【画像】大黒摩季は若い頃老け顔?旦那との離婚理由は何?推定年収は?

シンガーソングライターや作詞・作曲家として日本の音楽業界で活躍を続けている大黒摩季さん。

発売した曲は大ヒットし90年代の音楽業界を牽引し、現在も老若男女問わずカラオケで歌われるトップアーティストとなりました。

今回は大黒摩季さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

目次

【画像】大黒摩季は若い頃老け顔?

幼少期/10代(1969年~1989年)

大黒摩季さん
引用元:大黒摩季 25TH ANNIVERSARY

1972年(当時3歳)の時に、「女の子だったらピアノをやらせたい」という母の夢から、誕生日にアップライトピアノを買ってもらったことで、クラシックピアノを始めました。

内向的な性格だった大黒さんは、外で遊ぶよりもピアノがおもちゃだったそうです。母といる時はクラシック、留守番の時はレコードのロック、祖父母が来た時は演歌、テレビでは歌謡曲が流れるというように音楽に囲まれて育ちました。

当時ピンクレディーや石川さゆりさんなどの音楽がテレビで流れているのがきっかけでテレビっ子になり、小学生の頃にはヒット曲をコピーして弾き語りをしたり、作曲を始めたそうです。

上の画像は、アップライトピアノの前に座っている幼少期の大黒さんです。母の夢から強引に始めたピアノですが、クラシック音楽やピアノに触れていたことが大きな影響となり、小学生の頃から「歌手になりたい」と思っていたそうです。

大黒摩季さん
引用元:Instagram

(当時15歳)の時にジャケ買いしたアレサ・フランクリンのレコードを聴いて、ソウルミュージックに惹かれました。中学終わりの頃からは、休日に様々なバンドのボーカルをはじめ、札幌のアマチュアバンド界隈では知られる存在となりました。

大黒さんの通っていた中高一貫の私立藤女子中学校・高等学校は校則が厳しく、内緒でバンド活動を行なっていましたが、停学処分になってしまったこともあるそうです。

上の画像は、アマチュアバンドのライブで歌っている時の写真です。中学生の可愛さもありながら、大人っぽい雰囲気も纏っていますね。

大黒摩季さん
引用元:大黒摩季 25TH ANNIVERSARY

大黒さんは、高校卒業後は音楽大学に進学することを考えていましたが、実家の収入が年によって波があるため、母から「短大にしてほしい」と頼まれ、「それだったらいっそのこと東京でプロを目指して音楽の勉強をしよう」と2年間だけの約束で上京しました。

上京後は、東京近郊にある叔母の家で暮らし、バイトをしながらオーディションを受けたり、カバー曲や自作曲を含めた歌唱をレコード会社に送っていたそうです。

上の画像はデビュー前の大黒さんです。子供の頃から笑わない子だったらしく、可愛い表情の写真がないとお話しされていました。上の画像もお洋服は丸襟で可愛らしい感じですが、表情は大人っぽいクールな印象を受けますね。

ギモンくん

幼少期からいろんな音楽に触れてきていたんだね。ずっと音楽しかやっていなかったのかな?

カイケツさん

学校ではバレー部に所属していたよ!成績が悪くても卒業する条件として部活動をちゃんとやるということがあったから、部活動にはしっかり顔を出していたみたい。

20代(1989年~1999年)

大黒摩季さん
引用元:日刊スポーツ

大黒さんは、1989年(当時20歳)の時に、テープを送っていたビーイングのオーディション「第3回BADオーディション」に合格しましたが、そこでコーラスをするように言われました。

同時期にはソニーやビクターのオーディションに合格しており、特にソニーからは「すぐにデビューしよう」という話があったそうです。ですが大黒さんは「歌手になりたいけど、今はもっと色々吸収して曲作りを学びたい」と思い、ビーイングでの下積みを選択しました。

バイトをしながら曲作りをはじめ、B'zZARDTUBEなどのコーラスを担当し下積み生活を送りました。

上の画像は、ZARDのデビューシングルのレコーディングをしている時の写真で、奥に写っているのが大黒さんです。ZARDのボーカルである坂井さんとは下の名前で呼び合い、姉と慕うほど仲が良かったそうです。

大黒摩季さん
引用元:BARKS

1991年(当時22歳)の時にSILK(大森絹子さん)のアルバム収録曲「ジョン・レノンが聴こえる夜」で作曲家デビューを果たすも、歌手デビューがなかなかできないため、会社を辞めてアメリカに旅に出ました。

同年12月に発売されたSILKのアルバム「FACE」に収録された「STOP MOTION」で大黒さんは作詞・作曲を担当し注目を浴びました。これがきっかけで「歌手デビューの話が進んでいる」と社長から連絡を受け、帰国し会社に復帰して活動を再開しました。

大黒摩季さん
引用元:大黒摩季 公式 WEB SITE

1992年5月(当時23歳)の時「STOP MOTION」で念願の歌手デビューを果たしました。ドラマ主題歌という大型のタイアップだったのですが、セールスはイマイチでした。

同年9月にCMのタイアップがついた2ndシングル「DA・KA・RA」で初のミリオンセラーを記録し、第34回日本レコード大賞新人賞を受賞しました。

その後、アニメ「SLAM DUNK」のエンディングテーマ曲にしようされた「あなただけ見つめてる」や「夏が来る」、ドラマ「味いちもんめ」の主題歌となった「ら・ら・ら」など次々と大ヒットを記録しました。

ギモンくん

ミリオンセラーアーティストになって
メディアに引っ張りだこだったんじゃない?

カイケツさん

それが、デビューしてから数年は、メディア出演やライブ活動を一切することがなく、「謎のカリスマ歌姫」と言われていたそうだよ。
大黒摩季というアーティストは実在せず、歌担当、ビジュアル担当が別々にいる」とか、「ニューヨークに住んでいて音楽活動する時だけ来日する」などという都市伝説まであったみたい。

30代(1999年~2009年)

大黒摩季さん
引用元:大黒摩季 25TH ANNIVERSARY

2004年(当時35歳)の時に、キーボードの武部聡志さんギターの土屋公平さんドラムの真矢さんベースの恩田快人さんとコピーバンド「大黒摩季とフレンズ」を結成し、80年代に曲をコピーしたアルバム「COPY BAND GENERATION VOL.1」を発表しました。

大黒摩季とフレンズ ONE NIGHT STAND」というライブツアーも行い、大黒摩季というアーティストの枠をさらに拡げました。

上の画像はライブツアーの時の写真です。カバーではなく完全コピーをするなど、プロのアーティストとしてはなかなかない、遊び心溢れるプロジェクトですよね。

大黒摩季さん
引用元:四国新聞

2007年(当時38歳)の時に北海道登別明日(のぼりべつあけび)中等教育学校の教頭が大黒さんのファンであったため、校歌の作詞作曲を依頼されて3ヶ月かけて作成しました。

登別明日中等教育学校の開校式にサプライズゲストとして登場し、ノーギャラで作詞・作曲をした校歌「明日(あけび)の空に」を生披露しました。

同年に北海道夕張市の地域再生を目指すプロジェクト「しあわせの桜ともみじ」で「桜ごころ」という曲を書き下ろしました。上の画像は、このプロジェクトの記念植樹会に参加した時のものです。

ここの桜だけのために曲を作りました。たくさんの方を夕張に呼び戻したい」とコメントされ、新曲を初披露しました。この頃から大黒さんは、北海道での活動を積極的に取り組んでいきました。

ギモンくん

コピーバンド「大黒摩季とフレンズ」は現在も活動しているのかな?

カイケツさん

2007年に期間限定で再結成してライブツアーを行っていたよ!それからは、活動していないみたい。2004年に出したアルバム「COPY BAND GENERATION VOL.1」も”VOL.1”と付いているけど、現在も”VOL.2”は発売されていないよ。

40代以上(2009年~)

大黒摩季さん
引用元:BARKS

2010年(当時41歳)の時に、子宮疾患の治療のため無期限活動休止をしました。10代から生理不順で、1997年頃には腹痛やむくみ、偏頭痛などの身体の異変を感じていたそうです。その後、婦人科を受診したところ子宮内膜症子宮筋腫子宮腺筋症併発していたことが発覚しました。

医師には「放置すると子宮の全摘手術しか治療法がなくなる」と告げられ、すぐにホルモン治療を行いました。子宮内膜症の進行を抑えるため、女性ホルモンを減らしていたせいで高音が出なくなるなど活動に影響が出てしまい、一度治療を中断しました

結婚後に不妊治療をとホルモン治療を交互に続けていきましたが、2010年に痛みが激しくなりさらに左卵巣腫を患い、医師から「悪い部分を切除しましょう」と告げられて、活動休止をせざるを得なくなってしまいました

上の画像は、活動休止前に行ったライブの時の写真です。終始笑顔でパワフルなパフォーマンスを披露しました。

活動休止後、2度の手術を行ったことで肉体的ダメージは大きく「2度腹筋を切ったわけですから、大黒摩季は2度死んだようなもの」とお話されており、「復帰は無理かもしれないと鬱々とした時期もありました」と当時を振り返っていました。

大黒摩季さん
引用元:ライブファンズ

2016年6月(当時47歳)のに、公式サイトで「長く私を痛ませていた病気も無事完治し、様々なリハビリや身体づくりも良い状態になって参りました故、アーティスト活動を再開することと致しました」と活動再開のコメントを発表し、同年8月に行われた北海道の音楽フェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO」で本格的に活動を再開しました。

活動を休止してからは、校歌の提供や東日本大震災・熊本地震への復興支援活動のみ行なっており、本格的に歌手活動を行うのは約6年ぶりとなりました。

10月には復帰後初のワンマンライブを札幌のニトリ文化ホールで、復帰を待ち望んでいたファンを熱狂させました。上の画像はそのライブの時の写真です。

2017年(当時48歳)の時に「主婦や介護をしていると、家を空けられても三時間。大きな会場に泊まりで出向くなんて不可能だから、復帰のご挨拶は私が出向かないと!」と全国47都道府県ツアーを開催するなど、病気を完治してからますます精力的に活動を続けています。

ギモンくん

大黒さんは10年以上も病気と戦っていたんだね。

カイケツさん

当時27歳という若さで病気が発覚してしまい、子どもが好きだった大黒さんは「なんとしても子宮を守らなければ」と思ったそう。
だけど、歌手として声が出しづらくなり治療を中断して、鎮痛剤で乗り切っていたそうだよ。

大黒摩季さんが所属するB ZONEには他に誰が所属してる?

引用元:新浜レオンbillboard JAPANナタリー

大黒摩季さんの所属するB ZONEには、新浜レオンさんB'zさんB.B.クイーンズさんなどの名だたるアーティストが所属しています。

【画像】大黒摩季と旦那の離婚理由は何?推定年収は?

大黒摩季と旦那の離婚理由は何?

大黒摩季さん
引用元:Instagram
大黒摩季さん
引用元:スポーツ報知

2003年(当時34歳)の時に、知り合いの紹介で出会った一般男性と結婚しました。大黒さんは、婦人科系疾患を患っていて、不妊治療を行っていましたが、子宝に恵まれることはできませんでした。

元夫も諦めたつもりではいましたが、友達家族の子どもを抱っこしている表情を見て「この人こういう顔するんだなぁって。私は一生、この罪の意識と生きていくのかと。」と思ったそうです。

元夫はあくまでも共に生きようとしてくれていたそうですが、大黒さんは「消えない罪意識を背負いながら2人で生きていくよりも、1人になって彼の幸せを純粋に応援していく方が潔い、その方が私らしいと気づきました」と当時の心境を語っていました。説得を続けた結果、離婚に合意し別々の人生を歩むことになったそうです。

ギモンくん

その後、2人は幸せになれたのかな?

カイケツさん

元夫は、新しい恋をしてお子さんにも恵まれたそうだよ。
大黒さんは、それを聞いて「私は産めなかったけど、彼にあげたかった最大のプレゼントがそこだったから」とお話しされていて、お互いが望んだ未来になっていて幸せになれたのではないかな!

大黒摩季の推定年収は?

大黒摩季さん
引用元:Amazon
大黒摩季さん
引用元:AERA

大黒摩季さんを調べていると、”年収”と出てきていました。90年代を牽引してきたトップアーティストの年収は、やはりみなさん気になるようですね。

2025年現在の推定年収は「3,000万〜6,000万円」や「2億円」など金額の幅も大きく、また確証のある話や他の記事も見つけることはできませんでした。90年代の全盛期には3億円稼いでいたというような話もありましたが、あくまで憶測や噂に過ぎないです。

アーティストですから、CD売上ライブ収益印税などさまざまな収入源があるため、相当な金額を稼いでいるのではないのでしょうか。

ギモンくん

収入源がたくさんある中で、どの割合が多いのかな?

カイケツさん

現在だとストリーミング再生やカラオケで歌われたりする印税収入が多いんじゃないかな!

大黒摩季さんがデビューした1992年はこんな年だった!

引用元:日清ラ王の歴史テレ朝POSTナタリー

大黒摩季さんがデビューした1992年は、「日清食品が日清ラ王を発売」、「クレヨンしんちゃんが放送開始」、「尾崎豊さんの死去」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、「きんさん・ぎんさん」で成田きんさん蟹江ぎんさんが受賞しました。

大黒摩季のプロフィール・SNS

大黒摩季さん
引用元:Instagram

プロフィール

  • 名前:大黒摩季(おおぐろまき)
  • 本名: 大黒摩紀
  • 生年月日:1969年12月31日
  • 年齢:55歳(2025年4月現在)
  • 出身地:北海道
  • 血液型:A型
  • 趣味:サーフィン、ゴルフ、料理、ガーデニング、猫
  • 所属事務所:B ZONE

SNS

大黒摩季さん
ギモンくん

大黒さんの趣味に猫ってあるけど、猫好きなのかな?

カイケツさん

大黒さんは、猫が好きで現在は6匹の猫を飼っているそうだよ。「心持ちが乱れたときに、柔らかで穏やかな自分に戻してくれる存在」だとお話しされていたよ。
YouTubeに「大黒家の猫たち」という名前で猫ちゃんたちの様子をライブ配信していたよ!

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