人の子供を産みたい」という理由から、かなり惚れ込んでいたみたい。そして結婚をし、男児を出産したみたいよ!
40代以上(2008年~)
引用元:女性セブンポスト
大塚寧々さんは、2015年(当時47歳)の時に、太極拳を始めました。きっかけは家族旅行をしたときに、寧々さんの当時腰の怪我で歩くこともやっとだったお母さんがホテルの太極拳教室へ参加したことだったそうです。
太極拳をたった1度体験しただけで改善した、母親の姿を見て「杖をついてしか歩けなかった人が、杖を使わずホテルのエントランスまで一人小走りをしていた」と、太極拳のすごさを目の当たりにしたそうです。
上の画像は2021年(当時53歳)の時に出版されたエッセイ「ネネノクラシ」の時のものです。これをきっかけに自宅で太極拳の簡単な動きや、剣を使った32式をやったりしています。
引用元:女性セブンポスト
大塚寧々さんは、2020年(当時52歳)の時に、山の家で畑で野菜作りを始めました。
この時大塚寧々さんは、「無知な私は、そのまま野菜の種を蒔けばいいと思っていた」とお話しされており、お隣の農業を営む方に1から教えてもらい、土壌改良をしたり、肥料を蒔いたりと楽しんで畑仕事をしたそうです。
上の画像は2023年(当時55歳)大塚さんが所有する山の家の畑です。3週間も放置すれば雑草がぼうぼうになってしまったり、野生の動物が畑を荒らしに来たりと色々なハプニングがあるものの、ゆったりと山の家での生活を満喫しているのでした。

大塚寧々さんは、どうして畑作りを始めたのかな?

それは、自分で育てた野菜を使って安心安全な食を家族に提供したいという理由から、できる範囲で美味しく体に良いものを使って食事ができるようにと思ったみたいよ!
【画像】大塚寧々と再婚した旦那はだれ?息子の現在は?
再婚した旦那はだれ?
引用元:スポニチ
引用元:読売新聞
大塚寧々さんの現在の夫は俳優の田辺誠一さんです。
田辺さんとの出会いは1994年(当時26歳)に日産のCMで共演したことから始まり、それからしばらくは友人関係が続いていましたが2002年(当時34歳)に寧々さんの離婚が成立してから交際がスタートしました。
寧々さんは、田辺さんの「誠実な人柄に惹かれた」とおっしゃっており、当時、寧々さんの息子さんが体調を悪くし入院をした際も、田辺さんが献身的に看病をしてくれたそうです。
2023年(当時45歳)には「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれました。

大塚寧々さんは、夫婦円満のコツは何だったのかな?

それは、夫でもあり、友達でもあり、時には親子のような関係を築くという理由から、年を重ねても小さなことで笑って過ごせるような日常を作ることだと常に思っているみたいよ!
息子の現在は?
引用元:ザ・テレビジョン
引用元:株式会社enchante
大塚寧々さんの息子さんは、「SHIGETORA」という名前で、現在俳優をされています。
本名を田邊成虎(しげとら)さんといい、大塚寧々さんの前夫である三代目・魚武濱田成夫さんとのお子さんで、現在(2025年3月時点)26歳です。
2022年に劇団鹿殺しのオーディショに見事合格し、翌年には舞台「ダリとガラ」で俳優デビューしました。成虎さんは、年間300本も映画を観るほどの映画好きでだそうですよ。

子供の頃の成虎さんはどんな子だったのかな?

それは、寧々さんが旅行好きということもあって、キャンプやスキー・シュノーケリングと色々なことが得意になったみたいよ!
大塚寧々さんがデビューした1988年はこんな年だった!
引用元:aflo
大塚寧々さんがデビューした1988年は、「ドラクエ3発売」、「青函トンネルが開通」、「東京ドームオープン」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、「今宵はここまでに(いたしとうござりまする)」で
NHK大河ドラマ「武田信玄」の番組の最後にモノローグの締めのセリフで岩尾文子さんが受賞しました。
大塚寧々のプロフィール・SNS
引用元:スポーツ報知
プロフィール
- 名前:大塚寧々(おおつかねね)
- 本名: 田辺寧々
- 生年月日:1968年6月14日
- 年齢:57歳(2024年3月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 趣味:写真、旅行
- 特技:料理
- 所属事務所:アストラル
受賞作品
- 1995年:第6回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演女優賞 「いつかまた逢える」
- 2002年:第57回毎日映画コンクール 女優主演賞 「笑う蛙」「うつつ」「歩く、人」
- 2002年:第24回ヨコハマ映画祭 助演女優賞 「笑う蛙」「うつつ」

大塚寧々さんが旅行が好きになったきっかけって何なのかな?

家族との時間を楽しく過ごしたいから、たくさん旅行に行っているみたいだね!寧々さんは自分で旅行のスケジュールをたてるのが好きみたいだよ!