日本を代表する金融政策の研究者であり、2023年4月から第32代日本銀行総裁となった植田和男さん。
戦後初の経済学者出身の日銀総裁ということで注目されていますが、学者としての研究活動だけでなく、豊富な実務の現場での経験も生かしながら、様々なアイデアを打ち出し、日銀執行部をサポートし続けています。
今回は植田和男さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】植田和男(日銀総裁)は若い頃イケメン!
幼少期・10・20代(1961年~1981年)
引用元:日本経済新聞
植田和男さんは、静岡県牧之原市で生まれ育ちました。植田家は庄屋を先祖に持つ家系で、父親は電電公社(現:NTTグループ)に勤めていたそうです。
頭が良く、勉強熱心な子どもだったという植田さん。親戚の家に行ったときも勉強ばかりしていて心配されてしまったり、縁側でラジオで英語の放送を聞いたりしていたそうです。また、切符の収集も趣味で、かなり貴重なものも集めていたのだそうです。
高校在学中もその頭脳明晰ぶりを発揮していた植田さん。特に理数系科目では圧倒的なトップ成績だったそうです。また、校内のマラソン大会で1位になったり、1500メートル走も得意だったりと、勉強だけでなく運動も得意だったそうです。
植田さんは高校卒業後、東京大学理学部に進学し、1974年(23歳)に卒業しました。その後、同大学の経済学部に学士入学し、経済学部の大学院で研究活動に取り組んでいました。
その後、1976年(25歳)にアメリカのマサチューセッツ工科大学の大学院に留学し、1980年(29歳)に博士号を取得しました。
上の画像は、1976年(25歳)にアメリカに留学していた時のものです。端正な顔立ちであることが一目でわかりますね。服装もとってもお洒落でカッコイイです!

植田和男さんって二枚目俳優みたいでとってもカッコいいよね!
親戚に俳優さんがいたりするのかな?

植田和男さんの祖父の従弟が俳優の加藤剛さんなんだって!そして、加藤剛さんの姉の子(甥)も俳優のうえだ峻さんらしいわ!
これだけ俳優の親戚がいるなんて、イケメン家系なのね!
30・40代(1981年~2001年)
引用元:日本経済新聞
植田和男さんは、1980年(29歳)からカナダのブリティッシュコロンビア大学の経済学部助教授として2年間教べんをとり、日本に戻ってからは大阪大学、東京大学の経済学部助教授を務めていました。
上の画像は、1982年(31歳頃)のものです。スーツ姿が似合っていて知性を感じますよね!爽やかでかっこいいですね!
引用元:NHK
植田さんは長きに渡って東京大学で教べんをとっていましたが、政策当局への所属経験もあります。
1985年(34歳)~1987年(36歳)の間には、大蔵省財政金融研究所主任研究官を務め、その頃に拡大していた日本の経常黒字などについて研究していました。
そして、1990年(39歳)から2年間、日本銀行金融研究所の客員研究員を務めたほか、1993年(42歳)には東京大学の教授に就任し、1996年(45歳)から1年間は日本銀行の調査統計局で勤務していました。
上の画像は、1996年2月(44歳)に衆院予算委員会の公聴会に出席した時のものです。目鼻立ちがはっきりしていてとってもカッコいいですよね!
また植田和男さんは、1998年(47歳)に日本銀行政策委員会審議委員に就任し、バブル崩壊の影響で大手金融機関の破綻が相次ぐ不況の中、政策委員会の理論的支柱として、速水優総裁によるゼロ金利政策や量的金融緩和政策の導入を支えました。
2000年の金融政策決定会合においては、一定の条件を満たさない限り、ゼロ金利政策の解除(利上げ)はしないと日本銀行が約束することを検討してはどうかと提案し、注目を浴びました。
植田さんは、この提案により、長期金利に低下圧力を加えて金融緩和の効果を高めることができると考えていました。これは「時間軸効果」と呼ばれ、植田さんはこのアイデアの生みの親と言われています。
ゼロ金利政策・量的金融緩和政策とは?
ゼロ金利政策とは、中央銀行が政策金利をゼロ(またはそれに近い低金利)に誘導する金融政策です。銀行が資金を調達しやすくなるので、企業への融資が促進され、景気を刺激する効果が期待できます。
量的金融緩和政策とは、中央銀行が金融機関から国債などを買い取り、市場に資金を供給する金融政策です。景気回復や金融市場の安定を目的としています。
引用元:NEWSポストセブン
2000年6月(48歳)、植田和男さんが高級クラブで繰り返し豪遊していたことが週刊誌で報じられました。
植田さんが20代前半と見られる若いホステスと待ち合わせて、高級寿司店に入り、20時半過ぎに女性が働くクラブに移動(同伴出勤)したところをスクープされています。この日だけでなく、植田さんが六本木のクラブに通い詰める姿は何度も目撃されていたそうです。
当時の植田さんの年収は3000万円近くあったと思われるため、1回10万円以上かかるような六本木の高級クラブに月に何度も通うような豪遊を繰り返すことができたのですね…。
上の画像は2000年6月(48歳)頃のものです。ちょうど高級クラブに通っていた頃ですね。色っぽさもありかなりの男前なので、女性からもお声がたくさんかかっただろうなと予測できます。ホステスさんからも人気は高かったでしょうね。

東京大学で教べんをとっていた植田さんのゼミが人気だったらしいけど、人気の秘密は何だったのかな?

植田ゼミでは、「国際金融理論」や「金融政策」について学ぶことができて、教授と生徒とは英語でやり取りしていたんだって!当時は面接に合格しないと入れない大人気ゼミだったみたいよ!また、植田教授は穏やかな人柄で、笑うことは多かったみたいだけど、怒っていることはほとんどなかったらしくて、そんなところもゼミ生から好かれていたみたいよ!
50・60代(2001年~2021年)
引用元:東洋経済ONLINE
植田和男さんは、経済学・金融学に関する数々の本を出版しています。
2005年(54歳)に「ゼロ金利との闘い 日銀の金融政策を総括する」を出版しました。この本は、日本銀行政策委員会審議委員となった経験をもとに書かれたもので、デフレ対策とその効果を検証した内容となっており、植田さんの代表作となっています。
上の画像は、「ゼロ金利との闘い 日銀の金融政策を総括する」を出版した頃の2006年(55歳)に撮影されたものです。落ち着いた表情がクールでカッコイイですね!
引用元:ニッポン放送 NEWS ONLINE
植田和男さんは、2008年(56歳)に金融理論の基礎研究などを行っている日本銀行金融研究所の特別顧問を務めていました。日本銀行が開いていた国際的なシンポジウムにも積極的に参加し、海外の学者や中央銀行関係者との関係を築いていきました。
また、植田和男さんは内閣府の調査会の会長として、日本の成長戦略を描く21世紀版「前川リポート」の取りまとめにあたりました。そして同じ年には日本政策投資銀行の社外取締役にも就任しています。
上の画像は、2008年2月(56歳)に開催された第1回構造変化と日本経済の専門調査会(世界経済の変化に対応した日本経済の経済構造について検討した専門調査会)で挨拶をしている時のものです。56歳とは思えない若々しさがありつつ、落ち着いた雰囲気でカッコイイですね。
前川リポートとは?
円高不況の真っ只中にあった1986年4月、アメリカが要求する内需拡大策に応えるためにまとめられた国際協調のための経済構造調整研究会報告書です。当時の日本銀行総裁だった前川春雄さんの名前に由来してこう呼ばれています。

植田和男さんは他にも本を出版しているみたいだけど、どんな本があるのかな?

2017年に「大学4年間の金融学が10時間でざっと学べる」という本を出版しているわ!図表を用いたりして簡潔に説明してあるから分かりやすいと評判なのよ!金融学って難しいテーマだと思ってたけど、一度読んでみたくなるわね!
70代以上(2021年~)
引用元:PRESIDENT Online
2023年2月14日、4月に退任する黒田東彦さんの後任として、政府が植田和男さんを第32代日本銀行総裁へ起用する同意人事案を国会に提示しました。衆議院、参議院で同意人事案の採決が行われた結果、それぞれ賛成多数で同意され、植田さんは同年4月9日(71歳)に日本銀行総裁に就任しました。
2024年3月の金融政策決定会合では、それまで続いていたマイナス金利の解除を決定し、金利を0.1%として、17年ぶりの利上げに踏み切りました。さらに2024年7月には金利を0.25%とする追加の利上げを行い、2025年1月にはさらに0.25%追加利上げを行い、政策金利を0.5%としました。
上の画像は、2023年4月(71歳)、日本銀行新総裁となり辞令交付を受けた後に岸田文雄元首相(右)と握手する植田さん(左)です。70代になってもはっきりした目鼻立ちで、昔と変わらず男前ですよね!

マイナス金利が解除されたら、私たちの生活にどんな影響があるのかな?

預金金利や個人向け国債の金利が上がったり、生命保険料が下がったりするメリットがあるのよ!でも、住宅ローン金利が上がったり、債券価格が下がったりするデメリットもあるわ!マイナス金利って聞きなれない言葉で難しい話に思えるけど、私たちの生活にも直結している大事なワードなのね!
植田和男さんが就任した日銀総裁には歴代どんな人が就任していた?
引用元:朝日新聞
植田和男さんが就任している日銀総裁には、過去に黒田東彦さん、白川方明さんや福井俊彦さんなどが就任していました。
【画像】植田和男と妻の馴れ初めは?英語力がすごい!
植田和男と妻の馴れ初めは?
引用元:X#国会中継
— ずんだうまい (@wAGVBMfkrMKlzp6) February 24, 2023
妻も経済学者らしい。
植田和男の妻(嫁)がエリートすぎてヤバイ!子供や両親はどんな人?
専門分野は応用ミクロ経済学で、日本女子大学家政学部家政経済学科の教授を務めていた。https://t.co/PSRtlNsfKT pic.twitter.com/bOfQiZo1GD
植田和男さんは、日本女子大学家政学部家政経済学科の元教授で経済学者の敬子さんとご結婚されています。
妻・敬子さんも植田和男さん同様、素晴らしい経歴の持ち主であることが分かりました。
敬子さんは1951年に兵庫県で生まれ育ち、1973年に京都大学経済学部経済学科を卒業後、大阪大学大学院・経済学部へ進学しています。大学院卒業してから7年後の1981年から、京都産業大学の専任講師として教べんをとり、同大学にて助教授として1990年まで勤務していました。
そしてその後、敬子さんは植田和男さん同様マサチューセッツ工科大学大学院に留学し1999年に卒業していますので、その時にお2人は出会い、仲を深めていったのではないかと思われます。
若い頃とってもイケメンでモテていた植田和男さんには、元々別の婚約者がいたと噂されていましたが、最終的には敬子さんを選び、ご結婚されています。同じ経済学者として共感できる部分や、通ずるものがあったのでしょうね!
引用元:TBS NEWS DIG
また、植田さんご夫婦には娘さんがいらっしゃるとの噂がありますが、学歴などの詳細は不明です。妻の敬子さんは、子育てがひと段落したタイミングでマサチューセッツ工科大学大学院に留学したのではないかと言われています。
夫婦そろってハイスペックなので、おそらく娘さんも素晴らしい経歴の持ち主で、どこかで立派にご活躍されているのでしょうね!

妻の敬子さんも経済学者だったんだね!敬子さんはどんなことを研究されていたのかな?

敬子さんの研究テーマは、経済学という枠にとどまらず、労働・家族・教育・農村といった社会の根幹に関わるものにまで広がっていて、その分析もとても実践的なのよ!特に、「男女共同参画が農業や地域社会にどう影響するか」という視点は、日本の社会構造の変化を見据えたうえでの非常に先見的なものだったそうよ。
植田和男の英語力がすごい!
引用元:週刊エコノミストOnline
植田和男さんは英語が堪能であることでも有名で、優れた英語力で国際舞台でも活躍されています。
2023年4月に日本銀行総裁に就任した植田和男さんは、同年6月に就任後初めて海外での公式会合(ポルトガルで開かれた欧州中央銀行年次フォーラム)に出席しました。
このような会合では通常退屈で重たいムードになることが多いそうですが、植田さんは流暢な英語で何度もジョークを飛ばし、余裕ある姿を見せたのだそうです。金融政策や経済状況など、話の内容も難しいものが多い中、自分の言葉で英語でしっかりと説明でき、ジョークまで交えることができるなんて本当にすごいですよね!
植田さんは、幼少期から縁側でラジオの英語放送を聞いたりしていたそうで、幼い頃から英語に慣れ親しみ、努力を重ねた結果、流暢な英語を話せるようになったのでしょうね!

流暢な英語でジョークだなんて、本当にすごいしセンスのある方なんだね!植田さんは具体的にどんなジョークを飛ばしたのかな?

「最近ストレスを受けていないか」という質問を受けた時に、欧米の中央銀行の総裁たちは真面目な表情で「自分に与えられた仕事なので、やるべきことをやる」という模範解答を並べたんだけど、植田さんは「中央銀行総裁になると、こんなに出張や記者会見が多いとは思わなかった!」と答えたんだって!こんなシチュエーションでもしっかり笑いを取ってくるなんて、さすが植田総裁ね!
植田和男のプロフィール・SNS
引用元:日本経済新聞
プロフィール
- 名前:植田 和男(うえだ かずお)
- 生年月日:1951年9月20日
- 年齢:73歳(2025年6月現在)
- 出身地:静岡県
- 血液型:AB型
- 専門:マクロ経済学、金融論
著書
- 1983年:国際マクロ経済学と日本経済 開放経済体系の理論と実証(東洋経済新報社)
- 1986年:戦後の経済変動と経常収支(大蔵省財政金融研究所)
- 1992年:国際収支不均衡下の金融政策(東洋経済新報社)
- 2005年:ゼロ金利との闘い 日銀の金融政策を総括する(日本経済新聞社)
- 2017年:大学4年間の金融学が10時間でざっと学べる (中経出版)

植田和男さんの趣味はあまり公表されていないようだけど、どんなことが好きだったのかな?

お酒は好きらしくて、とても強いらしいわよ!大学で働いていた頃、ゼミ生と庶民的な居酒屋さんに行って、安いお酒を一緒に飲んだりしていたんだって!飲みニケーション上手な方だったのね♪